図形
放課後、俺とリカは図書館の裏で落ち合った。
「ワームホールとか言ってたけど、それらしい気配は全く感じないぜ」
あの中国人が消えた翌日から、俺たちは毎日この場所に立ち寄ってから帰るようにしている。三日目となった今、この場所で何らかの手掛かりが得られるなどという甘い期待はとうに捨てていた。
「早々に切り上げて、お家で翻訳しましょ」
俺はリカの提案に反対する理由を持ち合わせていない。
すぐに校門を出て帰路についた。一昨日までは朝だけでなく下校時間もずらしていたが、昨日から用心するのは朝だけにしたのだ。
「一年なんだけどね。一組から六組まで一人か二人ずつ休んでるみたいなの」
「七組と八組は欠席者なしか」
「そう。それで、寡黙で成績優秀って共通点がある欠席者はどのクラスも一人ずつ。二人目の欠席者は、今日たまたま休んだだけみたい。二年はどう」
俺は頭を掻いた。
「俺には他のクラスに知り合いがいないからな。さつきとユウジが協力してくれたんだ……。二年一組は三人も休んでいる。二組から四組までは一人ずつ。みんな初日から連続だ。五組以降は欠席者なし。やはり、欠席者には全員例の共通点がある」
「共通点のある欠席者数は六人ね。一年と同じだわ」
「しかし、なぜ一組だけ三人も……」
「二年と三年の一組は特進クラスと言って、成績優秀な生徒を集めて大学――それもどっちかというとレベル高めのね――進学に特化した授業を行うの」
なるほど。しかしそうなると、田嶋真由美がその選に漏れた理由がわからない。
「特進に入るかどうかは、学校側が本人の希望も聞くの」
「へえ。できるくせに特進に入りたがらないというのは珍しいな。ま、そのこと自体は俺たちには関係ないが」
どっちみち、俺は特進とは無縁だから興味ねえ。
しばらく無言で歩いていると、リカが思い出したように言った。
「そういえば、三年で学年トップの沢沼先輩は休んでないそうよ。まあ、学園の有名人だし、内向的な要素なんて微塵も持っていない人だけど」
おや? リカの奴、やや上目遣いにこちらの様子を伺っている。
「リカ、もしかしてその先輩に口説かれたことでもあるのか」
「えへへー。沢沼裕一先輩って言うの。親しい人からはユッチと呼ばれているそうよ。あたしも、先輩のことはユッチ先輩って呼んでる。……妬ける?」
「つき合ってるのか」
もしリカとユッチ先輩とやらがつき合っているとしても、俺とリカが同居を始めてから約一か月間、一切連絡を取り合った様子がない。もっとも、メールで遣り取りをしているのかも知れないが。
「もしそうだとしたら、どう思う?」
「…………」
なんだ、こいつ。一歩譲って俺たちが今現在恋愛関係にあるとして、なぜわざわざ相手が嫉妬するのを期待するかのような態度を示すんだろう。
「あ、少なくとも今はユッチ先輩とは何でもないわよ」
焦ったように付け加えるリカの様子を見て、俺は堪えきれずに噴き出してしまった。
「……よくわからんが、取り敢えず妬けることにしておいてやるぜ」
「ふーんだ」
リカは渋面を作って舌を出した。
「この気分、今夜の料理の味に影響するかもっ」
そう言い残して歩調を速めたリカは、先にずんずん歩いていく。
過去に何があったにせよ、今つき合っていないなら何の問題もないじゃないか。……いや、何を考えているんだろう、俺は。
リカの背で左右に揺れる漆黒の髪のうち一房が、一陣の風に煽られふわりと広がった。
「…………」
不覚。つい場違いな感想が口をついて出た。
「ああ、君の言う通り、確かに彼女の黒髪は綺麗だ。見事なまでに」
「わあっ、原田! どこから湧いて出た」
「失敬な」
本気で驚いた。背が低く黒縁眼鏡をかけた男がいつの間にか俺の真横に立っていたのだ。学級委員の原田正康か……。参ったな、独り言を聞かれてしまうとは。
そんなことより、まずいな。さっきリカの奴“今夜の料理”と口走ってしまったし。こいつ、どこまで聞いていたんだろう。
「心配せんでよろしい。僕は君たちの味方だ。いや、味方になりたいのだ、と言っておこう」
「……は? 何言ってる」
「公開するべきか、秘匿するべきか。僕なら後者を選ぶがね。ここはひとつ、慎重に検討することを提案しておくよ」
聞き返すそばから、原田はさらに意味不明な言葉を寄越す。俺は彼の言葉を脳内で慎重に分析した。
原田は“味方”という言葉を使ったのだ。俺たちのことを何か知っている可能性がある。もし原田が過激派側のスパイか何かなのだとしたら。何の確証もないままに、俺たちのことを《監視機構》の関係者と疑って鎌をかけているのだとしたら。
ここは、迂闊なリアクションを返すわけにはいかない。
