2.獣人たちの街
翌日。マルクスはまた俺の部屋へとやってきた。
大勢の使用人を従えて。
「準備しろ」
「「「はっ」」」
「え?」
その後はなんかもう……すごかった。
部屋に運び込まれた荷物が、あっという間に広げられていく。なんで化粧台みたいなものまであるの? これ普通に持ってきたの? 怖すぎ。ベッドしかなかった部屋なのに、一気にものが増えていく。クローゼットにまで服が詰め込まれていくんだけど、マジでどれだけ持ってきたんだ。怖い。
茫然とその光景を見てたら、
「神子様もご準備しましょうねー」
ってにっこり笑って、見ず知らずの人が近付いてきた。
「わーーーーーーー!!」
絶叫虚しく、あっという間に身包みを剥がされてしまう。作務衣みたいな服だったから、脱ぎやすいし脱がしやすくもあったんだろうけど。でもそれにしても、簡単に脱がされすぎだと思う。
ちなみに俺がここに来た時に着てたスーツは、一度も袖を通してない。あれは俺にとっては仕事着だ。リラックスしたいときに着る服じゃなかった。
話がそれたが、服を脱がされただけじゃない。そのままぽいっと風呂場にまで放り込まれた上、何故か体中を洗いはじめやがった!
「自分で洗える!」
って言っても、にっこり笑って聞き流される。この場に俺の味方はいないらしい。
くっそ、マルクスの部下はマルクスそっくりだ。人の話を聞きやしない。どれだけ抵抗しても力で敵うはずがなく、俺は頭から足の爪先まで、本当に隅々まで洗われてしまった。もうお婿に行けない。
ちなみにシロは水が苦手らしくて、風呂場には絶対に入ってこない。猫だもんね。仕方ない。
風呂から上がれば、当然体を拭かれて、髪を乾かされる。魔法ってドライヤー代わりになるんだな、初めて知った。
で、化粧水みたいな何かをペタペタと全身に塗られて、いつもよりもちゃんとした服を着せられて。
「「「お待たせいたしました!」」」
って、ぽーんとマルクスの前に差し出された。
マルクスはシロと何かを話していたらしい。二人揃って俺に気付くと、シロはぱっと表情を輝かせ、マルクスは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「神子様、似合ってる!」
「ありがとう」
あああああ……シロ可愛い。最高すぎる。駆け寄ってきたもふもふに、いつものように抱き着こうとして……ぐいっと首根っこを掴まれた。
「ぐぇ」
思わず変な声が出た。こんなことをする奴なんて、一人しかいない。
後ろを振り返れば、そこにはもちろんマルクスがいる。
「触るな。また匂いが付くだろう」
「シロの匂いならいくら、で……も」
後半に勢いがなくなったのは、マルクスに睨みつけられたからだ。今まで以上にキツく睨みつけられて、心臓がヒュッとなる。
こわい。
本能的にそう思った。肉食獣に睨まれる感覚、っていうのかな。食われる。本当にそう思ったんだ。
勝手に震えだした体を悟られないように、きつく手を握りしめる。そんな俺をどう思ったんだろう。マルクスが深く息を吐いたと思えば、
「……二度と言うな」
反射的に頷けば、やっと放してくれた。だけどもう、シロの元まで駆け寄る元気もない。
崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまった。
「神子様、大丈夫? マルクスやっつけようか?」
「ハッ。お前ごときにやられる俺とでも?」
「神子様虐める奴は、誰だろうと許さない」
シロとマルクスが喧嘩をしてる。二人を止めなきゃいけない、って頭ではわかってるけど……体が震えて、言うことをきかない。心臓はいまだにバクバクと激しく動いてて、二人の声さえ聞こえないくらいだ。
