第8話「君が隠していた痛み」
文化祭準備が、本格的に始まった。
放課後の教室。
机が端に寄せられ、段ボールや絵の具が散乱している。
「はいはい男子ー! サボらないー!」
委員長の声が飛ぶ。
「悠斗、その木材運んで!」
「はいよ」
「桐谷はペンキ!」
「えぇ!? 俺ペンキ嫌なんだけど!」
「うるさい!」
教室は騒がしい。
笑い声。 ペンキの匂い。 窓から吹く夕方の風。
文化祭前独特の空気。
……本当なら、楽しい時間のはずだった。
「陽菜、こっちの装飾どうするー?」
「んー、ここに星つけたら可愛くない?」
「え、天才!」
女子グループの中心で、陽菜が笑っている。
いつも通り。
明るくて。 柔らかくて。
でも。
「……」
悠斗は気づいてしまう。
時々、陽菜の手が震えていることに。
苦しそうに息を整えていることに。
笑顔の裏側を。
「……」
胸が痛む。
昨日からずっとそうだ。
知ってしまったから。
もう、“普通”の顔で見れない。
「おーい悠斗!」
「……あ?」
桐谷がニヤニヤしながら近づく。
「お前、ずっと橘見てね?」
「見てねえ」
「いや見てる」
「うるせぇ」
「青春だねぇ〜」
肩を組まれる。
悠斗は鬱陶しそうに振り払った。
「……茶化すな」
その声が少し低くて。
桐谷が一瞬だけ真顔になる。
「……なんかあった?」
「……別に」
「ふーん」
それ以上は聞いてこなかった。
ありがたかった。
今はまだ、誰にも言えない。
言いたくない。
陽菜が“普通”でいたいと言ったから。
◇◇◇
夕方。
「……っ」
突然。
カラン、と音がした。
「え?」
見ると。
陽菜がハサミを落としていた。
「陽菜?」
近くにいた女子が声をかける。
「あ、ごめん……」
拾おうとして。
ふらっ、と身体が揺れた。
「……っ!」
悠斗が反射的に動く。
倒れる寸前で、陽菜の肩を支えた。
「おい!」
教室が静かになる。
「大丈夫!?」
「顔真っ白じゃん!」
クラスメイトたちが集まる。
陽菜は苦しそうに笑った。
「だ、大丈夫……ちょっと立ちくらみ……」
全然、大丈夫じゃない。
呼吸が浅い。
肩が小さく震えている。
悠斗は唇を噛んだ。
「保健室行くぞ」
「え、でも準備――」
「いいから」
強めに言う。
陽菜が少しだけ目を丸くした。
「桐谷」
「お、おう」
「後頼む」
「……任せろ」
空気を読んだのか、桐谷は何も聞かなかった。
◇◇◇
保健室。
カーテン越しに夕日が差し込む。
「……すみません、先生」
「今日は少し休んでいきなさい」
養護教諭が優しく言う。
「無理しすぎよ」
「……はい」
先生が出ていく。
静かになる。
「……」
「……」
沈黙。
機械の音もない。
聞こえるのは、夕方の風だけ。
ベッドに座る陽菜。
その隣に立つ悠斗。
「……なんで無理すんだよ」
ぽつりと言う。
陽菜は目を逸らした。
「……文化祭、楽しみだから」
「だからって倒れていい理由になんねえだろ」
「……」
「お前さ」
悠斗の声が震える。
「もっと自分のこと考えろよ」
「……」
「苦しいなら言えよ」
「……言ったら」
陽菜が小さく呟く。
「終わっちゃう気がするの」
「……え?」
「普通じゃなくなる」
夕日が横顔を照らす。
「みんな、気を遣う」
「……」
「かわいそうって顔する」
苦しそうに笑う。
「それが嫌なの」
悠斗は何も言えなかった。
陽菜は続ける。
「放課後だけはさ」
「……」
「普通の高校生でいたい」
その言葉が、胸に刺さる。
どれだけ怖かったんだろう。
どれだけ我慢してたんだろう。
笑いながら。 隠しながら。
一人で。
「……バカ」
悠斗が呟く。
「え?」
「お前、頑張りすぎなんだよ」
「……」
「もっと頼れ」
陽菜が少し笑う。
「頼ってるよ」
「どこがだよ」
「悠斗には」
「……っ」
その瞬間。
胸が強く鳴る。
陽菜は優しく笑った。
「昨日ね」
「……?」
「怖いって言ったでしょ」
「……ああ」
「でも」
少しだけ照れたみたいに目を逸らす。
「今は、少し平気」
「……」
「悠斗がいるから」
言葉が出ない。
ズルい。
そんな顔でそんなこと言われたら。
「……反則だろ」
「ふふ」
陽菜が笑う。
でも次の瞬間。
「……っ、ゲホッ……!」
突然、激しく咳き込んだ。
「陽菜!?」
肩が震える。
苦しそうに呼吸する。
そして――
ぽたり。
白いシーツに、赤い雫が落ちた。
「……え」
血。
悠斗の顔から、一気に血の気が引いた。
陽菜も固まる。
「……あ」
隠すように口元を押さえる。
でも遅かった。
見えてしまった。
現実を。
終わりが、確実に近づいていることを。




