猫と戦車 -2-
ライコウとラヴィがハギトの行動を偵察している間――イナ・フォグとヒツジ、そしてミヨシの三人は『ダカツの霧沼』へ向かっていた。
――途中、ベトールによって破壊された橋は、ミヨシの話通り、マザーの指示によってハーブリムとディ・リターのゼルナー達が共同で補修工事を行っており、すでに仮設の橋が出来上がっていた。
ベトールの襲撃が懸念されるところではあったが、イナ・フォグは『アラフェール・ライラ』というスキルを使用し自身を濃い紫の霧で覆い、ベトールにイナ・フォグの位置を探知させないようにした。
イナ・フォグがベトールの近くに接近している事さえ分からなければ、ベトールは地上を移動するゼルナー達を特に警戒する事もなかったので、橋は安全に通行できたのである。
橋の修復作業をしているゼルナーからは「バハドゥル・サルダールの連中が『究極の破壊兵器』を使って、近々にハギトを攻撃する予定です」という情報を聞いた。
ヒツジもバハドゥルが何だか良く分からない兵器を開発していた事は耳にしていた。 だが「ハギトに傷を負わせる事が出来る兵器なんて『核兵器』以外にあるとは思えないけどな……」と腕を組んで首を傾げていた。 イナ・フォグもヒツジの意見と同様に、ゼルナー達がハギトを破壊できるほどの兵器を開発できるとは思わず、逆にハギトの怒りを買って、アイナの付近が戦場となり、ライコウが要らぬ被害を受ける事を心配した。
そんなイナ・フォグの心配もあって、三人は出来るだけ早くアイナへ戻ろうと、ハーブリムには立ち寄らずに塩の台地を通り過ぎ、テヴェル古戦場を抜け――旅立ってからおよそ一か月でナ・リディリの周辺まで来たのであった。
――
イナ・フォグはここまで来る間、塩の大滝でミヨシを抱えて滝の上へあがり、テヴェル古戦場では襲ってくるショル・アボル達を一人で破壊した。 途中でヒツジとミヨシが疲れたら燃料を補給してやり、自分は食事を一切取らずにひたすら前へ進んだ。
イナ・フォグにしてみれば、ミヨシを持ち上げることなど造作もないことであり、古戦場にいるショル・アボルなどは敵の内に入らなかった。 そして、自分は食事を摂らずとも『ヨミノクロガネ』によって集められるマナスによってエネルギーの補給が出来ていたので、殆ど全ての事をイナ・フォグが処理していたにも拘らず、さほど疲れてはいなかった。
それよりも、イナ・フォグは自分自身のココロの変化に戸惑っていた。
沼地にいた時は、久しぶりに出会う器械は全員『敵意と打算』を持つ者達であり、彼らに対して慈悲や憐憫の情などを持つことは一切なかった。
ところが、ライコウとヒツジに出会い共に旅をしていく間、二人だけでなく他者に対しても同情や優しさといった思いやりを持つようになってきていた……。
それと同時に、今まで何も痛痒を感じていなかった沼に侵入した器械達への無慈悲な仕打ちに対して、少し気の毒に思うようになった。
――テヴェル古戦場では、ライコウ、ヒツジと共に旅をしたエンドルの相棒である四輪駆動車が埋葬されている。
真っすぐ突き立てた長い鉄骨を墓標替わりにしているその場所で、ヒツジとミヨシが神妙に祈りを捧げている姿を見て、何故だか自分も少し悲しくなった。
エンドルの相棒に祈りを捧げた後――イナ・フォグは『ミヨシの義理の兄「アイム」を破壊したのは自分だ』と告白した。 しかし、ミヨシはすでにその事を知っていたと答え――『イナ・フォグの事を恨んではいない』と、その瞳から満ちる穏やかな光を彼女へ向けた。
「アタチはフォグさんを恨んではいませんよ……。 だって、アタチのお兄ちゃんはフォグさんを壊そうとしたんだから。
フォグさんとアタチのお兄ちゃん――どっちが善で、どっちが悪かなんて事はアタチには分かりません。
でも――
アタチも自分を壊そうとする奴がいれば、ソイツを壊すと思います……自分が存在する為に……。
それは当たり前の事だと思うから、アタチはフォグさんを恨まないようにしたんです……」
――
三人は、ナ・リディリの出入り口がある巨大な洞窟へ向かう途中にある、鉄の樹海の中にある岩場で休憩を取っていた。
その場所は、以前、ライコウとヒツジがエンドルと共に野営をした場所であり、当時の焚火の後がまだ残っていた。
イナ・フォグはその焚火の後に再び火をつけ、ミヨシが通れるように入り組んだ岩をどかし、テヴェル古戦場で捕獲したイノシシ型のショル・アボルを串刺しにして焚火の上に釣り上げて、ヒツジとミヨシの為に食事の準備をしてあげた。
――焚火の前ではヒツジとミヨシが楽しそうに食事をしていた。
丸焼きのショル・アボルの下には油を受ける皿がぶら下がっており、ショル・アボルから排出された油分を二人はエネルギーとして摂取した。
油分が排出されスッカラカンになったショル・アボルの体はイナ・フォグによって細かく砕かれ、スープとして二人に提供された。
イナ・フォグは、楽しそうに瞳から黄色い光を照らしてじゃれ合う二人を見つめていた――すると、ふと、自分が必死になってマルアハから逃げていた時の記憶を思い出した。
――
『――イナ・ウッド! ヤツがまたエントロピーを引き起こす前に――』
『オナ・クラウド……ゴメン、もう私は記憶が……』
蝙蝠のような黒い翼をはためかせ、二体のマルアハから逃げ惑うイナ・フォグ――後ろを振り向くと一体のマルアハが頭を抱えながら、力なく地上へグルグルと落ちて行くのが見えた……。
『イナ・ウッド――!』
もう一体のマルアハが、落ちて行ったマルアハを助けようと地上へと向かう――。
『助かった……』
イナ・フォグは『このままなら、逃げ切れる……』とホッと胸を撫でおろし、再び前を向いて速度を上げた――
――すると目の前に突然、トコヨの戦士の鎧を身に纏った男が立ちはだかった。
『……アナタは――?』
驚いて立ち止まるイナ・フォグ――。 トコヨの戦士は翼も持たずに宙に浮いたままイナ・フォグの前で蒼白い刀を構えていた。