呼吸さえできずにいると、ふと額になにかが触れた。
「ちょっと失礼しますよ」
ふわりとぬくもりが体を包む。まるで温泉に浸かってるみたいな、体中から力が抜けていく感覚だ。自然と心臓も静かになってきて、俺はやっと新鮮な空気を取り込むことができた。
はっはっ、と浅く呼吸を繰り返したあと、深く酸素を吸い込む。はー……やっと落ち着いてきた。
顔を上げれば、にっこりと笑う人。いつの間にいたんだ。
「……ありがとう、ヒューイ」
「どういたしまして」
ワシの獣人のヒューイは、獣人には珍しく回復魔法が使えるらしい。今のもきっとそれだ。本当に助かった。
俺に魔法をかけるために、ヒューイは片膝をついていた。が、すくっと立ち上がるなり、
「で? 神子様を放置して喧嘩してるバカどもの言い訳を聞こうか?」
……なんかヒューイの周りの空気も冷たい気がする。でも俺が顔を上げれば、いつも通りの穏やかな笑顔を向けられるから、俺はそれ以上は気にしなかった。
ヒューイが差し出した手を取れば、立ち上がるサポートをしてくれた。うん、もう大丈夫そう。足にもしっかり力が入る。
ヒューイを見て頷けば、彼も安心したみたいだ。軽く俺の服を払いながら、
「今日の外出は俺も同行します。マルクスにばっかりいい思いはさせません」
マルクスと二人なんて気まずいから、同行はむしろ嬉しいけど、いい思い、とは?
わからなくて首を傾げたけど、答えを教えてくれるつもりはないらしい。にっこりと笑うばかりだ。
マルクスよりはとっつきやすいんだけど、いつも笑顔だからちょっと胡散臭いんだよね。マルクスよりはとっつきやすいんだけど。
「シロも一緒に行ける?」
「いえ、この巨体は目立ちますので」
……だよね。なんとなくそんな気はしてた。
シロへと視線を向ければ、シュンと落ち込んでるように見えた。いつもなら撫で回して励ますところだけど、今は触っちゃダメなんだっけ。マルクスの思い通りになるのは嫌だけど……また動けなくなるのも困る。恐怖に屈したわけじゃない。決して。
「お土産買ってくるよ」
「……ううん。神子様がちゃんと無事に帰ってきてくれたら、それだけでいいよ」
聞いた? 聞きました? こんなに可愛いこと言われて、撫でないなんて無理でしょ。
反射的に手を伸ばせば、シロも頭を下げてくる。ぺたんと床に寝そべっても、俺の身長じゃシロの頭には手が届かない。代わりにほっぺのあたりを撫でれば、シロは静かに目を閉じた。
「わかった。すぐに帰ってくるから」
「うん。待ってる」
可愛い。こんなに可愛いシロを置いていかなきゃいけないくらいなら、出掛けなくてもいいのでは?
そう思うんだけど、それはそれで許されないらしい。マルクスとヒューイに両隣を陣取られ、三人で横並びになって俺は部屋を出た。
「うわぁ……!」
街に入るなり、俺は思わず足を止めて感嘆の声を上げてしまった。
だって、すごい。RPGの街並みみたい。レンガ造りの家と、道路の両サイドに所狭しと並んだお店。店番に立っているのは獣度の多い人たちで、右を見ても左を見ても前を見てももふもふだった。
「神子様、あまりお顔を出さないように」
「お前は目立つ」
「わ、わかってるよ」
この世界の人たちは、何かしら獣としての特徴を持ってる。マルクスは猫耳尻尾だし、ヒューイは大きな翼があった。
でも、日本人の俺はそういうものが何もない。出来るだけ目立たないよう、今だってフード付きのマントを羽織り、深くフードをかぶっていた。
ちなみにこのフード、猫耳付きである。恥ずかしいにもほどがあるが、これも偽装の一つだから仕方ない。そう、仕方ないんだ。今は羞恥心は割り切るべきだと何度も自分自身に言い聞かせた。
