34話 聖女の慈悲と黒いヴェールの花嫁
ジュリエッタの顔を見た騎士たちは笑い、王族の女性たちは扇で顔を隠して肩を震わせた。
エゼキエルはいつも通りの淡い笑みを凍りつかせ、シモーネは眼鏡を押し上げながら、静かに瞼を伏せている。
マクシミリアンは表情を消し、ジュリエッタを真っ向から見据えている国王は震える唇を結んでいた。
だが、観覧席に押し込められた民たちからは、ジュリエッタのヒゲのような呪印はよく見えていなかった。
「死罪だ!!」
「聖女様を呪った魔女を許すな!」
オルテンシアに危害を加えようとしたジュリエッタを、「死罪にせよ!」と民は騒ぎ立てた。
ジュリエッタは顔を隠すように俯いて、身を縮めることしかできなかった。
そんな中で、マクシミリアンの手で視界を遮られたままのオルテンシアは、静かに群衆の声を聞いていた。
(――ジュリエッタが死んだとして、それですべて終わりにはならないわ……あの日、花冠を受け取った責任をきちんと取るべきよ)
オルテンシアは、あの春の日にフラヴィオとジュリエッタから受けた仕打ちを忘れてはいなかった。勿論、花月の夜会でのことも――
「シア――」
「大丈夫ですわ」
オルテンシアは、目を覆っていたマクシミリアンの手をそっと離すと、一歩進み出る。
後ろ手に拘束されたまま座り込んでいるジュリエッタを静かに見つめ、オルテンシアは翡翠色の瞳を僅かに細めた。
「……せっかくレヴェル公爵家のフラヴィオ様と結婚が決まっているのに、あまりにお可哀想ですわ。……ジュリエッタさんも、きっともう二度と、こんなことはなさらないはずです」
オルテンシアの澄んだ声が、凛と響いた。
一同が静まり返る中で、オルテンシアは白い両手をそっと組み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ジュリエッタさんは、わたくしを殺すつもりはなかったのでしょう? 幸い、わたくしは無事ですもの。……それに、神聖な夏至祭で死罪だなんて、女神様もきっと悲しまれますわ」
睫毛をそっと伏せたオルテンシアに、皆が心を震わせた。『なんと慈悲深い聖女なのだろうか』と――
「いっ、嫌よ!! あんな最低男と結婚なんて!」
そう喚いたジュリエッタに、オルテンシアはほんの僅かに目を見開き――そして、ふわりと微笑んだ。
「遠慮しないで大丈夫よ。あなたは決して死罪にはしないから、安心してちょうだい」
淡い笑みを浮かべるオルテンシア。その瞳が笑っていないことに気づいたのは、ジュリエッタだけだった。
(生涯、添い遂げなさい。それがあなた達の責任よ――)
オルテンシアの纏う白いドレスの裾が風に揺れ、舞い上がる砂塵がジュリエッタの視界を遮った。
マクシミリアンに支えられるように肩を抱かれ、オルテンシアは去っていく。その後ろ姿を、ジュリエッタは呆然と見つめることしかできなかった。
◇
後日、ジュリエッタはセヴランたち魔導師によって右の手のひらに赤い刻印を刻まれた。人に悪意を抱いた瞬間に、全身を激痛と麻痺が襲う複雑な術式が組まれた呪印だった。
オルテンシアに二度と危害を加えさせないため、マクシミリアンが魔塔に多額の寄付をした上でセヴランに依頼したのだ。
「金貨も宝石も――最上級の魔石だって、あなたが望むだけあげるわ! だから、このヒゲを消してちょうだい!」
「それは、解呪できない呪いだ⋯⋯それに、当然の報いだろう」
セヴランは冷たい眼差しでジュリエッタを見やった。
心底悔しそうに唇を噛み締めたジュリエッタは、震える手を握り、俯いた。
そうして、フラヴィオの花嫁となるため、ジュリエッタはヴァレンティノ伯爵家へと戻された。
「こんなの嘘よ! 私の美しい顔を返して! 返してよ!!」
喚き散らしながら、部屋中の鏡を叩き割るジュリエッタに、恐れ慄いたメイドたちは部屋から逃げ出した。
ジュリエッタは、荒い息を繰り返しながら、割れた鏡を睨みつける。彼女の脳裏に浮かぶのは、マクシミリアンに抱き寄せられ、美しい微笑を浮かべるオルテンシアの姿だった。
(オルテンシアめ⋯⋯! 絶対に、許さないんだから!!)