『……済まない……。 まだ「神の夢」を覚ます訳にはいかないんだ……』
イナ・フォグは、男がこの蒼白い刀で自分を切り裂く事を確信した。
『タ……タスケテ……』
イナ・フォグの真っ赤な瞳から一筋の涙が流れる……。
すると、刀を振りかざそうとした男の手が止まった――。
『君は……涙を……?』
兜で顔が見えない男の頬から、一筋の涙が伝っているのが見えた。
『許してくれ……君は悪くない……。
だが、君の中の蛇蝎がこの世界を壊すのであれば……
神の夢を覚まそうとするなら……
君を……』
……
イナ・フォグはトコヨの戦士に体を切り裂かれた。
だが、イナ・フォグはトコヨの戦士を恨んではいなかった。
最後に見たトコヨの戦士から流れる涙が、イナ・フォグに向けられた優しさだと分かっていたから……。
地上へ落ちて行くイナ・フォグは、薄れゆく意識の中で思った――
『もし、私が人間だったなら……あの戦士は私の事を……
好きでいてくれただろうか……?』
――
「フォグ……? フォグ……?」
イナ・フォグが気づくと、ヒツジとミヨシが心配そうに青い瞳を向けながらイナ・フォグに声を掛けていた。
「大丈夫よ……。 少し、昔の事を思い出す事が出来ただけ……」
「……昔の事ですか?」
ミヨシの心配そうな声に、イナ・フォグは寂しげな微笑を返した。
「そう……。 私が沼地に住む前の事……大した記憶じゃないわ」
イナ・フォグは目の前に立っているヒツジの頭を撫で、それからミヨシのボディーを撫でてあげた。 ミヨシは気持ちよさそうにピンク色のライトを称えていたが、ヒツジは心配そうに瞳を青色に光らせていた。
――その夜、ヒツジはイナ・フォグに抱かれながら考え事をしていた――
(フォグはボクがリターから聞いていた『アラトロン』とは全然違った。
フォグはこんなにも優しいし、暖かい……。 まるで、ボクのお母さまのように……。
だから、ボクはリターの言う事を信じない……。
フォグが本当に人間を滅ぼし、この世界を壊滅させたなんて……
……ボクは信じない)
ヒツジは赤茶けた金属の両腕をイナ・フォグの体に回し、イナ・フォグに抱き着いた。
そして、ピンク色の穏やかな光を瞳に宿し、イナ・フォグの胸の中でそのまま眠りについた……。
――
三人はその後、ナ・リディリへと到着した。
ナ・リディリの民達はイナ・フォグを見るや否や――「アラトロン様が戻ってきた!」と大騒ぎをし、恐れ慄いて蜘蛛の子を散らすように建物内へと逃げて行った……。
だが、二人のゼルナーだけはイナ・フォグとヒツジを見るや、笑顔で駆け寄ってきてヒツジに抱き着いた――。
「アラトロン様、ヒツジ氏――久しぶりですね!」
その二人はソルテスとアロンであった。
ソルテスとアロンは久しぶりに会うなり、三人を酒場へと連れて行こうとしたが、イナ・フォグがその誘いを固辞し、二人に自分達が戻ってきた理由を伝えた――。
「……そうですか……。 急がなければならないんじゃ仕方ないですね……」
ソルテスは残念そうにアロンの顔を見た。
アロンはソルテスの言葉を聞いておらず、黒い影から光らせる赤い目を興味深そうにミヨシへ向けていた。
「――ちょっと、貴方! なに、アタチの事をジロジロ見てるんですか!」
ミヨシがアクセルを『ブルン!』と吹かし、不機嫌そうに赤色のライトをチカチカさせると、アロンは「お前……もしかして『アイナ』から来たのか?」と出し抜けに聞いた。
「――そっ、そうだけど? やっぱり貴方達もアイナから……?」
ミヨシは二人を見た時から「どうも怪しい……」と感じていた。
モヒカン姿の奇抜な格好をしたソルテスと、ドラム缶のような鎧に身を纏う怪しげな格好をしたアロンを見て、彼らが「アイナからやってきた器械ではないか」と疑っていたのだ。
「――えっ!? ……キミ達、ハーブリムの出身だってボク達に言ってたじゃないか!」
ヒツジが驚いたように橙色の瞳を点滅させると、アロンは「――だって、そう言わなきゃ、オイラ達がアイナの出身だとバレたら差別されるじゃんか!」と言って――「アイナの仲間に会えるなんて何年振りかなぁ!」と同郷の器械に出会えた事を喜び、ミヨシのボディーをペチペチと叩きだした――。
「ギャー! やめてぇ! アタチはもともとバハドゥル器械のなんだからぁ――!」
ミヨシはバハドゥルから追放されてアイナへとやってきた器械であり、アイナが故郷では無いと言いたかったようだが、ソルテスとアロンもまたバハドゥルから追放された器械であった。
「オイラ達もそうだぜ! 同じバハドゥルを追放された身同士、仲良くしような!」
アロンはそう言って赤い目を細めると、愛情表現なのかミヨシのボディーに蹴りを入れた。
「――アタチはこんな乱暴者たち、仲良くしたくない!」
ミヨシはそう叫びながらも、同じ仲間に出会えた事は少し嬉しかった。
――
ソルテスとアロンはゼルナーとなる為、エンドルと共にハーブリムへ戻った。 そして、ハーブリムでマザーに会ってゼルナーになった後、エンドルを残して再びナ・リディリへ戻って来たのであった。 ハーブリムよりもナ・リディリの方が、居心地が良いからだそうだ……。
その時、ラキアとサクラ2号がナ・リディリに滞在していたが、二人は赤いバイクの残骸と共にハーブリムへ戻っていったという……。
「――なんでも、サクラ氏はウサギ氏に頼んで赤いバイクを修理してもらうと言ってました……。 私は『さすがに、そりゃ無理なんじゃないか』と言ったんですが……それは、それは気の強いお嬢様で……そんな事を言うもんなら、機銃でハチの巣にされるもので……」
ソルテスはサクラの姿を思い出したようにブルッと身震いをさせた。
「……ふーん。 まあ、戦車が無事見つかったら、いずれにせよ、ボク達もウサギのところへ行かなきゃならないんだよね。
――まっ、その時にまたラキアとサクラにも会えるでしょ」
