休日
俺たちは地図をプリントアウトし、直線で繋いでみた。隣接する複数の県にまたがる五芒星。名細亜学園以外の各校を結ぶ直線の距離は、全て百八十キロという巨大な図形だ。名細亜学園から東端の大東高校までの距離と、西端の中西中学校までの距離はそれぞれ九十キロずつである。
「まるで魔法陣ね」
「リカ、大東高校の男子の制服ってわかるか」
「ちょっと待って」
リカが検索サイトを利用して検索をかけると、大東高校のホームページにつながった。どうやらこの春に制服の更新が行われたばかりのようで、新制服を着て並んだ男子と女子の画像が夏用と冬用に分けて表示されていた。
「これだわ、あの中国人ナジアが着てた制服」
「ふむ。すると、少なくとも名細亜と大東はすでにワームホールでつながっていると見るべきだな。爺さんによると、ワームホールってのはナジアが使うことの出来る通路で、俺もそこに入れば一瞬で目的地に移動できると言うんだが……」
この三日間の調査では何の収穫も得られていない。どうすればワームホールに入れるというのだろうか。
「お爺ちゃん、《監視機構》が未確認のワームホールって言ったわよね。きっと、まだ繋がったばかりだと思うの」
「誰がどうやって繋げているのか皆目見当がつかないが、六校が全部繋がっちまう前に阻止しないとまずいんだろうな」
「全部繋がると、何が起きるのかしら」
「わからんが、何も起きないと考える方が不自然だぜ」
過激派どもの科学力がどれほどのものか未知数だが、九十キロも離れた場所を繋ごうというのだ。そう簡単な作業ではあるまい。そうである以上、連中の目的がただ単に離れた場所を繋ぐだけでおしまいだとは思えない。
阻止すべきだとは思うが、どうやって。俺は苛々しながらテーブルの上に肘をのせ、組み合わせた両手の上に顎をのせた。
「わからないことだらけで、なんだかもやもやするな……」
ウイルスナジア。内向的な秀才。暴走した幻妖。連れ去られた同業者。ワームホール。魔法陣。
思いつくまま言葉を並べてみたが、俺の思考は凍結し、あろうことか眠気に襲われた。考えるのは苦手だ。動き回っていた方が数倍いい。
正面からこちらの様子を覗き込み、おとなしくしていたリカが遠慮がちに言った。
「気分転換が必要だと思うの。……明日はお休みだし、定時報告も夜でいいから――」
「…………」
続く言葉はなんとなく想像がつく。だが俺は、休日には休日ならではの調査プランを考えていたのだ。何と返答すべきか迷っていたら、リカが先に言葉を続けた。
「近くに、割と大きな遊園地があるの。行ってみない」
首を傾げ、控え目に笑う。それを見た俺は、開きかけた口を閉じ、微苦笑と共に言おうとしていた言葉を呑み込んだ。
仕方があるまい。リカのこの笑顔に心を動かされない奴なんているだろうか。もしいるとしたら、俺はそいつとは友だちになれない。そして本来、おそらくほとんどのリカのクラスメイトたちにとって、この時間は一家団欒の最中なのだ。中には自室に籠もりきりの者もいるだろうが、少なくともリカは――リカの笑顔が本当に向けられるべきは、彼女の両親であったはずなのだ。
健気という日本語が脳裏に浮かぶ。気付いたときには、俺は用意した言葉とは別の返答をしていた。
「そいつは奇遇だな。実は今、俺も似たような提案をしようと思ってたんだ。明日が楽しみだぜ」
「うん!」
花が開いた。そうとしか言い様のない、無垢で明るいリカの笑顔が輝いた。
翌朝、予想外の展開に俺は少しだけ戸惑った。
海沿いにある遊園地までは電車とバスを乗り継いで約一時間半。それを「近く」と表現するリカの感性には驚かされた。遊園地には開園前に到着したが、開園直後、リカは俺を真っ先に売店に連れて行く。普段は見せないリカの積極的な一面に感心していると、彼女は一目散にある売り場へと向かう。目的は俺用の水着だと言うのだ。
「ここ遊園地だろ。なんで水着を」
「プールとアトラクションが融合したテーマパークなの。水着のままでプールと絶叫マシン、両方遊べるのよ」
「あ、そ」
努めて表情を変えなかったが、正直なところ少々落胆した。どっちつかずの中途半端な遊び場じゃないか――俺はそう判断し、なめてかかったのだ。
それから三十分と経たず、俺は自分の予想が完全に外れたことを思い知った。
