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言葉の庭のAlife  作者: 本宮愁
第四話*観測者と『例外』
52/115

[5] 逃避のゆくえ(1)

 流す、という技術が不得手なアリスに、直接的な打撲を『ないもの』としてあつかうことなど、できようはずもなく。



「いった! うわ、いってぇ……!」



 フヒト渾身の右ストレートをまともに受けたアリスは、丸々とした黒瞳いっぱいに涙を浮かべて、床を転がりまわっている。


 非戦闘員の代表格と呼べるほどに非力な[史記]だが、その実、『情報をあつかう』という一点に関しては、右に出るものがいない。


 アリスのような不器用な存在には、『痛そうだ』と信じこませさえすればいい。


 フヒトにとっては、赤子の手をひねるようにたやすいことだ。



「馬鹿じゃないの」



 身を転がすたび、床を埋めるガラクタに身体をぶつけては、もんぜつする少年を、フヒトはひややかに見下ろす。



「意味がわからない。二度とふざけたまねしないでよ、アリス。すごく不愉快」



 表情筋を眠らせたまま、淡々とつむぐ言葉は、フヒト自身にさえ自覚できるほどに冷えきっていた。


 反射的に動きを止めたアリスが、身を丸めたまま、仁王立ちするフヒトをうかがいみる。


 首をすくめ、そろりと目線を動かす様は、まさに叱られるのを待つ子どもの姿そのものだ。



「ごめん、なさい」

「僕は、謝って欲しいわけじゃない」

「うん、……ごめん」



 そう言ったきり、アリスは頭を抱え込んだ。部屋のまんなかに残った窮屈なスペースに、すっぽりと収まるカタチで、器用に丸まる。


 とてもコンパクトなその体勢からは、普段は満ちあふれて洪水状態の生命力が、まるで感じられない。


 ――それだけで、フヒトの心は不安定にざわつく。


 横倒しで、ひざがしらに顔を埋めたまま、アリスが、くぐもった声をぽつりと漏らした。



「……眠ろうと、思ったんだ。だけど眠れなくて。そういえば俺、学都にオちてから、どれだけたったんだろうって。昼も夜もない。暖かい陽ざしがさしたつぎの瞬間には、影が空をおおう」

「アリス?」

「わけわかんなくなったんだ。俺、いちども寝てない。眠くもない。腹もすかない。フヒトはそれを当たり前だって言うけど、だけど、俺。……俺、わかんねえよ」



 きつく身体をかき抱いて、アリスはより一層小さく、ちぢこまる。


 つき刺さるような少年の孤独と困惑とを、フヒトは、文字通りに肌で感じていた。影響を流すことも忘れて、立ちつくす。



(わかって、いたのに。この子は、とても弱いから、簡単に逃げる。見ないふりをして、気づかないふりをして、すぐに問題を先送りにする)



 へらへらと笑うその裏で、なにを感じて、なにに苦しんでいるのか。


 フヒトには、探りきれない。

 根本的に、[史記]は、そういったものにうとい。


 けれど、探らなければならなかったのだ。追いこまれて逃げ場をうしなう前に、その芽を摘みとらなければならないのだ。


 もろく不安定な来訪者が、壊れてしまわないためには。



 ――仮にも、[調停者]から直々に、監査役を任じられているのだから。


 こわばっていた肩の力をぬいて、フヒトはかけるべき言葉を探す。


 安っぽいなぐさめを投げることは簡単だけれど、……それよりも先に、伝えるべきことがあると、気づいた。

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