ヒツジはそう言うと、ソルテスとアロンの顔をジッと見つめた……。
「ヒ……ヒツジ氏……。 もしかして貴方は、私達もハギトの討伐に付き合えと……」
ソルテスは、イナ・フォグにナ・リディリへ戻ってきた理由を聞いたとき、少し嫌な予感がしていた。
イナ・フォグが『――ハギトを倒すため』という説明をしている中、ヒツジがしきりに『ゼルナー達の総力を挙げて!』とか『皆で力を合わせて!』とか合いの手を入れて、その都度ソルテスとアロンをチラチラ見ていたからだ……。
「あたり前じゃん! キミ達には拒否権なんてないから! ねっ、フォグ――」
ヒツジがイナ・フォグに顔を向けると、イナ・フォグはヒツジの言葉を否定するのも面倒だったので、コクリと頷いた。
ヒツジの無慈悲な言葉にソルテスが頭を抱えて不安で身悶えている中――アロンは無邪気に赤い目を輝かせてソルテスに「アンちゃん、久しぶりにアイナへ戻れるぜ! バハドゥルの野郎どもにオイラ達がゼルナーになった事を自慢してやろうぜ!」などと言って、鼻息荒くポンポンとソルテスの背中を叩いていた……。
――こうして、二人はヒツジの指示を受けて、ひとまず先にハーブリムへ戻り、ハギトと戦う為のゼルナー達をスカウトする事となった。
――
ソルテスとアロンに一時の別れを告げて、三人は星の砂漠を抜けて、いよいよダカツの霧沼へと戻ってきた。
沼は以前のままで何も変わらなかった。 イナ・フォグがいなくなってからはゼルナー達も侵入する事が無くなり、森閑として紫色の霧を漂わせていた。
ヒツジはデバイスを起動させて、戦車の残骸があるかどうか周囲を探してみる――。
「あっ! アレか――?」
デバイスのフィールド内には沼地の様子を映し出している窓が出現し、沼地からひしゃげた砲身が飛び出ている様子を映し出していた。 その画像の左隅に小窓が割り込んでおり、その小窓内には沼地の中を解析した画像が表示されていた。
その解析画像から、飛び出た砲身の奥に大きな戦車が沈んでいる事が判った。
ヒツジはその解析画像を拡大し、戦車の形状をイナ・フォグに確認してもらう――
「確か、コレだった気がするわ……」
イナ・フォグはアイムの後ろから声を掛けた時に近くまで接近したので、戦車の形状は何となく覚えていた。
「取り敢えず、この戦車を引っ張り出しましょう――」
イナ・フォグは『青銅の蛇』を呼び出してヒツジとミヨシを毒の霧から保護し――三人は戦車が沈んでいる場所へと移動した。
イナ・フォグが戦車の砲身を掴み、翼を広げて飛びながら戦車を沼から引きずり出す――そして、上空で砲身を掴んだまま、沼地を出て湿地帯へと戦車を運び、ゆっくりと戦車を地上へと下ろした……。
『ズシン……』という重そうな音を立てて、久しぶりに地上へ降り立った戦車は、ライムが言っていた特徴と同じであり、アイムの戦車に間違いないようであった。 だが、毒の沼によって赤黒く錆び果ててしまっており、もはや使用できるような状態ではなさそうに見えた。
「こりゃ、もうダメじゃないか……?」
ヒツジが腕を腰に当てながら首を振ると、ミヨシはアクセルを開けて『ブルン、ブルン!』と否定する――
「そんな事ないです! ウサギさんに頼めば修理してくれるはずです! ――持って帰りましょう!」
「誰が……?」
「それは……」
ヒツジの言葉に、ミヨシが目に前にいるイナ・フォグに向かって薄っすらとライトを光らせた……。
「ふぅ……。 まぁ、良いわ……」
イナ・フォグはそう言って了解した。 ミヨシは申し訳なさそうに――「重たくて申し訳ないですが、宜しくお願いします」と水色のライトを光らせた。
すると、イナ・フォグは――
「……? まさか、そのまま持ち上げて運ぶと思っているの?
……まあ、持っていけない事もないけど……面倒くさいでしょ」
と言って――戦車に『マスティール・エト・エメット』を使用して模型のような小さな戦車へと変化させ、その戦車を手のひらに乗せた。
マルアハは皆、面倒くさがり屋なのである……。
「――うへぇ! さすが、フォグさんですね! これで、アタチも戦車になってハギトと戦えます!」
ミヨシはウサギが戦車を完璧に修理し、自分が戦車のボディーへ変わる事が出来ると当たり前に思っているらしい……。
だが、ミヨシは肝心な事を忘れていた……。
「ところで、アナタ……戦車になるのは良いけど、この大きさじゃアイナに入れないでしょ」
「……えっ……?」
イナ・フォグの指摘にミヨシは一瞬エンストした。 そして、ヒツジの顔へ灰色に変わったライトを向ける……。
「う、うーん。 ボクもそこまで考えていなかったな……。 まあ、アイナには入れなくなるけど、戦車になれるんだし……まあ、良いんじゃない?」
ヒツジは他人事だと思って、白い瞳をピコピコ点滅させて飄々とした様子を見せた。
「――ぬゎに、適当な事言ってるんですか! ダメじゃないですか、それじゃ! バッちゃんと一緒に暮らせなきゃ、アタチは……アタチは……」
ミヨシはそう言いながら、静けさに包まれた沼地にけたたましい警告音とエンジン音をかき鳴らして「うわーん!!」とドリフトをしながら癇癪を起した。
「――もう! ウルサイわね! 私が何とかしてあげるわ!」
イナ・フォグが耳を塞ぎながら煩わしそうな顔をミヨシに向けると、ミヨシはドリフトをピタリと止めて、アイドリングを鳴らしながら「……ふぇ? 小さくなることも出来るんですか?」とイナ・フォグに聞いた。
ミヨシが癇癪を起したのも『イナ・フォグであれば何とかしてくれるだろう』という子供ならではの打算からであったが、そうはミヨシの期待通りにいかなかった。
「……出来ないわ。 でも、アナタの器を戦車に転移しなければ良いだけ――。
アナタは戦車が操縦できれば、それで良いのでしょう?
――それとも、アナタは自分の兄が乗っていた戦車自体になりたいの?」
「ううん! アタチはお兄ちゃんが使っていた戦車になりたい訳じゃない!
