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9 崩壊の始まり

 東側の陣が襲われている。


 洛陽~長安間の物資・人員の移送を任されていた華雄がその話を聞いたのは、日が傾いてからだった。それも報告があったのではなく、漏れ聞こえた会話から知ったのだ。退屈な役目を強引に部下に押し付けて抜け出し、若手の武将に稽古でもつけてやろうと陣内を歩いていたら、隣の天幕の声が耳に入ったのである。

 洛陽城外西側に張られた陣の一角は、幹部専用の区画になっている。そのため重要な内容の話し合いなども比較的自由に、堂々と行われていた。

 その天幕では、賈詡かくを筆頭にした参謀連中が今後の方策を話し合っていたのだろう。横をこっそりと通り過ぎようとした華雄の耳に、今度は「呂布が…」という言葉が聞こえた。つい、足を止め、耳をそばだてる。どうやら東側で暴れているのは呂布らしい。

 洛陽城外で西側以外(、、)にいる兵は、もともとは、帝を手にした董卓に擦り寄ってきた都の官吏や豪商、近隣諸勢力の私兵団である。権力をかさに弱者に暴力を振るってきただけのゴミなど、西涼の強兵達に混ぜられてはたまらない、そういう武官の意見を受け、参謀達の案で城外に陣を張らせて『生垣いけがき』にしたのだ。大量のゴミで都を守る。腐った都にはお似合いではないか。華雄はそう思っていた。

 だが、呂布が来ているなら話は違う。あの剛の者にただゴミ掃除をさせておくなど、そんなもったいない話はない。何せ、まともな守将を置いていないのだ。戦にすらなるまい。

 かくして華雄は手近な馬を拝借すると、単騎東門へと向かった。


 洛陽は現在西門以外を封鎖しているため、城外に出て壁沿いを北周りに駆ける。閉ざされた門の内側では、財産の没収が緩やかに始まっているはずだ。丁原が警護の兵をあらかた并州に連れて行ったので、私兵団を壁の外に出してしまえば城内は西涼兵だけになる。圧力も脅しもかけ放題だ。今のところ、急いで実力行使に出るという話も出ていない。ということは、華雄の仕事は輸送監督のままである。

 つまり、この機を逃すわけにはいかない。華雄は脚を速めた。

 

 しかし。

(これはまた、派手にやりおったな)

 洛陽東壁で華雄を待っていたのは、無残に破壊された陣の列であった。壁に接する陣以外は軒並み潰されている。軽く一回りしてみたが、丁原軍は影もない。遠く北東の方角に小さい陣らしきものが見えるので、おそらくあそこに帰ったのだろう。日の暮れ行く中、しばらくじっとそれを眺めた後で、華雄は大きいため息をついた。頭を振って、切り替える。

 実に口惜しいが間に合わなかったものは仕方ない。それにしても、この惨状である。あの丁原のことだ、出した兵は少数だろう。ここまでやられた守兵どもの凡愚も相当なものだが、この陣容相手にここまで攻めるというのは、勇猛ゆえの無謀なのか、確信あってのことなのか。どちらにせよ、これを繰り返されてば『生垣』が根こそぎ刈られてしまう。早急に何か手を打つべきではないか。やはり未練があったのだろう、華雄は破壊された陣の中に留まりそんなことを考えていた。

 少しの間じっと考えてみたが、良い案は浮かばなかった。自分が策や謀に向いていないことくらい知っている。華雄は長く考え込むことなく馬首を北へと巡らせた。やはり今回は諦めだ。と、振り向いたその視界の正面、北の壁の角から3騎、騎馬が現れた。先頭が『董』の旗を立てているあたり、使者のようである。おそらくは呂布の陣へ、そして高都に向かうのだろう。漏れ聞こえた参謀達の話を思い出す。そういえば使者がどうのと言ってはいた。が、この対応の早さは予想外だった。味方ながら優秀なものだ。おかげで、助かる。