ジュリエッタがそう念じたときだった。全身を針で刺されるような痛みが襲い、彼女は声も出せずに気を失った。
「ヒィッ……! ジュリエッタお嬢様が!!」
白目を剥いたまま痙攣しているジュリエッタにメイドが気づいたのは、日が落ちてからだった。
『ヒゲの呪いが移るのではないか』と、触れることを躊躇うメイドや執事たちに代わって、ヒゲを生やした使用人がジュリエッタを運んだ。
その後、三日間激痛にのたうち回った後にようやく動けるようになったジュリエッタは、オルテンシアを思い出すことをやめた。
そして、試合中にマクシミリアンに過剰な攻撃態勢を見せていた第一師団の騎士ヴァレリオもその場で捕縛されていた。
魔導師団と騎士団の合同調査の結果、ヴァレリオの行動はジュリエッタの呪いとは無関係だった。彼はマクシミリアンを私怨で打ち負かそうとしただけで、殺意はなかったこと。そして幸いにも、マクシミリアンに一切の怪我がなかったことから、一年間の減俸と三ヶ月の停職という処分が下されるに留まった。
ヴァレリオは処分が決まった後に、マクシミリアンの元を訪れ、深く謝罪をした。
◇
そうして日が経ち、七月を迎えた――
「フラヴィオ。お前は予定通りジュリエッタ嬢と結婚することになった。式は明日行う」
「嫌だ!! なんで僕がジュリエッタなんかと――」
「国王陛下からのお達しだ。お前たちには、辺境の別荘で暮らしてもらう」
フラヴィオとジュリエッタの二人は、王命により急ぎで式を挙げ、辺境へ向かうことになった。
季節柄つる薔薇は手に入らず、庭園に咲く薔薇の棘に躊躇したフラヴィオは、庭の片隅に咲いていた赤詰草を摘んで花冠を編んだ。それが馬が好む野草だとは、このときの彼は知らなかった。
(仕方ない。時間がないんだ……)
野草の茎をただ適当に捻り合わせるだけで、不格好な冠はすぐに出来上がった。
フラヴィオが編んだ赤詰草の花冠は、保護魔法を依頼する間もなく、そのままジュリエッタの頭に載せられることになった。
翌日、ジュリエッタとフラヴィオは、公爵家の小さな聖堂で形だけの婚約式と結婚式を合わせて行った。
ジュリエッタの頭に載せられたのは、貧しい平民ですら選ぶことのない、赤詰草で編まれた冠。漂う土の匂いと青臭さに、顔を黒いヴェールで覆い隠したジュリエッタが気づくことはなかった。
二人の式に参列したのは、両家の両親だけ。皆揃って暗い顔で、ヴァレンティノ伯爵夫人は泣き腫らした瞼を隠すように始終俯いていた。
純白の豪奢なドレスに黒いレースのヴェールを着けたジュリエッタを祝福する者は誰もいなかった。
フラヴィオは、そっと傍らの花嫁を窺い見た。
黒いヴェールで美しい横顔は少しも見えず、いつもはむき出しにしていた鎖骨も細い首も白い襟で覆われている。
(ジュリエッタは、暑くないのか……?)
