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『世界樹の少女と、終わりの魂』  作者: 雨宮ぐみ


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第五十八話 海からの呼び声



前書き


この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。


森の声。


魂の記憶。


ご先祖様から受け継がれる想い。


そして、まだ誰にも決められていない未来。


私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。


もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。


楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。


けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。


大切な人を想う気持ち。


失った人への愛。


自分では変えられない過去。


そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。


どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。


それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。


誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。


その先に、どんな未来が待っているのか――。


楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。


あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。


そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。

第五十八話 海からの呼び声


 羅臼の朝。


 水平線から昇った太陽が、海を金色に染めていました。


 楓夏たちは海岸に立っています。


 昨日までの出来事が、まるで夢だったように感じられました。


 凪もいる。


 黒羽楓も笑っている。


 雪乃も、蒼空も、空良も、岳もいる。


 けれど――。


 楓夏だけには聞こえていました。


 海の底から届く、不思議な声が。


『楓夏』


「海さん?」


『こちらへ』


 波が、何度も楓夏の足元までやってきます。


 そしてそのたびに――。


 白い羽根のようなものが一枚ずつ、砂浜に流れ着きました。


「これ、何だろう?」


 楓夏が拾い上げると、凪が驚きました。


「それ……」


「知ってるの?」


「昔、見たことがある」


 凪の表情が曇ります。


「これは『海の記憶』を呼ぶ羽根」


「海の記憶?」


「うん。海が覚えている出来事を見せることができる」


 雪乃が羽根を見つめました。


「でも、どうして今になって?」


 その瞬間――。


 沖合から、大きな背びれが現れました。


 ザァァッ――。


 海面から姿を現したのは、一頭の白いシャチ。


 真っ白な身体。


 黒い瞳。


 その姿は、まるで海そのものから生まれたようでした。


「シャチ……」


 楓夏が呟きます。


 シャチは楓夏を見つめます。


『やっと会えた』


「あなたが呼んだの?」


『そう』


 楓夏は海岸へ近づきました。


「どうして私を?」


『海の底に、眠っているものがある』


「最後の命?」


『そう』


 楓夏の胸の紋章が光ります。


『あれは、陸の生き物ではない』


 蒼空が尋ねます。


「じゃあ、何?」


『海そのものに近い命』


 全員が顔を見合わせました。


「海の底へ行かなきゃいけないの?」


『そう』


 花音が心配そうに言いました。


「でも、私たち泳げないよ」


 シャチが尾びれを揺らします。


『心配はいらない』


『海が、お前たちを守る』


 ***


 その日の昼。


 楓夏たちは海岸から小さな船に乗りました。


 船が沖へ進むと、陸地が少しずつ遠ざかります。


 羅臼の山々が青く見えます。


 楓夏は海面を見つめました。


 魚たちが泳いでいます。


 昆布が揺れています。


 小さなカニ。


 クラゲ。


 そして――。


 たくさんの海鳥。


「海って、こんなにたくさんの命がいるんだね」


 楓夏が言いました。


 すると海が答えます。


『陸の命も、海の命も、つながっている』


「どういうこと?」


『雨は山から海へ流れる』


『海の水は空へ上がり、雲になり、また山へ戻る』


『命も同じ』


 楓夏は静かに聞いていました。


『終わりは、始まりでもある』


 その言葉に――。


 母の声を思い出しました。


 「前を向いて」


 楓夏は胸に手を当てました。


「お母さん……」


 ***


 突然。


 海面が大きく揺れました。


「きゃっ!」


 船が大きく傾きます。


 凪が楓夏の腕をつかみます。


「つかまって!」


 ゴォォォ……。


 海の底から、巨大な音が響きます。


 シャチが叫びました。


『来る!』


「何が?」


『海の闇だ!』


 海面が一瞬で真っ黒になりました。


 黒い霧のようなものが海の中から広がってきます。


「また黒い影?」


 空良が身構えます。


 しかし雪乃が首を振りました。


「違う……」


「何が?」


「これは黒い影の力じゃない」


 雪乃が海を見つめます。


「もっと古いもの」


 すると――。


 海面から巨大な目が一つ現れました。


 真っ黒な目。


 その周りには、無数の触手のような影。


『帰れ』


 低い声が響きます。


『ここは、生きている者の場所ではない』


 楓夏は怖くなりました。


 けれど、海が叫びます。


『恐れるな!』


『あれは、海が抱えてきた悲しみそのものだ!』


「悲しみ……?」


『海は長い年月、たくさんの命を失ってきた』


『その悲しみが積み重なり、形になった』


 巨大な影が動きます。


『命は死ぬ』


『失う』


『消えていく』


『ならば――』


 海が激しく波立ちます。


『すべてを眠らせてしまえばいい』


 楓夏は首を振りました。


「違う!」


『何が違う?』


「死んでも、なくならないものがある!」


 巨大な目が楓夏を見る。


「思い出!」


 楓夏の胸の紋章が輝きます。


「お母さんが教えてくれた!」


「大切な人がいなくなっても、その人がくれたものは心に残る!」


 黒い海が揺れます。


「だから――」


 楓夏は海へ手を伸ばしました。


「悲しいなら、一緒に悲しもう!」


 その瞬間。


 海が静まりました。


 そして、海の底から――。


 一つの光が浮かび上がってきます。


 青い光。


 その中には、小さな赤ちゃんの姿がありました。


「赤ちゃん……?」


 雪乃が目を見開きます。


『これが――』


『最後の命』


 シャチが静かに言いました。


『まだ生まれていない命』


 楓夏は驚きました。


