第十七話 もう一人の少女
前書き
この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。
森の声。
魂の記憶。
ご先祖様から受け継がれる想い。
そして、まだ誰にも決められていない未来。
私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。
もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。
楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。
けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。
大切な人を想う気持ち。
失った人への愛。
自分では変えられない過去。
そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。
どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。
それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。
誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。
その先に、どんな未来が待っているのか――。
楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。
あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。
そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。
第十七話 もう一人の少女
ギィィ……。
古い木の扉が、ゆっくり開きました。
その向こうは真っ暗です。
けれど、奥から小さな声が聞こえます。
「楓夏ちゃん……」
楓夏は息を止めました。
「……誰?」
返事はありません。
代わりに、暗闇の奥で小さな光が揺れました。
ホタルのような、青白い光。
その光が少しずつ近づいてきます。
そして――。
一人の女の子が姿を現しました。
年は、楓夏と同じくらい。
長い黒髪。
白いコート。
雪のように白い肌。
女の子は、じっと楓夏を見つめています。
「あなた……誰?」
楓夏が聞くと、女の子は小さく答えました。
「私、凛」
「りんちゃん?」
「うん」
美月が楓夏の隣に立ちました。
「どうして楓夏ちゃんの名前を知ってるの?」
凛は少しうつむきました。
「森が教えてくれたの」
楓夏は驚きました。
「凛ちゃんも……森の声が聞こえるの?」
凛はうなずきました。
「聞こえるよ」
その瞬間。
周囲の木々が一斉にざわめきました。
『三人』
『三人そろった』
『約束の子どもたち』
楓夏は耳を澄ませました。
「三人?」
美月も聞き返します。
「私たちのほかに、もう一人いるの?」
森は答えません。
凛だけが、悲しそうに言いました。
「いるよ」
「誰?」
「私のお兄ちゃん」
楓夏は目を丸くしました。
「お兄ちゃんも森の声が聞こえるの?」
「うん」
凛は答えました。
「でも……今はいない」
「どこにいるの?」
「分からない」
凛は唇を噛みました。
「去年の冬に、突然いなくなったの」
お父さんが凛の前にしゃがみます。
「警察には?」
「探してもらった。でも、見つからなかった」
「名前は?」
「悠真」
凛が答えました。
「九歳」
楓夏の胸が苦しくなりました。
「どうして、この地下にいるの?」
凛は振り返りました。
「お兄ちゃんを探していたら、ここを見つけたの」
「一人で?」
「うん」
お父さんが心配そうな顔をします。
「危ないから、もう一人で来ちゃだめだ」
凛は小さくうなずきました。
そのとき――。
地下の奥から、
コツン。
と音がしました。
凛の顔が変わります。
「……お兄ちゃん?」
凛が走り出しました。
「待って!」
楓夏たちも後を追います。
地下の森は、雪の下にあるとは思えないほど広がっていました。
小さな川。
苔むした岩。
大きな木の根。
そして、天井には細い穴がいくつも開いていて、そこから雪が少しずつ落ちています。
凛が突然立ち止まりました。
「ここ」
「何?」
凛は壁に手を当てました。
「お兄ちゃんの声がする」
楓夏も壁に手を置きます。
すると――。
『助けて』
かすかな声。
「……!」
楓夏は顔を上げました。
「聞こえる!」
美月も壁に耳を当てます。
「私にも……」
お父さんが壁を調べます。
「向こうに空洞がある」
研究者の男性が周囲を調べました。
「この壁は人工的に作られている」
壁の一部を押すと、
カチッ。
小さな音がしました。
ゴゴゴゴ……。
石の壁が横へ動きます。
その向こうに、小さな部屋がありました。
「悠真!」
凛が叫びます。
部屋の隅に、男の子が座っていました。
「凛……?」
「お兄ちゃん!」
凛は走って抱きつきました。
「よかった……!」
悠真は弱々しく笑いました。
「来てくれたんだ」
「ずっと探してた!」
楓夏は二人を見つめました。
けれど、すぐに気づきました。
悠真の手首には、赤い跡があります。
「怪我したの?」
「大丈夫」
悠真は答えました。
「ここに閉じ込められていただけ」
お父さんが険しい顔になります。
「誰に?」
悠真は黙りました。
「黒い帽子の人?」
悠真は首を横に振りました。
「違う」
「じゃあ誰?」
悠真はゆっくり答えました。
「白い車の男でもない」
「……じゃあ?」
悠真は地下の奥を見つめました。
「もっと怖い人」
楓夏の背中に、冷たいものが走りました。
「どんな人?」
「顔は見てない」
「どうして?」
