09-滅びの街
翌々日。
イリーナたちフェネクス商会と別れてから、バウルたちは天使と遭遇することも、盗賊に襲われることもなく順調に航路を進んだ。もっとも、天使の領域であり、元より重汚染地区であるこの場所にまともな人間がいるとは思えなかったが。
「心残りがあるのか、バウル? そんな顔をしているぞ」
「どんな顔ですか。そんなものはありませんよ、隊長」
既定のシミュレーター訓練を終え、汗を拭いているとラウに声を掛けられた。今日はダリル相手にいいところまで行けたので、それなりに気分がいい。
「イリーナちゃんと別れて、寂しいんじゃないかと思ってな」
「何を言っているんですか、隊長。そんなはずはないでしょう?」
「お前、ちょっと早口になっている自覚ってあったりするか?」
はっとして口元を押さえるが、それこそ自白しているようなものだとすぐ気付いた。自分をハメたラウを睨み、観念したようにため息を吐く。
「ええ、そりゃ。さすがに寂しくはありますけれど……」
「好きだったのか、あの子のことが?」
「いきなり何を言い出すんですかあなたは」
「部下の悩みを聞いてやるのも、上司の大事な仕事だろう?」
ニヤニヤと笑っているさまは、とても上司のそれとは思えなかった。
「……そりゃあ、好きですよ……」
蚊の鳴くような小さな声だったが、バウルははっきりと言った。
「青春だな、素晴らしい。人を好きになるってのはいいことだ。俺も……」
ラウはべらべらと自分の恋愛遍歴を語り出した。まったく興味のないことを聞かされるのは苦痛でしかないと、バウルはこの時改めて認識した。
「……とまあ、そんな感じでな。青春の甘酸っぱい思い出は一生の糧だ」
「そうですか、そうですね。ありがとうございました。それでは」
「待て、お前真面目に聞いてないだろ。まったく、仕方のない……」
呆れたような口調で言うラウを無視して、バウルは外を見た。とは言っても、それはARに投影されたカメラ映像なのだが。
「……マティウスの惨状は初めて見ましたが、本当にこれは……」
「地獄、だな。まだ原形をとどめているだけ、マシだとも言えるが」
砂に埋もれたバトルウェアの残骸。倒れたビル、崩壊した寺院。そして尖塔の如くそびえ立つ巨大な瓦礫。質量兵器の残存物質だ。
「専用のスーツなしでは数分と外にいることを認められていない、地獄だ」
「どうして人間は、互いにここまで憎しみ合うことが出来るのでしょうか……」
「相手の顔を見て殴り合いをしていないからさ。それか、やられる痛みを真に理解していないか……もっとも、積み上げて来たものもデカ過ぎるがな」
ラウは物資の入っていたコンテナの一つに腰掛け、煙草を吹かした。
「かつては希望を持って宇宙に人々は出たはずだった。だが、待っていたのは底なしの暗闇と地獄だった。明日の生存さえ保証されない世界で、僅かに手に入れたものですら奪い取られる……その憎しみが宇宙植民者の原動力となった」
「だが、そのために地球をこんな姿にするのは……」
「やり過ぎだっただろうな。だが、それを咎められるものも、止められるものもどこにいた? のっぴきならなかったのはどっちも同じだ、手を抜けば反撃を受け滅ぼされるという恐怖が両方にあった。だからどちらも極端に走った」
ラウは自分の掌を見た。
それは、少しだけ震えていた。
「俺はな、無制限反撃に使われるはずだった核ミサイルを護送していた」
「無制限反撃?」
「質量兵器攻撃に対する報復核攻撃。迎撃不能な速度で飛来したミサイルは、各都市の機能をピンポイントで破壊し、向こう数十年人の住めない世界を作り出すことが出来た。ジャマーの精度が向上していたから本当にそんなことにはならなかったかもしれないが、数千発からなる核を用いればただでは済まんかっただろう」
ただそこで聞いていたバウルも、戦慄した。歯止めのない報復が成されていれば、恐らくこの世界は既に存在しなかっただろうから。
「幸いなことに、俺が運んだミサイルが実際に使われることはなかった。戦後質量兵器を始めた大量破壊兵器は完全に破棄された……グラディウス条約、修正二条。だがもしも、と思うよ。あの時俺もあれを運ぶのを躊躇していなかった」
「撃てと言われれば、あなたは撃ったかもしれないと?」
「多分撃ったさ。俺だって奪われた側の人間なんだからな」
ふっと笑い、ラウは自分の灰皿に煙草を押し付けた。
ほとんど吸っていない煙草を。
「それでも俺は光を信じたい。この世界にまだ希望はあると信じたいんだ」
「希望?」
「土壇場で憎しみに飲まれなかった人間がいるから、この世界はこうして続いている。それはとても素晴らしいことじゃないのか? 俺がこうして腐っている間にも、それをよしとしなかった人間がまだ生きているんだ」
ラウは照れ臭そうに笑いながら語り続ける。
「俺はそうはなれそうもない。ただ状況に流される、それだけで精一杯だ。だがもし、そういう人に出会えたなら……俺は命を懸けて守りたい」
「隊長……」
「幻滅したか? 大人なんてそんなもんだ、結局のところはな……自分の意志で、自分の足で行く道を決めることが出来る奴なんて、ほとんどいやしない。もしそんな奴らが多くいるんなら、この世界にサラリーマンなんて職業は存在しない」
「いえ。俺にとって隊長は、尊敬に値する大人ですから」
本心だった。彼の前に現れた大人は、自らの弱い心をメッキで固め、隠し続けて来た。彼のように己をさらけ出す人間など、皆無だったのだから。
「真正面から言われると照れくさいな」
話していると、ダリルが横を通りかかった。そういえば、シミュレーターから出て来るのにかなりの時間を要していた気がする。
「おい、ダリル。どうしたんだ? どこか調子でも悪いのか?」
「……んあ? いや、別に大したことはねえんだけどさ……」
どうにも調子が悪そうだった。顔色が悪いわけではないのだが、どことなく気力に欠けている。どうしたものか、とバウルが考えていると。
弾かれたようにバウルがどこかを見た。これまで何度となく見て来た反応だ。
「天使が現れたのか、ダリル? いったいどこにいる」
「……ここだ。この船の中に、天使がいる」