花婿であるフラヴィオはともかく、夏場に首元が詰まった長袖の婚礼衣装を着る花嫁は珍しかった。
だが、まるで葬列を思わせるような空気に、フラヴィオも何も聞くことができなかった。
(オルテンシアは、綺麗だったな……)
式の最中、フラヴィオの脳裏に浮かんだのは、あの花月の夜会で見たオルテンシアの姿だった。象牙色のドレスが眩いシャンデリアの灯りで煌めき、まるで美しい花嫁のように思い起こされたのだ。
(本当なら、僕の花嫁はオルテンシアだったはずなのに⋯⋯)
フラヴィオは胸の内で大きなため息を吐いた。
彼はジュリエッタとの結婚に納得していなかったが、『花冠を捧げた以上は責任を果たせ。逆らえば、蛮族の支配する国へ追放する』と公爵から脅され、大人しく従った。そのような国は、この大陸のどこにも存在しなかったが、国外のことにも疎いフラヴィオは父親の言葉を鵜呑みにした。
「⋯⋯ジュリエッタ嬢は、辺境から出ることを王命で禁じられている。夫となったお前もだ」
(夜会での罰か? ⋯⋯僕まで巻き込まれるなんて、最悪だ)
フラヴィオが険しい顔を向けると、ジュリエッタはびくりと肩を揺らした。
夜会の後から邸に籠もっていたフラヴィオは、御前試合のことも、ジュリエッタに何が起きたのかも一切知らなかった。
「⋯⋯辺境の邸で、慎ましく暮らせ」
公爵は、それ以上を口にしなかった。
こうして、式を終えたフラヴィオとジュリエッタは、公爵家の馬車に揺られて辺境の地へと旅立った。
そして、二人の実家に沙汰が下された。
ヴァレンティノ伯爵家は男爵家へ、レヴェル公爵家は名門の誉れを失い、侯爵家へと降格となった。
ヴァレンティノ伯爵家が降格するにあたって、“寄付”という名目で魔石や鉱石が採れる豊かな領地が王家に献上されることとなった。そして、多額の賠償金が、ベルフォート大公家とベルディア侯爵、ローディア侯爵家へと納められた。
領地を失い、手元に残ったのは王都にある分不相応な邸宅だけ。国王の情けでかろうじて貴族家として首を繋げたヴァレンティノ家の一族は、『邸ばかりの貧乏男爵家』と後ろ指をさされながら生きることになった。
そして、王家預かりとなった元ヴァレンティノ伯爵領は、王弟が治めることとなった。収益はローディア侯爵領も含め、実りの少ない土地へ王家からの支援として分けられることが決まった。
領民の生活を憂いていたローディア侯爵家一同は、心から喜んだ。
『ヴァレンティノは平民に落とすべきだ』という声も一部あったが、国王は「逆恨みされては敵わぬ……この国を守るためだ」と意思を変えなかった。オルテンシアが、再び危険に晒されることを懸念してのことだった。
「だが……もし次に何かあったときは、余も看過はできぬ」
すっと細められた国王の瞳に、側近たちは深く頭を垂れた。
◇
二人で馬車に揺られて、幾日が経っただろうか――
フラヴィオは、向かいの席に座るジュリエッタをそっと窺い見た。
レースとフリルがあしらわれた厚手の花嫁衣装に、黒いレースのヴェールを着けたジュリエッタはひどく不気味だった。付き従うメイドは一人もなく、彼女の顔を覆う黒いレースのヴェールは、結婚式の日から一度も外されることはなかった。
「ジュリエッタ……この間は悪かったよ。ついカッとなってしまって……まだ怒ってるのか?」
フラヴィオが何度か話しかけたが、ジュリエッタが口を開くことはなかった。
『ジュリエッタ、そのヴェールはなんだ?』
フラヴィオが胸の内に抱えたその疑問は、結局口にはできなかった。押し黙ったジュリエッタが、異様な雰囲気を放っていたからだ。
ガタゴトと揺れる馬車の中、彼らはひと言も言葉を交わさなかった。
(やっぱり、まだ怒ってるのか。しつこい女だな……)
フラヴィオは顔を隠したジュリエッタを見てため息をつくと、窓の外を眺めた。
