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玉藻前の尾探し譚 ~老桜を眺む~  作者: 歌多琴
2 季節外れの満開
25/41

-3

 場所は礼御の部屋の前である。


「ようやく……ようやくついた」


 礼御は荒い呼吸を何度も繰り返し、自身の体内で生まれ続ける熱を吐き出していた。

 その手には大量の古書が積まれている。葵から「とりあえずこれでも読んでおけ」と渡された図書の数々だ。そのどれもが年代を感じさせるもので、いくつか礼御がめくってみたところ紙はとっくに黄ばみ、劣化した紙と埃の臭いが鼻に届いた。


 もしや読まなくなり邪魔になったから押しつけられているのでは。そう感じた礼御が葵に尋ねてみたところ「馬鹿を言うな。今じゃあ価値ある本の一角だぞ、それらは」と強く否定されたのだが、この魔術師が価値ある本を貸す、ないしは人に譲るということをするだろうか。

 礼御は葵と出会ってまだ日が短いが確信出来た。それは絶対にあり得ない。結局、失っても惜しくない初心者向けの古びた本を礼御に手渡したのだろう。

 それでも礼御にとっては重要な教材であり、それを渡してくれた葵には感謝すべきである。しかし――。


「袋に入れるくらいしてくれてもいいよな、普通。大事にしてる本をいくつも積んで、裸のまま渡すとか……価値がある物に対するやりかたじゃないぞ」


 礼御は塞がった両手のまま、ポケットから鍵を取り出そうとした。が、どうにもうまく届かない。それに取り出せたとしても、解錠なんてややこしいことできそうもなかった。


 どうせ葵の本は埃をかぶっていたのだ。一度床に置いて、それから鍵を開ければいい。

 礼御はそうも思ったのだが、どうにも地面に本を置くという行為にためらいをもってしまう。


 それからしばらく、彼は重たい荷物を手に持ったまま立ちすくんでいた。そして悩んだ末、次のような行動に出る。


「紅子、ちょっと扉を開けてくれないか!」


 叫び、ドアを足で蹴り、中の住人に助けを求めたのである。


「今手が使えないんだ!」


 この建物は鉄壁と言えるような防音対策をとっているアパートではない。外から叫んでも中には聞こえるし、ドアを蹴れば当然中までその音が響く。

 が、一向に反応が帰ってこない。まさか出かけたのか、そう思った礼御であったがすぐに別の考えに至る。普段ふざけることも多い彼女であるが、自身の役割である家守に関して半端なことをするわけがない。そうなると仕事をしつつふざけているのが現実だろう。


「あいつ、またエロゲに熱中してやがるな」


 主人が汗だくで帰宅し、扉を開けろと指示しているのに、それよりゲームの方が紅子にとって大事なのだろうか。


「紅子! 玉藻! どっちでもいいから早く開けてくれよ!」


 なおも礼御は叫んで屋内のモノ達を呼んだ。そうしているうちにも腕の筋肉は疲弊するし、じりじりと汗がにじみ出てくるのだ。

 もう一度、礼御がドアを蹴りながら叫んだところで状況が変化する。

 コッコッコッ。誰かが階段を上ってくる音だ。


 あぁ。これはマズイ。

 さすがにドアを蹴りながら叫んでいる姿を他人に見られたくない礼御は、肩で頬の汗を拭い何もないようにとりつくろった。

 コンクリートの階段を踏む音が段々と近づき、その人が現れる。女性だ。二つ隣の部屋に住んでいるらしい、素朴なお姉さんだ。

 礼御はこの人と交流はほとんどもっておらず――学生の隣人づきあいなどそんなものである――、普段顔を合わせれば会釈ないしは挨拶をする程度である。しかしつい最近この女性と礼御の関係は変わったのである。そしてそれは、間違いなく悪い方向へ、だ。おそらくだが、この女性は礼御のことを変態か女癖の悪い男だと思っていることだろう。


