12-6 物語の行き先は?
「まあまあ。それほど目を吊り上げなくてもいいだろう。まるで蛇のようじゃあないか」
笑い声を上げたのは、かつで怪物と呼ばれた異端児、ヤマタノミズチ——いや、ヒイノミコトだ。
「ヒイ様!」
声が漏れる。首元にある貝殻の首飾りが、しゃん、と音を立てて揺れた。
アサナギ様の招集を受け、地獄から舞い戻ったらしい。地獄の門の前で別れたときよりも、体に張りついた鱗の数が減っているように見える。
スサハヤ様が「げっ!」と言い、ヒノテラス様の陰に隠れた。
ヒイ様は、にやりと笑う。
「おう。お嬢さん。意外にも早い再会だったな」
親しげな挨拶。そして、ぐるりと上半身をめぐらせ、神々を見渡す。
「おれのなれの果てがヤマタノミズチであることは、お嬢さんの〝記事〟のおかげでご存知だろう。罰を受けた経験のある神など他にいないだろうから、一言、進言させていただく」
ヒイ様は、えへん、と芝居がかった咳払いをしてみせた。
「おれは、娘を食ったことで怪物に成り下がった。これもある種の罰だろう。その結果、恐れられ、祀り上げられ、娘を食い続けた」
軽い口調だが、その中に、冗談を許さない真剣さを秘めている。
「わかるか? 身勝手な正義の材料として与えた罰は、別の新たな災厄を生む。今、エンマを蝕んでいるのは、まさにそれではないのか」
沈黙の中、次に口を開いたのは、スサハヤ様だった。
「新たな災厄、か。おれにとっての災厄は、もしもこのままエンマが命を落としたら、他の誰かが〝炎魔〟の仕事を引き継がねばならないということだな。立候補する者はいるか?」
一拍、二拍。誰も挙手しない。
「なーんだ。誰にもできねえのか」
スサハヤ様が吐き捨てる。
すると、「はいはーい」という陽気な声とともに、ヒノテラス様が進み出た。正座をしているわたしの手首をつかみ、ひょいと持ち上げる。
「この子が引き受けるわよ。やる気、正義感、聞く力、どれを取っても十分。ただし、情には流されやすいわね。物知りで、正しい線引きができて、感情にのまれない者がそばにいないとだめよ」
ぺらぺらと話し続ける太陽神に、神々は度肝を抜かれたような顔をしていた。
ヒノテラス様が、わたしの手首を、ぎゅっと優しく握る。
「やはり、エンマは、冥界に必要なのではないかしら?」
ヒノテラス様が凛とした笑顔を見せる。
わたしは弾かれたように立ち上がった。
「エンマ様と一緒に、恐怖の象徴としての裁きではなく、未来のための裁きを行います。だから、わたしたちに仕事を続けさせてください」
嘆願とともに、誓いを捧げた。
神々は互いに視線を交わし、言葉を投げ合う。うなずいたり首を振ったり、賛否は入り混じっていたが、やがて喧噪は落ち着いた。
そのときを見計らい、アサナギ様が厳かに口を開く。冥界全体に声が落ちた。
「長久のときを経て、今一度、問おう」
神々のざわめきが、ぴたりと止む。
「エンマとレイアの罰をすでに済んだものと認め、以後、お咎めなしとする意向に、賛成の者は——?」
わたしは、神に祈る気持ちでじっと待っていた。
ぱん、と小さな音が鳴った。続いて、ひとつ。さらにひとつ。拍手が波紋のように広がっていく。ためらいがちな手もあれば、力強く打ち鳴らす手もある。やがてそれは、冥界を満たす大きな音となった。
神々の表情はどこか晴れやかだった。厳しさの奥に、安堵と、未来を見る光が宿っている。
わたしは思わず、ヒノテラス様と顔を見合わせた。
アサナギ様がにっこりとほほ笑む。
「それでは、八百万の証人のもと、エンマを、罰としてではなく責任を負う者として、冥府の王の座にとどめる」
高らかな宣言と同時に、冥府に歓声が上がる。改めて仲間を受け入れるための祝福だ。
背後で、城のがれきが、かたかたと震え始める。ばらばらになっていた石壁が、ひとりでに浮かび上がる。割れた階段が音を立てて組み直され、窓枠がはまり、柱が床と天井を結んでいく。冥府の残骸が、まるで時間を巻き戻すように元の場所へ戻っていった。
桃爺、桃婆が歓声を上げた。抱き合って、ぴょんぴょんと跳ねている。
「冥府が戻ってきた!」
「わたくしらの家じゃ!」
その光景を見渡すわたしの胸は、熱く高鳴っていた。
見下ろすと、エンマ様の姿は少年から大人に戻っていた。張りつめていた緊張が一気に解け、膝が折れる。土の上に座り込んだ。
エンマ様の頬がかすかに痙攣する。閉じていたまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。瞳が焦点を結び、こちらを見上げた。
「……礼阿?」
その瞳は水晶のように澄み渡っていた。
名前を呼ばれ、思いがあふれ出る。
「はい。エンマ様、大きくなられたのですね」
わたしは涙をぬぐいながら笑っていた。