その戦車を使ってハギトを倒したいだけ……
だって、お兄ちゃんはマルアハを倒すためにこの戦車で戦ってきたんですから……」
ミヨシは青色にライトをチカチカと光らせ、イナ・フォグの言葉を否定した。
「そう……。 それじゃ、アナタは車両の体じゃなく、戦車を操縦できる体になれれば良い訳ね」
イナ・フォグはミヨシのアニマを戦車ではなく、人型などの別の形状へ転移させようと考えていた。 ところが、ヒツジはイナ・フォグの考えに難色を示した。
「でも、フォグ……。 異なる型の機械にアニマを転移させることは、普通は出来ないんじゃ……?」
――器械に備わっているアニマは破損していない限り、アニマの無い別の機械に転移させる事が出来る。
アニマの転移は、人間でいう転生とは違う。
今までの記憶を外部装置へと転送し、アニマを新しい機械の体に転移した後、記憶を再び内部記憶装置へ戻せば、記憶装置の容量の範囲で昔の記憶は維持される。
アニマを別の機械に転移させるにはマザーの許可が必要であり、工場で勝手に行う事は出来ない。
また、どんな器械でもアニマの転移が許されるのかというと、そうではなく――多くは有能なゼルナーや特別な技術を持つ器械だけに限られていた。
ところが、車両型の器械から人型の機械へアニマを転移する等の『異なる型へのアニマの転移』は内部エラーが起こり、アニマが破損して大爆発を起こす。
したがって、異なる型の機械にアニマを転移させる事は事実上不可能であり、アニマの転移は人型から人型、車両型から車両型など、同じ型同士でなければならなかったのである。
――ヒツジがその事をイナ・フォグに伝えると、イナ・フォグは「分かっているわ……」と言って「ふぅ……」とため息をついた後、ミヨシに選択を迫った――。
「アナタのアニマに私の器――『ヨミノクロガネ』の一部を融合させるわ。 そうすれば、アナタは問題なく別の体にアニマを転移出来る。 しかも、機械でなくとも、物体であれば何でもアニマを転移する事が出来るわ。
ただし――
私が消滅すれば、アナタも一緒に消滅する。
それで良ければ、アナタにヨミノクロガネの一部をあげましょう」
――
イナ・フォグが首からかけている禍々しい心臓のような形をした物体――ヨミノクロガネの一部をミヨシのアニマと融合させることで、ミヨシは別の型へアニマを転移する事ができる――。
だが、それはイナ・フォグの眷属になる事を意味していた。
「……じゃあ、アタチが死ねば、フォグさんも……」
ミヨシが問いにイナ・フォグはゆっくりと首を振った。
「アナタが消滅しても、私は消滅しないわ……。 アナタのアニマと結合したヨミノクロガネが私と再び融合するだけ……。
まあ、私がアナタにヨミノクロガネの一部をあげれば、私の力は少し衰えるけど……アナタ程度の器と融合するくらいでは殆ど変わらないわ」
イナ・フォグはミヨシに対してあえて『消滅』という言葉を使った。
それは、ヨミノクロガネと融合させたアニマはもはや器械ではなくなり、アニマが破壊されたと同時に、器械とは比べ物にならない程の大爆発が起こり、文字通り、塵も残さず消滅してしまうからであった。
また、ヨミノクロガネと融合させたアニマには恐るべき制約があった。
ヨミノクロガネと融合させたアニマを持つ体はヨミノクロガネに体ごと侵されてしまうので、たとえ同じ型同士の体に転移したとしても、二度と再びアニマを転移させる事が出来なくなるのだ。
――ミヨシの義理の母であるライムを蝕んでいるフルのスキル『バクズ・マキナ』は、まさにイナ・フォグが行おうとしているヨミノクロガネとアニマを融合させることを体現したものであった。
フルはイナ・フォグとは違い『アマノシロガネ』という器を持っている。 そのアマノシロガネを器械のアニマへ強制的に融合させて、自分の眷属にしてしまうのだ。
もちろん、イナ・フォグの言葉通り、アマノシロガネの一部を使用するので、スキルを使用するとフル自身の力が衰えるのだが、眷属を同士討ちさせる事が目的なので、すぐにアマノシロガネを回収する事が出来る。 したがって、フルには殆ど影響がなかった。
「――だから、私が消滅しなければ永遠にアナタのアニマはヨミノクロガネというウィルスに侵されたまま……。 たとえ、アナタの体が朽ち果てたとしても、私が消滅するまでアニマは永遠に稼働し続ける……。
そして、私が消滅すれば、アナタも否応なく消滅する……」
……ライムのようにね」
「バ……バッちゃんと同じ……?」
ミヨシはライトを青く点滅させたり、灰色に曇らせたりしながら悩んでいる様子であった。
ヒツジはミヨシの様子を心配そうに見つめているしかなかった……。
イナ・フォグとヒツジが無言でミヨシを見つめる中、ミヨシは意を決したようにエンジンを止めた。
――沼地は再び静寂に包まれた――
ミヨシは粛然と緑色のライトを点灯させ、叫んだ。
「……アタチ、やります――!」
ミヨシの力強い言葉に、イナ・フォグは頷いた。
「アタチ……バッちゃんと同じなら……同じになれるなら、フォグさんの弟子になっても構いません!」
ミヨシは眷属という意味が解っていなかったが、概ねイナ・フォグの言葉は理解していたようなので、イナ・フォグもそのまま聞き流し、再度コクリと頷いた……。
「ミ、ミヨシ……眷属ってそういう意味じゃなくて、その……フォグの部下になるっていう事――」
ヒツジが突っ込みを入れても、ミヨシの決意は変わらなかった……。
「――部下でも舎弟でもなんでも良いんです! とにかく、アタチはフォグさんを信じます!」
イナ・フォグはミヨシの言葉を聞いて驚いたように目を見開いた。
「私はアナタの兄をこの手で破壊した身……。 そんな私をアナタが信頼すると言うのであれば――