 先頭の使者が華雄に気づいて声を上げた。

「華雄の叔父貴!?なんでこんなところにいるんです?」

「お勤めご苦労。いやなに、あの呂布への使者、というのはやはり儂ぐらいが適任かと思ってな」

「え?いや、しかしそれは」

「かまわんかまわん、賈詡のやつには力づくで奪われたとでも言っておけ」

 反論を聞かずに無茶な言葉をつなぐ華雄に、使者は呆れ顔になった。この君主と同格の猛将は、よくこうして前に出たがる。

「そんな嘘つけませんよ。まったく叔父貴は…知りませんよ?」

「すまんな、今度酒でも奢ろう」

「それ、忘れねえで下さいよ」

 互いに笑いあい、使者達は来た道を帰った。

 手を上げて見送ると、受け取った書状を懐に入れ、華雄は駆け出す。



 かくして現在、呂布の陣前。

「覚悟しろ臆病者!」

 両手に持った剣を振りかぶり、飛び上がって体重を乗せ叩きつけるが大刀の一薙ぎで払われた。着地から間髪いれずに突進すると左右から斬撃を繰り出す。連続で斬りつけながら突進そのままに押していくが、下がりながらも大刀一つで間断なく振るわれる刃を受ける華雄には、余裕が見えた。

「呂布、お前得物はどうした?そんな小刀では力も出せんだろう」

「!」

 益々気に入らない。押すのを止めて一度距離を取ると、呂布は体を縮めるように構えた。


「始まってますなあ」

「…」

「止めなくてもいいんですか?」

「じき、終わります」


 縮んだ姿を見て訝しげな顔になった華雄めがけて呂布は右手の剣を投げつけた。華雄は大刀を大きく振ってそれを右へと弾く。弾いた時には呂布が目の前で突きを繰り出していた。

 華雄は素直に驚いていた。どうやって投げた剣に追いついた?完全に意表を突かれた。が、身体は反応している。振り切った大刀を止めずに返して力を込め、呂布の身体に叩き付ける。突きは迫っているが距離を詰めた勢いの割りに力がない。何かしら無理があるのだろう。しかし間に合うか。華雄は微塵も身をかわさず、大刀を振ることに集中した。

 恐ろしい勢いで大刀が返って来る。趙雲の真似事で距離は詰められたが所詮修練不足、体勢が保てず突きが弱い。先に届くだろうが直後にあの大刀を食らってはお終いである。突きを諦め剣を大刀に合わせにいく。確かにこの小刀では防げそうにない。刀身に左腕を沿わせる。足に力を入れる。


 地面の上を派手に吹き飛んだ呂布の手には、折れた剣が残っていた。左腕にも鈍痛があるが、痛みがあるということは持っていかれてはいない。

「今回はここまでだな?」

 立ち上がって見ると、大刀を肩に担いだ華雄が楽しげに言ってきた。悔しいが、その通りだ。鬱憤が溜まって襲い掛かった呂布も、ひとしきり暴れて多少落ち着いていた。洛陽での借りを返された形になったわけだ。折れた剣を手離し、大きく息を吐く。

「どうやら、そうみたいだ」


 陣内の最前列で見ていた張楊と黄青は顔を見合わせると、それぞれ華雄と呂布の方へ歩み出る。

「いやはやさすが華雄殿、うちの若様に勝ってしまうとはおそろしい武勇ですなあ」

「まあ今回はこちらに利があったからな」

 得意気にそう答えた華雄は大刀を肩から少しだけ持ち上げた。

「で、貴殿は何者だ?」

「私は丁原様より高都の守備を任されております、張楊と申します。今回は華雄将軍自らの御来陣、どのような御用向きか存じませんが、まずは失礼なお出迎えになったことお詫び申し上げます」

 間延びした第一声とは打って変わって、丁寧な口上とともに頭を下げる張楊。その後ろでは、左腕を抱えた呂布が黄青の足元で転がっていた。それを見た周囲からは笑いとあきれ声が上がっている。

「…なかなかいい軍だな、ここは」

 そう言って笑う華雄は、この呂布の陣の空気に懐かしさを感じていた。


 

