第4話 相棒
探索者の募集は、地域の探索者ギルドの掲示板に出した。条件は正直に書いた。
『空き家ダンジョンの攻略パートナー募集。物件は三階層、ボスは地下最下層。依頼人は高齢の相続人。報酬は素材買取の分配。攻略は全行程を配信で記録します』
翌日、連絡してきたのは一人だけだった。
「もしもし、黒部さんですか。募集見ました、雨宮凛です」
「お電話ありがとうございます。ランクと、経験を聞かせてください」
「Dランクです。潜ったのは小型の巣が中心。……正直、いい条件じゃないですよね、この募集」
「正直に言いましょう。条件は良くありません。ただ、嘘もありません」
電話の向こうで、凛が少し笑った。
「その言い方、珍しいですね。探索者の募集って、だいたい盛るんですよ」
「不動産と同じです。告知事項を隠すと、後で人が傷つきます」
待ち合わせは野村邸の前。凛は短剣と小型の盾を背負い、小型カメラの入ったケースを抱えて現れた。二十四歳。誠一の図面を一目見て、しばらく黙ってから眉をひそめた。
「この図、本当に鑑定で見たんですか」
「はい。信じられないなら――」
「いえ。私の実家と、似てるんです」
「実家、ですか」
「青森の実家が空き家になって、ダンジョン化したことがあって。父が怪我をしました。だから、家を丸ごと何とかする攻略には、興味があるんです」
彼女は図面を指でなぞった。
「ボスは台所の真下、ですね。私、やります。条件は一つ。嘘の図面だったら、その場で降ります」
「分かりました。逆に、現場で図と違えば、すぐ教えてください。査定は、直してこそ意味があります」
配信チャンネルは、その日のうちに開設した。名前は『黒部鑑定チャンネル』。凛がスマートフォンを見て言った。
「登録者、ゼロですね」
「ゼロですね」
「同接どころか、誰も見てませんよ、これ」
「最初はそんなものです。記録映像が残れば、素材の買取には使えます。見る人がいなくても、仕事としては成立します」
「黒部さん、配信って夢がないですね」
「夢は、成約した家に住む人が持つものです。我々は段取り屋です」
凛は肩をすくめて、カメラのテストを始めた。
「じゃあ段取り屋さん、明日の朝からでいいですか。台所のボスは私が斬ります。黒部さんは絶対、中では戦いませんよね」
「私は武器を持ちません。地図と判断が、私の道具です」
「了解。逃げる判断も、早めにお願いしますよ」
「それが一番の仕事です」
帰り道、スマートフォンが震えた。チャンネルの通知だった。
『登録者が増えました』
いや、見間違いだった。画面には、まだゼロの数字が残っていた。誠一は小さく笑って、画面を閉じた。明日から、このゼロが動き始めるはずだった。
その夜、二人は野村邸の縁側で、明日の段取りを最後まで詰めた。凛がカメラのバッテリーを並べながら言った。
「確認ですけど、記録映像がないと素材は買い取ってもらえないんでしたね」
「ええ。ダンジョン災害対策法で、攻略の記録映像が買取の条件になっています。配信は宣伝ではなく、仕事の工程です」
「だから登録者ゼロでも、撮る意味はある、と」
「はい。誰も見ていなくても、映像があれば査定と買取は成立します」
凛は頷いて、短剣の手入れを始めた。
「もう一つ確認。私が『危ない』と言ったら、黒部さんは止まりますか」
「止まります。逆に、私が『撤退』と言ったら、あなたも止まってください」
「戦闘の判断は私、全体の判断は黒部さん、ですね。了承です」
しばらく沈黙があって、凛がぽつりと言った。
「父の怪我のとき、誰も家の状態を教えてくれなかったんです。危険だとも、安全だとも。だから、入る前に全部言ってくれる鑑定士って、ちょっと信用できます」
「信用は、結果で返します」
「期待してますよ、段取り屋さん」
誠一は手帳に、明日の出発手順を書き込んだ。集合、装備の確認、権利者への挨拶、配信開始の宣言。どれも営業時代の内見の段取りと、驚くほど似ていた。
「家は違っても、仕事の芯は同じですね」
「何か言いましたか」
「いえ。明日は、よろしくお願いします」
凛が帰ったあと、誠一は一人、査定資料の束を整えた。権利者の許可書、見取り図、危険箇所の注記、撤退の合図の決めごと、配信の手順。探索者ギルドの受付で募集を出したとき、職員に言われた言葉が残っていた。
「空き家専門ですか。珍しいですね。最近は派手な大型ダンジョンの募集ばかりで」
派手さでは負ける。だがそれで良かった。空き家は一軒ごとに事情が違い、その事情ごと引き受ける人間は業界にほとんどいなかった。会社にいた頃、何度も見た。数字の付かない物件のファイルが、誰の目にも触れず積み上がっていく様子を。あの山の中にこそ自分の仕事がある――そう思えたのがクビになってからだったのは、皮肉だった。
誠一は資料の表紙に、物件名を書いた。野村邸。空き家歴九年。依頼人は姉妹。条件は一つ、人を傷つけないこと。書き終えた資料は、営業時代のどの査定書よりも薄かったが、どの査定書よりも中身が詰まっている気がした。
窓の外では、野村邸が夜の闇に沈んでいる。明日、あの家の中に初めて光が入る。誠一は資料を鞄にしまい、明かりを消した。
消す前に、もう一つだけ仕事が残っていた。姉妹への連絡である。澄子の電話に、誠一は短く用件を伝えた。
「探索者の方が決まりました。明日、家の前で顔合わせをして、問題がなければ中へ入ります」
「あら、もう決まったの。早いねえ」
「正直な募集だったからかもしれません。条件は良くない代わりに、嘘がない、と」
「誠ちゃんらしいね。……ねえ、その探索者さん、どんな人」
「若い女性です。ご実家の件で、空き家ダンジョンに詳しい方です」
「そうかい。じゃあ、あの家の気持ちも分かってくれるかね」
「分かってくれる方だと思います」
「分かった。明日、私も家の前まで行くよ。姉さんの分まで、見送るから」
電話を切ると、今度は凛から短いメッセージが届いた。
『明日の集合時間、念のため確認です。装備は万全です』
誠一は返信を打ちながら、少し笑った。募集に応えたのが彼女一人だったことは、巡り合わせとしては出来すぎていた。だが、不動産の世界でもそうだった。本当にその家を見てくれる人は、大勢の中からではなく、たった一人、名乗りを上げて現れるものだった。
『了解です。よろしくお願いします』
送信して、誠一はようやく布団に入った。登録者ゼロのチャンネルと、一人の相棒と、一軒の空き家。明日から始まる仕事の全財産は、それだけだった。
眠る前に、誠一は査定資料をもう一度だけ開いた。許可書、見取り図、注記、段取り。営業の頃、内見の前夜にも同じことをしていた。違うのは、明日の「内見」が命がけだということと、それでもなお、家を見る目と、持ち主への向き合い方は何も変わらないということだった。彼は資料を閉じ、今度こそ目を閉じた。隣の家では、今夜も台所が小さく鳴っているはずだった。その音の正体を確かめる朝まで、あと数時間だった。
【黒部鑑定チャンネル】登録者 0人
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