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どうでもいい話 脱力エッセー  作者: カキヒト・シラズ


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同調圧力と日本民族 

初出:令和7年4月2日


 コロナワクチン接種が開始されてから”同調圧力”という語がクローズアップされた感がある。

 昔からあるインフルエンザワクチンやBCGや種痘の接種では聞いたことがない言葉だ。

 本心ではコロナワクチンを打ちたくないが、職場で誰もが打っており、打たないと会社から無言の圧力がかかる。

 こういうシチュエーションを表現する語が同調圧力だ。

 コロナワクチンが健康によくないと思っている国民がかなりいたのかもしれない。だから同調圧力という語が話題になったのだ。


 同調圧力は支配者=会社にとり都合がよく、被支配者=社員にとって都合の悪い日本的慣習と言える。

 会社はほとんどの社員にワクチンを打たせるよう行政から指導を受けているはずだが、建前ではワクチンは強制でなく個々人の自主判断とされている。

 そこで会社としては同調圧力を使って社員にワクチンを打たせ、後で副反応で健康被害を受けた社員が会社を訴えてきたときに、接種は強制でなく個々人の判断なので自己責任だという弁解ができる。

 被支配者=社員にとって”同調圧力システム”は何ともやるせない社会の仕組みと言えるだろう。


1. 江戸時代の同調圧力


 江戸時代、日本の人口の大半は農民=百姓だった。

 テレビや映画の時代劇を見ると、侍と町人(たまに忍者?)しか出てこないので、江戸時代は侍と町人が主流ではないかと思ってしまうが、彼らは少数派で多数派は地方に住む百姓だった。

 百姓は村に帰属し、村には強力な同調圧力があったと思われる。

 自分のライフスタイルは自分が決めるのではなく村が決めた。

 村の同調圧力に逆らって自分の自由な意思で人生を送ろうとすると周囲から村八分にされる。だからそれがこわくて村の同調圧力に逆らえない。


 明治以降、士農工商のカースト制度から人民は解放されたが、村社会の同調圧力の名残りは現在でも見いだせる。

 地方へ行くと今でも地元の青年団や消防隊があり、若者は半ば強制参加させられるのでは。

 それが嫌で都会に出る若者もいる。都会に移住すれば村社会の桎梏から解放される。

 ところがこれまで村奴隷だった若者は会社に就職すると今度は会社奴隷になる。

 どちらも奴隷である以上、自分の意志で自由に人生やライフスタイルを選択できず、周囲の同調圧力に苛まされることになる。


 こう書くと同調圧力は百姓固有のもので侍や町人にはなかったと思われてしまうが、実は侍や町人の社会にもまた別の形で同調圧力はあったと思われる。

 さらには日本以外の外国にも程度の差はあれ、社会の同調圧力はあることはあるようなのだ。

 昔観た米国人?のユーチューブ動画で、個性的に生きるとお隣さんから変人と思られるのがこわいので、常識的なライフスタイルを嫌々選択する大衆が大半だ、という内容があった。


 人類だれもが同調圧力に悩んでいるなら、そこから完全に開放されるのは不可能ではないか。こうした声が聞こえてきそうだが、小生はそれでもできるだけ同調圧力の手枷足枷から解放された自由なライフスタイルを目指すことを主張したい。


2. 侍=公務員の価値観の押し付け


 話はややずれるが、江戸時代の侍は職種から考えて今日の公務員に相当する。

 明治以降、江戸町人や人口の大半を占める百姓たちに、侍=公務員はいい意味でも悪い意味でも自分たちのライフスタイルを押し付けた、というのが小生の考えである。

 

 江戸時代の銭湯は混浴だった。地方の百姓たちの村では夜這いの習慣があったり、祭りでは乱交パーティーのようなことをやっていた。

 文明開化でこれから欧米文化を吸収しようとしている明治政府にとり、西洋人から見たら未開野蛮な民族と思われかねないこうした風習は、禁止すべき文化だった。

 侍=公務員から見れば町人や百姓は無学文盲だから、彼らのためにも彼らは自分たちのライフスタイルを模範にすべきだと信じて疑わなかった。

 だが縦社会や詰腹といった、侍=公務員の悪しき文化や慣習も同時に大衆に押し付けた。


 江戸時代、侍は人口10%以下のエリートだった。

 これからも人口10%以下のエリートは、巨大組織に所属し、縦社会の理不尽に耐えなければならないかもしれない。

 ビッグプロジェクトは巨大組織がなければ実現できない。

 だが、90%の非エリートはどうか。

 巨大組織に所属する必要はあるのだろうか。

 今日の経済は大企業が主流だ。だが江戸時代、ビジネスは個人商店規模が主流だったのではないか。

 大量生産大量消費の時代には大企業が必要だが、今日では多品種少量生産の時代に移行している。

 だとしたら民間企業の規模を小さくしても、実質的な生産性は落ちないのではないか。

 侍=公務員は自分たちが巨大組織に所属しているから、大衆も民間大企業で働くべきだという発想なのだろうが、これに小生は疑問を持っている。

 人口10%以下のエリートは巨大組織に所属し、その他、非エリートは個人商店経営や自営業などもっと自由に生きてもいいのではないか。


 ただし、大企業が経済の主流なのは世界的な金融資本主義のスタンダードであって、日本の公務員が考案したものでない。そう反論されると上記の論理は元も子もないが。

 

 以上、ワクチン接種に関する同調圧力の話題から話がそれてまとまりがなくなってしまったが、そこは”どうでもいい話”ということでご容赦願いたい。


(つづく)

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