学校入試&偏差値 VS 自動車教習所 VS 飲食店メニュー
初出:令和7年3月5日
どうでもいい話だが、この世には以下の三種類の価値観がある気がする。
①学校入試&偏差値の価値観
②自動車教習所の価値観
③飲食店メニューの価値観
①の学校入試&偏差値の価値観というのは、受験生のうち定員数の上位の成績優秀者だけが合格するというもの。
受験生全体の質が受験年によって高いときも低いときもあるかもしれないが、いずれの年も成績上位の定員数だけが合格する。
②の自動車教習所の価値観はこれとは少し異なる。教官が教習生の運転技術を認め、規定の資格試験に合格した場合、何名でも制限なく合格できる。そのかわり全教習生の運転技術が未熟だった場合、合格者はいないことになる。
資格試験や各種免許が一般にこの方式だ。
①の学校入試&偏差値の価値観にはもう一つの側面がある。
偏差値の高さで一元的に大学や学部の優劣を決めるという価値観である。
実際のところ、自分の能力開発をするために最適の大学や学部は偏差値だけでは決まらないと思うが、就職を考えると偏差値の高い大学や学部を卒業していた方が有利だ。
そこで多くの高校生は自分の学力で入れる偏差値が最も高い大学や学部を選択する傾向がある。
これに対し、③の飲食店メニューの価値観は①とは真逆といっていい。
飲食店に入ると個々人は自分が食べたい料理、飲みたいドリンクを選択する。自分と他人が選ぶメニューは違っていて当然だ。どちらが正しいというものではない。
コーヒーか紅茶か、ホットかアイスか。あなたがホットコーヒーの飲みたいならホットコーヒーを選択することが正解になる。
私たちは日頃、①の学校入試&偏差値の価値観に慣らされているが、②や③の価値観を取り入れた方がいい場合もあるのではないか。
1.学校入試&偏差値の価値観は役人選びに最適
あなたが一国の王様になった場合を想像してほしい。
あなたに仕える役人をどうやって選定するか。
無能な人間ばかりを役人に選んだら国が滅びてしまう。
そこで全国民の上位10%程度の優秀な人材を役人にすることを考えるだろう。給料を高くするなど条件をよくすれば、優秀な人材が在野に埋もれることなく、もれなく採用できるはずだ。
このように①の学校入試&偏差値の価値観は、国の支配者階層が公務員を選定するのに最適な方法なのである。
2.重要なプロジェクトの人選は自動車教習所の価値観で
小生は強力な地方自治政治を推奨している。
国がやる仕事は原則、外交、防衛、司法?のみ。他は地方自治体がやる。それもできれば都道府県でなく、最小単位の市町村に予算と権限を大幅に与えるのが望ましい。
国民の生活に必要な社会インフラ整備の大半を市町村が担当するのである。
これまで国が担当していたビッグプロジェクトを市町村に任せていいのか。
国家公務員は全国区から選ばれたエリートに対し、地方の公務員は優秀さにおいて劣るのではないか。
こうした懸念を解消するのが自動車教習所の価値観だ。
誰もが重要なビッグプリジェクトを任せて大丈夫ではないが、かといって全国民の上位数パーセントのエリートしかできない仕事というわけではない。
国がやってきた業務を地方に移管する際、担当者に十分な教育を受けさせたり、担当者に適任か審査する制度を設けるなどすればどうだろう。問題なく移管できるのではないか。
アイスランドは人口40万人弱だが、国連加盟国である。つまり40万人の人口があれば独立国家の運営が可能なのだ。
日本人の平均知能や平均能力がアイスランド人より極端に劣ってないと仮定するなら、市町村でも国がやっている多くの仕事が可能なはずだ。
3.異性の顔面偏差値は飲食メニューの価値観で
昨今の若者はマッチングアプリで男女交際するらしいが、ネットで男性のスペックとか顔面偏差値とかいった言葉を目にした。
いずれも①の学校入試&偏差値の価値観に毒された若い世代が作った言葉だと思う。
男性のスペックとは年収、学歴、勤め先、身長などを指すようだが、PCのような工業製品のようにスペックという一元的価値観で異性を値踏みするとは世知辛い世の中になったものである。
顔面偏差値という言葉はさらに世知辛い。
異性の容姿の好みは、本来、飲食店メニューの価値観で決まるはずだ。
多数の異性が美女またはイケメンと認める人もいるだろうが、好みは人によってある程度分かれる。
自分が美女だと思う女性を別の人はブスだと思うかもしれない。
飲食店で全員がコーヒーを頼んだら売り切れてしまうところ、半数が紅茶を頼めば売り切れずにすむということがある。
同じ原理で人それぞれ異性の好みが違うことで、めでたくマッチングする男女の比率も上がるのでは。
いずれせよ、結婚や恋愛は③の飲食手メニューの価値観をもっと取り入れた方が幸せになる人が増えると思われる。
(つづく)




