1節
Act 2.0 log no.01
第二話 送り届けてと君が言った
- Princess goes to west-
一章
1
朝。最初の作業は湯を沸かす事から始まる。別にそう決めているわけでは無いが、起きて最初に口にする飲み物は熱いコーヒーが良い。
汽笛。ヤカンがその身を震わせ、湯が沸いた事を知らせる合図。いつもより時間が掛かったのは、内容量が多いから。いつもは一人分なのだが、今朝は二人分だ。
マグを棚から取り出す。一つは自分。もう一つは、小さなお客様。いや、どちらかというと雇い主になるのか?
件の雇い主である小さなお客様は、自分の身の丈の倍はある出窓から外を眺めている。服は昨日のまま。真紅のドレスがこれほど似合う少女を見た事がない。髪は朝の陽に当たり、ガラス細工のように輝いている。そんな気は全くもって無いが、少女趣味や、そういった方面を好む人達の気持ちが分からないでもない。それほど、目の前で佇む少女は絵になっていた。
昨夜、彼女から一連の話しは聞いている。彼女は、テオの街にいる母親に会いに行く為、使用人と一緒にある用事で新都に来た折、使用人の隙をついて逃走、追ってくる使用人をまき、新都から歩いてこの街へ辿り着く。そこで見付けたチラシを頼りに、俺のもとへ来たという。適当に考えた出任せかとも考えたのだが、彼女の履いていたドレスとお揃いの可愛らしい紅い靴は、確かに身に纏っているドレスとは違い、長旅で疲弊し、その艶やかであったであろう表面は泥で汚れくすんでいた。まんざら嘘ではないらしい。
しかし、彼女が言っている事が本当なら、その目的も、少なからず事実だという事になる。
テオの街。たしか、大陸の西の端にある街だ。距離にしたら、今いる新都から実に5000マイル近く離れており、もしそれが彼女の目的地なら、どのルートを取ったとしても、子供が一人で行くような場所ではない。
当然、大人の義務として、家に帰る事を勧めた。しかし彼女は頑として譲らない。子供の我が侭という雰囲気ではない。あの頑なな感じは、ある種の決意をした者が纏う雰囲気だった。それならば、仮に俺が彼女の申し出を断ったとしても、彼女は別の方法でテオの街に向かおうとするだろう。
これはあまり頂けない。なぜなら、何事もなく俺の事務所にたどり着けた事自体が奇跡に近いからだ。
俺の住む街は、お世辞にも治安が良いとはいえない。一応、区分上では大陸最大の都市に位置する新都の一画ではあるが、その実の住民というのは、都心部などに居を構える事が出来ない各地の難民や、移民達などが殆ど。つまりは流れ者や外れ者、そういった人種で占められているからだ。
おそらく、何もなくここまでたどり着けたのは、この街にしてみればあまりに異質な彼女の容姿のお陰だろう。あからさまに質が違うというのは、返って警戒心を生む。
だが、事情を話してしまったら別だ。幾らか聡明であっても、そこは所詮子供。利用する方法など幾らでもあるだろう。そうなってしまってはもう手遅れ。煮るなり焼くなり相手の思う壺だ。
そこまで考えが及ぶと、一度は帰宅を勧めてみたものの、二度目の勧めは出来なかった。これで他で万が一の事があったら、あまりにも夢見が悪い。
そこで、昨日は大方の事情を聞いた後、自分の家に招き入れ、一泊して貰った。彼女の申し出を受けるという事は、終始彼女に同伴しなければならないわけで、問題は無いと判断したのだ。
そして今に至る。
正直に言うと、朝起きてみたら、そんな荒唐無稽なお願いをする少女など何処にもいないで、見慣れた天井に、見慣れたリビング、そして慣れ親しんだ日常が迎えてくれるという、濃縮還元ジュースの原液みたいに甘い夢を見ていたのだが、そんなことは当然のように無かった。いつだって現実は冷静だ。
それにしても、彼女はどうしてわざわざテオの街に行きたがっているのだろうか。母親に会いに行く。そう彼女は言ったが、それにしても、たった一人で向かうというのは、些か不自然だ。父親に知られたくないとも言っていた。それならば、両親は離婚していて、父親は娘が母親に会う事を承諾していないとか? この場合が一番近いのだが、どうにも腑に落ちない点が多い。
そしてもう一つ。俺が彼女を不審がっているもう一つの要因は、彼女自身。
