チャンバラ天下一・剣豪10番勝負 その③
8番勝負 荒木又右衛門はドキュメンタリー剣豪だからマジで強い?
こういう地味な剣豪の方が本当は強いのかもしれない。
荒木又右衛門はなぜ剣豪と呼ばれるのか。
実は仇討ちをして一人で一度に五人斬ったことで騒がれた。
テレビや映画の時代劇を見慣れている私たちにとり、主人公の侍は五人どころか十人以上、一人で平気で斬っているので、「だからなんだ」と返答するかもしれないが、あれはフィクションの世界で、実際のところ一人で五人斬るのは侍として快挙なのだ。
もちろん宮本武蔵などは武者修行時代、累計で五人以上は斬ってるだろうが、決闘は一対一で戦う。一度に複数人斬ることはない。
通常、剣豪は武者修行の後、御前試合で優勝するなどして藩や幕府の兵法指南役に落ち着くか、道場を経営するかして”上がり”になる。
このためには武者修行中の武勇伝で自分の強さを世に喧伝する必要がある。また必要に応じて武勇伝の中身をを捏造しないまでも、”盛る”必要がある。
ところが荒木のようなケースでは強さをアピールする必要がない。
だから武勇伝は誇張なしの真実ということになる。
荒木又右衛門は隠れた実力派剣豪かもしれない。
9番勝負 小野忠明を知らないあなたは剣豪ファンもぐり
あなたは小野忠明を知っているか。実は私もこれを書く直前まで知らなかった。
ただし御子神典膳なら名前だけは聞いたことがあった。また小野忠明が御子神典膳と同一人物であることはやはり最近知った。
後年、えらくなったので名前を御子神典膳から小野忠明に改名したとのことだが、剣豪の名前なら御子神典膳の方がカッコいいと思うのは私だけか。
小野さんや忠明さんなら今でも平気でそこらへんを歩いている一般人のような平凡な名前ではないか。どうして名前を”改悪”したのかは謎だ。
小野忠明は徳川幕府に剣術指南役として採用された。
この事実だけでも小野の剣術が強かったことがわかるが、同時期、柳生宗矩が兵法指南役を務めていた。
柳生と小野、どっちが強いのか、あるいは幕府はどっちを強いと認定していたのか。
いすれにせよ、宗矩は小野の強さに瞠目していたようであり(というか「おれより強い」とビビッていたかもしれないと邪推するが)、知名度は低いが小野こそ兵法天下一の侍だったかもしれない。
少なくとも伊藤一刀斎”推し”は小野忠明”推し”に今日から転向することを推奨する次第。
10番勝負 じゃない方の上田馬之助
上田馬之助というとだれを想像するだろうか。
私の世代ではヒールのプロレスラーを思い出す。
上田馬之助や豊登といったプロレスラーのリングネームは、明治時代の激剣興行のスターたちから取った名前だという話を、昔、東京スポーツのコラムで読んだ記憶がある。
日本のプロレスの黎明期にはかつての激剣興行の関係者が参加していたのだろうか。
幕末の剣豪たちは明治時代になると職を失った。
そこで仕方なく激剣興行の選手になった。
激剣興行というのは入場料を取って見せる剣道や木刀の試合だ。
前座には真剣で兜を割る「兜割り」というパフォーマンスがあったり、真剣を持った侍が唄いに合わせて日本舞踊を舞い、舞の最後に藁を真剣で斜めに切る「燕返し」というパフォーマンスがあった。
上田馬之助は激剣興行の大スターだった。
強いだけでなく若くてイケメンで興行のメインイベンターだったのだ。
*********
まとまりのない話だが、とりあえず十人の剣豪を紹介しました。コメントなどで意見や感想などいただけると幸いです。
(つづく)




