第二十五話 楓夏が森の声を聞く理由
前書き
この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。
森の声。
魂の記憶。
ご先祖様から受け継がれる想い。
そして、まだ誰にも決められていない未来。
私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。
もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。
楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。
けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。
大切な人を想う気持ち。
失った人への愛。
自分では変えられない過去。
そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。
どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。
それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。
誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。
その先に、どんな未来が待っているのか――。
楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。
あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。
そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。
第二十五話 楓夏が森の声を聞く理由
地下へ続く階段は、どこまでも暗く続いていました。
楓夏は、おばあちゃんの手を握りながら、一段ずつ降りていきます。
コツ……。
コツ……。
足音だけが響きます。
美月、凛、悠真、ひかりも後ろからついてきました。
冬木と黒い石の男は、地上に残りました。
「怖くない?」
美月が小さな声で聞きました。
「うん」
楓夏は答えました。
「だって、ひいおばあちゃんが呼んでるから」
階段の先に、小さな扉がありました。
扉には、白い木の模様。
そして中央には、楓夏のペンダントと同じ五つの印が刻まれています。
楓夏が触れると――。
カチャ。
ひとりでに扉が開きました。
中には、小さな部屋がありました。
部屋の中央に置かれていたのは、一つの木箱。
古い箱ですが、埃ひとつありません。
おばあちゃんが言いました。
「これが……最後の箱」
楓夏は近づきます。
「開けていい?」
「ええ」
楓夏が蓋に手をかけます。
すると――。
箱の中から、淡い緑色の光が漏れました。
「きれい……」
美月がつぶやきます。
中に入っていたのは、一枚の写真。
古い日記。
そして、小さなガラス瓶でした。
瓶の中には、土が入っています。
「これ、何?」
楓夏が聞くと、おばあちゃんは答えました。
「森の土よ」
「どうして箱に?」
「あなたのひいおばあちゃんが、大切に保管していたの」
楓夏は写真を手に取りました。
そこには、若い頃のおばあちゃんと、ひいおばあちゃん。
そして――。
「この赤ちゃん……私?」
写真の中央には、小さな赤ちゃんを抱いたひいおばあちゃんが写っていました。
おばあちゃんは首を横に振りました。
「違うわ」
「じゃあ、誰?」
おばあちゃんは静かに答えました。
「あなたのお母さんよ」
「お母さん……」
楓夏は写真を見つめます。
そのとき、ひかりが突然言いました。
「この写真……悲しい気持ちがする」
楓夏は顔を上げました。
「どうして?」
「おばあちゃんも、ひいおばあちゃんも……この赤ちゃんを見ながら、何かを決めたみたい」
おばあちゃんは驚いた顔をしました。
「ひかりちゃん……そこまで分かるのね」
「うん」
おばあちゃんは、ゆっくり話し始めました。
「あなたのお母さんが生まれたとき、ひいおばあちゃんは森の声を聞いていた」
「お母さんも?」
「ええ」
楓夏は驚きました。
「じゃあ、お母さんも動物と話せたの?」
「少しだけね」
おばあちゃんは微笑みました。
「でも、あなたのお母さんは森の声を聞く力を怖がっていた」
「どうして?」
「普通の人には聞こえない声が聞こえるから」
おばあちゃんは写真を見つめます。
「小さい頃、動物たちが話しかけてくるたびに、お母さんは怯えていた」
「……」
「だから、ひいおばあちゃんは、その力を封じることにしたの」
楓夏は目を見開きました。
「封じる?」
「そう」
「じゃあ、どうして私には聞こえるの?」
おばあちゃんは、ガラス瓶を手に取りました。
「あなたのお母さんが妊娠したとき――」
「うん」
「ひいおばあちゃんは、この森へ来たの」
おばあちゃんは瓶の中の土を見つめます。
「そして白い木にお願いしたの」
『この子が生まれたら、森を恐れない子にしてください』
楓夏の胸が熱くなりました。
「それが……私?」
「そう」
おばあちゃんはうなずきました。
「あなたは生まれたときから、森に守られていたの」
その瞬間。
部屋の中に風が吹きました。
窓はありません。
扉も閉まっています。
なのに――。
緑色の光が、ゆっくり舞い上がります。
そして楓夏の前に、ひいおばあちゃんの姿が現れました。
「ひいおばあちゃん!」
楓夏が駆け寄ります。
けれど、触れることはできません。
『楓夏』
「どうして私に力をくれたの?」
『私は、力を与えたのではありません』
「え?」
『あなたが持っていた力を、恐れないようにしただけです』
楓夏は黙って聞きます。
『森の声を聞く力は、特別な魔法ではありません』
『命の声を、大切に思う心です』
「心……」
『だから、あなた一人の力ではない』
ひいおばあちゃんは、五人の仲間を見ました。
『美月には海』
『凛には雪』
『悠真には風』
『ひかりには心』
そして楓夏を見つめます。
『あなたには森』
『五つが揃って、初めて本当の力になるのです』