「ぎゃあああ」
「ユーリ、叫びすぎっ」
喉が痛い。日本の絶叫マシン、侮れない。たしかに俺は、リカの黄色い悲鳴――いやもうほとんど快哉というべきか――を掻き消すほどの大声で叫び続けたのだ。
乗り物から降りてなおふわふわと揺れる視界の片隅で、リカは黒髪を風になびかせ颯爽と歩いている。
「どうして平気でいられるんだよ……」
「次、あれ乗ろう。ほら、並ぶよっ」
おいおい、また絶叫マシンかよ。
「……若いな、リカ。じゃ、あれに乗ったら休憩させてくれ」
どうやらリカのことを、俺は今まで郷里の妹と重ねて見てしまっていたようだ。その意味でも軽く予想外の驚きを感じていた。考えてみれば当然だ。妹はまだ十一歳、リカとは五つも違う。
小柄で細身のリカがビキニ姿で俺の隣を歩いている。普段着の時には気付かなかったが、意外にもバランス良く適度な曲線を備えたセクシーなプロポーションだ。それを惜しげもなく披露しており、予想外だが何というか嬉しい。いや、ここは眩しいと形容するべきか。
「もう休憩だなんて、ユーリじじくさーい」
そう言って、リカが俺の背をばんばんと叩く。結構痛い。しばらく手形がくっきりと残りそうだ。せっかく褒めようと思ったのに、それは延期することに決めた。まだまだ図に乗らせてなるものか。
こういうところは俺の妹と大差ない。いや、たしかに妹も興奮するとたまに俺のことを叩くが、もう少し手加減してくれる――いや待てよ、妹の方が力が弱いだけか。そこまで考えて、おれは思わず「ごめん」と呟いてしまった。
「ん? なにが」
「あ、いや、なんでもねえ」
妹と比べることがリカに対して失礼な気がしたのだ。それはもうやめておこう。
結局、昼メシ以外はろくに休憩も取らないまま、日が傾き始めた。
休憩替わりに観覧車に乗り、園内を見下ろしてみると、九月に入っているとは言えかなり多くの人が集まっていることがわかる。普段は家族連れが大半を占めているであろう園内は、夏休みが終わった今、カップルの比率が若干多いように感じられる。
それって……。いや、今はそれを考えるのはやめておこう。
整然と、しかしどこか迷路のような乱雑さをわざと演出するかのように、プールや各アトラクションが緻密な計算のもとに配置された遊園地。それを黙って見下ろしていた俺は、ある考えに思い至った。
押してもだめなら引けばいいんだ。
「リカ」
すぐに返事が返ってこない。
「リカ……?」
リカの様子がいつもと違う。どこか物憂げなリカの横顔。大人の女性のような眼差しを園内に注いでいる。
観覧車のゴンドラが頂点に到達する。その瞬間、風が止まり、光さえもが凍り付いたように静止した。やはり、亡くした両親への追慕なのか。夏休み中でなく、わざわざ九月になってからここに来た理由は、少しでも家族連れが減る時期を狙ってのことなのか。俺はかけるべき言葉もないままリカの横顔を見つめた。
ゴンドラが頂点を過ぎた時、突然強めの風が吹き込んでリカの髪を弄んだ。手で髪を押さえた彼女の視線がゆっくりとこちらを向く。目が合う。微笑む。
それが合図だと言わんばかりに、風が再び優しく穏やかになり、光の粒が熱を取り戻した。
「あ」
いつの間にか、息がかかるほど間近にリカの顔があった。
小さく、それでいてふっくらとしたリカの唇から目が離せない。不覚にも、呆けたように見とれてしまった。
「…………」
フレンチ・キス。ほんの一瞬――いつ重なり、いつ離れたかも定かでないほど。だがそれは、普段のリカからは想像しづらい一瞬でもあった。
唇に残る感触を確かめつつ、鋼の自制心を総動員した。俺から求めることはしない。今は、まだ。
「今日はありがと、ユーリ」
声が震えている。こいつ、背伸びしやがって。誤解しているようだが、俺はそんなに経験豊富じゃないんだぜ。
「上出来だ、リカ」
肩を抱き、頭を優しく叩いてやると、リカは震えを止め、いつもの笑顔に戻った。
「全部終わったら、また絶対ふたりで楽しもうな」
「うん!」
今は考えないことにした。
全部終わった時は、俺がイギリスに帰る時だということを。
地面へゆっくりと降りていくゴンドラの中を茜色の日射しが満たす。
リカの頬が夕日と同じ色に染まっていた。




