*三
「クソっ!」
亜草根 世葉は一人、闇夜に紛れて憤りを吐き出していた。
あれは単なる憂さ晴らしに近いものだった。力あるものが、力のないものを淘汰するのは当然のことである。だから力のないものは退くか、力をつけるしかない。そうやって自らをわきまえないものは、自然の摂理に従い消えていくのだ。
故に亜草根 世葉にとって、あの行為自体に後悔はなかった。
あのカラオケ店でのこと。道を塞いで馬鹿騒ぎするゴミのような学生達。世葉は彼らに喧嘩を売り、彼らは嘲笑を含みながらそれを買ったのだ。
結果は言うまでもなく世葉の圧勝だった。いや、勝負にすらなっていない。彼らからしたら、世葉がなにをしているのか、どんなモノを使ったのかすらわからなかっただろう。
最後に少々のイレギュラーはあったが、それは馬鹿学生には関係のない人物であったから考えなくとも良い。
「なのになんで、こんな……面倒になるんだよ」
暗闇に紛れて、魔術師は空っぽな怒りを放出する。
世葉は今、仰向けに倒れたとある青年に馬乗りするような体制であった。手にはあの半透明な刃のナイフを持っている。
馬乗りになり、そのナイフを振り下ろした相手。それはあの馬鹿学生の一人であった。今は気を失っており、なんの反応も見せない。
ただ、その学生には普通ならないはずのものがついていたのだ。悪意――のようなモノを感じる――を宿したソレ。
魔術そのものである。
*****
世葉がそれを発見したのは、夕暮れの頃であった。
何気なく街を歩いていた世葉は、ふと気がついたのだ。頭の上に奇妙なモノをくっつけている人間がいる。始めはそういった祭りじみたものでもあるのだろうか、とも思った世葉であるが、どうにも本質が異なることに気がついた。
魔術に満ちている。いや、普通の魔術物ではない。どこか野性的な感じがするのだ。
これはおかしい。世葉は即座にその者のあとを追った。
近づけば近づくほど、その頭部に生えたモノはめちゃくちゃなモノであった。
魔術とは本来人が使うものである。この世の中には人以外にも異能を使えるモノなどたくさんいる。けれど魔術を使うのは人だ。他は――言い方は様々だが――妖術だとか、鬼法だとか、種に応じた術名がある。
が、ソレはどうにもおかしかった。
一見すると魔術であるが、人によるモノとは思えないのだ。人以外が魔術を使用した。これは普通ではないことだ。誤解のないように言うと、決して『ない話』ではない。人好きの妖怪が魔術を習い、使用するまでに至るなんて話は聞いたことがあるし、また逆に人が妖術を使うことだって、稀ではあるが有名な話だ。
では人以外が用いた魔術と人が用いた魔術はどう違うのかと問われれば、これはなかなかに難しい。
第一声は魔術師の勘。おそらく誰もがそう答えるだろう。世葉もそうであった。じっくり調べればもちろん術の使用者はわかる。しかし一見で見抜く際というのはそういうものだ。
世葉は自分の魔術師としての勘に従い、その者に近づき、間近でその奇妙な魔術を観察した。
やはりそうだ。そこで彼は確信に近いものを得た。
あとを追いながら観察を続ける。
頭に生えているのは、木の枝である。しかし単なる枝ではない。枝の下の者が動くたび、ラグのような歪が生じている。半透明な物体、と言うよりは立体的な映像と表現した方が正しいだろう。
魔術でできた枝が揺れる。そして、花びらが舞い散る。
なんの木の枝をモチーフにしたかは一目瞭然だった。日本人なら馴染み深い、桜の木である。
では、これは一体どういう魔術なのか。
世葉はそれを読み取ろうとした。が、中々に難しい。
まず術の形式であるが、これはおそらく人以外のモノが一から作ったわけではない。魔術として綺麗なカタチをした術であったからだ。だというのに、力の宿し方が荒々しすぎる。
魔術とは術式を組立て、そこに相応の力を注ぐことで発動するものだ。術式が不完全では術が成り立たず、注ぐ力が多くては暴走し、少なすぎては発動しない。
この桜をモチーフにした魔術だが、術式は綺麗なのだ。これは人の手で作られたものに違いないだろう。しかしそこに注ぐ力がおかしい。適量がわからないから、とりあえずありったけを注いだように思える。しかしそれでは魔術が上手く発動しないため、無理矢理適量に押さえ込まれているかのようだ。
つまりこの魔術は、術式は人が、注ぐ力を人以外のモノがおこなっているのではないか。世葉はそう読み取った。
では、このような術の形ができる状況とは一体どんなものか。
まずは魔術師が術式と使い方だけを異形のモノに与えた場合が考えられる。しかし魔術師が異形のモノに魔術を与えるのなら、相応の知恵を持ったモノにしか与えないのではないか。今回見つけた魔術を見る限り、力を注いだモノが利口とは思えない。
次に異形のモノが魔術師から奪った場合だろうか。魔術師から魔術を奪う知恵はあったが、それを使うには足りなかった。そうなると『桜』の魔術は、いわば練習だろう。しかしこれにも疑問は残る。魔術師は普段から魔術――力を注いでいない状態のモノ――を持ち歩いているが、魔術師にとって自身の魔術とは自分のすべてであり、誰かに奪われたくないものだ。現に魔術師が別の魔術師の魔術を奪うことは非常に困難だ。それを魔術の力の注ぎ方もわからないような異形が奪えるだろうか。もちろんすべての魔術師が自身の魔術を大事にしているわけではない以上考えられることではあるのだが。
そして最後。魔術師が異形を洗脳し、今の状況になるように動かしている、という可能性だ。これならば頷ける部分も多い。魔術師が術式だけ用意し、それを異形のモノに使わせる。使用出来ればいいだけなので、無理矢理発動させたって構いやしない。術が暴走したとしても、害があるのは力を注いだモノに対してだけなので気にする必要すらないだろう。しかしこれにも疑問はあるのだ。まずはそうする理由。異形のモノに魔術を使用させるなら、自分でやった方が確実だろう。そしてもう一つは異形のモノを洗脳している、という点だ。魔術師は世界に数多くいるが、果たして異形のモノを洗脳できる魔術師がその中にどれほどいるだろうか。絶対的に言えるのは、多くない、ということだ。
そのとある一人が、その一人であるこの亜草根 世葉と交錯するのか。……ありえない。世葉はそう思わざるをえなかった。
そしてもう一つ、考えなければならないのは術の効果だ。誰が用いたのかという問題は、後回しでもよい。しかし『桜』の魔術がどういった効果を持っているのかだけは突き止めねばならないだろう。
世葉はそう思い、術をかけられているのであろう、その青年の話をとりあえず聞こうとしたのだ。
声をかけ、その者を振り向かせる。そして世葉は驚愕した。
いつかの馬鹿学生の一人ではないか。と、同時に、表情が虚ろだ。普段の表情を強制的に作らされている、と言ったほうがいいのかもしれない。とにかく、世葉はその表情に見覚えがあった。
人を洗脳したら、上っ面だけの表情になる。それは誰より世葉が目にしてきたことだから。




