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どうしてあれほどの非日常を忘れられていたのか、という思いが礼御の中に浮かぶも、その理由にたどり着けないほど彼も愚かではなかった。
あの日の夜。あの深夜バイトでの出来事。一人の少年が達の悪い大学生に絡み、騒動を起こした事実。そしてそれを追った礼御は見たのだった。
姫菜に話した事は偽りである。書きかえられた記憶上での真実だ。
姫菜には喧嘩を売った少年が、その後謝罪したことで事なきを得たと礼御は伝えた。
しかし実際は全く違い、少年が大学生全員を倒していたのである。倒していた、というのはこの場合ひどく曖昧な言い方だろう。しかし礼御にはあのときの場面をそうとしか表現できないのだった。少年を囲むように一人は地に伏せ、また一人はべったりと座り込んでいた。その格好は様々でであったが、皆表情は同じ虚ろ。焦点があってない瞳に、だらんと開けた口。そんな状況だったのだ。
「あいつ……。あいつも名乗っていた。……魔術師って」
「思い出したか、礼御」
ほっと一安心したような玉藻の言葉である。
「まぁ、元の記憶に上書きをされていただけのようだったしな。記憶を書きかえられていたら、私でも気が付かなかったかもしれないね」
ぼんやりと、しかしどうにも焦りを隠せない礼御は玉藻に問いかける。
「俺は……俺に何があったんだ?」
「知るかよ、そんなの。でもなんとなく何があったのかはわかる。……そんなこと普通ありえない、って思っちゃうような想像であれば聞かせてもいいが? まぁ、一からちゃんと思い出してみな、礼御。聞いてやるよ」
そう言われた礼御は「あぁ」と力なく頷き、思い出す。玉藻が膝からベッドに戻り、大きな欠伸をした。一方、紅子は「ごめんなさい。わしと言うモノが居りながら。……情けないのじゃ」とどういうわけかおふざけなしに謝ってくる。彼女もまた礼御のとなりに腰掛け、礼御の腕にしがみつくように抱きついてきた。
そして礼御は思い出し、話す。あの日の夜に何があったのか。
礼御は事の始まりを話し、そこで玉藻が口を挟むことはなかった。そこまでは思い出す前と思い出した後の記憶に差異はないのでさほど重要ではないのだ。
重要なのは少年と大学生がもめた後、彼らが移動し、そこで何があったのかである。
「その後、俺はそいつらを追ったんだ。人気のない場所に移動したと思ってね。その予想は当たって、そいつらを見つけたんだけど、どうにも様子が変だった。普通少年がリンチされていることを想像するじゃんか。それが逆だったんだよ。七人くらいの男子学生が全員倒れてた。なんか変な感じで……」
礼御はそこまで話し、玉藻の意見を求めた。しかし彼女は黙って、とりあえず話を全て聞きたいと言う。
「俺はその少年に『何をしたのか』って問いかけたんだ。でもそいつは何も話さなかった。それで俺が『おまえは魔術師か』と言ったら、あいつは何かナイフを自分の足に刺してたっけ。そしたらすごいスピードで移動したかと思うと、もう俺の背後でさ。俺は身動きを取れなかったけど、そこで確か名乗っていたな、あいつ。……魔術師だって、確かに言った」
「名はなんて?」
玉藻がぼんやりとした表情で壁を見ながらそう尋ねてきた。
「……アクザネ ヨハ。確かそう言った」
「アクザネ ヨハ、ねぇ」
そこまでが礼御の覚えている真実であった。その後礼御は陸橋の下で起きた事実を忘れ、ありもしない事実を頭に刻み込まれ、アルバイトに戻ったのである。
「どう思う、玉藻?」
どうも何も、礼御は予想していることがあった。現在魔術に対抗できない礼御は、魔術を使われ、記憶を上書きされていたに違いない。
「礼御も大体わかっていると思うけど、まぁ記憶操作あたりの術を使用できる魔術師だったんだろうね」
「やっぱりそう思うか?」
「そうとしか考えられないだろ」
それを他者の口から聞くと礼御は心配に思ってしまうことがあった。
