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08-明日を生きる希望

 午後の座学から復帰し、その中でラウにこってりと絞られた。あそこで戦いが終わったからいいようなものを、もし敵が残っていたら死んでいた、というのだ。シズルの肯定はあくまで技術者としての観点、ということか。


(見る人が違えば結論も当然違ってくる……なるほど、そういうことか)


 座学が終われば久しぶりの自由時間。ダリルはシミュレーターに籠もり、ミーアはアロアの世話を焼く。一人だけ、所在がなかった。


「やあ、お疲れ様バウルくん。窮屈だっただろうけど、大丈夫かい?」


 一人どうしようか思案しているところに、アーカムが声をかけて来た。


「ちょっと検査があるんだ。悪いけど、医務室まで一緒に来てくれるかい?」

「分かりました。でも、謹慎初日にも検査をしたような……」

「経過を観察するのも医者の仕事さ。済まないけど、頼むよ」


 アーカムは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。そうされると、まるでこちらが悪いことをしているような気になって来る。大人しくついて行った。

 医務室は相変わらずだった。清潔感のある白を基調とした部屋に、ツンとする消毒液の匂い。バウルは採血を受け、レントゲンを撮られ、その他さまざまな検査を受けた。すべてが終わったのは始まってから一時間ほど経ってからだ。


「はい、お疲れ様。ちょっとしたら結果が出るから、待っていてくれるかい?」

「特にすることもないので、大丈夫ですよ。そこで待っています」


 ベッドに腰掛けバウルは待つ。

 アーカムは結果をつぶさに観察した。


「……先生。あなたはどうして、天生体の研究を行っているんですか?」

「なんだい、藪から棒に。仕事だ、っていう回答じゃ満足してくれない?」

「俺を個人的に呼び出したということは、上からの指示でこんなことをしているわけじゃないんでしょう? どうしてそこまでするのか、興味がある」


 観察が一段落したのか、アーカムは顔を上げた。


「いまこの瞬間にも、病気やけがで命を落としている人が大勢いる」


 天を仰ぎ、言葉を紡ぐ。

 切実な悲しみがそこから感じ取れた。


「この世界で生き抜くには、人間はあまりに脆弱過ぎる。天生体は常人を遥かに超える身体能力と反射神経を持ち、またその肉体は病気や毒物への高い耐性を誇る。これまで人類が抱えていた諸問題を、一気に解決してしまえるかもしれないんだ。天生体の肉体変異プロセスを解析し、人為的に再現する。それが私の夢なんだ」

「それは……」


 天生体を人工的に作り出す。バウル自身、何度もこの力には助けられてきた。だが、だからこそこの力を再現出来れば、軍事的に大きな価値を持つのではないかと考えた。


「分かっている。軍だってこの力を求めるだろう。私が研究を許されているのも、アルタイルにとって利用価値があるからに他ならないだろう。研究バカの私にも、それくらいのことは分かるよ。それでも……私はこの研究を続けたい」


 アーカムはエンターキーを押す。

 高い機械音が鳴り、コンソールが消えた。


「だから私は、この研究が間違っていたならすべてを破棄する覚悟を持っている。自分のしてきたことが間違いだと認めるのは、恐ろしいけれど」


 アーカムは机の引き出しから紙包みを取り出し、バウルに手渡した。


「それに、いまはせめてキミたちだけでも救えるように、とも思っている」

「先生、これはいったい?」

「ノルアドレナリンの分泌を抑制する薬だ。これまでの研究で、天使化には怒りの感情が大きく作用している、ということが分かっている。普段は脳によって細胞の動きは監視され、抑制されているが、天生体の細胞が怒りによって判断力の鈍った脳に干渉し、肉体変異を引き起こしているのではないか……と考えている」

「そのノルアドレナリンとやらを抑制すれば、天使化が抑えられる?」

「まだ仮説の段階でしかないけどね。実験動物にするようで心苦しいが……」


 申し訳なさそうな顔をするアーカム。

 バウルは彼の差し出した包みを取った。


「先生。あなたが考えていることは、とても尊くて困難なことだと思う」


 『え?』とアーカムは間抜けな声を出した。

 想像もしていなかったのだろう。


「俺には夢がない。いまを生き抜くことで精一杯だったから、夢なんて見ている暇がなかった。でも先生、あなたの夢を素晴らしいと思うことは出来る」

「バウルくん……」

「俺に出来ることなら、何でもします。実験動物だろうが何だろうが、好きにしてください。あなたがその夢を忘れない限り、俺はあなたに賭けたい」


 自分の力を正しいことに役立てられるなら、それは幸せなことではないのだろうか? バウルの手を取るか、取らぬか、少し迷い、アーカムは手を取った。


「ありがとう、バウルくん。私は、キミにそんなことを言ってもらえるような人間ではないのかもしれないのに……それなのに、私は」

「行けるところまで行って、いろいろ考えるのはそれからだ。俺の一番大切な友人も、そう言っていました。まだそこまで辿り着いてはいないでしょう?」

「そうだね……行けるところまで行こう。それが、私のすべきことだ」


 アーカムは涙さえ浮かべて言った。

 大袈裟で、優しい先生だった。


「必ず、キミたちを助けて見せる。それまで、絶対に死なないでくれ」

「死にません。俺も、ミーアも、ダリルも。だから先生、必ず俺たちを助けて下さい」


 バウルとアーカムは固い握手を交わした。

 尊い誓いを胸に。

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