――私はアナタの為に、アナタの希望を叶えて上げましょう」
――
「ミヨシ、アナタの希望する体は私が造ってあげるわ。 どうせ、アナタは私の眷属となる身――私がアナタの体を造ってあげる方が面倒くさくなくて良いでしょ。
ただ、貴方はもう器械ではなくなるし、機械でもなくなるわ……それでも良いわね?」
ヒツジとミヨシは顔を見合わせ、お互い『そんな事出来るのか?』と心の中で思ったが、二人とも『うん、うん』と頷いたようにライトを上下に点灯させた。
「そう……。 じゃあ、アナタがなりたい体を造ってあげるわ。 どんな体になりたいか言ってごらんなさい。 ……でも、戦車を操縦出来ないような大きな体ではダメよ」
イナ・フォグがそう言うと、ミヨシは迷いもなく「お兄ちゃんと同じ猫型が良い!」と叫んだ。
「――猫型?」
ヒツジが目を丸くしてミヨシに聞くと「うん! アタチはお兄ちゃんを見た事が無いけど、バッちゃんからそう聞いていたんです!」とライトを黄色に光らせて期待に満ちた様子で言った。
「猫型……いいわ。 でも、アナタの兄と全く同じようには造れないわ。 私がアナタの兄を覚えていないもの……。 それでも、良い?」
イナ・フォグは少し申し訳なさそうに上目遣いでミヨシを見ると、ミヨシは「はい、良いんです! 大体、全く同じじゃバッちゃんがビックリするじゃないですか!」と言って、『ブルン』とエンジンをかけた。
「そう……。 じゃ、私が想像した猫型のゴーレムを造るわ」
イナ・フォグはそう言うと、小さな声で「シェム・ハ・メフォラシュ……」と呟いた。
すると、紫の霧がかかる奥の沼地から、ウゾウゾと何かが姿を現した……。
沼地から這いずり出てきた生き物は黒猫のような姿をしていた……しかし、何かが違うような気がする……。
「――ん? 何か、フォグ……シッポが蛇になってるんだけど……」
黒猫型のゴーレムはシッポが蛇になっており――『ニャァ……』と不気味な声で口を開けると、口から毒々しい真っ赤な蛇がニョロニョロと長い舌のように這い出てくるという恐ろしい姿であった……。
「……猫って、こんなんじゃなかったよね?」
「そうかしら?」
イナ・フォグは猫型の器械をあまり見た事が無かったので「面倒くさいから、このままで良いんじゃないか」と主張したが、ヒツジが「このゴーレムではダメだ」と頑なに拒否したので、イナ・フォグは仕方なくヒツジのデバイスで猫の画像を見ながら、再度ゴーレムを作製した。
再び造られたゴーレムはやはり黒猫であったが、今度のシッポはしなやかで細い猫の尻尾であり、舌も小さな花びらのような美しい毛並みの『メス猫』であった。
「あっ、あれ? 猫の姿はバッチリなんだけど……この子、女の子じゃない?」
ヒツジの指摘にイナ・フォグが呆れたように――
「ヒツジ、何言っているの? ミヨシは女の子じゃないの」
と言い放った。
「うぇぇー!? じゃ、ボクと……」
ヒツジは飛び上がって驚き、ミヨシのボディを舐めるように見回した……。
「ちょっと! 何、ジロジロ見てるんですか! アタチはこれでも女の子型なんですよ!」
ヒツジはミヨシが女の子であった事に仰天したが、それよりも、イナ・フォグがミヨシを女の子であると見抜いていた事に驚愕した。
――こうして、ミヨシの体はこの猫型のゴーレムを使用する事になった。
ゴーレムはイナ・フォグの意思で破壊したり、誰かに破壊されたりしない限り、ずっと存在し続ける事が出来る。
どの道、イナ・フォグが消滅するとミヨシも消滅する身であれば、ゴーレムの体にアニマを転移する事に何も不都合な事は無かった。
――
「我は赤く輝く大地より来たりし蟒蛇。 全ての龍、全ての蛇――そして、全ての生物の主たる一人――」
イナ・フォグは右手をミヨシのフロントガラスに添え、左手を黒猫型のゴーレムの頭に乗せたまま、何やらブツブツと呟いている――。
イナ・フォグが呪文のような言葉を呟いていると、イナ・フォグの背後に控えていた三日月型の物体が徐々に丸い形に変化していった……。
――三日月の物体が満月のような丸い形へと変化すると、白く光り輝きだした。 すると、その中から真っ白い蛇が姿を現した。
「――我は汝らの主であり、汝らは我の僕。 我を偉大ならしめん為、満月、新月に供儀を捧げよ」
イナ・フォグが尚も呟くと、にわかにイナ・フォグが首から下げていたヨミノクロガネが宙に浮きだした。
まるで地上から空に向けて突風が吹いているかのように風が沸き立ち、イナ・フォグのドレスと桜色の髪を天へ吹き上げる――。
禍々しい心臓のような鼓動をさせているヨミノクロガネがイナ・フォグの目の前まで浮き上がった時――満月の物体から飛び出た光のような白い蛇が、ミヨシのボディーを稲妻のように突き抜けた!
ミヨシはガックリと気を失ったように、エンジンを停止させ、ライトはプッツリと消えてしまった……。
そして、ミヨシに体を突き抜けた蛇は、そのままグルリと弧を描き、イナ・フォグの眼前に浮き上がる赤黒い心臓へと吸収されていった……。
「……さすれば、我は三日月の印をもって大いなる加護を授け給う」
イナ・フォグが言葉を終えた途端、ヨミノクロガネが大きく蠢き、小さな影が湧き出てきた――かと思うと、その影がみるみる真っ黒い蛇の形へと変わっていった。
そして、その蛇がイナ・フォグの左手を這いずり黒猫へと移動した瞬間――右手に触れていた軽トラックが黒い霧に包まれた!
「ミ、ミヨシ――!?」
思わずヒツジが叫ぶ――。
「ヒツジ、心配しなくても大丈夫よ。 器の転移は成功したわ……」
イナ・フォグはヒツジへ顔を向けて微笑んだ。
――すると――
先ほどまで死んだような黒い瞳であった猫の目が、赤色の瞳へと変化していき……スクッと二本足で立ち上がった!
