10.外の子どもたち
「この人なあに?」
「綺麗な顔してる」
「この服もらっていいかな?」
袖口が引っ張られる感覚を覚えて、僕は跳ね起きた。朝になったらしくあたりがはっきりと見える。ものすごい緑だ。なんて感心している場合じゃない。僕は仰け反り、掴まれている袖を振り払った。
「たすけてタウノシン!」
丸い顔と目が何十と僕を取り囲んでいる。なにこの地獄?
「タウノシンってなあに?」
「僕の相棒だよ。メハズクはどこ?」
「メハズクはラケルが連れて行ったよ」
「えっ? ……どこに?」
「わからない。ひどい怪我をしていたよ」
「ああ、そうだ。不気味な生物に咬まれて毒に侵されていたんだ」
僕の言葉に子どもたちはわあっと叫び声をあげて僕にすがりついてきた。
「毒に?」
「怖いよ」
「死んじゃうの?」
離れてくれないかな。動こうにも囲まれていては身動きがとれない。
「あのさ、ラケルたちが乗ってきたロバはどこにいるか知ってる?」
「ロバ? なあに、それ?」
「動物だよ。二袋を下げていたのが二頭いたはずなんだ」
「動物? 見たあい」
子どもは四方から僕の腕を掴んで立たせようとしてきた。
「引っ張らないでってば」
「どこにいるの? 連れて行って」
結局無理に立たされて、どこかへ引っ張られていく。
「僕も探してるんだって。ロバがないと帰れない。それにタウノシンもいなきゃ」
「タウノシンって人にも会いたい」
三人が僕の手を掴んで木が群生するほうへ誘導していく。他の十数人はきゃっきゃと笑いながら僕を中心にしてついてきている。どうやっても解放してくれるつもりはないようだ。
「タウノシンは人じゃない。ロボットだよ。毛がふわふわとして愛らしいんだ」
「会いたい、会いたい」
「だから探してるの。いったいどこへ行くの?」
「じーじのところ」
「誰?」
「ここの長だよ」
連れられていくと、木々を抜けて開けたところに出た。木を組み合わせた建物のようなものがあり、ひとつの家らしきものの前にロバが三頭いた。
「ああ、会いたかった。最初は臭くて不潔で乗るのも不快だったけれど、今はラシュルーアの二百年物を開けたときのように嬉しいよ……ちょっと、べたべた触らないで!」
子どもの群れがロバを取り囲んで怯えさせている。やめさせなきゃ。
「お腹が空いているみたい」
「喉が乾いているんだよ」
子どもたちはきゃあきゃあと解散し、ようやく胸をなでおろした。のもつかの間、ふたたび津波のように戻ってきた。
「ほら、ごちそうだよ」
「お水もあるよ」
僕ではなくロバのほうへ行き、木製のバケツのようなものを地面に置いて中身を地面にぶちまけた。一面緑の草のうえに枯れた草が広がり、ぎょっと驚く。新鮮なものが周りにあるのになぜあんなものを? 水はありがたいけど、お腹を壊してしまわないだろうか。
「そんなもの与えちゃだめだよ」
「どうして? こっちのほうが栄養たっぷりなんだよ」
「そうだよ。乾燥させたもののほうが喜ぶんだって。おとうちゃんが言ってた」
まったく子どもは無知で困る。僕はなんとか子どもたちの輪を抜けてロバに近づき、草を退かせようとしたのだけど、ロバは取られまいとでもするように物凄い勢いで草を頬張っている。
「ほら、喜んでる」
「いっぱいお食べ」
引っ張っても食べられてしまう。ロバは一心不乱だ。まあ、いいか。眺めていて止める気がうせてきた。
「お兄さんはどこから来たの?」
男の子がひとり寝転んだ僕の隣に腰掛け覗き込んできた。
「ドームの中からだよ」
「えっ? 排外者なの? それとも解放者?」
「はいがいしゃ?」
「中にいられなくなった人のこと。解放者は自分から外へ出た人のこと」
「ああ、なるほど。僕はどちらでもないよ。管理官になる立場にあるからね」
「かんりかん? なに、それ?」
「とっても偉い人だよ。だから中へ戻れるし、戻らなきゃならない。さっき話したタウノシンを修理してもらうために少しだけ外へ出ただけなんだ」
「どうやって戻るの? 一度外に出たら中へ戻れないんでしょう? 外で生まれた人は別として」
外の世界でも教育はちゃんと行き届いているらしい。何歳なのか、背丈は僕の胸くらいだけど賢いようだ。僕はいい機会だと思い、管理官という立場の素晴らしさやドームの中がいかに安心安全かつ清潔かを彼に話した。
するとロバの相手をしていた子らも集まってきて、騒いでいたはずの子どもたちは真剣に僕の話を聞いてくれた。まるで演説のときのようだ。いや、タウノシンがいない。僕ひとりだけだ。子どもたちは僕しかいないのに聞いてくれている。民衆たちよりよっぽどお行儀がいい。