思考を切り替えて、初めての街を楽しむことにする。街どころか、部屋の外に出るのも初めてかもしれない。用事がある人はみんな部屋に来たし、俺はシロがいれば外に興味もなかったし。
……もしかして、だからマルクスが無理やり連れ出したのか? ヒューイもいる、ってことは独断じゃないんだろうけど……まぁいいや。とりあえず楽しもう。うん。
ふらふらと一番手前の店を覗き込めば、甘い匂いが鼻いっぱいに広がった。
「いらっしゃい。好きなだけ見て行ってくれ」
うわぁ。桃っぽい果物だ。イチゴっぽいのもあるけど、どっちもサイズが知ってるものじゃない。俺の顔くらいはありそうだった。
「食べますか?」
「いや、このサイズは流石に」
気になるけど、これを食べたら腹いっぱいになる気がする。他にも美味しそうな匂いはいろんなところからするし、勿体ない気がした。
んだけど。そう思うのは、俺だけらしい。
「食べきれない分は、そこの大男にやればいいんですよ。これとそれを一つずつ、カットもお願いします」
「はいよ!」
ヒューイが大きい桃とイチゴをそれぞれ指差せば、すぐに店員さんが返事をする。で、上へと放り投げたと思えば、取り出したナイフで空中で切り分けてくれた。
「おおおお!!」
何だ今のすごい! マンガとかではよく見るけど、現実では見たことない奴だ!
思わず拍手を送れば、店員さんは驚いたように目を丸くした。でもすぐにニカっと笑って、
「ずいぶんと素直な子供だな。おまけにミルクをかけてやろう」
「へ?」
こ、子供!?
上から噴き出す声がして見上げれば、マルクスが肩を震わせている。くっそ、この巨人め!
前も言った気がするけど、この世界の人たちは、基本的に体が大きい。ヒューイも二メートル以上あると思うけど、マルクスはそれよりさらに一回りも二回りも大きい。でも二人が特別大きいわけじゃなく、基本的にみんな似たようなものだ。いや、マルクスは筋肉が付いてる分、余計にでかく見えるけどさ。
とはいえ、170センチくらいの俺がまさかの子供サイズとは。どうりで今まで同じ身長の獣人に会ったことないわけだ。
子ども扱いは嫌だけど、ミルクをかけてくれる好意は嬉しい。お礼を言って受け取れば、「まいど!」と営業スマイルで返された。
とはいえね、カットされたとはいえ、元は俺の顔サイズの果物だ。入ってる容器がもうでかい。両手で抱えないと持てないほどに。
「持ちましょうか?」
ヒューイに言われて、少し考えてからゆっくりと首を振る。せっかくだから剥きたてをちゃんと食べたいじゃん。
貰った器の中身を、じっと見る。うーん、どこからどう見ても桃とイチゴ。中身まで完璧だ。手で持っていいかな? まぁフォークとかないし、手掴みで食べるものだろう。そう判断して、食べやすそうなイチゴを一つ手に取って、口へと放り込んだ。
「……んま」
なにこれ甘い。じゅわっと口の中に広がる甘みは、イチゴなんてものじゃない。練乳をかけたみたいだ。でも甘すぎるってわけでもなくて、後からちょっと酸味もくる。美味しい。本当に美味しいよ、これ。
調子に乗って、今度は桃も食べてみる。こっちは知ってる桃よりもシャリシャリしてる。凍らせた桃みたいな食感だけど、味は桃そのものだ。そんでやっぱり甘い。美味しい。
「気に入りましたか?」
「うん。どっちも好き」
素直な感想を口にすれば、何故かヒューイが口元を覆った。
あ、ヒューイも食べたいのかな。どっちにしろ、俺一人じゃ全部食えないもんな。
そう思って、俺は新しいイチゴを手に取って、ヒューイに差し出した。
「はい」
「え」
「ヒューイもどうぞ」
食べたいんでしょ?
