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日時は少し戻り、礼御と玉藻が『とある一件』から帰宅した後の話である。
不調の玉藻はとうとう嘔吐し、礼御と紅子が彼女を心配する最中、彼女の口から吐き出された吐瀉物が急遽燃え上がった。
「えっ!?」
「なんじゃ!?」
青白い炎である。吐瀉物を核として、まるで火の玉のような火炎があがる。
「火じゃ!」
慌てた紅子が今さっき玉藻に手渡した水を取り上げ、なんのためらいもなく消火に使用する。が、青の火の玉が治まることは一切なかった。少量の水は火炎に弾かれるように気化したのだ。
「あ、主様!」
なおも慌てた紅子は礼御の太腿辺りにしがみついてきた。家守が得意だと豪語した割には、家の災に平静を保てていないのはどうなのだ、と礼御は穏やかに苦笑して眼下の炎を眺めていた。
礼御は始めこそ驚いたのだが、それ以降は紅子のように慌てふためくことをしなかった。なんとなく感じるのである。玉藻の、玉藻前の真の姿から出で立つように上がった炎と、今礼御が目にしている炎は同じだ。だからこそこの炎が、一般的に見境なく燃え広がるものとは本質が異なるモノなのではないか。
何も言わず、何も挙動を示さない礼御に焦燥を抱いたのか、紅子は礼御の太腿をペチペチと叩きながら再度呼びかけている。
「主様。いいのか、放っておいて! 部屋、焼けてしまうぞ!」
すると礼御はなだめるように紅子の頭を撫でつつ答える。
「いや……。たぶん大丈夫だ」
「大丈夫?」
「あぁ。そうだろ、玉藻?」
礼御と紅子が青白い火炎から目を離し振り返ると、一本の尾を持った狐はペタリとうつ伏せになっていた。その問いかけに、玉藻は弱々しい声で返す。目を細めどうにか頭を上げている。
「おぅ。平気だよ」
たったそれだけの言葉を吐くと、玉藻はぐったりと頭を下げて目を閉じた。まさか、と礼御の頭に過るものがあったが、それは取り越し苦労のようであった。小さくではあるが、玉藻の背中が上下している。どうやら眠ってしまったらしい。
礼御は玉藻を抱えると安堵の息をつく。そして視線を火炎に向け直した。
「どうするのじゃ、これ」
「うん。どうすればいいんだろう」
火炎が床を燃やすことはなく、あくまで核にある吐瀉物が燃えているだけのようだった。正直に言うと礼御もベッドで横になりたいのだ。しかしいくらこの炎が無害と言われようと、火は火であり、それを無視して眠りにつけるほど礼御の神経は図太くない。
礼御はどう対処したものか、と、改めてその炎に顔を近づけ観察する。と、核として燃える吐瀉物に変化が起きていることに気がついた。
固形物が混じるどろりとした液体は、一塊へと縮みあがるように蠢き集まっている。そしてその見た目を変えていく。歪な塊は球状へ。角ばった部分がまるで青白の炎に焼かれ、また研磨されるように滑らかな球面を作り出す。
「主様……」
ぼんやりとした紅子の声だ。その発せられた一言に込められた想いと、今礼御が感じている想いは恐らく同一のものだろう。
青の内で美しさを増す蒼の塊。妖しく、艶めかしく、官能的な、けれど芯には炎に相応しき残酷な強靭さを秘めている。生に溢れ、それでも生を奪う炎。
小さな手で掴まれていた自身の太腿に感じる力が段々弱まっていくのに礼御は気がついた。礼御はふと自分のぼやけるような視線を動かし、その手の主に向ける。紅子の目はうっとりとその火を見つめていた。
あぁ。今、自分もきっと、こんな瞳をしているのだろう。
礼御の視線はそこから惹きつけられるように炎へと戻った。そしてただじっと礼御はその炎の行く末を見守る。
単純な思考からその終わりを彼らは待つ。けれど意識とは別のところで、それを拒否する感情が湧きあがることも同時にわかるのだった。
いつまで燃えているのだろう。いつまでも燃えているのだろう。
そんな想いに囚われていた礼御と紅子の前で揺らめく炎。その終わりは静かに訪れた。
炎の核として存在した、いまや歪さの失われた球体が、ぽぅっと光を放ち始めたのである。それは炎の優しい部分だけを抽出したような光だった。温かみに満ち、身体の奥に隠された人の根本のような場所――魂へと注ぎ沁みるような、そんな感覚を礼御は理解する。
それから、その光が弱まるにつれ、球体をおおっていた火炎もまた弱まっていった。
「―――あぁ」
それを惜しむような声が紅子から漏れた。
光も火炎も段々と球体へと吸い込まれていく。そして――、後に残ったのは水晶玉くらいの球体である。最後にそれは生を燃やしつくそうとしたかのように、甲高い破砕音と共にごぅと燃え上がり―――。
礼御と紅子の視線の先には金色の『布』が残っていたのである。