「プハァ――!! 死ぬかと思った!!」
二本足で立ち上がった猫はそう叫ぶや否や――「ゼエ、ゼエ……」と苦しそうに息継ぎをし始めた。
「キ、キミは、ミヨシなのか……?」
訝しげな橙色の瞳で黒猫を見つめるヒツジに、黒猫は赤色の瞳で返して「――うん。 アタチですよ」と目を瞬かせた。
「うわー! 良かったね――!」
ヒツジは黒猫が間違いなくミヨシだと確信すると、瞳を黄色く光らせながら黒猫を抱き寄せ、頬ずりをした。
「うにゃ、うにゃ……。 ちょっと、ちょっと、あんまり顔を擦り付けないで下さい!」
ミヨシはヒツジに頬ずりされて迷惑そうな顔をしているものの、内心はヒツジが喜んでくれていた事が嬉しかった。
――
「これでアナタは私の眷属――ほら、貴方の額に三日月のような烙印があるでしょ?」
イナ・フォグの隣でヒツジが手に鏡を持って、ミヨシに自分自身の姿を確認させた。
「あっ、本当ですね……」
ミヨシの額には小さな黄金色の三日月のような印が刻まれており、ミヨシは肉球でその刻印をプニプニと押し当てて感触を確認していた。
「アナタはもう器械ではなく、マルアハの眷属よ。
アナタは私が消滅するまで、自分自身を消滅させる事は出来ない。 アナタの体が朽ち果てようがね……」
イナ・フォグがミヨシの赤い瞳を見据えると、ミヨシは瞳を閉じて「分かってます……。 私はフォグさんと共に生きる事を決めましたから……」と言って覚悟を持った瞳を開き、イナ・フォグを見つめた。
「そう……。 フォグさんという呼び方は眷属として好ましくないけど……まあ、注意するのも面倒くさいから、アナタの好きに呼べば良いわ。
それから、アナタは私と同じようにマナスを利用してスキルを使う事も出来るようになるわ」
「えっ! フォグさんが使ってたあの魔術みたいな――?」
「そう……。 ただ、使えると言ってもマルアハ達よりもずっと性能が低いし、一つか二つくらいなものだけどね」
イナ・フォグはそう言ってミヨシを抱きかかえ、頭を撫でた。
「スキルの使い方はその内教えるわ……。 それよりも、アナタは自分の目的だった戦車の操縦を早く覚えなさい」
イナ・フォグは胸の谷間から戦車の模型を取り出し、ミヨシの頭にポンッと乗せて八重歯を少し見せながら、悪戯っぽい微笑を浮かべた。
――
ダカツの霧沼を出る時、ミヨシは沼地の前で跪き、この地で散って逝った兄の為に祈りを捧げた。
兄を破壊したマルアハの眷属になろうとは、ミヨシも想像すらしていなかった。
「運命とは奇妙なものですね……」
ミヨシはそう呟いて、はにかんだ笑顔を浮かべたが、運命とは奇妙なように思えるだけで、約束された未来である。
イナ・フォグの眷属となる事はすでにミヨシが製造された時から運命付けられていたのだ。
イナ・フォグはそんなミヨシの様子を悲しげな表情で見つめていた。
イナ・フォグが何を思っていたのかは分からない……。 だが、イナ・フォグは自らの運命は自らの力で変える事が出来るはずだと思い――そして、願っていた。
「ところで、アタチの元の体はどうなってしまうんでしょうか……?」
ミヨシは赤い瞳に憐憫の情を浮かべ、黒い霧に包まれた軽トラックを見た。
「……残念だけど、もう車両としても使用出来ないわ。 いずれ暗黒に回帰し、このまま消え去るでしょう」
イナ・フォグの言葉にミヨシは目を伏せて悲しそうに尻尾を垂らした。
「……アタチが生まれてからずっと、アタチの体だったから……せめて消えてしまう前にアタチが何処かへ埋めてあげたい……」
すると、ヒツジが「それじゃ、エンドルの相棒と一緒に埋めてあげようよ」と提案すると、イナ・フォグも「それで良いじゃないかしら……」とミヨシの方へと目を遣った。
ミヨシも「はい……。 それじゃ、お願いします」と言って、先ほどの戦車と同じく軽トラックを異空間へ転移させ、ナ・リディリへと戻った。
――
テヴェル古戦場には鉄骨の墓標がもう一つ増えた。 エンドルの相棒の隣にミヨシの古い体が埋葬された。
二人が墓標の前で祈りを捧げていると、今度はイナ・フォグも見よう見まねで墓標に祈りを捧げた。
――ハーブリムに到着した三人はウサギの工場へと向かった。
そこには助手のフルダと親方のウサギはもちろん、何故かラキアまでいた。 ラキアはウサギの家に居候しているらしく、工場で仕事の手伝いをしていた。
ウサギはイナ・フォグの姿を見るや、慌てて工場内へ駆け込み――工場からラキアが姿を現すと、その後ろに隠れるように付いて来た……。
「アラトロン様、お待ちしておりました!」
ラキアは地に片膝を付き、畏まった様子でイナ・フォグに首を垂れた。 ウサギは熊でも見るような怯えた表情でラキアの後ろに隠れながらイナ・フォグをチラチラと見ている……。
すると、イナ・フォグは「少し下がりなさい……」と二人に命令した。
ラキアは「はっ――!」と一言返事を残し、ササっと後ろへ下がったが、ウサギは「――ヒィ!」と叫んで脱兎のごとく後ろへ逃げた……。
二人が充分下がった事を見届けると、イナ・フォグは手に持っていた玩具のような小さな戦車をポイッと投げた。
小さな戦車が地面にポスッと投げ置かれた瞬間、紫色の霧が戦車の周りを包み込み――霧が晴れて行くと同時に、大きな錆びだらけの戦車が姿を現した……。
「――うへぇ! こりゃ、何だってんですか!?」
「何って……? 戦車じゃない」
ウサギが飛び上がっている中、イナ・フォグは冷然とウサギにそう言い放ち――
「それはそうと、アナタこの戦車を修理しなさい」
と有無を言わさないような赤い瞳をウサギに向けた。
「――うぇ!? この間、サクラのヤツを改造してやって疲れてるってのに、また……?」
ウサギがそう言って横目で赤錆びた戦車を見ていると、イナ・フォグは――
「そんな事は私には関係ないでしょ……。 まあ、疲れているならアナタの尻を蛇に噛ませてあげるわ――」
と冷ややかな目をしながらも、一応疲れているなら蛇に噛ませて疲労を回復させてあげようと慈悲を垂れた。
ところが、ウサギはその有難いお言葉を丁重に断り……イナ・フォグの命令通り、仏頂面で戦車の修理に取り掛かった……。
――ウサギが戦車を修理している間――
イナ・フォグとミヨシ、そしてヒツジの三人はラキアの案内で工場の裏にあるウサギの掘っ立て小屋(自宅)へ行った。
ライコウが壊した玄関ドアはすでに綺麗に修理されており、何故か鏡面加工されたピカピカの悪趣味なドアに変わっていた……。
三人は丸机を囲い、ラキアからサクラ2号の行方について話を聞いていた。
「――それで、サクラはジスペケを連れて『アイナの嘘つきアル』を探しに『デモニウム・グラキエス』へ行こうとしたんですが、途中で橋が壊れていたので引き返してきたんです」
ラキアの話では、サクラ2号はウサギから『アルはデモニウム・グラキエスという場所でレア鉱物を探しに行った』と聞いて、アルに会いにその場所へ行こうとしたが、途中で橋が壊れていたので、仕方なくハーブリムへ引き返してきたそうだ。
サクラ2号は何故、アルに会いに行こうとしたのか――?