ひいおばあちゃんの姿が、少しずつ薄くなっていきます。
「待って!」
楓夏が叫びます。
「もう一つだけ聞きたい!」
『何ですか?』
「私のお母さんは……今も森の声を聞けるの?」
ひいおばあちゃんは微笑みました。
『聞こえていますよ』
「え……?」
『ただ、聞こえないふりをしているだけ』
光が消えました。
部屋が静かになります。
楓夏はおばあちゃんを見ました。
「おばあちゃん」
「……ええ」
「お母さんは、森の声が聞こえるんだね?」
おばあちゃんはしばらく黙っていました。
そして――。
「そうよ」
楓夏の目が大きくなりました。
「じゃあ、お母さんに聞けば全部分かる?」
「いいえ」
おばあちゃんは首を横に振りました。
「あなたのお母さんは、まだ何も話すつもりはないわ」
「どうして?」
「怖いから」
「何が?」
おばあちゃんが答える前に――。
地上から大きな音が聞こえました。
ドォォォン!
「何!?」
みんなが振り返ります。
続いて、ひかりが耳を押さえました。
「誰かが……白い木に入ろうとしてる!」
「え?」
「黒い石を使ってる!」
楓夏は走り出しました。
「行こう!」
階段を駆け上がります。
地上へ出ると、白い木の前に異変が起きていました。
黒い石の男が倒れています。
冬木も地面に膝をついています。
そして――。
白い木の根元に、大きな黒い亀裂が入っていました。
「白い木さん!」
楓夏が叫びます。
『ふうか……』
声が弱々しい。
「何があったの?」
『誰かが……森の奥へ入った』
「誰?」
白い木は答えません。
その代わり、一本の枝がゆっくり北の方角を指しました。
楓夏は気づきました。
「誰かが……逃げた?」
ひかりが目を閉じます。
「違う」
「え?」
「その人……」
ひかりの顔が青ざめました。
「私たちを待ってる」
楓夏の背筋が凍りました。
森の奥から、声が聞こえます。
『楓夏』
今度は、ひいおばあちゃんの声ではありません。
知らない男の声。
『君のお母さんについて、知りたくないか?』
楓夏は息をのみました。
「お母さん……?」
声は続きます。
『ならば来い』
『この森の、一番深い場所へ』
そして――。
森の奥で、何かが光りました。
五つの光。
森。
海。
雪。
風。
心。
五つの力が、北の森へ向かって伸びていきます。
楓夏は仲間たちを見ました。
「行こう」
美月がうなずきます。
「うん」
凛も。
「一緒に行く」
悠真も。
「僕も」
ひかりも。
「私も行く」
そして楓夏は、白い木を見上げました。
「森さん」
『何?』
「私、お母さんのことを知りたい」
『ならば――』
白い木の枝が、北の森を指しました。
『森の奥へ』
こうして楓夏たちは、これまで一度も入ったことのない――。
道東の「禁じられた森」へ向かうことになったのでした。
後書き
『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話。
長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。
最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。
物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。
けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。
私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。
過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。
楓夏が最後にたどり着いた、
「未来は誰かに決めてもらうものではない」
という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。
そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。
大切な人との思い出。
亡くなった人から受け取った愛。
家族の絆。
言葉にできなかった想い。
それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。
もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。
楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。
そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。
物語は終わりました。
けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。
悠真がどんな人生を歩むのか。
結花がどんな大人になるのか。
凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。
それは、誰にも決められていません。
だからこそ、未来には無限の可能性があります。
この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。
もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいい。
遠回りしてもいい。
時には、最初から選び直してもいい。
あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。
最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。
心からの感謝を込めて。
そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。
「大丈夫。
未来は、これから自分で選んでいけるよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話――完結。




