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『世界樹の少女と、終わりの魂』  作者: 雨宮ぐみ


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第五十七話 母の願い



前書き


この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。


森の声。


魂の記憶。


ご先祖様から受け継がれる想い。


そして、まだ誰にも決められていない未来。


私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。


もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。


楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。


けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。


大切な人を想う気持ち。


失った人への愛。


自分では変えられない過去。


そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。


どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。


それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。


誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。


その先に、どんな未来が待っているのか――。


楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。


あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。


そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。

第五十七話 母の願い


 白い光の中に立っていた女性を見て、楓夏は動けませんでした。


 長い髪。


 優しい目。


 その笑顔は、楓夏が幼いころから心の奥で覚えていたものでした。


「お母さん……」


 女性は静かに微笑みました。


「楓夏」


 その声を聞いた瞬間、楓夏の胸の奥にしまわれていた記憶が、次々とよみがえりました。


 小さな手を握ってくれたこと。


 眠る前に本を読んでくれたこと。


 泣いたときに抱きしめてくれたこと。


 そして――。


「森には、たくさんのお友達がいるのよ」


 幼い楓夏に、そう教えてくれたこと。


 楓夏の目から涙がこぼれます。


「ずっと……会いたかった」


「私も」


 母は両手を広げました。


「おいで」


 楓夏は走りました。


 けれど――。


 あと一歩のところで、透明な壁にぶつかりました。


「え……?」


 母には触れません。


「どうして?」


「まだ、あなたはここに来てはいけないの」


「どうして?」


「ここは、生きている人間が長くいられる場所ではないから」


 楓夏は首を振ります。


「嫌だ」


「楓夏……」


「やっと会えたのに」


 母は悲しそうに笑いました。


「だからこそ、伝えたいことがあるの」


 ***


 母の後ろに、大きな光景が浮かびました。


 まだ小さかった楓夏。


 母。


 父。


 そして祖父母。


 その家族の周りには、森の動物たちがいました。


「楓夏が生まれた夜、私は気づいたの」


 母が話します。


「この子には、特別な力があるって」


 祖父が幼い楓夏を抱いています。


 窓の外では、たくさんの動物たちが静かに空を見上げていました。


「でも、その力だけじゃない」


 母は続けます。


「あなたの魂には、もっと大きな力が宿っていた」


「命をつなぐ力……?」


「そう」


 母が頷きます。


「でも、本当の意味はそれだけじゃないの」


「じゃあ何?」


「命と命の間にある、絆をつなぐ力」


 楓夏は黙って聞きました。


「森と人間」


「動物と人間」


「過去と未来」


「生きているものと、旅立ったもの」


 母は楓夏を見つめます。


「そのすべてをつなげる力」


 楓夏の胸の白い光が輝きました。


「だから、黒い影はあなたを欲しがっている」


「どうして?」


「黒い影は、命と命を切り離す存在だから」


 母の表情が曇ります。


「悲しみを利用し、人を孤独にし、誰も誰かを信じられないようにする」


「だから凪くんを……」


「そう」


 母は頷きました。


「凪は、みんなをつなぐ子だった」


 楓夏は拳を握りました。


「じゃあ、凪くんを助ければ、黒い影を倒せる?」


「倒す必要はないの」


「え?」


「黒い影を倒そうとすると、また新しい悲しみが生まれる」


 母は首を振ります。


「必要なのは、黒い影を変えること」


「変える……?」


「悲しみを消すのではなく、悲しみを抱えたままでも生きられるようにする」


 楓夏は考えました。


「……難しい」


「うん」


 母は微笑みます。


「だから、一人ではできない」


 その瞬間。


 楓夏の後ろに仲間たちが集まりました。


 蒼空。


 空良。


 岳。


 雪乃。


 黒羽楓。


 そして――。


「凪くんも」


 楓夏が言いました。


「七人でやる」


 母は微笑みました。


「そう」


 ***


 突然――。


 白い世界が激しく揺れました。


『くだらない』


 黒い影の声です。


『悲しみを抱えたまま生きるなど、苦しいだけだ』


 母が振り返ります。


「あなたは、そう思っているのね」


『私は苦しみから命を救おうとしている』


「違う」


 母は静かに答えました。


「あなたは、苦しみを消すために、命そのものまで消そうとしている」


『……』


「それでは救ったことにはならない」


 黒い影が怒り、白い世界に黒い亀裂が走ります。


『ならば、お前の娘を奪う!』


 巨大な黒い手が楓夏へ伸びました。


「楓夏!」


 蒼空が叫びます。


 楓夏は逃げません。


 胸の白い光を両手で包みます。


「私は……」


 白い光が大きくなります。


「一人じゃない!」


 蒼空の青い光。


 空良の金色の光。


 岳の茶色の光。


 雪乃の銀色の光。


 黒羽楓の黒と白が混ざった光。


 そして――。


 遠くから凪の白い光。


 七つの光が一つになりました。


『やめろ!』


 黒い影が叫びます。


「凪くん!」


 楓夏が手を伸ばします。


「帰ってきて!」


 白い光が黒い霧を突き抜けました。


 その中から、凪の手が現れます。


「楓夏!」


「今度こそ――」


 楓夏は凪の手をつかみました。


「一緒に帰ろう!」


 凪の身体が黒い霧から引き出されます。


「みんな!」


 凪が叫びます。


 六人が手をつなぎます。


 七人の光がさらに強くなりました。


 黒い影が苦しみます。


『私は……』


『私は、消えたくない』


 楓夏は叫びました。


「消さないよ!」


『……何?』