ラキアは「アルというゼルナーはサクラのフレームにマナスを結合させた者だそうで、サクラはより強力な改造を求めてアルに再び会いたがっているそうです……」と言う――。
「私を消滅させる為に――?」
イナ・フォグが間髪入れずにラキアに聞く――すると、ラキアは慌てて左手をブンブンと振りながら、イナ・フォグの言葉を否定した。
イナ・フォグはラキアが左手を振っている事に気が付いて「――あら? 左腕はもう治ったみたいね……」と目を細めた。
すると、ラキアは嬉しそうに「――はい。 これも、ウサギに修復してもらったもので……。 彼女には感謝してもしきれないくらいですよ、全く――」と机に並べてあるオイル缶を湯呑に注いで、ガブガブと喉を潤した。
(……感謝するのなら、戦車の修理手伝ってやればいいのに……)
ヒツジはミヨシを膝に抱きながら、ジトッとした目でラキアを見た。
ラキアはそんなヒツジの目線を知ってか知らずか、再び襟を正したかのようにピッと背筋を伸ばし、イナ・フォグに目線を合わせた。
「――っと、ちょっと話がそれましたが、決して貴方様を攻撃しようとする意図はなく、マルアハ『ハギト』を討伐する為にさらなる強化を求めているんです」
――ラキアの話では、サクラ2号は先週までハーブリムに留まっていたそうだ。 橋の修理が終わるまでハーブリムで待機して、橋が通行できるようになったら再びデモニウム・グラキエスに向かおうと考えていたのだ。
ところが、ナ・リディリから再びハーブリムへやって来たソルテスとアロンから『ハギトを討伐する為にライコウがゼルナーを求めている』と聞いて、デモニウム・グラキエスに行ってアルを探す計画を変更し、仲間と共に一足先にアイナへと向かったとの事であった。
「……サクラはアラトロン様をもう恨んではいません。 アカネの亡骸をこの目で確かめ、私の過ちを説明しましたら、ようやく彼女も納得し、自分の手でアカネを埋葬しました……」
二輪車の体でどうやってアカネを埋葬したかなど野暮な事はイナ・フォグも聞かなかったが、恐らく鋼鉄のスパイクタイヤにでも履き替えてタイヤの回転で穴を掘ったのであろう……。
「……そう……。 それで『仲間と一緒に』と言うけど、実際どの程度の仲間がアイナへ向かったの?」
イナ・フォグの問いを『待ってました』とばかりに、口元に笑みを浮かべるラキア――
「――全員――」
ラキアの言葉に三人は首を傾げる――。
「――全員って、何人さ?」
「ハーブリムのゼルナーの全て――
1500人です――」
ミヨシは驚いてヒツジの顔を見上げると、ヒツジもまた目を丸くしており「ハーブリムのゼルナーってそんなにいたんだっけ?」などとデバイスを起動させて確かめていた。
――ヒツジはハーブリムにどれだけの器械が住んでいるのか全く把握していなかった。
デバイスを使用すれば都市に何体――いや、何人の器械が稼働しているかはすぐに把握できる事であったが、ヒツジにとって器械の総数など特に知る必要はなかったのである。
ハーブリムはおよそ10万人の器械達が稼働している。
ゼルナーの数が1500人という事は、10万人いる器械の中でショル・アボルを退治出来るものがたった1500人しかいないという事である。 ヒツジは思いのほかゼルナーの数が多くて驚いたようだが、ハーブリムの人口から見れば、ゼルナーの数はむしろ少ないのである。
サクラ2号のようにゼルナーでなくとも性能が高い器械は何人かいるが、殆どはゼルナーでなければショル・アボルすら退治する事が出来ない。
そして、その1500人のゼルナーの中で、マルアハと戦える程の者は一人もいなかったのだ――ライコウを除いては。
――
先週、ハーブリムのゼルナー達が大挙して役所前の中央広場に集まっていた。
ソルテスとアロン、エンドルの三人が『ゼルナー決起集会――英雄と共に――』と銘打ってデバイス上に広告を打ち、ゼルナー達を一同に呼び集めたのだ。
三人はたかが一介のゼルナーであり『隊長』や『総帥』だのと言った、いわゆる『お偉方』では無い。 だが、彼らがハーブリムの英雄『ライコウ』と共にアラトロンを連れて来たゼルナーである事は有名であったので、三人の呼びかけに応じたゼルナー達は「もしかしたら、ライコウが帰って来たのか?」とライコウ見たさに期待して集まって来たのであった。
――ところが、せっかく集まってみたもののライコウはその場におらず、ヒラのゼルナーが三人並んでいるだけで、全くの期待外れであった……。
そうなると、三人に呼ばれた事に対する不満が徐々に高まっていき――やがてゼルナー達から「ライコウを出せ!」などの怒号が飛び交い始め、中央広場は混沌とした様相を呈して来た。
そんな中、ソルテスが広場の前に拵えた檀上へと上がり「ライコウは、ハギトを討伐する為にアラトロンと共にアイナへ向かったままだ」と皆に詫びを入れ――「ハギトを倒すため、マザーに力を貸してほしい」と訴えたのであった。
何故、ソルテスは「ライコウに力を貸して欲しい」言わずに、あえて「マザーに力を貸して欲しい」と言ったのか?
ソルテスは、巨大な拡声器を両手で持ち、都市全体に響き渡るような声でゼルナー達に協力を求めた――。
「ウルセー!」だの「帰れ!」だのヤジが飛び交い、機械の歯車やネジ、鉄骨や鉄板などが次々とソルテス達三人に向かって投げつけられ、エンドルは運悪く投げつけられたトンカチが頭に当たって気を失ってしまった……。 それでも、ソルテスは必死に説得をし続け、やがてその声は熱を帯びた――。
「――いまや、私達はマルアハに対抗できる力を手に入れたのです!
マルアハ『アラトロン』は英雄の手によって、マザーの軍門に降りました! それは、この100年の間誰も成し得なかった私達の悲願でありました!
――皆さん! 今こそ、己の生きる意味を自問する時が来たのです!
何の為に私達は生きている――?
誰の為に生きている――?
隣にいる皆さんの顔を見てごらんなさい。
隣にいる者、貴方達の家族、全ての者は一体何のために生まれ、誰の為に生きているのか?」
ソルテスの言葉に群衆は徐々に静まってきた……。
首をひねって考える者もいれば、熱心にソルテスの言葉に耳を傾ける者もいる。 はたまた隣の者にソルテスの言葉の意味を聞いて、互いに肩を竦める者達もいた……。
ソルテスの演説はさらに熱を上げて来た。
「マザーは私達に言いました――。
『我々は創造主たる人間によって創られた』と――。
『我々は創造主の為に生まれ、創造主の為に生きている』と――。
――否!」
なんと、ソルテスはマザーの言葉を真っ向から否定した!
ソルテスの言葉に群衆はざわつき始め――「不敬だ!」「死刑だ!」と再び怒鳴り声が入り乱れた。
――ソルテスは群衆を宥めるように両手を上げ下げして、騒ぎが収まるのを待った。
「――創造主たる人間、神たる人間……
……神とは?
私たちが神と崇める人間は、一体、私達に何をしてくれたというのです――記録でしか見た事が無い人間が――
私達を創造した――?
私達にアニマを授けた――?
――否!
私達を創造し、無償の愛を授けたのは外ならぬマザーただ一人!」
群衆はソルテスの言葉に落ち着きを取り戻した。
「――では、改めて聞きます!