「いつも森の奥から声だけが聞こえた」
悠真は震える声で続けました。
「その人は、こう言ってた」
「何て?」
悠真は楓夏を見ました。
「『森の声を聞く子どもを三人集めろ』って」
楓夏、美月、凛。
三人が顔を見合わせます。
そして――。
楓夏のペンダントが突然熱くなりました。
熱い。
今までとは比べものにならないほどです。
「うっ……!」
楓夏が胸を押さえた瞬間。
地下の森に光が走りました。
木々が一斉に揺れます。
『三人が揃った』
『扉が開く』
『最後の約束へ』
悠真が青ざめました。
「違う……」
「え?」
「まだ三人じゃない」
楓夏は息をのみました。
「さっき、森は三人って言ったよ?」
悠真は首を横に振ります。
「森の声を聞く子は――」
その瞬間。
地下のさらに奥から、
ドン。
大きな音がしました。
そして、壁に新しい文字が浮かび上がります。
『四人目を探せ』
楓夏は文字を見つめました。
「四人目……」
美月がつぶやきます。
「まだいるの?」
凛も不安そうに頷きます。
すると悠真が、何かを思い出したように言いました。
「いる」
「知ってるの?」
「うん」
悠真は震える指で、地下の森の奥を指しました。
「あの子は――」
一瞬、言葉を止めます。
「人間じゃない」
楓夏の目が大きく開きました。
「じゃあ……何なの?」
悠真は答えませんでした。
その代わり、地下の森の奥で――。
白い影がゆっくり動きました。
雪の中から現れたのは、一頭の大きなエゾオオカミ。
その目は、青く光っています。
オオカミは楓夏たちを見つめると、低い声で言いました。
『やっと来たね』
楓夏は驚きました。
「オオカミさんも……話せるの?」
『私は、ただのオオカミではない』
オオカミは静かに答えました。
『私は、この森を守る最後の番人』
そして、地下のさらに奥を見つめます。
『四人目は、もうすぐ目を覚ます』
その瞬間――。
地面が大きく揺れました。
ドォォォン!
地下水が一気に流れ込みます。
そして暗闇の奥から――。
巨大な何かが、ゆっくりと目を開きました。
青白い光が、地下の森を照らします。
楓夏は息をのみました。
森の声が、今までにないほど大きく響きます。
『目覚める――』
『道東の森の守り神が――』
楓夏たちは、まだ知らなかったのです。
次に始まるのは、人間だけの事件ではないことを。
森そのものを揺るがす、古い約束の物語が始まろうとしていました。
後書き
『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話。
長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。
最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。
物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。
けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。
私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。
過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。
楓夏が最後にたどり着いた、
「未来は誰かに決めてもらうものではない」
という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。
そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。
大切な人との思い出。
亡くなった人から受け取った愛。
家族の絆。
言葉にできなかった想い。
それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。
もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。
楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。
そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。
物語は終わりました。
けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。
悠真がどんな人生を歩むのか。
結花がどんな大人になるのか。
凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。
それは、誰にも決められていません。
だからこそ、未来には無限の可能性があります。
この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。
もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいい。
遠回りしてもいい。
時には、最初から選び直してもいい。
あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。
最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。
心からの感謝を込めて。
そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。
「大丈夫。
未来は、これから自分で選んでいけるよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話――完結。