彼女は自分の事をリンネア ソルサキヴィと名乗った。世界でも有数の資産家であるロベルト ソルサキヴィが当主を務める、ソルサキヴィ家の嫡子だと。それが事実だとするならば、どう転んでも面倒事しか待っていない。平穏無事に、ほろ酔いのようにまったりとした生活を送りたい俺にとって、面倒事は出来るだけ回避していきたいところだ。それが例え確実で高価な報酬があったとしても、だ。
俺の視線に気付いて、彼女が振り返る。
「どうした? なにか私に用か?」
腰まである上質の琥珀のような髪を翻して、彼女は振り返る。髪の色、肌の色素の薄さ、そして青く輝く碧眼。いずれも、北の出身である事を証明する要素だ。記憶がたしかなら、資産家のロベルト ソルサキヴィは北の家柄だったはずだ。嫌な予感は積もる。
「ああ、お茶の用意が出来たから、なにを飲むのかと思ってね。コーヒー、紅茶、緑茶、なんならミルクもあるぞ」考え事は表に出さず。笑顔で応対する。いわゆるビジネススマイルだ。
「茶は茶だろう? 紅茶以外の茶があるのか?」
「ハイハイ、紅茶ね」
不思議そうな表情の彼女は放っておいて、新たに棚から急須を出す。専用のポットなどは持っていないので、各種茶兼用の急須だ。
先に自分の分のコーヒーを淹れる。こちらはインスタントなので、湯を入れるだけだ。続いて紅茶。急須に茶葉を入れ、湯を注いで、少し揺らす。完成。来客用に各種茶は揃えてある。仮にハーブティーと言われても問題はない。
「出来たぞ」少女を呼びつける。
呼ばれた少女は特に返事をするでもなく、黙ってダイニングへと歩いてくる。昨夜から感じている事だが、この子はあまり感情を表に出すタイプではないらしい。また、彼女は朝からずっと窓の外を眺めていた。何か気になるものでもあるのだろうか。
「紅茶で良かったんだよな?」
少女が椅子に座るのを見計らって、淹れたての紅茶を出す。彼女は一言礼をいう。これも昨夜から感じた事だが、大人しい子ではあるが、礼儀はとてもきちんとしている。
俺が立ちながらコーヒーを飲んでいると、少女はその様子を黙って観察し、おもむろに出された紅茶に口を付ける。
「っ——!」
「熱かったか? もう少し冷ました方が良かったかな?」
「……大丈夫だ」
少女の動きは一瞬鈍ったが、またすぐに戻った。本人が問題ないというのだから、大丈夫なのだろう。
「それで、大体の事情は昨日聞かせて貰ったけど、リンネアちゃんは、お母さんに会う為に、テオの街へ連れて行って欲しい、とそういう事だね?」
「そうだ。一人でいける距離ならそうするが、私一人では到底無理なのだ」
「空路ではなく、陸路が良いと……」
これは彼女から出された条件の一つ。使用する移動手段は陸路のみ。
「そうだ。空路だと、父さまに気付かれてしまう。それに、鉄道もだ」
「気付かれるって事は、お父さんは航空関係の人なのかな?」ソルサキヴィの名を知らないものとして、カマを掛ける。少し大人げない気もするが、確認の為。
「そうではない。ソルサキヴィはもともと航空や鉄道といった事業で財を成した家だ。今は一線から手を引き、父さまも投資などを主な職務としているが、それでも影響力はあるのだ。私が母さまの所へ行くと分かれば、交通機関に手を打つくらいわけはない」
「なるほどね……これはますます……」
一致する。ソルサキヴィ家は、もともと政財界にも強い家柄だ。また、古くから伝わる名家としては珍しく、商才のある家系というのも、ソルサキヴィ家の特徴の一つだ。
そんな才気溢れるソルサキヴィ家は、先々代までは航空、鉄道といった輸送関連の会社を経営していた。しかし、先代からはその路線を変更、株や為替といった有価証券を中心に投資を生業とした。これが現当主になって、飛躍的な成功を収めている。そして今では、個人資産家としては世界でも五本の指に入る大富豪となった。
そう、彼女の言っている事は、俺の知っているソルサキヴィ家の情報と全て一致している。一致してしまっている、といった方が正しいかもしれない。
「信じていないのか?」
言葉を濁す俺の態度に不安を覚えたのか、リンネアは自分の言葉の真偽を俺に問う。
「いや、そういうわけではないんだ。たぶん、信じてる」
「自分の事なのに多分とは、変なヤツだ」
「まあ、俺が世界で一番信じていないのは自分自身だからね」