 現れた女性ももちろん礼御のことに気が付いた。自室前まで通路を歩き始めようとするも、そこで一瞬足が止まったのである。ちなみに彼女の部屋は階段から見て礼御の部屋の二つ奥になる。そのため彼女は大量の古書を抱えなぜか部屋に入らない礼御の横を通り抜ける必要があるわけだ。

 その事実をためらいながら飲みこんだ彼女は、視線を下げ礼御と顔を合わせないようにしながら歩き始めた。


 そんな彼女の心境のいくらかを読み取ってまった礼御は、渇いた笑いを嘔吐した後、ドアの方に近づき通路を空けた。

 その礼御の動きをチラと確認した女性は小さくお辞儀をする。

 この人は絶対良い人だよな。

 すれ違う前。礼御はたいして知らない隣人へ、そのような評価をした。動作の一つ一つから清楚な感じを読み取ることができ、また露骨に礼御を拒絶したりしないことがその理由に当たるだろう。


 できるなら良い隣人関係を築きたかったものだ。

 そんなことを礼御が思っていた、そのときである。残念ながらもその思いはまったくの逆方向へと叶えられることとなるのだ。


 ――タタタッ。礼御が背をくっつけているドアの向こうから聞こえてきた足音。軽く、小さな子供が駆けてくる足音だ。

 さぁっと、礼御に嫌な予感がうまれる。女性は今このとき礼御の前を横切ろうとしていた。


 そして、礼御の背後からガチャリとずっと待ち望んでいた解錠の音が聞こえ――。


「おっかえりー、主様!」


 バンッという音と共に、礼御の背中は衝撃を受ける。躊躇の欠片なく、紅子が思い切りドアを開けたのであった。


「おあぉ!」

「きゃ!」


 二つの声が重なった。と、同時に礼御は思ったのである。これはマズイ。

 悲鳴に続き、礼御が抱えていた図書が落ちる音。そしてぶつかったのは二人の男女であった。


「お? 主様?」


 玄関の扉を開けた紅子はその現状に小首をかしげる。居るはずの者がいない。おや、と思った紅子が紅色の下駄をはき、死角となっていた扉の影を覗いてみるとどうだろう。彼女の目に入ったのは、辺りに古びた本を散らかし、主人である礼御が見知らぬ女性を押し倒している図であった。


「む。まぁた女子(おなご)と遊んでおったのか? 底なしの精力じゃの」


 溜息混じりの紅子の発言を聞いた礼御はすばやく立ち上がり、彼女に向かって抗議する。


「違う! お前はまた、そうやってくだらないことを言う!」

「しかしあれじゃの。主様がエロゲの主人公だったら、胸の一つでももんどるだろうに。……主様は主人公失格じゃ」

「ラッキーすけべが実生活であるわけないだろ!」

「ほう。ラッキーすけべ、とは、主様も中々にこちらの世界と精通してきたことよの」


 咄嗟に出た言葉に恨む礼御だった。


「うっさいな。誰のせいだと思って――」


 と、ここで彼は気がついた。後ろにはまだ倒したきりの女性がいる。にもかかわらず、礼御は紅子に叫んでいた。

 彼女には見えないはずの紅子、と話している様子の男。最悪であった。

 礼御は紅子を玄関に押し戻すと、後ろを振り返る。


 案の定、ポカンとした表情をしていた。


「あ、あの、すいません。なんかドアが急に開いたみたいで……。風、ですかね?」


 我ながら苦しい言い訳だと思いながらも、礼御は苦笑いで手を差し伸べる。


「すいません。えっと……大丈夫ですか?」


 女性の怪訝な表情となっていた。礼御の手をチラと見たあと、玄関の方を睨んでいた。ちょうど玄関の扉が壁になって、礼御の部屋の中は見えていないだろう。しかしその扉の後ろを伺う様子であった。


