014 論功行賞
テッサリアの滅亡は、この数百年の歴史においても類の少ない大きな出来事であった。一つの国が滅亡し、久しぶりに大きく地図が塗り替えられたのである。
スパルディア帝国は西方国境においてレウクトラを保護国とし、テッサリアを占領して支配地域を拡大することに成功した。ともかくも、今上皇帝ガイウス4世の治世はこれ以上ないほどに輝いていた。
その輝きに光を加え帝国の隆盛に貢献したことで、第四騎士団(青白騎士団:ブラウヴァイスリッター)の名も国の内外に轟いていた。
帝都に凱旋したレオンたちをまず待ち受けていたのは、歓呼して迎える民衆であった。リネン宮へと続く大通りの両側には、蟻が入る隙間もないほどの人間がひしめき合い、この新たな英雄を見ようとしていた。
レオンたちは快く見物の民衆に手を振って答えた。レオンに最も観衆の注目が集まったのは当然だが、副団長のディアーネやマリウスにも多くの歓声が向けられた。
マリウスは黙っていればかなりの貴公子であったし、ディアーネは戦いの女神に例えられるほどにその美しさで有名になっていた。第三騎士団長であるテオドールなどは、あからさまにディアーネに手を出してはねつけられている。
「引っ掛けられそうな女性はいたかしら?」
ディアーネがマリウスに笑いかけた。この瀟洒な男は、戦場から戻ると放蕩児の本領を発揮して娼館に通い詰めているのだ。
「お前は俺をなんだと思っているのだ。俺の愛の対象は高貴な女性に限られるんでね」
「ふーん、その割に娼館には通っているのね」
「……それはそれ。全くの別事さ」
先頭を行くレオンの背を見ながら、マリウスは出発する前に彼と交わした会話を思い出していた。
「民が俺を英雄として迎えてくれるなら、それに乗っておくさ。どうせ俺を否定する奴らは、そんなこととはお構いなしに邪魔をしてくるのだ。英雄ともなれば、下手な手出しはしづらくなるだろう」
レオンの言うことはもっともだ。だが、英雄になることによりレオンを危険視する人間も確実に増える。いまはレオンを得難い人材と思っている皇帝も、いつか疑念を生じるかもしれないのだ。
警戒は常にしておくべきだ、参謀としてマリウスはそう気を引き締めたのである。
帝都への凱旋に際して、皇帝にはヨルムを配下としたことを報告してある。この輝かしい勝利の前では、多少の無理は聞き入れられるはずであった。
ヨルムは思ったよりも頭の切れる男だった。きちんとコントロールしておかねば良からぬことを考えるかもしれないが、それも今日明日ということではないだろう。
マリウスは早速ヨルムを使って、帝国内の反レオン勢力について調査を始めさせていた。
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「第四騎士団長レオン=フィルメダスよ。こたびのテッサリア征服の功、誠に大儀であった。長く帝国の歴史に残る壮挙と言って良いだろう。見事だ」
皇帝ガイウス4世の言葉に、レオンは一段と頭を低くした。
「陛下の御威光の賜物でございます。過分なお言葉、身に余る光栄にございます」
いまだ人質の身ゆえ、レオンは常に辞を低くすることを心がけてきた。レオンに批判的なものは、それも悪意を抱く材料の一つであるらしい。すなわち謙虚に見えて何を考えているか分からない男だ、と。
レオンはそのような噂を聞くにつけ、その評者の聡明さを褒めたくなった。
「そなたの功績には十分に報いよう。そなたの軍や兵士にもな」
「有り難き幸せにございます」
「以前話をしたように、わが娘マーシェロンをそなたに娶せる。これでそなたも我が一族に連なる身となる」
「身に余る光栄です。喜びこれに優るものはございません」
レオンは心底喜んでいる表情を顔に浮かべた。皇帝という専制君主の機嫌を損ねるのは危険なことだ。迂闊な反応を示すことはできない。
「マーシェロンを妻にするとなれば、そなたの身分も考えねばなるまいな。いつまでもレウクトラの人質というのでは肩身が狭かろう……。そうだな、そなたには伯爵の地位と新たに領地を与えることにしよう」
皇帝は思った以上にテッサリアの征服を喜んでいるようだった。反レオン派の貴族たちが眉をひそめるような厚遇である。
(これならしばらくは皇帝の心底を疑う必要はあるまい)
レオンは一先ず安心した。大功をあげたことでかえって君主の疑念を呼ぶこともあり得るからである。
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「無事に帰って来れて良かったわね。大した功績もあげて」
謁見を終えたレオンに話しかけて来たのは、第二騎士団の深紅騎士団の団長アドニアである。
アドニアは今年28歳、下級貴族の出身で、皇妃付きの騎士からガイウス4世の警護などを経て武勇が評価され、第一騎士団に配属、その活躍によって当時新設された第二騎士団長に任じられた。
彼女は四大騎士団のなかで唯一の女性の団長であり、その武勇と人を率いる指導力は他の団長に一歩もひけをとるものではない。容貌の方でも、東方系の血を引いていることで黒髪に褐色の肌とエキゾチックな魅力を備え、ディアーネが出てくるまでは、帝国軍兵士の視線を一身に集めていた女である。
レオンにあからさまに反感を持っているテオドールと比べ、アドニアはレオンの実績を正当に評価し、親しく助言してくれる数少ない友人であった。
「ありがとう。あなたは東方の国境でご活躍だったのようですね」
レオンがテッサリア攻略に取りかかっている間、アドニアの第二騎士団は東方のガーラント神教国との戦いを担当していた。ガーラントは神権政治を行う東の大国である。
「侵入してきたガーラント軍を追い払いはしたけれど、あなたの武勲とは比べ物にならないわ。わたしなどすぐに置いて行かれてしまうでしょうね」
「いえ、アドニアさんにはこれからも親しくしていただきたいと思っています。なにしろわたしは敵が多いですから」
レオンには敵は多いが、味方といえる者はわずかしかいない。アドニアはそのわずかな味方と言って良い。レオンはこの5歳歳上の先輩に敬意を持っていたし、第二騎士団とは協力関係を築きたいと思っていた。
「敵か。まあ、今回の成功で貴族たちの反感はさらに強くなるでしょうね」
「今さらという感はありますが。すでに宰相閣下やロイゼン伯には睨まれておりますゆえ」
フフッとアドニアが笑みを浮かべた。彼女は武人としてありたいと思い、政治とは出来るだけ距離をとっている。そのため宰相らとは悪く無い関係を築いている。
だが、レオンはレウクトラの王子である。好むと好まざるとにかかわらず帝国の政治に巻き込まれるのだ。
「テオドールも以前に増してあなたを憎悪しているみたい。気をつけなさい」
テオドール、その名前を聞くとレオンは憂鬱になった。同じ四大騎士団の団長として決して小さくない敵だ。しかも宰相のスピロと違って固有の武力を持っている。今はともかく、将来的に彼と戦うことは必然のことのように思われた。