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「下手なモノマネをされては、やっぱり嫌な気分だったでしょう? 完成度の低いコスプレも、また同じです。それはオリジナルの侮辱につながりますもの」
礼御が腹を抑え、苦しげな呼吸をしている間、水保のコスプレ講義が開講されていた。
普段、軽く暴走する同居妖怪たちを殴って黙らせてきた礼御であるが、このように逆の立場に立たされることは初めてであった。
うん。いくら嫌なことを言われたって、暴力に頼るのはよくないな。
礼御はそう心得たものの、それでも玉藻や紅子の暴走を殴って沈めるのだろうな、となんとなく予感するのである。
「分かりましたか?」
そんな脅迫めいた同意を求められた頃、ようやく礼御の呼吸器も通常の働きをするようになっていた。
「……えぇ。存分にわかりましたよ」
「ならばよろしい」
水保は満足気だった。礼御の垂れていた頭をそっと撫でて、それはもう大人が子供に対する仕草であっただろう。
しばらくその優しい手つきを受け入れていた礼御は、そっとその手を払う。
「それで、そのクノイチ装束。どうするんです? ……やっぱり女性の裸が目の前にあるというのは、あまり好ましくないんですけど」
「まぁ、私は玉藻と違って、センスある女性ですものね」
センスある女性。つまり出るところが出ている女性といいたのだろう。
確かに玉藻の普段の姿は中学生の女子であり、それに比べると水保の姿はとてつもなく女性的なのだ。
しかし礼御は思う。
あんたらはそういう姿に化けているだけだろ。化けた姿で比較されても、何も言えないって。
それでも反論が怖いので言うのはやめておいた。
「とりあえず、普段着に戻るか、クノイチ装束を着てみたらいいじゃないですか」
「そうですねぇ」
しばらくためらったあと、水保はニヤリと笑って礼御の方へ歩み寄ってきた。
「……なんです?」
「礼御さん、着せてくださいよ」
「……遠慮しますよ」
「どうしてですか!?」
喜んで、なんて言う男の方がおかしいだろ。そう思いながら礼御は理由を述べる。
「着方なんてわかりませんし、なんかあとで怖いですもん」
「そんな気張らなくてもいいですのに。ほら、うっかり胸やお尻に触っても、私は玉藻みたく怒鳴ったりしませんよ?」
そもそも玉藻はそんなことで怒らない。それに、いくら化けてできた女体といっても、やはりそれは女性の身体に違いない。そんなところに触れて、ただで住む世の中ではないのだ。それが真実だろう。
「絶対嫌です。なんか、のちのちに言質に使われそうです!」
「あら、察しがいいですね」
「やっぱりか!」
なんてくだらないやり取りを、前回同様行った礼御と水保だった。そして前回同様、ひとしきり話せばそれでお別れするのだと、礼御は勝手に思っていたのだが、今回は少し真面目な話へ進むのである。
ふと、礼御の視界の端に入り込んだものがあった。
「――?」
なんだろう。そう礼御が思い、視線を向けたのは窓である。
人が着替えるスペースということもあって、窓には黒いカーテンがかかっていた。しかしそれはゆらゆらと揺れている。開いてはいるのだろう。
そのカーテンと窓の隙間から、ピンク色の何かが溢れるようにひらりと落ちている。
「どうかしたのですか、礼御さん?」
何かに目を奪われていた礼己を見て、水保が尋ねた。
「これって……」
礼御は水保の問いかけに答えることなく、ついに床まで落ちたピンク色を見て不思議に思う。と、そこで水保が口を挟んできたのであった。
「あぁ……。また入ってきてますね、その桜の花びら」
確かにそれは桜の花びら以外、何物にも見えなかった。
「桜って……。いやいや」
なんとなく否定しつつ、礼御はその花びらに近寄り凝視する。が、造花にも見えない。やはり春を連想させて止まない、桜の花びらそのものであった。
「だって、今は夏ですよ? 桜なんて、咲いてるわけないじゃないか」
と、礼御がそのピンク色に手を伸ばそうとした、そのときである。がっと肩を掴まれた。
「え!?」
突然の水保の行為に驚いた礼御は振り返り、彼女の顔を見る。水保は目を細め、先程まで礼御が囚われていた桃色へ注意を向けていた。
「ど、どうしたんですか、水保さん」
「あまり、それには触らない方がいい」
その声は真剣であった。普段おちゃらけて駄弁ることしかしたことのない彼女とは異なる口調、表情だ。文字通りの一変。礼御は自分に向けられたのではない表情だとわかっていてもなお、背筋が凍る思いであった。
水保は礼己を桜の花びらから遠ざけるように引っ張り、そしてふぅと息をつく。すると普段の穏やかな女性へと戻るのであった。
「あ、あの……水保さん?」
「…………」
彼女はにっこりと笑っているものの、次の言葉に迷っている、そう礼御には見て取れた。
「水保さん。あの桜、何なんですか?」
その問いかけにもまた、彼女は口を開こうとしなかった。しかしその数十秒の沈黙の後、水保は「そうですねぇ」と続ける。
「礼御さんって、魔術の心得があるんですよね?」
礼御の問いはとりあえず棚上げのようだ。その水保の質問の答えに礼御は悩む。
魔術の心得。確かに礼御の身体にはいくつかの魔術が施されている。が、それは本人の意思とは無関係のモノなのだ。その他といえば、つい先日玉藻から授かった魔術具についてだが、これもそれを持っているからといって、魔術の心得があるとは中々に言いづらいものである。
