第4話風に名前を
第4話「風に名前を」
2018年4月、羽田空港 第1ターミナル職員ロビー。
出発ブリーフィングを終えた桐谷隼人は、自販機のブラックコーヒーを片手に、静かなロビーのベンチに腰を下ろしていた。
「今日の便は、福岡行き……だったよな」
モニターに目をやり、ふうと小さく息を吐く。
副操縦士としての実戦投入が始まってまだ日も浅い。手順は頭に叩き込んでいても、毎回の離陸・着陸には全神経を使う。
それでも、空を飛ぶのはやっぱり楽しい。
操縦桿を握るたびに、自分の中の何かが確かになっていく気がする。
と、その時。
ロビーの向こうから、見慣れた姿が歩いてきた。
黒髪、長身、少し眠たげな目。
口元には相変わらず、緊張ともリラックスともつかない曖昧な笑み。
「……柳瀬?」
「やっぱりお前か。桐谷、だよな」
どちらからともなく歩み寄り、自然にグータッチ。
制服を着た彼も、JALの一員として、現場に立っている。
「お前……今どこ乗ってんだ?」
「737。福岡~新千歳あたりを主に飛んでる。こっちはB787だろ?」
「最近初めて飛んだ。羽田~中部。JAL9050便」
「ついに“空の男”ってわけだな」
二人とも、2016年から共に訓練を受けた同期だ。
性格も飛び方もまるで違ったが、不思議とぶつかることはなかった。
柳瀬は理詰めで慎重。桐谷は情熱で飛び込むタイプ。
「……なあ、覚えてるか?シミュレーターでお前がエンジンフェイルでパニくったとき、俺にキレたろ」
「いや、お前が落ち着きすぎててムカついたんだよ」
「こっちは“死ぬ気で冷静”だったんだけどな」
二人で笑い合う。
同期がこうして“本物の空”で再会できるのは、奇跡みたいなものだった。
「なあ柳瀬。お前、なんでパイロットになったんだっけ?」
「ん?急にどうした?」
「いや……初便飛んで、怖かった。だけど、着陸した瞬間に思ったんだ。“やっぱり俺、ここにいたい”って」
柳瀬は、窓の外に広がるエプロンを見ながら答えた。
「俺は昔、家族で乗った便が嵐で荒れて、でも機長がアナウンスで“必ず安全に着陸します”って言ってくれてさ。子ども心に、“すげえな”って思った。……多分、そのとき決まったんだと思う」
「……お前らしいな」
「桐谷、お前は?」
「正直言うと、カッコよかったから。ガキの頃、伊丹でB747見てからずっと夢だった」
「でも今は、理由が変わった?」
「うん。今は、“信じられる空”をつくりたいって思ってる。俺たちが飛ぶことで、誰かが安心して帰れる空を」
沈黙が、少しだけ心地よく流れた。
「なあ、また一緒に飛びたいな」
「あり得るさ。そのためにも、お互い生き残らないとな。空の上で」
柳瀬のその言葉に、桐谷は強くうなずいた。
誰かと再会することは、過去の自分とも再会することだ。
あの訓練機の中で、がむしゃらに“空”を掴もうとした二人は、今も変わらず、風の中にいる。