辺境に近づくにつれ、人の姿や建物は減っていき、のどかな景色が広がっていく。
(随分田舎だな……まあでも、ジュリエッタは美人だし、我慢してやっても良いかな)
馬車の振動に合わせて、ジュリエッタの黒いヴェールが微かに揺れる。彼女の頭を飾る萎れた赤詰草の冠は、既に枯れ始めていた。
「到着いたしました」
辺境に到着し、御者が扉を開けた。
町外れに建っているのは、長いこと放置されていた小さな邸だった。
馬車のなかに吹き込んできた土臭い風に、ジュリエッタは慌ててヴェールを押さえる。黒い花柄のレースに包まれた手は微かに震えていた。
馬車から先に降りると、フラヴィオはジュリエッタに手を差し出した。
ジュリエッタは一度躊躇ってから、フラヴィオの手を右手で取った。左手でヴェールを押さえながら、ゆっくりと馬車を降りる。
そうして、邸の玄関へ向かおうとした彼女に、静かにしていたはずの馬車馬が嘶いた。
「きゃあっ!!」
甲高い悲鳴が上がる。
馬がジュリエッタの頭に飾られていた赤詰草の花冠に首を伸ばしたのだ。
ジュリエッタが慌てて仰け反るも、馬からヴェールごと剥ぎ取られ、赤詰草の花冠はムシャムシャと食べられてしまった。
「わははははっ!!」
通りがかりの農夫が、ジュリエッタの顔を見て笑い出した。御者も口元を押さえて笑いを堪えている。
晒されたジュリエッタの顔――小鼻の両脇からくるりと巻いた、ヒゲのような黒い呪印を目にした瞬間、フラヴィオは衝撃のあまり呼吸を忘れ、声を出すことすらできなかった。
「――いやっ!」
顔を真っ赤にしたジュリエッタは、唇を震わせて顔を覆うと、泣きながら邸へと飛び込んでいった。
(……なんだあの顔は? あれが、僕の花嫁だっていうのか?)
フラヴィオは、荒れた庭とジュリエッタが入っていった小汚い邸を呆然と見つめた。
馬が不味そうに吐き出した黒いヴェールが、フラヴィオの足元へと落とされる。
いつの間にか、農夫の姿は消えていた。
「それでは、私はこれにて失礼させていただきます。フラヴィオ様……どうぞお元気で」
渡されたのは、ずしりと重い革袋。
ガラガラと音を立てて去っていく馬車を見つめ、フラヴィオは立ち尽くした。
少しして、革袋を覗いたフラヴィオの顔は険しく歪められた。
「ふざけるなよ! これっぽっちの金で、どうしろっていうんだよ!!」
フラヴィオが怒りに任せて投げ捨てた革袋からは、数枚の銀貨がこぼれた。中身はすべて銀貨だったのだ。
数か月に一度、フラヴィオの実家からまとめて送られる生活費は、辺境に暮らす平民の生活費の平均から定められた額。二人が過ごす簡素な邸には、使用人も誰もいなかった。
(これは、悪い夢だ⋯⋯僕は、公爵になるはずだったんだぞ⋯⋯)
辺境には王国騎士団第三師団の支部があり、二人は監視される手筈を密かに整えられていた。
どれだけ生活が苦しくなろうとも、この町を出ることは許されない。
片田舎の外れにある小さな邸で、二人はひっそりと生涯を送ることとなった。
【あとがき裏話】
一方その頃、第二師団の執務室では――
マクシミリアン「皆、おすすめのデートスポットを教えてくれ! 景色が美しい、心穏やかに過ごせる場所が良い」
騎士A「……花畑とかですかね」
騎士B「川辺はどうですか?」
騎士C「……すみません、浮かびません」
シモーネ「今の季節なら、王都の近くの湖がおすすめですよ。木陰も多いですし。……魔獣対策は必要ですがね」
マクシミリアン「皆ありがとう、参考にさせてもらう。……突然だが、週末前に、森と湖畔周辺の魔獣大討伐を行うことにする。指揮は私だ。計画書は本日中に出してくれ」
騎士たち「「…………」」(揃ってシモーネを見る)
シモーネ「…………さて、計画書を作りましょうか」




