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薄い闇が覆い始めた。
こんな時間まで戻らなかったら、あの同居妖達はどう思うだろう。きっと自分の心配などせず、おねだりした物品の帰りが遅いと愚痴をこぼしているに違いない。そう礼御は思った。
大きな袋は、申し訳ないがその辺に投げ捨てた。こんな物を持っていては、今後の展開に邪魔になると礼御は考えたからだ。
礼御は彼らから少し離れて、様子を伺った。
少年の魔術師と、呆けた男。その二人は川原に立っている。近くには大きな橋があり、礼御は亜草根 世葉と対峙したあの夜を思い出す。
「あいつ、何をするんだろうか」
今飛び出て彼を止めるべきか、もしくはもうしばらく様子をみるべきか。礼御の額にはじんわりと汗がにじみ、これは夏の熱のせいだけではない。
大きく、けれど静かに息を吸った礼御は、ポケットから自分の魔術具を取り出した。金色の体毛でできた手袋である。サラサラとした触感が礼御の手を包んだ。
と、そのときである。魔術師 亜草根 世葉が行動を開始した。
滑らかかつ俊敏に取り出したモノに礼御は覚えがあった。礼御の身体を刺したあのナイフである。
そして魔術師は呆けた男の胸部を突き飛ばした。男は受身を取ることもせず、無様に倒れこむ。まるでぐしゃりという音が聞こえてくるような、そんな倒れ方であった。
魔術師がためらうことなく馬乗りになり、大きくその短い刃を振り上げる。
そこでしかし、一瞬の緊張が彼に走ったのが礼御にはわかった。
「俺なら――できる」
それは小さな呟きであった。そしてそれを耳にすることができた礼御はというと、魔術師が男に馬乗りになった瞬間から駆け出していたのである。
止めなければ!
「おい、待て!」
ナイフが振り下ろされようかという瞬間、礼御の叫びでそれは停止した。
「なっ! あんた、確か」
ばっと振り向いた魔術師は驚愕の表情をつくりだす。彼の下の男は相変わらず生気のない表情だ。
そこで礼御はドキリとした。いや待て。
礼御は目を凝らす。
あの男には見覚えがある。あいつは確か――。
「お前、その人に何をしたんだ!」
彼から数メートル離れたところで止まった礼御が問いかける。
「はぁ? なんだよ、あんた。いきなり出てきてわけのわからない」
わけがわからないのはこっちだ、と礼御は憤怒した。あの男。呆け、桜を生やす彼。彼は確かにあいつらの一人だった。礼御の働くカラオケ店に馬鹿騒ぎしながら入店し、魔術師ともめた挙句、魂を抜かれたような状態にされていた男たち。その一人。
「何をしたってきいてるんだ! 答えろよ」
礼御は自分を鼓舞するかのごとく叫んで尋ねた。
「何をした? ……何も知らないでよくもそんなことを! 邪魔だ、帰れよ!」
「帰れというなら、その人を元に戻してからにしろ!」
礼御は魔術師の下で横になっている男性を指差しながら言った。するとその魔術師がさらにイラついたことが礼御にはわかった。
礼御は少年にじりじりと近づく。と、そのときである。彼の表情が移ろった。怒りや苛立ちが別の感情で塗りつぶされたといった、そんな感じである。
「いや、お前は……」
魔術師も礼御と出会ったことがあることに気がついたのだろう。「何で俺のことを覚えて……」と呟き目を丸くしている。
「亜草根 世葉っていったな。お前は何がしたいんだ? ……この前は不意打ちをくらったよ。まさか魔術師の中でも例外の例外、人を操る魔術を持っているなんて予想できるはずもないものな!」
玉藻から聞いたことを口に出す。少しでも威圧の効果を期待したものだった。
しかしどうだろう。魔術師は一瞬呆気にとられたような表情を見せたものの、小馬鹿にしたように「はっ」と笑い、言う。
「賢そうに見せるが下手くそだねぇ、兄さん」
ハッタリにもならないのか、と心の中で舌打ちをする礼御である。
「あんたがまともな魔術師なら、あの惨状を見た時点で身構えたはずさ」
自らで惨状と表現した、あの夜の出来事。大学生が橋の下でぐったりと呆けていた、あの出来事。
「それでもあんたは驚いただけ。さらに俺が術具を出しても硬直するばかり。……マヌケもいいところだな。魔術師ではない。あんたは多少異能に近しいだけの、ただの人だろう?」
「……悪くない考察だな」
悔し紛れに礼御は言い放った。
「それでも、だ」
ここから礼御の前に立つ魔術師の表情が真剣なものへと変わる。じっと礼己を見つめ、なにかを見極めようとする視線だ。
「ならなんで俺の魔術がかき消されてんだろうな」
自問自答しているのか、礼御に尋ねているのか判断しかねる口調である。
「そもそも気づくことすら難しい。だって記憶を改竄したわけだしな。それにさ、仮に周りの誰かが察したとしても、半端な魔術師では消せないんだ、俺の魔術は。稀少で強力なんだよ」
ギロと魔術師が礼御を睨む。
「じゃあなんで、俺があんたにかけた魔術は消えている。……師がいるのか? いやでも、そんな一流の魔術師が師で、これはない」
自分の魔術を消せる魔術師を『一流』と言い、『これ』とは礼御を指していることは間違いない。
礼御は自分より年下の者に馬鹿にされていながらも、ここで彼の洞察が自分の身辺に及んでいないことを面白く思った。
師と呼べるかは微妙な人たちばかりさ。でも、皆一流だ。
「それで? お前の観察に付き合ってやったんだ。今度は俺の話に付き合えよ。……お前は何だ? 何が目的だ?」
礼御は凄みを持って最後の二つの疑問を魔術師に投げかけた。すると彼は再び苛立ちを表に出す。
「……お前は何様なんだよ。この状況の何を知ってるって、思ってるんだ?」
魔術師が、あの夜と同じく白銀のナイフを抜いた。




