26 新居の下見
我ながら、頑張ったと思う。
心臓の発作は頓服薬ではそう簡単には治らない。あんまりひどい時には病院に行って静脈注射で止めてもらうんだけど、あれ、一回心臓止めるから結構苦しいんだよね。できることなら自然に治ってほしい、と、可能な限り安静にして治す派なのだ。
蔵の二階。
初めて入るその部屋で布団を敷いてもらって横になった春華が目を閉じたまま回想する。
とりあえず、放っておいたら救急車を呼びかねない柊を制するに当たって「ほら私、もう元気!」を装うために腹に力を入れて立ち上がり、バーベキューをしていたテーブルの方へ行ってほぼ空になった重箱を撤収し、それとなくそばにいた何人かに「そろそろ帰りまーす」と短く挨拶をして引き上げて。
で、「すぐ横になれ」と言うヒスイの言葉に甘えてひいらぎ屋へ。
もうここは徒歩で。だってすぐ近くだし。
この状態で歩くのはちょっと辛かったけど……そこは根性。だってそうでもしないと柊さんのお姫様抱っこという何かの罰ゲームみたいな扱いになりそうだったから。
で、蔵の二階に案内されて、内装の素晴らしさなんか堪能するような余裕はなく、ヒスイが用意してくれたお布団にダイブ。
新品の布団ってこんなにふかふかなんだ……と感動する間も無く「余計な気を使わず、まずは寝ろ」と声をかけられて二人が退室したのでそのまま眠り込んだ。
「……あ、治ったかも」
時間にして一時間程度。
一度しっかり意識が落ちたせいかすっかり心臓、落ち着いた。
無意識に自分の左手首を掴んで脈を測ると平常値。
もう一度目を閉じてなんとなく反省する。
敗因はあれだ。昨日の寝不足。そして最近のストレス。こういうのが重なると発作出やすいんだよね……。
そして、ここに来るまでの間、一応いろいろなことを回避したくて必死だったとはいえ……私、態度悪かったよね……柊さんもヒスイも心配してくれてたのに申し訳なかったなぁ。
それに公園にいた皆様への挨拶……ちょっと慌ただしすぎたよねぇ……あれ、感じ悪くなかったかなぁ……。
「起きたのか?」
静かな声がしてふと視線を上げてみると。
「あ……あれ……ヒスイ?」
少し離れた所にローテーブルがあって、座布団に座ったヒスイがこちらに身を乗り出すようにしている。
……あれ? この部屋から一回出て行ったんじゃなかったっけ?
なんて思いながらも「あ、うん。ご迷惑おかけしました」と、春華が身を起こす、と。
「あ、おい、起きるな。まだ寝てろ」
ヒスイが慌てたように近づいてくる。
「あー……ありがと。でももう大丈夫」
寝ていたせいで乱れているであろう髪を手で直しながら返事をするも、気まずくて目が合わせられない。
「この発作の良いところはね、おさまったら後腐れなく普通に戻るとこなの。もうなんともないからほんとに平気」
「……嘘つくな」
そんな言葉に春華が今度こそ視線を上げて目を合わせると、そこにはなんとも言えない顔のヒスイ。
すぐ隣に腰を下ろしたヒスイが顔を覗き込んできて春華の胸がどきりと鳴る。
「お前の心の状態を感じ慣れた俺に嘘は通用しない」
「……え」
まじか。
いや、決して「嘘」ではなかった。……んだけど。
発作自体はけろっと治る。子供の頃からそのおかげで普通の活動への戻りが早く、誰にも気づかれなかったくらいだ。
ただ、最近はやけにその後が長引くようになってしまった。
発作があるとその後一週間は心臓のあたりが鉛のように重い気がして、疲れ方が酷い。現に今も起き上がってはみたもののだるくて仕方ない。
そんなことが分かっちゃう?
