表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうでもいい話 脱力エッセー  作者: カキヒト・シラズ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/88

サブカルチャーと行政

初出:令和7年4月26日


 昔、ユーチューブ動画に「国会非常事態対策委員会」という番組があった。もともとムーパルチャンネルの番組だったが、現在では紆余曲折を経て消滅してしまったようだ。

 この番組のご意見番、朝堂院大覚氏があるとき日本のテレビに物申した。


「今どきの日本のテレビはお笑い番組など日本人を愚民化するような低俗な番組ばかりやっていてけしからん。クラシック音楽など教養のある番組をもっと流すべきだ」


 一字一句は覚えてないが、朝堂院氏はこのようなことを主張したと思う。


 小生は朝堂院氏の意見に半分賛成、半分反対といった感じだ。

 お笑い番組は日本人を愚民化するが、さりとてクラシック音楽を流しても愚民化は止まらない。国民の愚民化を止めたいなら、むしろ「国家非常事態対策委員会」をテレビで流してはどうかと思うのだ。

 同番組のもう一人のご意見番、ベンジャミン・フルフォード氏は陰謀論系ジャーナリストの雄で、地上波テレビや五大紙にはない、時事問題の裏事情を毎回解説していた。


 「テレビを見続けると国民は一億総白痴化する」とは、ジャーナリスト、大宅壮一の有名な言説だが、これをアレンジした意見が昭和ではよく聞かれた。

 音楽でも歌謡曲やロックなどポピュラー音楽は教養がなく、クラシック音楽やオペラは教養がある。よってテレビでクラシック音楽やオペラを流せば国民の民度が向上する。

 こうした意見が昭和では一般的だった。


 娯楽と教養という表現がある。

 同じ音楽でもロックは娯楽だがオペラは教養だという場合に使う。

 しかし小生に言わせればどちらも音楽の範疇に入り、どちらも生活必需サービスではなく、(私的には)どちらも広義のエンタメであり、サブカルである。

 もちろん個々人によって、オペラは高尚な芸術でロックは通俗な娯楽だという価値観を持つのは自由だ。

 ただし行政が公的費用を使って特定の芸術を支援したり、サブカルに対して特定の価値観を庶民に押し付けてはならない、と思うのだ。

 サブカルに対して行政は関与せず、民間に自由にまかせておくべきだ。

 時代の流れとともに滅びるサブカルもあるが、行政は公的年金でそうしたサブカルを伝統芸能として保護するのでなく、なるようにまかせるのが本筋だと思う。


1. サブカルチャーとは何か


 ところでサブカルとは何か。もともとメインカルチャーに対して出てきた文化を指す語だ。

 アカデミズムで扱う学問、あるいは学校で習う科目がメインカルチャーで、これに属さない文化や知識、情報がサブカルチャー(略してサブカル)というのが辞書的な説明だと思う。


 この定義ではサブカルを大学で扱えばサブカルではなくなる。

 70年代以前、活字メディアの文学は大学に文学部があるようにメインカルチャーだが、漫画やアニメはサブカルチャー、といった感があった。

 すでにこの時代、米国では大学で映画論の講座があったようだが、日本で映画がサブカルからメインカルチャーに昇格したのは80年代頃からだろうか。

 現在では漫画もアニメも大学で扱うことが珍しくなくなった。つまり漫画もアニメもサブカルではなく、メインカルチャーということになる。

 最近では大学の社会学の講義に「アイドル論」があるという。アイドルの歴史などを論じた講座のようだが、実はアイドルが全盛時代にはアイドルの追っかけはミーハーとして軽蔑され、アイドルはあくまでサブカルの範疇だったと思う。


 ところで文学、特に近代小説は最初からメインカルチャーだったのかといとそうではない。

 日本の大学はともかく、西洋の大学は中世からあり、もともと神学部、哲学部、医学部、法学部の四つしが学部がなかった。

 昔の公文書を歴史として研究する学問はともかく、フィクションである近代小説はもともとサブカルだったと思う。

 文化は発生したときはサブカル扱い。それが時間が経つとメインカルチャーに昇格して大学で扱ってもらえる。

 小生が子供の頃は漫画やアニメは出来たばかりなのでサブカル扱い。近代小説はそれ以前から存在していたのでメインカルチャーに昇格していた。もし100年前に生まれていたら近代小説もサブカルとして世間から軽視されていたのかもしれない。


 ところでサブカルチャーとメインカルチャーのもう一つの違いは、前者が娯楽で軽蔑すべきもの、後者が教養でリスペクトすべきもの、といった社会通念が昭和にはあった気がする。



2. メインカルチャーとサブカルチャーの境界


 これからの時代、メインカルチャーとサブカルチャーの境目がますます曖昧になると思う。

 そもそも大学の権威が昔にくらべ落ちている。

 昔は大学に行かなければ学問、知識は身につかない感があったが、今はどうだろう。必要な知識はネットがあれば事足りるのではないだろうか。

 大学が研究対象にしたらメインカルチャーという定義にすれば、新しい文化は時間が経てば自動的にメインカルチャーになりそうな感じがする。その意味でサブカルを軽蔑し、メインカルチャーをリスペクトするという価値観もなくなっていくと思う。

 ただし自分はオペラが好きでロックが嫌いといった個々人の趣味は尊重すべきだろう。



3. 真のメインカルチャーとは


 いずれにせよ行政は民間人のカルチャーには関与せず、助成も規制もせず、成り行きにまかせておくべきだと思う。

 ただし話は飛躍するが、行政が公的資金を費やしてでも研究または保護すべきカルチャーは二つあると思う。


①生活必需物資サービスを生産するための学問またはノウハウ

②軍事関係の科学技術


 この二つの分野が独立国家を維持するために必要な学問であり、真のメインカルチャーだと思う。

 したがって、これに属さないあらゆる文化はサブカルということになる。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