エンマ様はすべてを理解したようだった。安堵の息をつき、上半身を起こすと、迷いなくわたしを抱きしめる。
神々をかき分け、冥府の同僚たちが駆け寄ってきた。
「いやあ、れーちゃんが日本神話の初めの証人だったとはね。それを今になって必死に書き直していたんだから、ちょっと笑えない?」
白命は、ちょっとどころか大笑いしている。
「あなたの帳面が一冊しかなかった理由が、ようやくわかりました。ひずみとして生まれたのだから、当然ですね」
白録が、やれやれとため息をついた。
「エンマ様が、デリバリー娘に礼阿ちゃんの出生を調べさせていたのは、彼女がレイアなのかどうかを迷っていたからか」
桃鬼さんが、野々子ちゃんをちらりと見る。
「まったくもう 巻き込まれたね やれやれよ。いにしえからの 二人の縁に」
野々子ちゃんが桃鬼さんを見上げ、仕方ないとばかりに肩をすくめた。
八百万の神々の姿が淡く消えていく。裁きを終え、それぞれの領分へ帰っていくのだ。
その中で、スサハヤ様の声が響く。
「おい!」
わたしが目を向けると、スサハヤ様は、すでに消えかけているヒイ様の背に向かって叫んでいた。
「悪かった! 次は、おれがおまえを罰から解放する!」
ヒイ様は振り返り、笑って手を振る。
「楽しみにしているぜ、暴れん坊」
そのまま雪がほどけるように消え、地獄へ帰っていった。
ぼう然と見送るわたしとエンマ様。
ヒノテラス様の楽しそうな声が割り込む。
「すんすんったら。少しは性格が改善したかしら。れいれいのおかげよ」
ツクヨリ様が、エンマ様の顔をのぞき込んだ。
「それよりも、エンマ。今しがた、礼阿がプロポーズしたというのに、聞き逃したね」
わたしは勢いよく顔を上げた。
「違います! プロポーズなんてしていません!」
顔が一気に熱くなる。
ツクヨリ様は、ぼんやりと首をかしげた。
「だって、一緒にいることを神々の前で誓うなんて、プロポーズそのものじゃないか」
げっ。あれはそういう意味ではなかったのだけれど——
しかし、ヒノテラス様との女子会でいただいた助言を思い出し、目の前のエンマ様を見つめる。
「あのー、そのー、えーっと」
どうしよう! 顔が赤くなるばかりで、言葉が出てこない。自分の想いを証すほど難しいことはない。
もだえるわたしの手に、ぬくもりが触れた。エンマ様の手だ。罰が終わり、体温まで上がったらしい。それとも彼も照れているのだろうか?
「もう二度と離さない」
エンマ様が涼しげな顔で言う。ちっとも照れていないじゃないの!
ヒノテラス様は思い出したように、ぽん、と手を打った。
「ああ、そうか。れいれいの部屋に出たアマノジャク。今思えば、あれはきっと、エンマの疑念から生まれたものだったのね」
ヒノテラス様が、愉快そうに指折り数える。
「れいれいは今、幸せなのかとか。助ける方法があったのではないかとか。ねちねちねちねちと悩んでいたわけだ」
勝ち誇ったようににやつきながら、エンマ様を見下ろした。
「それは断定できないことです」
エンマ様がぼそりと返す。耳のふちが赤くなっている。
「はいはい。お邪魔しました。じゃ、あとはごゆっくり。冥府の王に、物語の神」
ヒノテラス様がくるりと背を向ける。光が弾け、その姿が消えた。
ツクヨリ様も、スサハヤ様も、アサナギ様も去る。
冥府に静けさが帰ってきた。
エンマ様がわたしにたずねる。
「記憶はすべて戻ったのか」
わたしは首を横に振った。
「少しずつ、部分的に」
ニワトリが先か、卵が先か。きっとその両方だ。あなたがいるからわたしがいて、わたしがいるからあなたになる。
「だから……質問させていただけますか? 昔々の出会いから、順番に」
エンマ様は、ぎくり、と表情をこわばらせた。
「覚えていない」
「取材でうまく引き出しますから」
「おれのことを知りたいのか」
「はい。あなたのこと、そしてわたしたちのことを」
ぞくぞくぞくぞく。
好奇心に背中を押され、ぐっと身を乗り出した。
「最初の質問です」
わたしは、根の国を手を取り合って逃げる二人の後ろ姿を思い出し、たずねた。
「……エンマ様って、年上好きなのですか?」
「いつの時代の話をしているんだ」
初めて投稿した作品が完結しました。
感想、アドバイス、応援等、何でもいただければ嬉しいです。次作への糧にします。
自分は死恐怖症ですが、この物語を描く中で少し楽になりました。
なるべく長生きをして、最後には、地獄の手前で待つ彼らに迎え入れてもらいましょう!
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
(2026年5月末追記
おかげさまでランキング入りしました!ありがとうございます。
6月から新作を連載いたします。ぜひお付き合いください。)