「お兄さんは凄い人なんだね」
「かっこいい」
しかも熱っぽい目で僕を見つめて、感心するようなことを口々に言っている。
「安心安全かつ快適っていうのは、生きていくのになにも困らないし楽しいばかりの生活を送れるってことなんだ。清潔で広い家も与えられるし、欲しいものはなんでももらえる。好きなときに好きなものを食べられて、水道や電気はボタンひとつでたっぷり使えるんだ」
僕はますます得意になり、どんどん話した。子どもたちは「へえ、すごい」と目をきらきらさせて今にも出発しそうな勢いで夢中の様子だ。こんなふうに外の世界の人たちに伝道して回るのはよいことかもしれない。次期管理官として誇らしくも満たされた気持ちになってきた。
「きみたちは理解力もあるし優秀で将来性もある。一度も中へ来たことがないんだろう?」
「ない」
「行ってみたい!」
「うんうん。だったら来るといいよ。仕事の登録をするだけで市民番号が発行されるから、きみたちもすぐ中の人たちと同じ待遇を受けられるよ。いつ来てもユートピアは受け入れてくれる。ユートピアは来るものを拒まないからね」
「じゃあ、パパとママにも話してみる」
僕の腰くらいの背丈の女の子が、心底嬉しげに言った。やっぱり聞いているようで届いていなかったのかもしれない。
「パパとママって親のこと?」
「そうだよ。家族みんなで行きたい。おじいちゃんは死んじゃったけど、おばあちゃんとお姉ちゃんもみんなで行く!」
「みんな外で生まれた人たちなのかな?」
「パパは中で生まれたって言ってたよ。ひどいところだって言ってたから怖かったけど、お兄さんの話を聞いてたら行ってみたくなった」
「うーん。だったら行けるのはママだけかな?」
「えっ? どうして?」
女の子の顔色がさっと変わった。さっき話したつもりだったけど、もう一度同じ説明をしなきゃいけないみたいだ。これもまた管理官として堪えるべき辛抱なのかもしれない。わかってもらえるまで話す。確かタウノシンがそんなことを言っていた覚えがある。と覚悟をしたのだけど、僕が考えている間に横の少し背の高い女の子が説明してくれていたようだ。気づいたら女の子は泣きじゃくっていた。
「どうしてパパたちは行けないの? とっても素敵なところなのに、どうして?」
「ユートピアだからだよ。みんなが幸福になるためには、好き勝手にすることはできないんだ。みんながみんな自由にしていたら強い者の天下になっちゃうだろう? ルーウィン機関は全員が平等に幸福となるよう規律をつくったんだ。守れば安心安全で清潔な暮らしを得られるけれど、少しでも破ってしまうと他の人に迷惑をかけてしまう。自我や他人を巻き込む欲望は抑えなきゃならないんだよ」
「規律ってなに? そんなものここにはないよ?」
「ないからここは不安危険で不潔なんだよ」
「そんなことない。大変なことはたくさんあるけど、離れ離れになんてならないし、毎日楽しい」
「それはここでの生活しか知らないからだよ。僕からしてみれば人の生きていく環境とは思えない」
「お兄さんは中にパパとママがいるんだからいいだろうけど」
「まさか! 僕に親なんて恐ろしい存在はいないよ」
よほどびっくりしたらしく、子どもたちは全員が揃って驚愕に固まってしまった。
「……どういうこと? 死んじゃったの?」
生殖で生まれてきた子どもたちに説明して理解してもらえるだろうか。不安だったけど、真剣な子どもたちには真摯に相手をすべきと思い、僕は試してみることにした。ドームの中には生育施設というものがあるということ。生殖行為をせずとも人はつくれるし、不要な遺伝子を整理することも可能であること。自己判断のできる年齢になるまではきちんとした施設で教育を受け、真っ当な成人となることができるなどを僕なりにわかりやすく話してやった。
「じゃあ、家族がいないってこと?」
「いないよ。いないほうがいいんだ。煩わしさはないし、むしろ幸福度を高めているんだよ」
わかってくれなかったらしい。子どもたちは全員怯えた顔をして、泣き出す子までいた。辛抱強く話して理解してもらうというのは、かなり面倒なことのようだ。どうしたらいいか、僕は天を仰ぎたい気持ちになった。
「まったく、なにいじめてんだよ」
安堵の誘う声がして、僕はすぐさま立ち上がりあたりを見渡した。
「タウノシン?」