促すように手を伸ばせば、ヒューイは少しだけ躊躇ってから……背中を丸めて、俺の手からそのままぱくんとイチゴを食べた。
「ああ、本当に甘いですね」
いつもと何かが違う笑顔が、目の前で咲く。少しだけ口から垂れたミルクをぺろりと舐める仕草に、ぶわっと体中に熱が上がった。
「んな……な!?」
いや、だって、俺は手渡しするつもりで差し出したんだ。そのまま食えなんて言ってない。
なのに、なん……なんでそのまま食べたんだよ!?
慌てる俺に、ヒューイは何故か楽しそうだ。鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌な彼とは対照的に、低い声が聞こえてきた。
「ヒューイ」
ヒェッ。
声の主が誰かはわかってる。マルクス以外にいるはずない。比較的いつでも怖いけど……今は、聞いたことがないくらい低い声だった。
怖すぎてマルクスの方を向けない。ヒューイのせいで上がった熱が、一気に冷めた。だというのにヒューイは相変わらず上機嫌に、
「神子様がしてくれたことです」
なんて、何故か俺を巻き込んできやがった。
いや、何故かじゃないな。俺のせいか。行儀が悪かったとかそういうこと? 二人とも国のお偉いさんっぽいし、立ち食いとはいえマナーがあるのかもしれない。いや、でも俺は手渡しするつもりだったんだ。……あ、そっちの方がマナー的に悪いとかそういうこと!? 箸渡し的な!? 器ごと差し出したほうがそりゃいいよな!?
恐る恐るマルクスの方を振り返ったけど、怖すぎて彼の顔は見れない。
「……ごめん、もうしない」
だから下を向いたまま謝ったんだけど。マルクスは何の反応もしなかった。
俺たちの間に沈黙が流れる。気まずい。気まずすぎる。視線を落とせばまだ抱えたままの果物が目に入って、俺は気まずさから逃げるようにまた桃へと手を伸ばした。
これがいけなかったらしい。
「わっ!?」
桃を掴んだ手を、誰かに捕まれる。顔を上げれば、そこにいたのはまさかのマルクスで。
手にしていた桃を、そのままばくりと食べられてしまった。
「なん!?」
「……あっま」
べっ、と舌を出した様からするに、マルクスの口には合わなかったんだろう。ってか、俺もヒューイも甘いって言ってんだから、甘いのわかってただろ!? いや、そうじゃなくて、マナーが悪いんじゃなかったのか!?
絶句している俺を見て、マルクスは意地悪く笑う。お前、本当になんなんだよ!? 全く理解できないんだけど!!
マルクスを睨んでも、全然効いてる様子はない。
「マルクス!」
ってヒューイが怒ってくれたけど、これも効いてる様子はなかった。
くっそ、本当に何なんだよ。仕方なく視線を反らして、今度こそ自分の口に桃を放り込んだ。うん、美味しい。こういう時は美味しいものを食べるに限る。
そういえば、思ったよりミルクいっぱい入ってるな。本当に普通の牛乳なんだけど、これって最後に飲んでいいのかな?
