08-思慕
少年と少女が睨み合う。少年は頬に大粒の汗を浮かべており、口元はきつく結ばれている。半面、少女はどこか呆けたような顔で少年、バウルを見る。
シミュレーターから出た途端目の前に少女がいれば、誰でもこうなろう。
「おい、そんなところで睨み合ってどうしたんだよ。早く代われよ」
ダリルの不満げな声が聞こえるが、バウルとアロアはずっと睨み合っていた。睨み合っていた、というのは適切ではない。どちらも目を離せないだけだ。
「アロアちゃん、一緒に行こう。悪いけど、次もバウルとお願い」
「えー。いつもバウルとじゃ腕が鈍っちまうってえの」
「よし、その喧嘩買ったぞ。絶対お前この五本で泣かせてやるからな」
サクッと五本を終わらせ負け越し、バウルはシミュレーターから出た。二十分くらいは粘ったはずだが、まだミーアは戻ってきていなかった。
「やれやれ、あの子供の世話にかかりっきりだな。チクっちまおうかな」
「やめとけ。それにしても、あそこまで世話焼きになるとは意外だな」
ミーアは不愛想で、他人のことなど視線にいても見ていないようにバウルは思っていたので、彼女があそこまで他人に肩入れするのは驚きだった。
「よし、ダリル。もう一本だ。次こそお前の心を折ってやる」
「懲りないねえ、何度やったって結果は同じ。俺が切ってそれで終わり」
実のところ、シミュレーター訓練の条件はダリル優位だ。ある程度離れたところで向かい合ったシチュエーションでスタート。先に致命打を当てた方が勝利、というレギュレーションだ。向かい合ってというのがポイントで、瞬発力に優れるAM系列の方が子の戦いでは有利だ。なにせ一足で詰め切れる距離なのだから。
「クソ、なぜ勝てない。操縦技量じゃそう変わらないはずなのに……」
イライラとした顔をしながらバウルがシミュレーターから顔を出す。結局次の五本もダリルに先取された。いいところまで行ったとはいえ、結果は負けだ。
「あー、腹減った。簡単に終わったって腹は減るからなぁー」
一方のダリルは勝利の美酒に酔い切っている。チッ、と舌打ちしながらバウルは昼休憩の放送を聞いた。その時、ようやく腹が減ったことに気付いた。
(旅をしている時は、数日食わなくても気にならなかったというのにな……いや、あの異様な状況に慣れ切っていたせいか。これが正常なんだ)
バウルはため息を吐き、ダリルと一緒に食堂へと向かった。
「よーっす、今日の飯は何なのかなー……」
大声を上げながら食堂に入ると、目の前で待っていたフォルカに無言で窘められた。彼女の視線を追うと、その先にはミーアと、その膝で眠るアロアの姿があった。寝た子を起こすわけにはいかない、二人はそっと部屋に入った。
「えっ、ずっとここであの子のことあやしてたのか? マジかよ……」
「アロアちゃん、ミーアちゃんにべったりだからね。仕方ないでしょ」
「アロアって子が目覚めたのは、俺が謹慎している最中?」
「そうね。その時偶然立ち会ったのが、ミーアで……」
アロアはショックによって言葉を失っていたが、その分態度でミーアへの親しみを示した。ミーアも困惑したが、だがまんざらではないようだった。
「人嫌いって雰囲気ばら撒いてるのに、子供は別腹なんだなぁ」
「デザートみたいに言うな。アロアって子が彼女の精神安定に貢献しているなら、別にそれでもいいんじゃないか、って気が俺にはするがな……」
天使化の際には脳内物質であるノルアドレナリンの分泌、すなわち強い怒りが関連しているとアーカムは言っていた。ならば子供の存在によって精神を落ち着けることが出来れば、それだけ天使化を抑制出来るのではないか。
だが、とも思う。子育てというのは簡単なことだけではないと昔母が言っていた気がした。バウル自身、親に怒られた記憶もある。これでも顔がまるで思い出せないのは情けないが、しかしそれはいま些細な問題だろう。
(アロアの存在がミーアへのストレスになりかねない、ということでもある。ううむ、いったいどっちなんだ? 懐いてはいるが、このまま放っておくか……)
一人悶々としていると、ダリルがいきなり勢いよく立ち上がった。その衝撃で椅子が倒れ派手に音を立て、それを聞いてアロアが起きてしまった。
「ちょっと、ダリルくん! さっき静かにしてくれって……」
「悪ィなフォルカの姉ちゃん。けど来やがったぜ、あいつらがな……!」
相変わらずバウルには感じることが出来なかったが、彼はそれを感じ取ったようだ。ミーアの方も数秒前からややそわそわしていたように思う、今更ながらに。彼らが反応することと言えば一つ、天使の襲撃だ。
『南西五キロ地点から天使の接近を確認。また東七キロ地点からも同時に天使の存在を確認しています。機動兵器パイロットは速やかに格納庫へ……』
天使の襲来、それも一度に二体も。これまでにはなかったことだ。本拠地に近付き、ラウが言うように敵も焦っているのだろうか? ダリルは獣めいた笑みを浮かべたまま格納庫へと走り出す。ミーアも立ち上がり、向かおうとしたが、アロアに袖を掴まれた。
「アロアちゃん、私は行かなきゃいけないの。あなたを、守りたいから」
ミーアは目線を合わせアロアを諭した。
だが彼女は嫌々と首を振った。
「我がままを言っちゃダメ。いい、アロアちゃん。私は……」
「ダメよ、アロアちゃん。我がまま言ってお姉ちゃんを困らせたら」
いつの間にかフォルカがアロアの背後に回り、両脇に手を差し込んだ。一瞬力が抜け、アロアはミーアの袖を放す。その隙にミーアは彼女から離れた。
「この子のことは私が見ているから。早く行って来て、ミーア」
「……ありがとう、フォルカ。その子のこと、その……お願いね」
ミーアが格納庫に向けて走る。バウルもそちらに向かうが、一度だけアロアの方を振り返った。彼女は闇に消えるミーアを、絶望的な目で追っていた。




