第2章−A
あーあ、今日もダメだったっ。
――太陽が、そろそろ地上に向かって、降り始める頃。
美言ったら本当ダメだなぁ……。
月代の街中には、頬を膨らませたまま俯き、石畳を蹴飛ばしながら、街の高台へと歩みを進める、美言の姿があった。その手には、美言が庭の花畑から摘んで来たばかりの秋の花が、新聞紙に包まれて持たれていた。
石造りの建物が目立つ、歴史的風合いの強い月代の街は、今日も地元特有の穏やかな活気に満ち溢れていた。
花を飾った洋風屋台から、或いは、愛らしく飾られた小さな店の玄関から、
よお、美言ちゃん! 今日は先生と喧嘩でもしたのかい?
美言ちゃんっ、今日は機嫌が悪いみたいだね? どうだい? うちのケーキでも食べて行かないかい?
相変わらず陽気に話しかけてくる街の人達へと、それでも挨拶と笑顔とは忘れなかった美言ではあったが、
……中々、上手くいかないよね。
笑って街の人達に応えている間にも、今日の出来事を――否、ここ最近の出来事を、忘れることができずにいた。
歩みを進めれば進めるほど、坂が急になればなるほど、浮かない気持ちは強くなる。
美言は、胸元で花を抱きしめる力を、少しだけ強くする。甘い香りが、ほんのりと流れて行った。
どうにも、魔法が上手くならない。
最近はずっと、そればかりを感じていた。今日も今日で、先日からずっとやっているのと同じく、折れた木の枝を繋げる練習に励んでいたのだが、やはり、初めて練習を始めた日と変らず、目標をやり遂げることは叶わなかった。
比較的美言が得意としている空を飛ぶことでさえ、最近は成長に伸び悩みを覚えているのだ。どんなに高く、速くと望んでも、箒は、今まで以上の動きを見せてくれはしなかった。
勉強は、それなりにしてるはずなんだけどなあ。
魔法の基礎については、きちんと机に向かって連日勉強している。
それなのに、確かに魔法は、知識だけではどうにもならないとわかってはいても、
……美言、やっぱり才能無いのかなぁ……。それとも、頑張りが今一つ足りないとか?
単に不調な時期なのか。それとも、美言にこれ以上の才能が無いということなのか。
確かに、ルーカスは連日、そういう時期もありますよ……と言って、美言のことを元気付けてくれようとするのだが。
「どうなんだろ……」
ふぅ……と大きく溜息を吐くと、花を手にしたまま背中で手を組み、足下に落ちていた石ころをからりと蹴飛ばした。
坂は、高見に向かって、その角度を急にしてゆく。道は街の中心部から外れ、元々それなりにまばらであった人通りが、いよいよ本当にまばらになってくる。
あーあ……でも、元気出さなきゃなぁ。
落ち込んでても始まらないもんねっ、と、今日はもう何度も言い聞かせている言葉を、もう一度自分の心に言い聞かせると、美言は鬱積を振り払うかのようにして、先ほど蹴飛ばされてここまで飛ばされてきていた石ころを、もう一度おもいきり蹴飛ばした。
そうして、顔を上げる。
「……あ」
そこで、声が洩れた。
坂の上には、一人の青年が立っていた。美言には、その青年に見覚えがある。
「こん、にちは。……久しぶり、だよね?」
――あの時の人だ。
ぎこちなく頭を下げた後、そろりそろりと、青年へと視線を向ける。
青年の手に抱えられているのは、スケッチブックと、筆入れと。相変わらず、固い表情の青年は、
「……やあ」
短く呟くのみであった。
「あ、あのね? もしかして石、当たっちゃった?」
だから君、機嫌が悪いの?
続けて、慌てた美言へと、
「別に」
視線を逸らして答えると、青年は美言に向かって歩みを進めて来た。
あ、もしかして、
……少しは、仲良くしてくれる気になったのかな?
たった一度、森で会ったことがあるだけのあの青年。
でもね、美言は、君とちょっと、仲良くしてみたいなぁって、やっぱりそう思うんだけど、どうなんだろ?
「ね、やっぱり君、この街に住んでたんだね?」
積極的に応えてほしくて、問いを重ねる。
その時、ふと、自分がまだ、彼に対して名乗っていないのだということを思い出した。
あっ、そうだった、
「あのねっ。みこ――、」
とは、美言、って言うの。
早速自己紹介をしようと、笑顔を浮かべた頃には、しかし青年は、美言の横を通り過ぎている。
美言が、慌てて振り返る。
「ねえ、ちょっとっ!」
「何か用事でも?」
「別に用事なんて無いけどっ! また会えたんだもん、ね、お名前くらい教えてくれたって……、」
「はいはい、また今度」
数歩だけ追いかけた美言ではあったが、今回も軽くあしらわれ、その場に立ち止まってしまう。
ぷう、と頬を膨らませ、
……何、あのヒト。
「ケチっ!」
思わず素直な心が口をついて出てきたが、それでも青年は振り返る気配を見せてくれなかった。
その後ろ姿は、坂の下へと溶けて行く。坂の下に広がる、古びた色合いの月代の街へと。
もうっ。
美言は溜息を吐いて、坂の下り方面を向いたままで、視線を上げた。
――月代の街が、そうして、その下の街が、都会が、海が、一望できる場所。月代の街の中でも、最も高い場所。
月代は、高台に造られた街であった。時代も遡り、明治、と呼ばれた頃に、外国人のための街として開発されたこの場所に住んでいた異人達は、遠い昔、或いはこの高見の光景に、優越感を感じていたのかも知れない。
遠い都会の向こう側で、海がきらら、輝きを散らせている。
青い風を受け、美言が瞳を細めた。
美言の大好きな月代の光景が、ここにも、一つ。
「……ま、いっか」
そんな世界に包まれて、すっかり機嫌を落ち着けた美言は、胸元で花を抱えなおすと、踵を返して坂を上り始めた。
坂の上から、時を告げる、教会の鐘楼の鐘の音が響き渡った。




