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To be continued  作者: 綾瀬大和
国内線編
3/50

第3話桐谷初フライトコーパイロットへ

第3話「桐谷、初フライトコーパイロットへ」


 2017年4月。

 JAL本社の屋上に立つ桐谷隼人は、静かに空を見上げていた。

 羽田の空は、1年前に見上げたあの日と同じ青さだった。いや、たぶん違う。

 今日の空は、1年前よりも少しだけ「近く」に感じた。


 白い制服に、赤いラインの入った肩章。

 右肩に2本のストライプ。**副操縦士(First Officer)**の証だ。

 桐谷隼人、27歳。ついに今日、初めて“実際の便”を操縦する。


 「JAL9050便 羽田発・中部国際空港行き、担当機材ボーイング787-8」


 彼の名前は、正式に運航乗務員リストに載っていた。

 肩書はまだ副操縦士。だけど、誰が何と言おうと、今日の空は「自分の空」だった。


 コックピットのドアを開けた瞬間、鼻にほんのり香る電子機器の匂いと、見慣れたディスプレイ群。

 ――これはもう、訓練用のシミュレーターじゃない。

 いま眼前にあるのは、現実の空を飛ぶ「生きている機体」だ。


 「緊張してるな?」


 左席から声をかけたのは、機長の古賀 圭介こが・けいすけ、50代前半。

 ベテランで知られ、訓練生たちの間では「羽田の虎」と冗談交じりに呼ばれる存在だった。


 「正直、少し……いや、かなりっす」


 「いいことだ。空に対してビビるぐらいが、ちょうどいい。空はいつだって“俺たちの都合”を知らんからな」


 笑う古賀に、隼人も少しだけ肩の力を抜いた。


 時刻は13時15分。

 搭乗も終わり、コックピットに管制からのクリアランスが届く。


 「JAL9050、タクシー許可。ランウェイ16L」

 「JAL9050、タクシー開始。ランウェイ16Lへ」


 管制への応答。喉が少し震えたが、マイク越しには出さないように意識した。


 地上走行タキシング中、滑走路へと向かう機体。

 桐谷の目はフライトディスプレイに釘付けだが、時折外を見る。

 訓練のときとは違う、“本物の風景”がそこにある。


 滑走路に機体が停止。

 ランウェイ16L――羽田の南風運用時の出発滑走路だ。

 コクピットには、独特の静寂が訪れる。


 「テイクオフは俺が担当する。だが、そのあとのクライム(上昇)と巡航はお前に任せる」


 「……了解です」


 「いいか、桐谷。空はただの舞台じゃない。観客もいるし、責任もある。だが、楽しむことを忘れるな」


 14時ちょうど。

 スロットルレバーが押し込まれ、機体が前に動き出す。


 「スラストセット……エンジン安定……」


 「80ノット……チェック」

 「V1」

 「Rotate」


 操縦桿が引かれ、滑走路から機体がふわりと浮いた。


 ――これだ。この感覚。

 訓練のときに何度も味わった“離陸”とは、まるで違う。

 眼下に広がるのは、本物の東京湾。機体は、現実の空を舞っている。


 「Positive Rate」

 「Gear Up」

 「オートパイロット、セット」


 桐谷の手が、操作を進める。緊張はしている。でも、頭は冷静だ。


 「順調だ。少しは肩の力、抜けたか?」


 「……少しだけ。でも、まだ心臓バクバクっすよ」


 古賀が、にやりと笑った。


 「最初はみんなそうだ。問題は、バクバクでも“やるべきことをやれるか”だ。お前はそれができてる。堂々としてろ」


 高度32,000フィート。飛行機は順調に中部国際空港へ向けて巡航中。

 コクピットの窓からは、春の霞がかかった空と、遠くに三河湾の輪郭が見える。


 着陸前、桐谷はチェックリストをひとつずつ読み上げながら、意識を集中させた。

 この空の下には、誰かの「帰る場所」がある。

 そして今日、自分はその人たちの“帰り道”を、無事に届ける役目を担っている。


 午後14時49分。

 中部国際空港、ランウェイ36着陸。

 タッチダウンは若干硬めだったが、古賀は何も言わなかった。


 「ナイスランディング。初回にしては上出来だ」


 隼人の耳には、その言葉が何よりも重かった。


 到着ゲートに入り、ドアが開く。

 客室乗務員が「ありがとうございました」と笑顔で乗客を送り出す声が、コクピットまで届く。


 最後の乗客が降りたあと、機内には静けさが戻った。

 ふと隼人は、シートに深く腰を沈め、思わず呟いた。


 「……飛んだな。やっと、本物の空を」


 古賀が、それを聞いているのかいないのか、静かにコクピットの外に出ていった。


 桐谷隼人。

 27歳、初フライト。

 この日、彼は本物の空を掴んだ。

 そしてその空は、まだ始まりにすぎなかった。

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