「ヒューイ、このミルクって飲んでいいの?」
「ええ。最後に飲むと、果汁と合わさって美味しいですよ」
なるほど、カットしてもらったから果汁が溢れるのか。ミックスジュースみたいになるのかな。いいことを教えてもらった。
最後にイチゴをもう一つ口に放り込んで、残りはヒューイに預けることにした。ヒューイは収納魔法が使えるらしくて、その中だと食べ物も腐らないらしい。便利だよね。俺も使えるようになりたい。
それからもふらふらと思うがままに街を歩く。食べ物もいろいろあったけど、全部ビッグサイズだ。ミニトマトが普通のトマトのサイズだった。ミニの意味、調べ直したほうがいいと思う。
ビッグサイズなのは食べ物だけじゃない。アクセサリーとか、服とか、そういうものもビッグサイズ。で、気付いたけど家や屋台自体も大きいと思う。もちろん、道も広い。車が6台くらいは通れそう。屋台を見る人がいても、通行には影響がないように見えた。
獣人たちも大きくて、マルクスとヒューイが普通サイズ、っていうのもやっと実感が持ててきた。子供に見間違われたけど、俺と同じくらいの身長の人には一人も会わない。基本的にみんな大きくて、俺はずっと上を見上げながら歩いてる感じだ。
あまりにも上ばっかり見てるから、途中からはヒューイに抱き上げられてしまった。屈辱。
「子ども扱いやめろ!」
「でも見やすいでしょう?」
「…………」
それはね、本当にそう。この街、俺のサイズでは作られてないんだな、ってのがよくわかる。視線があがるだけで、一気に見え方が変わったわ。
反論できなくなった俺を、ヒューイは上機嫌に抱え直した。マルクスがじっと睨んでるのがわかったから、その意味でも俺はヒューイを頼ることしかできなかった。
視線が上がったことで、面白そうなものを見つけることも増えた。俺が興味を持ったものは、ヒューイかマルクスのどっちかが買ってくれる。二人ともお金には困ってないらしい。言ってみたいよ、そんなこと。
っていっても、買ってもらってばかりなのも悪いから、ちゃんといらないものはいらないと言っている。シロへのお土産だけは忘れず買ってもらったけど、二人とも何故かいい顔はしなかった。本当に何でだ。
見るものすべてが真新しくて、ついいろいろと見てしまう。ヒューイに抱っこされてるから、歩き疲れることもない。
むしろヒューイが疲れるんじゃないかと思って、聞いてみたさ。
「俺を抱いたままで疲れない?」
「全然。神子様は羽のように軽いですね」
だって。んなわけあるか。こちとら成人男性だぞ。そりゃあ、獣人たちに比べたら身長も筋肉もないかもしれないけど……うん……羽は言いすぎだと思う。
「疲れたら俺が代わってやる」
「いや、それはちょっと」
ヒューイはともかく、マルクスに抱っこされるとか何の拷問。絶対に嫌だ。
意思表示のためにヒューイに抱き着けば、ヒューイもヒューイで俺を抱く手に少しだけ力を込めた。マルクスの眉間に皺が寄ったけど、何が気に入らないのかさっぱりだ。
ヒューイが疲れたら、その時は自分の足でちゃんと歩くだけだよ。
そう言おうとした、その時だった。
ゴッオオオン!!
急に盛大な音が響いて、体が揺れる。何、と思う前に、マルクスが俺たちを庇うように立ちはだかった。その手には、さっきまではなかった大剣が握られている。
「な、何!?」
本当に何?! 何が起きたんだ!?
マルクスの視線の先を追いかけ、空を見上げた俺は……見たこともない異形の集団を見つけて、ヒュッと息を飲んでしまった。
なんだ、あれは。獣人じゃない。マルクスも怖いけど、そういうのとは根本的に違う。
アレは、よくないものだ。
本能的な恐怖で、無意識にヒューイの服を握りしめた。ヒューイは俺を安心させるように、ぽんぽんと背中を叩いてくれる。
「大丈夫。貴方には指一本触れさせません」
「ハッ。これだけ接近されるまで気付かなかったくせに」
「それに関しては申し訳ありません。まさかこんな昼間から、王都のど真ん中に現れるとは思っていなかったもので」
なんだ。何の話をしてるんだ。
説明を求めてヒューイを見ても、ヒューイでさえも俺の方を見ようとしない。それでもちゃんと答えを教えてくれた。
「あれが魔獣です。この世界を滅ぼす悪しきもの」
「あ、れが……」
「心配するな。あれしきの数、俺一人で十分だ」
言葉と同時にマルクスが走り出し、建物を足場に空へと駆け上がった。猫は跳躍力もすごい、っていうけど、本当にその通り。ヒューイみたいに羽が生えてるわけでもないのに、軽々と空まで上がっていった。
「ッラァ!!」
声とともに剣を振るえば、魔獣の首が一刀両断された。嘘だろ、と思う間もなく、真っ二つになった魔獣が血とともに降ってくる。
ヒッ!?
