9. ジャーナリスト、三重スパイ、難民キャンプ生まれ
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シボレー・エクスプレスがスピードを落としながら近づいてきているのに気がついた時、俺は緊張していたんだと思う。
車の中には対象と依頼主の2人が乗っているはず。
そういう話を別の依頼主から聞いている。
今のところ、どちらの依頼主も、俺が三重スパイだということには気がついている様子はない。
もしバレていたら、どちらの依頼主も、俺をこのタイミングで対象に近付けたりはしないだろう。
俺の隣には、北欧だったか、東欧だったか、どこかその辺りの国の国籍を持っているカメラマンがいて、やはり俺と同じように近づいてくるアメ車を見ている。
3日前に俺と合流するまでは、革命軍幹部に帯同して首都の衛星都市で行われていた市街地戦を取材していたのだそうだ。
その直前まで、俺が一週間に渡って独裁者の密着取材をやっていたと教えてやると、「道理で独裁者側の対応がぬるかったわけだ」、と言った。
まるで俺がいたから政府軍が弱くて負けたような言い方で鼻についた。
あの独裁者は、取材の最初から最後まで、自分がまだ絶対的な存在であると俺を通じて周囲にアピールすることしか考えていなかったから、そんなことはなかったはずだ。
ことあるごとに、「皆殺しにしろ」だの、「中隊を見殺しにしてもいいから大砲を打ち込め」だの、そんなことばかり聞かされた一週間だった。
パブリックイメージの改善を気にして、革命軍との戦闘に手心を加えているような様子など一切なかった。
おそらく、ちょっとでも俺に気に入らないところがあったら、取材の途中で処刑するつもりだったのだろう。
そうならなかったのは運が良かった。
どちらの依頼主にとっても、俺が生きようが死のうが、どちらでも良かったみたいだが。
もうぼろぼろになったバス停に横付けされたアメ車の運転席の窓がスライドし、エキゾチックな女の顔が覗く。
彼女とは依頼主の連絡役として知り合ったことになっているが、その実、もっと前からの顔見知りだ。
初めて会った時は、痩せぎすのただのガキでしかなかったのに、一年前に再会した時には、憂いを帯びた大きな目がそそるいい女になっていた。
一方の俺はといえば、同じだけの時間を過ごす間にすっかり中年太りして腹が出た。
時間というのは平等だが、平等な分だけその帰結を残酷に表す。
その帰結である体型や顔の表情は、人の生き方を如実に表現する。
俺は、言い訳できないほど下手な生き方をしてきたというわけだ。
「乗って。」
女の短い指示に従って車に乗り込む。
車内は、当然だが暗い。
薄闇に浮かび上がる政治家の表情も同様だ。
俺たち2人を乗せて、車はまた走り出す。
カメラマンが写真を撮ってもいいかと聞き、政治家は「検問を抜けてからにしてくれ」と言う。
午後11時前から雷が鳴り出して、強い雨がそれに続いた。
大きな雷鳴が近くに落ちると、それに合わせて街頭が点滅する。
雨と雷のせいもあってか、検問はほとんどフリーパスだった。
革命軍の認識票のついている帽子をかぶった係員は、検問所に車を寄せて窓を開けた運転席の女を見るやいなや、「さっさと行け」と言わんばかりに嫌な感じで手を振った。
首都から逃げ出そうとする独裁者の取り巻きを探すのが仕事の係員は、反対方向に進もうとする車の列を調べるのに忙しくて、俺たちには注意を向けてる暇もなさそうだった。
その様子を写真に収めようとしているのか、俺の左側に座っていたカメラマンはレンズをフルスモークの防弾ガラスにくっつけて、シャッターを切っている。
フラッシュが焚かれている節もないのが不思議に思える。
「赤外線カメラだ。
フルスモークのガラス越しでも結構鮮明な絵が撮れる。」
俺の視線に気づくと、カメラマンは愛想のない口調で言った。
防弾ガラスの向こうでは、車列の中から壮年の男たちが引きずり出され、棒状の武器で顔を殴られているところだった。
それを見て、俺は伝えなければいけないことがあったのを思い出した。
「革命軍のスポークスパーソンから聞いた話です。
逃亡中のあの方は、丘陵地帯に設けられていた臨時へリポートの手前で革命軍の治安維持小隊に補足され、交戦。
激しく抵抗したため、やむを得ず、射殺されたそうです。」
俺の言葉は車内に鈍く響き、誰の相槌ももらえることなく気まずく消えた。
右側の座席で、俺より少し年が下のはずの政治家が小さく呻き、瞬きを繰り返す。
運転席の女とこっちで再会した時に、紹介されて初めて会った時と比べても、やけに老けて見える。
暗さのせいか、それとも疲労とストレスのせいか。
俺はもともと難民キャンプの生まれで、国際養子縁組制度を通じて6歳の時にカナダの養母のところに引き取られた。
住んでいた町の名前を出すとトラブルの元になるので書けないが、天然資源の採掘で成り立っている、寒くて白い、世界の果てみたいなところだった。