「まだ、俺の記憶が偽りなんてことないかな?」
「……正直わからん。礼御の記憶は改竄でなく上書きされていた、と思う。本当の記憶に偽りの記憶を被せるイメージだ。だからその上をあたしが焼き払ってやったわけだけだ。だけど改竄となると、あたしではどうしようもない。記憶自体を焼くことはできても、記憶を復旧させることはできない。その真偽を判断する力もあたしには乏しい」
詰まる所、記憶なんてそもそもきちんとした形で残せないものの本当、嘘を問うてもどうしようもない。というのが結論であった。
「今ある記憶が真実だと思うしかないってことか。……記憶を操作できるなんて、やっかいな魔術だよ」
溜息まじりにぼやいた礼御の言葉に玉藻が反応する。いつになく真剣だ。
「その考え方。絶対に忘れるなよ、礼御。記憶に限らず、人を操作する魔術っていうのは恐ろしく怖い。それを扱える奴なんて滅多に出会わないんだが、お前は出会っちまった。良い機会、なんてことは間違っても言わないが、そういう魔術を受ければどうなるか肝に銘じておけ」
「……そうだな。玉藻の言う通りだ」
礼御の言葉は床に落ちるほど弱々しいものだった。それを支えるように紅子が強く礼御の腕を握る。
それから玉藻の解説が始まった。もちろん玉藻は実際の状況を見ていないのでほとんどが礼御の話を聞いていの推測だ。
「そのナイフがヨハって奴の魔術具だったんだろうな」
と、そこで礼御は思い出す。自分が手に入れた魔術具について、まだ玉藻から何も述べられていない。
「そうだ、玉藻。話を逸らして悪いけど、ほら見てくれよ」
そう言って礼御は両手を玉藻に見せた。その手には金色の布で作られた『手袋』がはまっている。
「……思ったより早くカタチになったんだな。まぁ、とりあえずはその魔術具については置いといてくれよ。話があっち行ったり、こっち行ったりすると分かりづらいだろ?」
「まぁ、そうなんだけどさ。一応、報告しておいた方がいいかと思ってな」
「それはそうかもな。あたしにとっても礼御が生み出した魔術具には興味がある。ま、だけど話を戻そうぜ」
礼御はそれに頷き、玉藻の話を聞く。
「礼御もそのナイフを刺されたんだよな? じゃあ十中八九、ナイフの刃を対象に突き立てることが術の発動と関係があるんだろうね」
「だけどさ、玉藻。あいつは自分にも刺してたぞ? それってどういうことだろ」
疑問の一つではあった。確かに礼御の記憶は玉藻の予想した通りの方法でいじられたのだろう。しかしそれとは誤差がある、アクザネ ヨハという若き魔術師の行動である。
「それなんだよな。……考えたくないけど、そいつのナイフは広義的な意味で人を操作できるのかもしれないのか?」
いまいちその玉藻の発言に理解を示せない礼御であった。
「どういうことだよ、それ?」
「つまりな、ナイフを刺すことで人を操作できるってことだよ。記憶だろうが、肉体だろうがね」
その玉藻の言葉を聞いた礼御は苦笑してしまった。
礼御が今までに出会った魔術師は数知れない。しかしそのどの人もファンタスティックな能力を使用できていた。それでも人の記憶を操作したり、人の肉体を操作できるなんて異常だと礼御は思ったのだ。ある意味では炎や風を操作する以上に馬鹿げている。現実感がありすぎて、逆に気持ちが悪いのだ。
そんな礼御の心情を読み取ったのか、玉藻が口を開く。
「考えたくもないってさっき言ったじゃん? あたしもさ、そういう術を使える魔術師を噂には聞いたことがあるんだ。だけど実際にあったことはない。記憶の上書きをできる魔術師がいる、みたいな今の事実を飲みこめないくらいなのに、加えて肉体までも意のままに操れるかもしれないなんて……。あたしが言うのもなんだが、常軌を逸している」
そう言えばそういったことを以前一度耳にしたことがある礼御であった。妖怪の中でも異例である玉藻前という妖孤をおして、そう言わしめる事実を作ったあの少年のことを思い出すと、礼御は困る他ないのである。