微塵の悪意も感じられない原田の横顔。俺は睨み付けたいところを堪え、呆けた顔で凝視した。原田はさらに言葉を重ねる。
「良くも悪くも、君たち――特に君はひとつの鍵を握っている。少なくとも、僕はそう信じているのだ。くれぐれも慎重に、そして時には大胆に。頑張り給え、期待しているよ」
「だから、何を言っているのか」
「この二学期は学祭もあれば修学旅行もある。イベント目白押しだからね。君という存在は、我が二組にとってのカンフル剤となり得る」
本当に、原田は何を言っているのだろう。俺は判断に迷った。二組云々というのはいわゆる方便のようなもので、こちらの状況を洞察した上での暗喩のように聞こえなくもない。だが、こういう微妙にずれた物の言い方こそが原田のキャラだとも思える。学級委員としての責任感か。もしそうだとして、学級委員という役職は日本の高校生にとってどんな位置付けだというのだろう。
「何ぼさっとしてる。クラスメイトの色恋沙汰にまで干渉するつもりはないが、彼女は君にとって大事な人なのだろう。早く追わないか」
原田の言葉遣いは、教室でのそれを上回る珍妙さだった。
「あ、ああ。かたじけない」
咄嗟に俺の口をついて出たのは、昨夜の深夜テレビ番組で放送されていた日本の時代劇に出てくるフレーズだった。俺は原田の持って回った言い方に影響を受けてしまったようだ。調子狂うぜ、全く。
その夜、俺とリカは予定通り食卓を囲んだ。心配していた料理の味は、いつも通りのおいしさだった。ほっとしながら褒めてやると、リカは胸を反らした。
「あたしそこまで子どもじゃないもん」
はいはい。まあ、そういうことにしておいた方が平和でいいな。
「あの……ね、ユーリ」
「うん」
「あたし……、一学期にユッチ先輩に告られたけど、ね。すぐその場で断ったの」
リカは俺にどんなリアクションを求めているのだろうか。俺たちはつき合っているわけではないというのに――。しかし、俺の口から滑り出たのは別の言葉だった。
「そうか。それ聞いて、なんかほっとしたぜ」
リカの笑顔が眩しい。俺はつい眼を細めてしまった。
なんだ、この流れは。仕事しなきゃ。
「さ、仕事、仕事。しかしこのノート、全然意味がわからねえな。もしかして……」
「もしかして?」
俺は、帰り道で出会った原田との会話を思い浮かべていた。あいつの言葉、俺にとってはこのノートと同じくらい意味不明だった。まるで――
「暗号か何かのように思えてきた」
普通の中国語でさえ翻訳が大変なので、暗号である可能性など俺は端から考えてもいなかったのだ。一度そう思うと、まともに翻訳しようとしていた作業が全て無駄だったような気がしてくる。俺は徒労感に苛まれ、思わず溜息を吐いてしまった。
「とりあえず、途中のページにあった図が何を意味するのか、それを先に考えてみない?」
リカの言う図とは、直線で五芒星が描かれ、それぞれの頂点および中央にひとつずつ、合計六つの丸印が配置された図形である。中央の丸印は左右の丸印を結ぶ直線を左右二本に切り分ける形で線上に配置されている。
「どの丸印も、自分以外の二つの丸印と直線で繋がっていることになるわけか」
リカは、ノートを覗き込む俺の正面から額をぶつけるようにして覗き込んできた。
もし俺たちが牡鹿同士なら、雌を取り合って角突き合わせるの図だな。
「なに笑ってんのよユーリ、最近そういうこと多いっ。ちょっと気持ち悪いぞ」
リカはユウジの口真似をして言ってきた。いかんいかん、集中しなければ。
丸印が、六つ。……待てよ、六つということは。
「リカ。爺さんが言ってた、ウイルスをばらまかれた学校の位置なんだけどさ。今、それ全部わかるか」
パソコンで調べないとわからないと言って、リカはノートパソコンを操作し始めた。手持ち無沙汰になった俺は、気分転換に二人分のコーヒーを淹れた。
「おっけー。全部わかったよ、ユーリ」
「流石、早いぜ。悪いが、学校が全部ひとつの地図内に収まるようにして位置を表示してくれないか」
淹れたばかりのコーヒーを持っていき、リカに頼んだ。
「はーい。あ、ありがと」
しばらく静かにしていたら、リカがキーボードを叩く音だけが家の中に響いた。やがて、リカの独り言が始まる。
「えーと、名細亜がここでしょ。北部高校がここで、真南高校がこっちよね。中西中学はこっちで、あとは、矢間中学校と、大東高校……」
予想通り、リカが息を呑む音が聞こえてきた。
「何よこれ!」
叫ぶリカの後ろから、俺もパソコンの画面を覗き込んだ。
「ビンゴ」
名細亜学園を中心に、ノートの丸印と全く同じ位置関係にそれぞれの学校が並んでいた。