「まだ生まれてないの?」


『そう』


『この命には、未来そのものが宿っている』


 巨大な海の影が叫びます。


『未来など必要ない!』


 影が光へ襲いかかります。


「させない!」


 楓夏が叫びます。


 蒼空が海を操ります。


 空良が風を起こします。


 岳が大地の力を呼びます。


 雪乃が記憶の光を放ちます。


 黒羽楓が白い命の光を重ねます。


 凪が七人をつなぎます。


 そして――。


 白いシャチが海そのものを呼び起こしました。


 巨大な波が立ち上がります。


 ザァァァァァッ!


 しかし、楓夏は気づきました。


 このまま力で押さえつければ、また同じことになる。


「みんな!」


 楓夏が叫びました。


「攻撃しないで!」


「え?」


 全員が止まります。


「この海の悲しみも、聞いてあげよう!」


 楓夏は海へ向かって両手を広げました。


「あなたも、寂しかったんだよね」


 巨大な影が震えます。


『……』


「たくさんの命を失って」


「誰にも悲しみを分かってもらえなくて」


「だから、全部眠らせたかったんだよね」


 影の目から――。


 一滴の黒い涙が落ちました。


 海へ落ちた瞬間。


 黒い水が青く変わっていきます。


『……悲しい』


 影が初めて、小さな声で言いました。


「うん」


『怖い』


「うん」


『忘れられるのが怖い』


 楓夏は頷きました。


「忘れないよ」


 その言葉とともに――。


 影は少しずつ消えていきました。


 代わりに、海の底から無数の光が浮かび上がります。


 魚。


 鳥。


 クジラ。


 シャチ。


 そして、遠い昔に海で生きていたたくさんの命。


 そのすべてが光になって、空へ昇っていきます。


「きれい……」


 花音が呟きました。


 海は静かに輝いていました。


 ***


 白いシャチが楓夏の前に泳いできました。


『ありがとう』


「ううん」


『最後の命は、まだ眠っている』


 楓夏が青い光を見ると、その光はゆっくり海の彼方へ進んでいきます。


「どこへ行くの?」


『未来へ』


「未来?」


『いつか、この命が生まれるとき――』


『新しい物語が始まる』


 シャチは海へ消えていきました。


 楓夏たちはしばらく海を見つめていました。


 そのとき。


 凪が突然、胸を押さえます。


「どうしたの?」


 楓夏が駆け寄ります。


「……聞こえる」


「何が?」


 凪は海の向こうを見つめました。


「誰かが呼んでる」


 雪乃の顔が青ざめます。


「まさか……」


「知ってる声なの?」


 凪が頷きます。


「うん」


 そして――。


 凪は小さく呟きました。


「八人目の守り手」


 楓夏たちは顔を見合わせました。


「でも、八人目は……」


 その瞬間。


 海の彼方に、巨大な光の柱が立ち上がりました。


 そこに浮かんだのは――。


 北海道の地図。


 羅臼から始まり、知床半島を越え、さらに北へ。


 最後に光が止まった場所。


 そこには、ひとつの文字が浮かんでいました。


 「稚内」


 楓夏は地図を見つめます。


「……次は、稚内」


 凪が静かに頷きました。


「うん」


 しかし、雪乃は震えていました。


「楓夏ちゃん……」


「なに?」


「稚内には――」


 雪乃は言葉を止めました。


 そして、海の彼方を見つめます。


「私たちが、絶対に思い出してはいけない場所がある」


 楓夏の胸の紋章が、再び強く輝きました。


 ――第五十九話へ続く。



後書き

『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


全100話。


長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。


最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。


物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。


けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。


私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。


過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。


楓夏が最後にたどり着いた、


「未来は誰かに決めてもらうものではない」


という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。


そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。


大切な人との思い出。


亡くなった人から受け取った愛。


家族の絆。


言葉にできなかった想い。


それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。


もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。


楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。


そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。


物語は終わりました。


けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。


悠真がどんな人生を歩むのか。


結花がどんな大人になるのか。


凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。


それは、誰にも決められていません。


だからこそ、未来には無限の可能性があります。


この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。


もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。


立ち止まってもいい。


遠回りしてもいい。


時には、最初から選び直してもいい。


あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。


最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。


心からの感謝を込めて。


そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。


ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。


もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。


「大丈夫。


未来は、これから自分で選んでいけるよ」


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


全100話――完結。

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