養母は結婚して数カ月で鉱山で働いていた夫を落盤事故か何かで失い、資源メジャーが渋々支払うことに同意した遺族年金を受け取ってその町で暮らしていた。
まだ6歳になるかならないかの俺の目からしても、養母は随分と幼い、生活力のない女だった。
3食まともに食べられる日が続くことは珍しく、俺の腹の虫が鳴くと、うるさいと言って俺の腕をつねった。
あとから推察した限りでは、どうも彼女は、夫を失った寂しさを埋めるためという、ペットを飼うのと同じような理由で、難民キャンプから俺を引き取ったようだった。
最初の数週間こそ下手くそなりに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたが、やがて興味がなくなったのか、俺のことを放置するようになった。
それから10年、放置されたまま俺は過ごした。
放置されたまま学校に行き、学校の教師や学校勤務のソーシャルワーカーに小言を言われ、腹を立てながら年齢を重ねた。
その間、養母は男を作っては長期の旅行に出かけ、別れてはまた帰ってくるという、野良猫のような生活をしていたが、俺が16になる直前に蒸発した。
マッチングサイトで知り合った季節労働者と一緒にアメリカへ行ったのだという話が近所の住民を中心にまことしやかに囁かれていたが、本当のところはわからない。
16歳の誕生日を迎えたタイミングで、俺は学校に行くのをやめて、鉱山で働き始めた。
通信教育で4年かけて高校卒業資格を取得し、その後、寒くて白い世界の果ての町を出た。
自分のことを誰も知らない場所で、誰にも気兼ねすることなく、人生をやり直すつもりだった。
それがどういうわけか、どこに行っても俺のことを知っている人間に出くわして、人生はやり直すどころか、おかしくなるばかりだった。
今時昼間に放映しているソープオペラでもないような展開だと思うのだが、トロントまで乗せていってくれるよう頼んだ知り合いの知り合いのトラック運転手が、車を走らせ始めてしばらくして、俺のことを知っていると言い出した。
その男は5年前にも同じようにヒッチハイカーを乗せてトロントまで行ったのだが、それが養母とその恋人によく似た二人組で、うまくいかなかった養子縁組や、借金や、残り少ない夫の死亡保険金や何もかもを忘れてやり直すためにアメリカに行くのだと彼に話した。
カジノ好きだったらしいトラック運転手に言わせると、「おまえさんの身の上話が、その時聞いた養子の境遇にぴったり一致するんだ。これが同じ人物じゃないってのは、スロットマシンでジャックポットが出る確率より低いだろう。」、とのことだった。
トロントに着いてからは、自分がカナダに来た経緯について証明するためのレターを発行してもらおうと国際養子縁組をコーディネートしていた宗教団体を訪問したのだが、そこで出てきた中年女は14年前に俺を空港でピックアップしたのは自分だと言った。
パスポートの発行を待つ間、手持ちの金を少しでも節約するべく働き始めたモーテルのインド人オーナーが何年も前に資源メジャーを相手どったセールスの仕事をしていた時に、寒くて白い世界の果ての町で俺らしき子供を見かけたことがあると言った。
極めつけは、パスポートを取得して、ようやく自分のことを誰も知らない場所にいけると思い乗り込んだ飛行機で隣り合わせたラテン系の男が、カナダに来る前の俺を知っていると言ったことだった。
明らかに上流階級の係累かその使用人だとわかる身のこなしに反して、奇妙に胡散臭い風体の中年の男は、言いもしないうちから俺の名前を、パスポートに記載されていないミドルネームも含めて間違いなく諳んじた。
他にも、難民キャンプで起こった暴動に巻き込まれて死んだ父親のことや、隣人たちに助けられながらなんとか一人で俺を育てようとした母親もまた結核になってあっという間に死んだことなど、カナダに来てから誰にも話したことのないことを一つ一つ的確に言い当てた。
「あなたは、一体何なんですか?」
しばらく話した後、怖くなって俺は聞いた。
「君と同郷の人間だよ。
君のことをずっと探していたんだ。」
それが以前の依頼主、革命が今まさにクライマックスを迎えようとしている亡国の首都に向かうシボレー・エクスプレスを運転する女の父親だとは、その時はまだ知らなかった。
そのまま、機上で随分込み入った話を長いことしたのだが、そこはかとなく胡散臭いその印象のことと、偶然にしては俺のことを知りすぎていることが気になって、これ以上関わり合いにならない方がいいと感じた。
飛行機は北大西洋をまたいで、ロンドンに降りた。
別れ際、その男から名刺を貰ったけれど、俺は連絡することはないし、もう二度と会うことはないと思っていた。
俺の過去を知っている連中とばったり会うという偶然もこれで終わりのはずだと早合点していた。
だが、向こうはそんなつもりはさらさらなく、俺が自分から連絡を取る状況を作るための仕込みを既に終えていた。