世界で自分の事を極限まで信じる事が出来る人間がどれ程いる事だろう。幼い彼女にはまだ分からないかもしれない。けれど、歳を重ねていくと、分かる。ちょっとした大人の事情というヤツだ。
「それとは別に、俺自身が君を信じても、それを客観的に検証する必要があるんだ。テオの街なら相当距離があるし、業務として正式に請け負うとなると、なおさらね」
「仕事なのだから当然だ。それと、昨日も伝えたが、資金の事は心配するな」
そういって赤いドレスとお揃いの色をした小さなポーチから、一枚のカードを出し、テーブルの上に置く。これは昨夜も確認した物だ。
「昨日見せてくれたマネーカードだね?」
「そうだ。これはクレジットではなくプリペイドだ。父さまがもしもの場合で私に下さったものだが、言っては何だが、子供に持たせるには、非常識な額が入っている」そういってリンネアはマネーカードを出した。
黒いプリペイドマネーカード。プリペイドにも関わらず、生体認証のバイオチップまで付いている。この時点で、中の金額を確認せずとも、かなり非常識だ。彼女の言葉を信じた一要因である事は間違いない。
「まあ、その事は置いておいて、取り敢えずそれ、しまってくれるか? あまりそういった類のものを気軽に晒すのは感心しない」
「信じてくれたのなら嬉しい」リンネアは再びポーチの中にマネーカードをしまい込む。「だが、支払いは出来れば成果報酬にして欲しい。そうでなければ、街を離れたときか、ある程度テオの街へたどり着く算段が出来てからだと助かる」
「どうしてだい?」成果報酬なんて、難しい言葉を知っているのだな、と感心しながら、その理由を尋ねてみる。
「プリペイドなので停止の心配はしていないが、念のためだ。使用履歴を父さまが確認しないとは限らない。発行したのはカード会社だが、あくまでそれは父さまの信用に基づくものだ。私の信用ではない。父さまがやろうと思えば、プリペイドでも確認くらい出来るはずだ」
子供というにはあまりに明確で、筋の通った理由に、間抜けに口を半開きにしてしまった。
「どうした?」呆けている俺の様子を見て、怪訝そうな顔をする。
「リンネアちゃんは、歳は幾つかな?」
「九歳だ。来年、十歳になる」
「そうか。君の未来は明るいな」
自分が九歳の頃はどんな子供だっただろうか。よくは覚えていないが、施設での生活にも慣れ、学校にも通っていた頃だろうか。なんにせよ、当時の自分は目の前の少女程頭脳明晰でなかった事は確かだ。
リンネアの頭脳に感心している所に、携帯端末が鳴り響く。時期やタイミングから見て、十中八九アオイからだろう。通信に応答する。
「もしもーし! 私。昨日はゴメンね、私の方も立て込んでてさ。聞いてよ。タクマ君の所に行く予定だった友達が、いきなり元彼に直接会いに行くとか言い出して、泣くわ喚くわで、引き留めるのに一晩掛かったんだから」
矢継ぎ早に降り注がれる音声に思わず身を引いてしまう。「そいつは難儀だな。もう大丈夫なのか?」
「うん。さっき送っていったとこ。今そっちに向かってるけど、事務所? それとも自宅?」
「到着する時間にもよるな」
「二十分ってとこだけど、朝ご飯は買ったよ」
「自宅でお願いします」
「他に何か買っていく物とかある?」
「そうだな……」特に微動だにするでもなく紅茶を飲むリンネアに視線を向ける。「食事は何人分?」
「そりゃもちろん、私とタクマ君の二人分よ」
「それなら、もう一人前追加で頼む。ちょっとお客さんでね」
「フーン……、仕事の依頼?」
「そんなところ」
「わかった、それならもう一人分買ってから行くよ。ケータリングで良いでしょ?」
「ああ。悪いな」
「別にいいって。それじゃまた後でね」
アオイからの通信が終了する。彼女に現状を説明するのには多少の不安があるが、どちらにしても通らなければいけない道なので、仕方ない。取り敢えずは腹ごしらえともいえる。それに、連絡がなかったら、アオイにはこちらから連絡をしようと思っていた。
「誰かここへ来るのか?」リンネアが見計らったように声を掛けてきた。興味がないのかとも思っていたが、そうではないらしい。彼女は本当に九歳なのだろうか。それにしては観察力や分析力などが並みのそれではない。
「ああ、まあ助手、かな。一応」
「そうか。それならば、きちんと私も挨拶をしないとな」




