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どうでもいい話 脱力エッセー  作者: カキヒト・シラズ


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トム・マギー VS ローラン・ボック  天下をとりそこねた”しょっぱい”プロレスラー

初出:令和8年5月8日



 どうでもいい話なのだが、最近、ユーチューブで往年のプロレスラー、トム・マギー選手の動画を立て続けに観た。

 みなさんはトム・マギーを覚えているだろうか。

 昭和末期から平成初期あたりに活躍したレスラーだが、かなりのマニアでないと知らないと思う。と言うのは大スターというより、いわゆる”しょっぱい”レスラーだったからだ。

 偶然にもたまたまトム・マギーの英語の動画を見つけた。60代の貧相な老人がインタヴューを受けている。彼がトム・マギーのなれの果てのようだ。

 80年代、筋肉マンだったトム・マギーは、ドーピングであの体を作っていたのか。いずれにせよ、顔はかろうじて面影はあるが、げっそりやせた体形からは昔のマッチョマンは結び付かない。

 日本語の動画では、トム・マギーは酷評ばかり受けている。

 だが英語の動画では彼は絶賛されているようなのだ。



1.次期チャンピオン候補だったトム・マギー


 1986年7月、WWF(現WWE)の ダークマッチでトム・マギーはブレッド・ハート選手と対戦し、回転エビ固めでフォール勝ちしている。しかも試合内容も観ていてエキサイトする名勝負なのだ。

 ダークマッチというのはテレビ中継がない試合で、新人レスラーのテスト試合だ。試合内容や観客の受けがよければ、それ以降、プロモーターはその新人レスラーを積極的にテレビ中継される大試合に起用していく。

 当時、WWFはハルク・ホーガン選手がチャンピオン兼団体エース選手だが、ホーガンの後の次期チャンピオン兼団体エース選手としてビンス・マクマホン会長は当時、トム・マギーを考えていたようなのだ。

 ところがホーガンがWCWに移籍以降、結果的にブレッド・ハートの方がチャンピオン兼団体エース選手の座を射止めた。

 なぜトム・マギーがチャンピオン兼団体エース選手になれなかったのか。英語の説明がわからない小生には不明だが、ご存じの方がいたら、感想などで教えていただきたい。

 しかしながら、酷評を浴びている日本語の動画を観るかぎり、そのへんの事情はぼんやりと予想がつく。



2.日本での”塩試合”


 さて、米国マットでブレッド・ハートとの名勝負をやる半年前、トム・マギーは実は日本でプレーしている。

 1986年元日特番のテレビ放送だったと思うが、全日本プロレスのマットで長州力選手と異種格闘技戦の名目で試合した。結果はトム・マギーの負け。

 ユーチューブではこの試合を”塩試合”として酷評しているが、他にユーチューブで見つけた全日本プロレスのトム・マギーの他の三試合とくらべるとこの試合が一番いい。この試合はちゃんとプロレスになっているからだ。

 当時、トム・マギーは無名の新人プロレスラーだったので、異種格闘技はおかしいというのが酷評の理由のようだ。

 もともとトム・マギーはプロレスラーになる前、WSM(世界最強の男コンテスト)の常連上位入賞者だったのでプロレスの世界に入った経緯がある。

 このWSMというのは日本で言えばSASUKEのようにテレビ局が企画したエンタメ番組で、格闘技ではないが、重い荷物を運んだり、車をロープで引っ張って動かすなど、複数の種目で力自慢を競う競技だ。


 他の三試合は二つがトム・マギーの勝ち試合、一つが負け試合だが、いすれも”塩”なのだ。

 まったくダメというわけではなく、序盤戦のトム・マギーの体の動きは申し分ないのだが、勝ち試合にせよ、負け試合にせよ、ラストのプレーがお粗末なのだ。


 勝ち試合の一つがキックで相手を倒してフォールを奪う試合。

 キックを出す前の一連の攻撃はすばらしかったが、キックしたとき会場から観客の大爆笑が起こる。

 キックがほとんど相手に当たってないのに相手が倒れたからだ。

 そのままフォール勝ちしたものの、観客はしらけムード一色だ。


 また輪島大士選手とも試合している。

 試合の序盤は一方的にドム・マギーが輪島を攻め、後半から輪島の方が攻めだす。そして逆エビ固めで輪島のギブアップ勝利なのだが、逆エビ固めが決まるとトム・マギーはたいして抵抗せず、また苦しむ様子もなく、あっさりとギブアップしてしまう。

 観客は呆然とした感じだ。

 この試合はトム・マギーだけでなく輪島の下手さも加わって”塩試合”になってしまった。


 95パーセントまで完璧な試合をしながら、肝心な残り5パーセントでコケる。

 これがトム・マギーがスター選手になれなかった理由なのかもしれない。



3.ローラン・ボック ”世界最強の称号”は日本だけ通用?


 ユーチューブの動画でしばしば80年代の世界最強のプロレスラーと評価されるのがローラン・ボック選手だ。

 だがこれは日本語の動画であって、海外での評価はあまり高くないようなのだ。

 ウィキペディアに掲載されるぐらいだから、海外でも有名人なのだろうが、他のスターレスラーにくらべると記述が貧弱だ。

 英語のウィキペディアを読むと、ローラン・ボックの肩書はアマレスの選手。オリンピックに出場した他、欧州の大会で複数回優勝。その後、プロレスに転向。プロレスラーとしてはあまり活躍しなかったような感じだ。

 プロレス引退後、ホテル経営などで生計を立てる他、ロックフェスティバルのプロモーターをやり、当時一流のロックバンドを参加させたので、これが後年の彼のライフワークといった記述だ。


 プロレスは勝ち負けが決まっているショーであり、強いか弱いかが問題ではなく、観客を呼べるレスラー、観客をエキサイトさせる試合ができるレスラーが、一流なのだろう。

 ところがアマレスから転向したローラン・ボックはそのへんの事情をうまく理解できず、しばしばガチで試合をして相手選手を怪我させた。このため、欧米のプロレス業界からすこぶる評判が悪かったのではないかと想像する。

 だが日本の新日本プロレスはストロングスタイルを標榜しているため、彼に最強レスラーの称号をつけ、日本のマットに奨励したのではないか。


 ローラン・ボックは体も大きいし、ガチで戦えばそれなりに強かったのだろうが、彼の才能を正当に評価するプロレス団体も総合格闘技団体も当時の欧米にはなかった。

 唯一、新日が彼を受け入れたのだが、メインイベントより前座で試合されられることも多かったようだ。



4.まとめとして


 トム・マギー選手にせよ、ローラン・ボック選手にせよ、何か一つだけ工夫をすれば世界的に大ブレークしたと思われる。

 しかしそれを言ってしまえば、他にもちょっとしたことで大スターになりそこねた才能ある若手プロレスラーはたくさんいたかもしれない。

 だから何だと言われると、返答できないが、これもまたどうでもいい話ということで、今回の結論にしたい。


(つづく)


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