「あなたも、命の一部なんでしょう?」


 黒い影が動きを止めました。


「悲しみも、怒りも、寂しさも」


 楓夏は続けます。


「全部、なかったことにはしない」


「でも――」


 楓夏の白い光が黒い影を包みます。


「誰かを傷つけるのは、もう終わり」


 黒い影から、無数の声が聞こえました。


『悲しい』


『寂しい』


『怖い』


『忘れられたくない』


 楓夏は目を閉じます。


「大丈夫」


 そして一人一人の声を受け止めるように、静かに言いました。


「忘れないよ」


 すると――。


 黒い影の赤い目から、一粒の涙が落ちました。


 その涙が地面に触れた瞬間。


 黒い霧が、少しずつ消えていきます。


 巨大だった影は、やがて一人の小さな子どもの姿になりました。


 男の子です。


 ひどく寂しそうな顔をしています。


「……僕も」


 少年が呟きます。


「仲間になっていい?」


 楓夏は微笑みました。


「うん」


「……本当に?」


「もちろん」


 楓夏は手を差し出しました。


 少年は恐る恐る、その手を握りました。


 すると――。


 黒い紋章が、少しずつ灰色へ変わっていきます。


 そして最後には――。


 小さな黒い花が一輪、咲きました。


 ***


 白い世界が崩れ始めます。


 母が楓夏を見つめました。


「もう帰る時間」


「お母さんも一緒に来て」


 楓夏が言います。


 母は優しく首を振りました。


「私は、ここで見守る」


「嫌だよ……」


「楓夏」


 母は微笑みます。


「あなたはもう、一人で歩ける」


「でも……」


「森がいる」


 母は言いました。


「海も、空も、大地も」


「そして、あなたの仲間たちも」


 楓夏は涙を拭きました。


「……うん」


「それに」


 母は最後に言いました。


「私はいつも、あなたの中にいる」


 楓夏は母を見つめます。


「忘れない」


「忘れなくていい」


 母は笑いました。


「でも、前を向いて」


 白い光が母を包み始めます。


「お母さん!」


「楓夏」


「うん!」


「大好きよ」


「私も!」


 光が消えました。


 楓夏は、その場に立ち尽くします。


 そして胸に手を当てました。


 温かい。


 そこには、確かに母の愛が残っていました。


 ***


 やがて一行は、羅臼の森へ戻ってきました。


 朝でした。


 木々の間から太陽が差し込んでいます。


 凪も戻っています。


「おかえり」


 楓夏が笑いました。


「ただいま」


 凪も笑います。


 黒羽楓の身体からは、黒い亀裂が消えていました。


「私……もう大丈夫みたい」


「よかった!」


 花音が喜びます。


 雪乃も笑っています。


 けれど――。


 楓夏だけが、森の奥を見ていました。


「どうしたの?」


 蒼空が尋ねます。


「まだ声がする」


「何の?」


「森」


 木々がざわめきました。


 風とは違う声。


『ありがとう』


『けれど――』


『まだ、一つだけ残っている』


 楓夏の表情が変わります。


「何が?」


 大地が低く響きました。


『北海道の北の果てに眠る――』


『最後の命』


 楓夏は仲間たちを見ました。


 物語はまだ終わっていません。


 そしてその日――。


 羅臼の海の向こうから、一頭の白いシャチが姿を現しました。


 シャチは楓夏を見つめて、静かに鳴きました。


『次は、海の底へ』


 ――第五十八話へ続く。



後書き

『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


全100話。


長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。


最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。


物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。


けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。


私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。


過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。


楓夏が最後にたどり着いた、


「未来は誰かに決めてもらうものではない」


という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。


そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。


大切な人との思い出。


亡くなった人から受け取った愛。


家族の絆。


言葉にできなかった想い。


それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。


もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。


楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。


そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。


物語は終わりました。


けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。


悠真がどんな人生を歩むのか。


結花がどんな大人になるのか。


凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。


それは、誰にも決められていません。


だからこそ、未来には無限の可能性があります。


この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。


もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。


立ち止まってもいい。


遠回りしてもいい。


時には、最初から選び直してもいい。


あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。


最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。


心からの感謝を込めて。


そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。


ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。


もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。


「大丈夫。


未来は、これから自分で選んでいけるよ」


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


全100話――完結。

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