空
滑走路に滑り込む。
駐機場は、無人だった。
機体から飛び降りる。あちこちから黒煙が上がっているが、それを消す消防車も、整備員も見当たらない。
篠滝は主翼の上に立ってあたりを見回している。
格納庫から、ツナギを着た男が出てくる。
桐田だ。
「どういうことだ?」
「どういうことも何も……」桐田は辺りを見回しながら言う。「みんな逃げちまったよ」
「そうか……燃料と、武装を」
「正気か?」彼は僕をまじまじと見る。
「元々正気なわけがないだろう?」
当たり前のことを。正気だったらとっくのとうに死んでいる。
自分をいかに見失うかが、空を飛ぶための秘訣なのだ。
「もう戦争は終わりだぞ?」
「降伏宣言はしたのか?」
「まだだ」
「なら、飛ぶ」
「やめておけ」
真剣な顔で、彼が僕を睨む。
「占領されたときに、殺されるぞ」
「構わない」
「おまえの家族だって……」
「構わない」
「どうせ次の爆撃隊を止められっこ―――」
「構わない」少し苛立ちながら言う。「いいから、早く武装してくれないか」
「飛ぶことが、そんなに大事か」彼は僕を睨む。異物を見る目。大人の目だ。
「殺すとか、殺されるとか、そんな馬鹿なことに拘ってる奴はわからないさ」
それは、嘘だった。
僕なりの優しさだった。
彼は黙って頷き、ホースとガンキャリアーを持ってきた。
煙草に火をつける。
煙が上がる。
ふと、このまま消えられるかも。と思った。
このままそれに吸い込まれたら、きっと幸せだろう。
もう戦争も終わるだろう。
でも、その前に僕も死ぬだろう。
近づいてきた篠滝に、逃げても良いと言ってやった。
篠滝は相変わらず主翼の上を陣取っている。逃げないぞ、という意思表示か。頑固な奴。
白く伸びる滑走路。
真ん中に無傷なところがある。
燃料は半分ぐらいしか入れないから、たぶん大丈夫。
格納庫は半分ほどなくなっていた。
管制塔は倒れていた。
滑走路の向こう側に、主翼が折れた轟鮫が横たわっていた。
桐田が準備を終えた後、ツナギを脱いで黒いジャンパーを着た彼がバイクに乗ってやってくる。
火薬スターターを取り付けた後、彼はバイクのエンジンをかけ、話しかけてくる。
「じゃあな」
「ありがとう」
「ん?整備の事か?それが俺の仕事だ」
「さようなら」
「ああ。さよなら。おれは逃げる」
そう言って、彼のバイクは遠ざかっていった。
エンジンを始動し、誘導路を進む。
バックミラーに、篠滝の機体が写っていた。
機体を進める。
滑走路に入って、一旦機体を止める。
フラップを少し。
ブレーキ。
きっと誰にもわからないこの瞬間。
きっと誰だって理解できない瞬間。
フル・スロットル。
ブレーキをリリース。
篠滝がピタリとついてくる。
後ろに吸い込まれる景色。
離陸速度。
操縦桿を引く。
地面が視界の下へ。やがて見えなくなる。
ギア・アップ。
青い空。
敵機のいる方へ。
フラップ・アップ。
此処には、重いものは存在できない。
みんな、地面に墜ちる。
爆弾も、
増槽も、
薬莢も、
情熱も、
愛情も、
悲哀も、
後悔も、
落胆も、
憎悪も、
何もかも、重いものは地面に墜ちる。
最後に残された、
青い空に浮かぶ、
白い雲を切り裂く、
美しくヴァイパーを引く、
その、美しい翼。
それが、僕が撃ち墜とすべき敵だ。
地面に沈んでいるうちは分からない。
でも飛んでいる奴は誰だって知っている。
ただ、忘れるだけ。
そっと抱き寄せるように旋回。
口づけるように銃撃。
優しく離脱。
ただ、忘れるだけ。
青い空。
篠滝機のシルエット。
前方に点。
さあ、踊ろう。
国のためでもなく。
愛情のためでもなく。
生き残るためでもなく。
踊ろう。
手をつないで……
抱きしめて……
口づけて……
幻想。
踊ろう。
さあ―――




