1.ナショナル歴1256年4月15日
「ねえ、タウノシン。外の世界は本当に嫌になるね。臭いし暑いし寒い。この砂ってものはどうにかならないのかな? 手触りも不快だし、はらっても服にこびりついていて、必ずどこかに残っている。安心安全かつ清潔な我が家から三日もかけてこんな地獄を歩かなきゃいけないなんてさ。わかっていたけど、こんなにもつらいものとは思わなかった」
あれ? 返ってくるはずの愛らしい声が聞こえない。
……ああ、そうか。タウノシンは壊れてしまったんだ。汚臭を耐えるためにタウノシンのふわふわな毛をむしり取ったとき、いつもなら耳障りなほどの怒号を聞くはずが、物言わぬ塊になっていた。鼻に詰めたらくすぐったいし、意味があるのか臭いままだけど、タウノシンが稼働していると錯覚をする副作用があったみだいだ。
「ここが修理屋の住処なの?」
ロバのうえから護衛どもに訊ねると、汗でしたたる顔をかすかに頷かせた。
「左様でございます」
息を切らした声で聞き取りづらい。
「早くしてよ。暑くてうんざりだよ」
僕は睨みつけながら手を差し出した。ひとりがふらふらとしながら歩み寄ってきて手を差し出し、ようやく地面に降り立った。
「わっ! こんなところ歩けないよ。背負っていって」
まったく、ひどい環境だ。砂のうえは熱されたスープより熱い。立つだけでも火傷しそうなところで生活しようなんて、気が違えている。
「早くしてってば。こんなところでぐだぐだしてたら死んじゃう。僕を死なせたら極刑だよ? わかってる?」
立たなくてもぎらぎらとした太陽が僕の体力を奪い、不快な汗を服に染み込ませている。
ねえ、タウノシン。修理屋はなぜ外にいるの? ……なんて、訊かずとも答えに想像はつく。外でこそ必要とされる技術だから、だろう?
中では新しいものと交換するのが常識だ。だからタウノシンが壊れたとき、僕はすぐ新しいものを申請した。二時間と経たずに届いたれど、どれもいまいちだった。見た目は一緒だし、設定も同じにしたつもりだった。なのに以前の設定にはどうしても戻せず、それでもいいかと持ち歩くことにした。新しいタウノシンは従順で、僕以外もみんな新しいほうへ切り替えていたから。だからいいと思ったんだけど、いまだにね。でも、民衆は不満だったらしいんだ。タウノシンのいない僕の前に彼らはやってこなかった。どうやら興味を失ったらしい。まったく何が違うのか、バカバカしいけれど、民衆の支持は必要だ。演説はしなきゃいけないし、退屈紛れにもなる。だから僕はやってきた。タウノシンの修理をしてもらうため、わざわざこんな不快なドームの外に。
「これはただの愛玩ロボットだろう? こんなものに消費できる部品はない」
タウノシンは今、修理屋の不潔な手に触れられている。ミストで洗い流せるのは三日後かな? それまではたとえ直っても護衛たちに持たせておくことにしよう。
「うん。一人めにもそう言われたよ。保存食を好きなだけあげるって言ったのに、それでもだめだって」
「そりゃそうだ。食い物はすぐ消える。日持ちもしやしない。だが部品は貴重だ。ここじゃ、中と違ってネジのひとつすら新たにつくることができないんだから」
「日持ちはするよ? 一年は持つと思う」
「中での話だろう? こっちは昼と夜で気温差が激しい。中の食い物はすぐに腐っちまう」
「……うーん、でもわかんないよ? それに、イヤホンより小さな鉄の塊なんて生きるに必要ないじゃないか。死んだら意味がないだろう?」
修理屋は黄色く濁った目で睨みつけてきた。そればかりか耳障りなため息までつかれた。息が臭い。体臭だけでも鼻が曲がりそうなのに勘弁して欲しいな。
「これひとつで浄水器が直せる。そうすると、大きな故障じゃない限り五十年は持つはずだ。照明の部品にも使える。万が一のときには雷管にすることも可能だ」
「それがなに?」
「こいつはたかが鉄の塊でも、何十人と助けられる代物ってことだ。俺ひとりだけが得をしていい話じゃない」
「……何十人って、そんなたいそうなものなの?」
「あんたはペットがいなくとも生きていけるだろう? 見たところ……いや、見なくともあの護衛と荷物だけで十分わかる。そもそもが外の世界へ出て戻るつもりであること自体が物語ってるしな。ユートピアの支配者だってことは」
「うん。タウノシンがいなくても生きていける。でもそれはきみらもだろう? ユートピアは来るものを拒まない。修理の仕事はないけど、きみができる仕事はたくさんある。ひとつでも仕事に就いたら、衣食住に不自由はないんだよ?」
「不自由ないとはよく言う。あんな山ほどの戒律があって、ひとつでも破りゃ教育だろう?」
「ひとつじゃない。みっつまで許容してる。人道的配慮はちゃんと行き届いてるよ」
僕の言葉のなにがおかしかったのか、修理人は小汚い唾を飛ばして僕から視線を逸らした。失礼極まりない。
