「お供え物」
「沢渡さん」
俺の呼びかけに、打っていたキーボードが音を止まった。
「何?」
彼女が俺を見とめる。気後れしそうになる視線は変わらない。ビビる必要などは理由はどこにもないのに。
「日本史のファイル、ありがとうございました。おかげで順調に勉強できて、予想していた以上の結果でした」
俺の礼にも彼女は
「良かったわね」
とだけ返すだけだった。再びパソコンをいじり始めた。
「それで……」
「何?」
俺が続けようとするのに対して、ブラインドタッチでパソコン作業を中断することなく、耳だけが俺に反応していた。
「え~と、『お供え物』なんですが……」
「私はまだ生きているから、供えられるようなものはありはしないわ」
彼女にしてみては長文な返事だった。ちゃんと喋れるんだな。いや、それにしても、今俺は怒られたのか。差し出されたものは受け入れるが、そこに付加される、神聖化するような一言が気に入らなかったらしい。
「すいません。お礼……」
謝辞の後の陳謝だった。言葉を選んで彼女の顔色を窺った。
「お礼のことなんですが、何かほしい物とかありますか?」
「私は何かが欲しくてファイルをあなたに渡したわけではないわ」
慎重に言葉を選んだつもりだったが、それにしても格好いいな。しかし、あの無償提供をそのまま受け入れたら、鷹鷲よりもアホ扱いされたとしても反論はできないな。
「気持ち」
唐突に沢渡ミカさんが言った。
「あえて言うなら、気持ち。人それぞれの」
どうやら欲しいものの続きの話らしかった。いや、そいつが難しいから聞いたのに。
「じゃ、好きなものはありますか」
「嫌いじゃないもの」
再び一言にして片付いてしまう応答に戻った。
「じゃ、嫌いなものは何ですか」
「好きじゃないもの」
……どうしようかな。この展開。
「冗談よ」
今のどこに冗談だと断言するスペースがあったんだろうかと思った次の瞬間、沢渡ミカさんも冗談を言うことに、ほっと人間らしさに胸を撫で下ろしつつも、冗談だとしたら、かなり質の悪いものだな。
「嫌いなものはね」
打っていたキーボードから手を離し、彼女は窓の外に顔を向けてから、俺に向き直して
「嫌いなものは、きっとあなたと同じものよ」
と囁いた。彼女に出会ってからの直接的な会話と言えば
「何?」
「よかったわね」
「これ」
そういう一言がほとんどだったのに、俺は彼女に掴まれてしまっていた。転校してから一度も感じたことのない、不愉快さに近い、いやいたたまれなさが胸の奥から全身に広がって行きそうになっていた。
「おいおい」
それを打ち消したのはお気楽な声の主だった。
「高校生諸君、もう少し分かり易くてもいいんじゃないかい?」
「先生は、首突っ込まないでください」
「へ~い」
彼女はディスプレイに向き直し、梅春教諭はしぶしぶと言った風でも、気分を害した風でもなく、ソファにどっぷりと身体を倒した。しかし、そのおかげなのか、俺の中にあった熱は平静に戻っていた。