「だぁから、せんしっぽが完成したらてめぇ、かくじつに仕留めてやるからな」

「ほほ~うそいつは楽しみだ。で、いつ完成するのだその『せんしっぽ』とやらは?んん?」

「うるっせーすぐだすぐ!」

 一人酔いの回った呂布と、それで遊ぶ華雄。

「華雄殿、その辺で勘弁してやって下さいよ」

 あの後から延々続くこのやりとりに、張楊が割って入った。放っておいたら夜が明けかねない。勘弁して欲しい。

「おう、張楊殿に免じてこのあたりで帰っておこうか。つい気分が良くて長居してしもうたわ。勝って呑む酒はいいモンだ、なあ呂布よ?」

「ンだとコラてめえ、表出ろこのオッサン…」

 口だけは勇ましかったが、そのまま呂布は机に突っ伏した。それを見て華雄はさらに笑う。

「コイツはもう少し酒に強くなったほうが良いな。これでは名が泣くぞ?」

「呂布殿はこれで真面目でしてなあ。嫌いではないんでしょうが、あまり飲まれないんですよ」

 眠りに落ち行く呂布を見守りながらそう弁護すると、張楊は華雄の方に向き直った。

「で、使者としての御用ではなかったので?」

「おおそうそう、そうだった。あやうくただ呑んで帰るところだったわ」

 豪快に笑うと、懐から書状を取り出す。

「張楊殿、これは貴殿宛の書状だ。中身を簡単に言うと、洛陽への帰還命令だな」

「命令、ですか」

 受け取り、内容を確認する。確かに、董卓の名で命令が出ていた。現状董卓の命は朝廷の、つまり帝の命に等しい。断れば攻め込まれる。受ければ丁原は副官を失う。

「いやはや、邪魔と思って頂けるとは我が丁原軍も捨てたもんではありませんなあ」

「今の我らに向かってくるような狂犬は貴様らぐらいだからな」

 華雄は楽しそうに答える。

「俺としては策などなしで勝負したいが、こちらも少々ワケありでなあ」

 酒のせい、でもないだろうが、余計なことを言った華雄に張楊は呆れた顔を向けた。しかし同時に親しみも覚えた。

 とにかく朝廷を出たくて丁原に使えてはみたが、その器量不足は明らかだった。呂布がいればあるいは、と思っていたが、その呂布を捨て駒同然に扱った今回の襲撃である。丁原に先はない。既にそう考えていた。かといって朝廷に戻ろうにも、それを支配する目下の最大勢力・董卓がこれまた同じヤクザ稼業である。張楊の目には魅力的には映っていなかったのだが。

「仕方ありませんなあ。ここは正直な華雄将軍の顔を立てて、帰路に御一緒させて頂くとしましょうかね」

 今すぐ、と答えると思っていなかった華雄は驚き、そして笑った。

「貴殿は、なかなか面白い男だな。儂を全く恐れぬどころか間延びした軽口で、それも愉快に聞こえるとは。そしてこの即断、確かに丁原にはもったいない」

(…あの張楊を抜いてしまえば丁原軍などそれまで、あとは勝手に瓦解します…)

 華雄はあの時聞いた賈詡の声を思い出し、そしてその慧眼に心底感心していた。



 翌日、呂布と黄青は陣を払い、高都に戻った。飄々とした張楊の人柄そのもののような無責任な置手紙にはさすがの黄青も渋面になっていたが、既にいない者をどうすることもできない。部下には「張楊は朝廷に呼び戻された」と嘘ではないが真実とも言えない報告をしてごまかし、呂布は思い切り嫌がったが丁原にも使いを出した。

「どうせ間者でも使って既に知ってるだろうよ」

 呂布の説が正しかったことは、すぐに証明されることになる。高都から出した使者が戻る前に、丁原からの使者が高都に着いたのである。


 丁原直属の部下10名を引き連れたその使者は、高都の入口で深く息を吐いた。帯びた命令は単純であったが、自分には不可能である。気の重さが、身体に滲み出していた。


『裏切り容疑の呂布を晋陽に連れ戻せ。生死不問』


 丁原軍武術師範・黄栄は、覚悟も妙案も無いまま高都の門をくぐった。

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