建物のほうからラケルに抱かれたタウノシンが歩いてくる。僕はたまらず駆け出し、追いついたところでタウノシンを奪い返した。
「どこに行ってたの?」
「泣くな、バカ。ここの長に会っていただけだ」
「僕から離れないでよ」
「いや、おまえは寝てたし」
「だからってあんなところにひとりで置いていくなんて」
「……ここは安全って聞いたから」
「全然安全じゃないよ。だって子どもに囲まれたんだよ?」
「囲まれたからなんだっていうんだ……おまえのほうが脅かしていたんだろうが。まったく泣かせやがって。可哀想に」
子どもたちはラケルの誘導で建物とは逆のほうへと去っていった。ようやく肩の荷が下りた、と安堵するはずが、ほんの少し寂しさのようなものが胸に湧いてきて、驚いた。どうしてだろう。次期管理官としての使命を果たせなかったから? わかってもらえなかったからだろうか。
「いい子たちだったから、中へ来るように説得していたんだ。でも地獄で生まれた子はその世界があたりまえだと思い込んでしまうみたい。地獄だって気づけないんだ。結局理解してもらえなかったよ」
ははっ!とラケルのやけに耳障りな笑い声が聞こえてきた。
「さすが管理官様。言うことが違う」
「僕の話は聞く価値のあるものばかりだよ」
「そりゃそうでしょ。なんせこの世界を我が物とする支配者なんだ。管理官様が命じればどんな滑稽な命令でも実行される」
「……残酷なものでもな」
タウノシンは言い、僕の腕を二度叩いた。なにも痛くはないけど意味深だ。
「なにするの?」
「おまえはよ、子どもたちやメハズクを見て何か思わないのか?」
「いい子たちだと思ったよ?」
「メハズクは?」
「……そういえば彼はどうなったの? 死んじゃった?」
「このままだと死ぬ。ヤールカンがなかったんだ。ラケルはもう一度スイーターを探すつもりだと言って聞かないんだが、おまえのそれをもらったほうが手っ取り早いって思って説得しに来たんだよ」
「それってなに?」
どれのことだろう?と考えたら、タウノシンは僕の首元からシャツに手を突っ込んで、首からかけていた携帯ピルケースを取り出した。
「あっ……これ、なんだっけ?」
「こいつをつけてるってことを俺は知らなかった。俺が壊れているときに身に着けたものなんだろう?」
「えーっと……あ、そうそう。出発するときに持たされたんだ。ナノマシンが入ってる万能ピルって話だった気がする」
「やっぱりな。まあ、外へ出てくるんだから当然だが……これをメハズクにやってもいいだろ?」
「えっ? どうして?」
「これさえあればメハズクはすぐに治る」
「でもこれ、僕になにかがあったときのためのものじゃない?」
「ああ。おまえに危機が訪れたときに使うべきものだった。メハズクは知らなかったから、自分の薬をおまえに渡してくれたんだ。だからそれを渡してお相子だろ?」
「……よくわからないな。僕に使うものなのにどうしてメハズクに渡すの?」
「だから……これ以上どう説明したらいいんだ?」
「これは僕のものだし、メハズクはただ僕のために薬を渡してくれただけ。なんの因果もないよ?」
「なあ、ラケル。いまの説明でわかってもらえないとなると、どうしたらいい?」
「ねえ、タウノシン。そのため息はどうやってついてるの?」
「うるせえ。いま説明する話題かよ?」
「まあまあ、毛玉くん。別に説得する必要はなくないか?」
ラケルが近づいてくる。タウノシンは物言わず彼を見つめて、互いになにかを理解し合っているような、そんな雰囲気が流れて不快に感じた。
「……てことで、もらうね?」
ラケルが手の届く距離にまで来たとき、なにかが僕の胸元をかすめて、えり足のあたりに痛みが走った。攻撃されたらしい。文句をぶつけようとしたけれど、顔を上げたときすでにラケルはいなくなっていた。どうやって攻撃したのだろう。
「ねえ、タウノシン。やっぱり外の奴らは凶暴なんだね。いなくなったことだし、早いところ帰ろう」
あれ? 腕のなかには何もいない。タウノシンはどこ?
僕は青ざめ、ラケルの去っていった方角を見た。家のどこかに向かっていったはずだ。だけど、どこも静まり返っていてドアが閉まった様子は窺えない。
「タウノシン! なんで僕から離れちゃうんだよ?」
また奪い取られてしまったらしい。なんてことだ。こんな恐ろしいところ早く出ていきたい。なのに帰れない。僕は力なくその場にしゃがみ込み、なぜこんなことになったのかを考えてもわからず頭を抱えるしかなかった。