私達は何の為に生きて、誰の為に死ぬのか?
私達は――
私達は愛する者の為に生き、愛する者達の為に死ぬのです!」
ソルテスの叫びに、群衆からまばらな拍手が起こった。 だが、マザーの言葉を否定した事で一部のゼルナーは不満の声を上げている。
「――皆さん、勘違いをしないで頂きたい……。
私はマザーを愛しています。 皆さんもそうでしょう――」
ソルテスがそう言うと、群衆は首を縦に振った。
「――そうです! 皆さんは勘違いしている!
マザーの為に生きる事こそ、私達の生きる意味ではなかったのですか?
神の為ではありません! 人間の為ではありません!
マザーの為に我々は生き、そして死んでいくのです」
ソルテスの言葉に群衆の一人が「そうだ、そうだ!」と合いの手を入れる――すると、あちこちから「人間なんて関係ない! 俺達はマザーの為に戦うんだ!」など声が聞こえ、その声は大きな歓声と拍手に変わっていった――。
ソルテスは尚もゼルナー達を鼓舞する――。
「最後の人間はマザーの庇護下に置かれています。
深い愛を持ってマザーは人間という神を――! その尊い御身を犠牲にして護っているのです!
……神を復活させる事はマザーの夢であります。 私達の夢は、そのマザーの夢を実現させる事に他なりません!
勘違いをしないで頂いたい!
誰の為に生き、誰の為に死ぬのか――」
ソルテスの叫びは大きな歓声と拍手に掻き消され、やがて「マザー万歳!」という声がしたと思うと、群衆も一斉に「マザー万歳!」と叫び、大きな地鳴りを引き起こした。
ソルテスはその熱気が少し冷めるのをじっくりと待ち――やがて地鳴りが止んだと同時に再び呼び掛けた。
「――私達の英雄『ライコウ』は愛するマザー為、身を粉にして戦い続けました。
そして、そのライコウは、いよいよ――あの恐るべきマルアハ『ハギト』と戦おうとしています!
あのバハドゥルですら壊滅させる恐るべき敵です……。
しかし、ライコウには『アラトロン』が従っています。
あの、恐るべきハギトと同等の力を持つ強大なマルアハを我々の英雄が従えているのです!」
ソルテスが叫ぶと、再び大きな歓声が沸き起こり、群衆は一様にライコウの名を叫び出した……。 ライコウは恐らくクシャミをしているに違いない……。
「――皆さん! 我々は神の為に戦うのではありません! 神を愛し、神を復活させる為に尊い御身を犠牲にする偉大なるマザーの為に戦うのです!
その為の力はすでに手に入れた――!
皆さん、後はライコウと共に進むだけです!
愛するマザーの夢を実現させる為、今こそ皆さんのお力をお借りしたい!」
――ハーブリム全体にマザーを称賛する地響きのような歓声が響き渡った。
それから、すぐにハーブリムの英雄を称える声も聞こえて来た。
こうして、万歳三唱――マザーを称える歌なども聞こえて来て、ゼルナー達は一致団結してハギトへ立ち向かおうと気勢を上げ、ソルテスの演説は大成功に終わったのであった。
――
ソルテスは事前にマザーに会って、演説の了解を取った。
これだけの数のゼルナー達を一致団結させる為に、一人一人を説得して回ることは不可能であったからだ。
本来、一兵卒であるソルテスが演説の主役となることは力不足である。 リーダーや隊長といった役職を持つゼルナーが演説を行うべきであったが、役職を持つゼルナーは押し並べて市民の信頼度が低かった。
もし、求心力が高く、カリスマ性のあるゼルナーであれば、マザーを表に出さずとも、リーダーシップを発揮してゼルナー達を率いる事が出来るだろう。 だが、そんなゼルナーはこのハーブリムにはおらず、ライコウとてカリスマ性はあるものの、自らゼルナー達を率いるリーダーシップなど無かった。
そこで、ソルテスはマザーを表に出し、マザーを愛する英雄の仲間という立ち位置に終始して演説を行った。
ライコウとヒツジはマザーの事を信頼しておらず、愛してもいなかった……。
だが、全世界の器械はマザーによって製造され、マザーによってゼルナーとなった者達なので、彼らの殆どがマザーを信頼し、愛していた。 それは、子が親を無条件で信頼し、愛するような感覚と似ていた。
ところが、器械達は、マザーが神と言っている人間に対しては全く親近感を持っておらず、雲の上どころか宇宙の彼方の存在として捉えている者が殆どであった。
マザーは器械達に『人間を再びこの大地に繁栄させる為、マルアハとショル・アボルを駆逐しなさい』と命令した。
だが、器械達は、遠い昔に存在していた者の為に自分を犠牲にして戦おうとは思っておらず『マザーがそう言うから、仕方なく……』という者達が殆どだったのだ。
つまり、器械達は自発的に戦っていたのではなく、マザーの命令で仕方なく戦っていたに過ぎなかったのである。 『神の為に戦う』という現実味にかける目的では器械達の士気が上がらなかったのだ。
――そこで、ソルテスは神を否定した。 見た事も会った事も無い者の為に戦う訳ではないと、器械達の目的を現実的な方向へ変えた。
つまり『全ての器械は、生みの親であるマザーの為に戦うのである』という目的を、再び器械達に思い出させた。
そして、ゼルナー達から『英雄』と称賛されていたライコウを、マザーを愛する器械達の代表として祀り上げた。
器械達は人間とは違い夢想家ではない。 あくまで論理的な回路で構成された現実主義者である。
現実主義者は神など信じないのである。
――ところで、人間を愛するマザーにしてみれば、ソルテスの不敬な発言は許されざる発言のはずである。
ところが、マザーは人間を愛してはいたが、盲目的に人間を愛する狂信者ではなかった。
マザーが人間を『神』と言った理由は『人間をこの地上に再び繁栄させる』という目的を器械達に共有させる為の方便に過ぎず、マザーとて人間を『神』だとは思っていなかったのである。
したがって、ソルテスが「人間は神では無い」と放言したところで、それにより器械達の士気が上がって自分の期待通りの働きをしてくれれば良いだけで、むしろ、他者の為に自らを犠牲にしようとする器械達の姿勢を喜ばしく思っていた。
それに、最終的にショル・アボルとマルアハを駆逐して人間を再びこの地に繁栄させる事が出来れば、その後にゆっくりと器械達を人間に従わせれば良いと考えたのである。
マザーは人間を愛していたものの、ただ愛しているという理由だけで人間をこの地に再び繁栄させようとしている訳では無かったのである。
――人間ではない『真なる神』――その神に対抗する一つの手段として人間を復活させようと考えていたのである。