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どうでもいい話 脱力エッセー  作者: カキヒト・シラズ


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シリーズ世界文学最高峰⑨ 「ユリシーズ」なんか一生読まなくても「ええいいことよイエス」

初出:令和12年19日



 文学作品には冒頭の文章が有名な作品がある。

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は川端康成「雪国」。

 「吾輩は猫である」は夏目漱石「吾輩は猫である」。

 海外作品では「私をイシマエルと呼びたまえ」のメルヴィル「白鯨」が有名か。


 一方で文学作品のラストの文章が有名な作品は聞いたことがない。

 ところでジェイムス・ジョイス「ユリシーズ」のラストの文章「ええいいことよイエス」は有名だろうか。小生が勝手に有名だと思い込んでいただけかもしれない。

 学生時代、実験映画「ユリシーズ」を四谷のイメージフォーラムで観たことがあり、映画の最後に「ええいいことよイエス」が強調される。だから「ユリシーズ」はこの文章が有名なのかと思っていた。

 

 で、ジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウエイク」はこれまで図書館や本屋でぱらぱら立ち読みする程度で読破したことがなかった。

 難解そうで敬遠してきたからだ。

 今回、図書館から「ユリシーズ」を借りてSRS速読(知らない人はググってください)を駆使して読んだ。小生の場合、速読すると早く読める分、内容が頭に残らない。 

 以前、トールキン「指輪物語」全巻を数時間で速読したところ、主人公フロドが巨大な蜘蛛に襲われる話しか頭に残らなかった。映画「ロードオブザリング」はシリーズ全部観たが、最後の方に巨大な蜘蛛が出てきたので速読の効果をかろうじて確認できた。

 「ユリシーズ」は最初の部分は内容を覚えているが、後半三分の二くらいはほとんど頭に入っていない。訳者の解説やネットの解説を合わせて中身を理解した感じだ。


1.ユリシーズのあらすじ


 マーテロ塔に三人の若者が下宿しているが、その中の一人、スティーブンはすでに母親を亡くしており、小学校の教育実習生のような仕事をしている。教師でなく教師の助手といった感じか。また叔父が屋敷で寝たきりでときどき見舞いに行っているようだ。

 一方、中年男ブルームは新聞社の広告営業マン。既婚だが過去に息子を亡くしており、中高生ぐらいの娘がいる。ある朝、起きると妻モリーは寝たままでブルームが二人分の朝食を作り、出かける。

 ブルームが店に買い物に行ったり、友人の葬式に出たり、広告営業の外回りをしたり新聞社に戻ったり、海岸で遊ぶ美少女に見とれたりして一日が過ぎ、夜は居酒屋に飲みに行く。そこでスティーブンと出会い、意気投合して居酒屋や風俗店をはしごしていく。

 最後はブルームの妻、モリーの内的独白で終わる。モリーは不倫しており、彼女が男好きのヤリマンであることが独白から推測できる。

 なお、章のタイトルが「第1章 テーレマコス」、「第2章 ネストール」のようにホメロス「オデッセイア」のパロディになっている。



2.ユリシーズをほめる


 冒頭で、朝、スティーブンたち三人の若者がマーテロ塔で起き上がり、髭を剃ったりしている。このとき、亡くなった母の葬式をスディーブンが思い出し、スティーブンの内的独白で葬式シーンのサブストーリーが描かれ、再びマーテロ塔のシーンに戻る。

 またスティーブンが叔父を見まいに屋敷に行ったとき、スティーブンは過去を思い出し、内的独白で海岸のシーンに飛び、サブストーリーが始まり、そのまま第1章が終わる。

 メインストーリーに登場人物の内的独白が作ったサイドストーリーが挿入される。私は村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」を思い出したが、ジョイスの方が先にやっていたのか。

 映画やドラマを見慣れている現代人にはだからなんだ、と思うかもしれないが、小説でこの手法を採用したのは当時、画期的だったのかもしれない。


 「ユリシーズ」は小説であるが、部分的に戯曲や詩歌や評論が挿入され、さらには楽譜や貸借対照表まで出てくる。

 楽譜や貸借対照表はやり過ぎだと思うが、戯曲が入っているのはポイントが高いかもしれない。

 20世紀文学の最高峰として「ユリシーズ」とともに有名なマルセル・プルースト「失われた時を求めて」という小説がある。「ユリシーズ」のライバル作品と言ってよい。

 小生の個人的理解では「失われた時を求めて」のすごさは小説、詩、評論の三つを合体させた作品だと思っているが、唯一、戯曲だけは取り込めなかった。

 一方、「ユリシーズ」は戯曲まで含めた文学のオールジャンルを一つの作品の中に集約してみせた。



3. ユリシーズをけなす


 バロウズ「裸のランチ」は下ネタおよび下ネタギャグ満載の前衛小説だった。

 「ユリシーズ」はもっと上品な小説だろうという先入観はあったが、これはまちがい。

 下ネタも下ネタギャグもある。

 バロウスのようなビートゼネレーションの作家は麻薬を吸って、そのインスピレーションだけで小説や詩を書いているのかと思っていたが、もしかしらたバロウズ先生は「ユリシーズ」を”お勉強済み”だったのかもしれない。

 後世の文学に影響を与えたのだから「ユリシーズ」はすごいという見方もあるかもしれないが、私の個人的感想では、下ネタおよび下ネタギャグは「ユリシーズ」にとり、マイナスポイントだ。

 

 主人公の一人、ブルームはユダヤ人という設定だが、全編に渡り、ユダヤ人をディスたり、フリーメーソンの話が出てくる。ユダヤ人をディスするのは反語的表現で、作品全体を通じてユダヤ人やフリーメーソンを礼賛しているのかもしれない。

 ジョイス自身はアイルランド人とのことだが、実は隠れユダヤ人ではないだろうか。

 思えばカフカもユダヤ人だ。

 陰謀論的に邪推すれば、ユダヤ金融資本が背後でバックアップして、本当はつまらない前衛小説「ユリシーズ」を無理やり20世紀文学の傑作ということにしてしまったのではないか。

 そんなふうにも思えてくる。


 「ユリシーズ」は悪い意味で実験小説になり過ぎて、新しい方法論が十分にこなれていないように思う。あえて評価すれば、実験小説のパイオニアだったので、この影響を受けた作家たちがもっと面白い前衛小説を書くようになり、それを読んだ読者たちは相対的に「ユリシーズ」が陳腐に思えるようになったということなのかもしれない。

 だたし小生は速読で読んだため、全編よく理解していないいう負い目はある。


 いずれにせよ、「ユリシーズ」など一生読まなくても日常生活に支障をきたすことはない。

 だから「ユリシーズ」は読まなくても「ええいいことよイエス」であり、それはとりもなおさず文学などというものに興味を持たなくても「ええいいことよイエス」といったところではないか。



(つづく)


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