「あんの馬鹿!!」
悪態とともにヒューイの指が空を撫でる。それだけで、落ちてきていたモノは炎に包まれて燃え尽きた。
すごい連携だ。でも、正直なところ、俺はそれどころじゃなかった。
頭痛がする。耳鳴りも。心臓はドクドクと脈打ってるのに、体中から体温が消えたように寒い。
「ヒューイ、ひゅ、い」
「神子様?」
握りしめたヒューイの服は、きっとしわくちゃになってるだろう。それでも、俺は力を抜けない。
「なにか、くる。あれじゃない。もっと、もっと、いやなもの」
呂律もちゃんと回ってない。ちゃんと伝わったかな。伝わっていてほしい。俺、もう満足に話せそうにないから。
俺の様子に気付いて、ヒューイが両手でしっかりと俺を抱き直してくれた。ああ、たぶん回復魔法をかけてくれてる。でも俺は回復するどころか、どんどん呼吸が浅くなっていった。
心臓が何かに鷲掴みにされてるみたいだ。体も象にでも踏みつけられてるみたいに重い。呼吸をすることさえ満足にできない中で、
「……くる」
呟くと同時に、雷が落ちて空が割れた。気付けばマルクスも俺たちの隣に戻ってきてたけど、今の俺はそれどころじゃない。
顔を上げちゃいけない。ソレを見てはいけない。本能がそう告げている。今きたモノは、よくないものだ。絶対に見ちゃいけないのに。
「 」
聞き慣れない言葉が、耳に届く。そう、聞いたことのない言葉だ。なんて言ってるかなんてわからない。
わからないのに、俺を呼ばれたのだとわかってしまった。
ゆっくりと顔を上げる。さっきまで晴れ渡っていた空は、気が付けば夜みたいに真っ暗になっていた。
稲光だけが輝く空で、黒い何かが俺を見ている。
ああ……あれを、あの人を、俺は知ってる。会ったことなんてない。
だけど、知ってるんだ。
「…… 」
体が勝手に動く。手を伸ばし、その名前を呼ぼうとして……
「ケイ!!」
「っ!!」
マルクスに呼ばれて、はっと我に返った。
「ヒューイ! しっかり見張ってろ!!」
「わかってる!!」
ヒューイが俺の伸ばした手を掴んで、無理やり下ろす。と同時に、マルクスが再び地面を蹴って、黒い彼に切りかかった。
「! だめだ、マルクス!!」
わかる。今のマルクスじゃ彼には勝てない。マルクスだけじゃない。ヒューイだって無理だ。共闘したところで、生きられる時間が数分伸びる程度だろう。彼とは大きすぎるほどの実力差がある。
だからこそ、戦わないことが最善だ。
「ヒューイ、マルクスを止めて!」
「ですが」
「っ! いい、自分でやる!!」
躊躇ってる時間なんてない。ヒューイが出来ないなら、俺がやるだけだ。
ヒューイの腕から飛び出して、両手を掲げる。魔法なんて使ったことない。使ったことないけど。
どうすればいいかは、体が知っていた。
掲げた手が熱い。熱さに比例するように、光が集まってきた。だけど眩しいとは思わない。
だってこれは、みんなを助ける光だから。
ヒューイが驚いているのが分かる。マルクスも眩しさに目が眩んだのか、まっすぐに落ちてきた。
それだけじゃない。夜空に浮かんだ異形の者たちが消えていく。そして――
ただ一人浮かんだままの君は、俺をまっすぐに見下ろした。
「……また迎えに来る」
脳裏に直接響いた声は、彼のものだろうか。俺はイエスともノーとも答えられなかった。
光に溶けるように、彼の姿も綺麗に消える。と同時に、俺は全身の疲労感に耐え切れず、そのまま意識を手放した。