「あの……」


 もう一度礼御が声をかけると、その女性は「あ……どうも」と呟き礼御の手を握った。

 そのまま礼御は女性の手を握り返し、引き上げるように女性が起き上がるのを手伝う。


「そこじゃ。どさくさに紛れておっぱいを鷲掴め、主様」


 なんて馬鹿な声が聞こえてきたので、礼御は玄関の扉を蹴って威嚇をしておいた。


「どうも……ありがとうございました」


 気味が悪いはずなのに礼を言ってくれるなんて、この人はどれだけお人好しなのだろうかと礼御は感激する。


「いえ。もともとはこっちがぶつかったわけですから」

「……あ、本」


 しかし彼女の方もこれ以上の会話は求めていないようで、早々に切り上げるきっかけを提示してくる。そしてそのまま屈み、本を拾い始めた。


「あ……気にしないでください。ばらまいたのは俺なんで」

「いえ、さすがに放っておけないです」

「なんて素敵な人なんだ。俺の子種も貴方のお腹にばら撒きたい」

「…………」


 あの妖怪。今すぐにでも殴りたい。

 しかしこれ以上紅子との会話を第三者に見せるわけにもいかず、礼御は怒りをこらえて、自分も本を拾い始める。


 その間も礼己を主と呼ぶ妖怪は、主を陥れようとする発言ばかりをしていた。あれは本当に自分のことを主だと思っているのだろうか。そう思う礼御であった。


 女性が拾ってくれた本を受け取り、それですべての本がまた礼御の手の中に戻る。


「では……」


 女性はそう漏らし、軽い会釈をする。


「あ、ありがとうございました」

「……いえ」


 紅子との会話については何も聞かれないんだな。と、礼御は安堵する一方で、何も聞かれないと弁解のしようもないと内心嘆いた。


「おう。次からはパンチラくらいしろよな」


 我が家のトラブルメーカーは積極的である。いや、積極的だからこそトラブルメーカーなのだろう。紅子がいつの間にか玄関から顔を出していた。そしてまたも下らないことをほざいているのだ。


 あとで覚悟しとけよ。

 そう礼御は思い、横目で紅子をさっと睨んだ。

 そして視線を女性の方へ向け直したときである。

 女性の視線が礼御ではない方を向いて、訝しげなものとなっていた。


 少々ぎょっとしながら、礼御はその視線の先をゆっくりと追う。と、そこには彼女には見えていないはずの紅子の顔があるのだ。

 はっとなり礼御が女性の顔を見ると、彼女は身体を小さく震わせた。そしてまた会釈をすると、彼女はそそくさと自室へと向かい、その後は一度として礼御たちの方を見ることなく部屋の中へと入っていったのだ。


 取り残された礼御は複雑である。また、それは紅子も同じだったようで、完全に女性が部屋に入ったのを確認すると、ポツリと呟いた。


「……なあ、主様」

「……なんだよ」

「いやのぉ……。気のせいか、さっきの娘、わしを見てなかったか?」

「……奇遇だな。俺もそう思ったぞ」

「……」

「…………」

「……ま、いっか」

「いや、よくねえだろ!」


 いや、紅子にとって彼女に自分が見えていようがいまいが、本当にどちらでもいいのだろう。見えていたとしても、どうせいとこの子が遊びにきている、くらいにか思われない。そう思っていることだろう。


「わしが見えるだけか、それともちゃんと異形のモノとして感じ取れるのか。そこじゃの」

「どっちにしろ、あまりよくない気がするぞ」

「どっちにしたって、幼子(おさなご)がいることに変わりないからの」

「……人事だと思って、お前なぁ」

「そんな気にするなよ、主様。ロリコンなんて今どきの流行じゃん」

「……違うだろ」

「……おぉ! ペドか!」

「違う! そうじゃなっ……お前はペドじゃなくて、ロリだろ!」

「まぁまぁ、主様」


 ポンポンと礼御の尻を叩きながら、紅子は笑顔で言う。


「ひとり暮らしだろうと思っていた男子学生の部屋から、幼子が出てくるなんてよくある話じゃ」

「……ねえよ」

「いやいや、そんなことないぞ。この前テレビでやってたもん。あ、あれは学生ではなかったっけな。まあ同じようなもんじゃろ」

「……それ、誘拐じゃなかったか?」

「うん、そうじゃな。……ぷぷぷっ」


 そこで紅子の頭に一撃を入れた礼御は、大量の本に加え、気を失った童女まで家に運び込むはめになるのだった。


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