「ちょっと言い方がまずかったですかね。……礼御さんは、異形・異能を感知できますよね? 一般人の目には映らない私の姿は見えていますから、視える目はお持ちでしょう。礼御さんの目には、異形が異形として映っていますか? それとも……判別つきませんか?」
つまり、人と人に化けている異形のモノとの区別が視てわかるか、ということだろう。じっと黙った礼御はしばし考えたが、見栄を張っても仕方なく、虚勢を張っても仕方がないので白状することに決めた。
「……その、実を言うとあまりわからないですね。見た目が違えば、それは区別がつきますけど、例えば水保さんみたいに人間の姿そのものの異形だとわからないです」
そう答えた礼御に対して、水保は少し困った顔になり「そうですか」と漏らすように呟いた。
そんな反応になるのは当然か。礼御自身も水保が困るのは理解はできるのだ。なまじ異形・異能に反応できるというのはひどく危ういものである。
視えなければ、聞こえなければ、触れなければ、自然と回避できるモノがある。一方で視えるからこそ、聞こえるからこそ、触れるからこそ回避できるモノもあるわけだが、しかし礼御は視えるだけで、聞こえるだけで、触れるだけで回避すべきモノか、そうでないものかの判断ができないのだ。
例えば、遠くの街で火事があったとしても、知らなければ――感知していなければ故意に近寄らないだろう。逆に感知できるなら、自身がすべきことも見えてくる。逃げるべきなのか、助けに行くべきなのか、そのような行動がとれる。しかし礼御は違う。火事があったと知ってしまうが、火事がどのくらい危険なのか理解できていないのだ。だから近寄るし、触ってみるし、挙句の果てには火炎の中に突入しかねない。そういう状況なのだ。
そのことは重々承知していたつもりであった。
本来視える人間だった礼御は、通常ならこの二十年をかけて異形に対する判断能力を培っていくはずだったのだろう。
しかしとある理由を機に、その視える能力その他諸々全部に蓋をしていた礼御である。つい最近蓋が取れたが、培うべきモノが培われていない。本来、培い身につけるまで守ってくれるはずの親も、この歳では遠く離れてしまっている。
それでも蓋が取れてから今日まで――今日まで、というのは間違った言い方ではあるのだが――の間、礼御が無事だったのは親がかけた魔術のおかげであったが、今ではその魔術も効力が失われている。
以前玉藻が言った通り、今の礼御は魔術に対して丸裸同然。しかも渦中に近寄ってしまってもいる。そんな状態だ。
「……礼御さん、今日はお一人ですよね?」
現実を突きつけられていた礼御に、ぼそりと水保が問いかけた。
「……えぇ。今日は一人ですね」
「……玉藻はあなたの護衛をしている。そう思っていたのですが、違いますか?」
確かにその通りだ。玉藻は礼御の身の安全を守ると保証してくれた。その言葉通り、玉藻は力の塊である尻尾を一本失ってまで、礼御を助けてもくれたのだ。
「その護衛が、どうして今、礼御さんの傍にいないんです?」
水保の口調は厳しいものだった。おそらくそれは礼御に向けられているのではなく、この場にいない玉藻に向けられているのだろう。
そのように察した礼御は、玉藻の代わりに彼女の弁解をする。
「いや、違うんだよ。玉藻は俺を守ってくれて、その反動で今は動けないんであって……別に約束を疎かにしているとかでは……」
「そういう問題ではなくてですね! ……って、礼御さんに言っても仕方ないですか」
「いや……。すいません」
水穂はやんわりと礼御を睨み「どうして謝るんですか」と溜息を混ぜて続ける。
「玉藻と私は幼馴染みたいなものだって、言いましたっけ?」
「玉藻から聞きました。腐れ縁、だとか言ってましたよ」
「そうですねぇ。ホント、腐れ縁みたいなものですよ」
しばらく虚空を見つめた水保は、視線を礼御に戻すことなく話を続ける。
「……玉藻は実力のある妖孤です。それでいて人の護衛だのなんだのするっていうのは、私にとってよくわからないことだった……いいえ。よくわからないことなんですよね」
「…………」
「護衛って言うほど簡単ではありませんしね」
その水保の話を黙って聞いていた礼御はなんとなく感じるのだった。過去に、何かあったのではないか。
「それでも護衛を続ける彼女だからこそ、私はある意味で尊敬していますし、この長い命の中で、私達は腐れ縁なんてもので繋がっているのでしょうね」
ふっ、と水保は視線を礼御に向け直した。悔しそうな、羨ましそうな表情だった。
「ですが、大雑把すぎます」
彼女の表情は静かな怒りを秘めたものへと移り変わる。
「護衛をするといった以上、全うすべきです。それも……礼御さんみたいな半端者が対象ですもの。その義務を、もっと重要視すべきです!」
水保は「半端者なんて、ちょっと失礼ですみません」と最後に付け加え、言いたい事をすべて言いきったようだった。
普段の彼女とは打って変わるその言動に礼御が圧倒されていると、水保は取り作ったようないつもの笑顔へ戻り言うのである。
「要するにですね、礼御さん。あなたは異形・異能に対して、無駄に感知してしまっているのですから、気をつけるべきだと、そう言ってるんですよ。何が目的でこの場所に来たのかは知りませんけど、異なる存在というのはどこにでも居るし、あるんです。出来る限り、玉藻のそばにいるべきですよ」
耳の痛い話であるが、まったくもってその通りだった。
礼御は水保からのありがたい忠告を聞き入れるとともに、しかし待てよと思う。
そもそもここに来た理由は玉藻のおねだりが原因ではないか。それで自分に危険が迫るというのは、いささか滑稽すぎる。
現状を水保に告白してやろうかとも思った礼御だったが、それでも曝露はしないのであった。