「……俺があそこにいたのは五十年前か……だからもう忘れちまったが、くしゃみをするときに口元を塞がなかったってだけで逮捕されるとか、バカな戒律ばかりだった」
「バカなんてひどいな。唾液は不衛生だよ。安心安全かつ清潔な世界こそユートピアなんだから、不衛生な態度は罰せられてしかるべきだよ」
「そう、それだ。思い出した。安心安全かつ清潔……それと引き換えに俺のおふくろは殺されたんだった」
修理屋はいきなり笑い出し、唾が僕の近くにまで飛んできて心底不快に感じた。不衛生だとの話をしているのに、外の世界に何十年といたら麻痺してしまうのだろうか。だとしても次期管理官の僕に向かって病原菌をまき散らすなんて、反抗勢力だと判断されても反論できないレベルだ。
「おふくろさんって変な名前だね。名は体を表すって言葉どおり、育ちの悪さが出ている」
「……ああ、バカだった。食べ残したものを捨てずに取っておいた。親切にするのと無駄が嫌いな母でな。まあ、バレずにいられるわけがない」
「それはひどい! 思った以上の極悪人だったんだね」
「ああ。極悪かつ最高の母だった。母の子であることが誇りでね。母の意思を継いで俺も倣ったってわけだ」
「そうか、母って母胎のことか。きみの時代にはまだ中でも生殖と出産が可能だったんだね」
「そうさ。あんたらみたいな試験管生まれとは格が違う。父親も当然ながらいたよ。ふたり揃って追われる身となって、命からがら逃げ出してきたんだ」
「へえ! それは驚いたな。家族ってものは実に厄介なものだね。悪い思想が伝播しているじゃないか。五十年前って言ったっけ? ねえ、タウノシン、そんな例は他にもあった?」
僕は右隣に目を向けて、あっと声を上げた。タウノシンの姿がない。そうだ。相棒は壊れてしまっていた。生まれたときから隣にいて、なんでも答えてくれるから当たり前にいるものと思い込んでしまっていた。まったく、壊れるなんて困ったものだ。こんなことなら邪魔でも新しいタウノシンを連れてくればよかった。護衛はちっとも話してくれないし、なにも知らないバカばかりで退屈極まりない。
「……おまえさんは、その愛玩ロボットに頼り切りのようだな」
「うん、そうだね。反論はしないよ。相棒っていうか、タウノシンの頭脳は僕のと地続きみたいなものだから、ないと考えるための知識が得られない。大変なんだ」
「そりゃ、たいそうな頭脳だな」
「だから直してほしいんだよ。他のタウノシンでもいいんだけど、民衆が納得してくれない」
「民衆のために、わざわざこんなところへ来たっていうの?」
「いや、まあ、……簡単に言うと別のタウノシンとのコンビじゃウケなかったんだ。正直なところこのタウノシンは特別仕様でね。今はない技術でつくられた最後の一台なんだ」
「あんたは芸人かなにかなのか?」
「タウノシン、ゲイニンってなに?」
またやってしまった。タウノシンがいないことをすぐに忘れてしまう。タウノシンが目覚めたらたくさん文句を言ってやらないとならないな。
「……本当に頭が回っていないようだな」
「そうなんだ。憐れだろう? 他のタウノシンじゃ民衆は集まらないし、いてもつまらなそうな顔をしてばかりで腹立たしくなるんだ」
「まさか、その程度で処刑したなんて言わないよな?」
「その程度だなんて……僕の時間と労力を消費したんだよ? まあ、さすがに施設に行かせたら僕のほうが叱られてしまったけど。……うん。だから不愉快なんだ。直してくれよ」
僕は懇願した。背を反らせてじっと修理屋の目を見つめてやった。この威圧で怯まないやつはそうそういない。
だからか修理屋は降参とばかりに両手をあげ、ぱちんっと大きな音を立てて手を合わせた。
「……なら、あんたの後ろに立ってる肉の塊を置いていけ」
「肉の塊? って、タウノシン……」
「五人全部だ。無論食料もな。やつらにはあそこの洞窟を掘ってもらいたい。俺だけじゃ筋力が足りなくてな」
「洞窟? そんなの掘ってどうするの?」
「ここは安心安全かつ清潔じゃないから、家もまともなものはないんだよ、管理官さま。自分らで雨露しのいでいかにゃならん。そのひとつをつくってもらいたいんだよ。俺が死んでも遺るものだし、人を呼ぶこともできるから、この部品の価値に相当する。食料はやつらの分だ。なに、あの健康で頑強な身体つきなら一月もかからんさ。あんたに護衛も要らんだろう? ここはわりにドームに近い」
「あの無能どもを貸すだけ? それでタウノシンを直してくれるって?」
「そうだ」
僕は振り返って唐変木どもを見た。みな警戒のためかそれぞれ背を向け合って四方に目を向けている。話しかけてももごもごとするだけでまともに答えられない阿呆どもだ。この世界に危機なんてあるだろうか? あいつらは護衛という任を負いながらも、成したことと言えば、ゴミよりひどい匂いを放つ修理屋に渡す食料を運んできたことくらいだ。
僕はあくびをして目尻の涙をぬぐう間考えて、修理屋に答えた。
「オーケー、それじゃ交渉成立だ」