「……やっぱり嘘なんだな……」
「……カマかけたね……」
じとっとした視線を向けているとヒスイが視線を泳がせながらガシガシと頭を掻いた。
「……あのな」
どことなく不機嫌そうなのは……気のせいだろうか。
いや、多分、気のせいじゃない。
我ながら不機嫌な人、を見極めるのになんとなく特化しているような気がする。
そんなことをふと思って春華は内心焦る。
これは……私のせいだ。
私がこんなところで具合が悪くなったりして、迷惑をかけたからだ。
ああ、また迷惑をかけてしまった。
つい過去を思い出す。
子供の頃体調が悪くなって立っていられなくなった時、とりあえず横になれば治るから周りへの気配りもなく布団に潜り込むとか、保健室に直行するとかした後、の「自分が通常に戻った時の親の反応」を思い出してしまうのはもう染みついた習慣のようなもの。
「また大袈裟なことして」「周りに心配かけるのはやめなさい」「結局大したことないのに恥ずかしい」
そんなことをいつも言われていた。
こんなことではヒスイの嫁として迷惑をかけるだけの存在になってしまう。
いや……形式上の嫁とはいえ、だ。
一緒にいる人がこんな人騒がせな迷惑女だと……やっぱり不都合もあるよね。
今からでもここで暮らす話は無かったことにしてもらった方がいいかな。うわ、そうなると綾ちゃんに「やっぱりアパート出るの無しになった」って説明しなきゃいけないかな。いや……綾ちゃん以前に不動産屋さんか。もしくは別の物件探さなきゃいけないか。
「……おい。なんでお前が落ち込むんだ」
「え」
思っていたより柔らかい声がして春華が顔を上げる。
目が合ったヒスイは、どことなく心配そうな顔をしているとはいえ、先ほどの不機嫌そうな空気は纏っておらず、むしろ口元に微かな笑みを浮かべている。
そんなささやかな笑みの形の口元に春華の心がふっと軽くなった。
「……え、なんだお前……それ、無自覚なのか? ……あ、いや、そうなんだろうな……そうか……参ったな……そうか……」
「……?」
あれ? 私、病み上がりすぎて頭の回転悪すぎ? ヒスイが言ってることがかけらも理解出来ないけど。
そう思いつつ春華が静かに混乱する。
「お前は何も悪くない。お前が自分を責める必要は、全く、ない。いいな?」
「え……」
あれ? なんでそんなこと言われなきゃいけなんだろう?
今の流れ……あ、そうか心が分かるから私が落ち込むのが分かるということで……それはいいとしても……今の流れだと「私が失敗した」のは明らかなんだけど……あれ? なんで悪くないとか言う?
「春華さん、少し落ち着きましたか?」
ドアを隔てた向こうで声がして春華の思考が分断された。
「え、あ、はい!」
どうやら柊が部屋の外から声をかけてきてくれている。というのが分かって春華が思い切り顔をそちらに向けながら返事をすると、ドアが開いた。
「良かった。もし飲めそうならどうかなと思って作ってきましたが」
柊が手にしている漆器の盆はいつも店でお茶を出される時に見かけるものだ。
それをローテーブルに乗せる。ので。
つられるように春華が布団から這い出すと。
「お前はそこでいいだろ」
とヒスイが眉を顰める。
「いや、布団の中で飲食はありえないから。病人じゃないんだし。……ここでこぼしたりしたらどうすんのよ」
病人じゃないんだし、というのはなんだかヒスイが否定してきそうなので別の理由も付け加えながらテーブルへ。
……あら、座布団もふかふか。新しいってすごい。
「わ。ココアですか?」
テーブルに置かれた三つのカップを覗いて春華が小さく声を上げる。
「ええ、カフェインが今の春華さんに大丈夫か分からなかったので……ハーブティーの類もまた薬効が下手にあると合う合わないがあるでしょう?」
柊が分かりやすい苦笑を浮かべた。
「……すみません、お気を使わせてしまいまして……」
思わず春華が深々と頭を下げると、ヒスイがわざとらしく咳払いをする。
「お前は謝る必要はない」
「え……あ、ごめん」
「……ふ」
妙な間と声に春華が視線を逸らすと向いの柊が笑いを堪えている。
……なんだもう。めんどくさいな。
めんどくさいな。
と思いつつも。
なんだろうこれ。
妙に居心地がいい。
今まで体調を崩した後っていうのは、たいてい居心地が悪かった。申し訳ないという気持ちで一杯なのと、どうやって挽回したらいいんだろうっていう焦り。
でも、なんか、今は違う。
やけに、和む。気持ちがゆったりする。
誰からも責められないって……こんな感じなんだ。
それに、さっき、起き抜けにヒスイがそばに居たのも妙な安心感があった。目が覚めて他人がそばにいるのって緊張しかしないと思ったんだけど、ヒスイが居てくれたのって、とてもホッとしたのだ。
「で。折角来たんですから新居の見学もして行きますか?」
熱いココアを少しずつ飲んでだいぶ気持ちも和らいだ春華に柊が声をかける。
三人でココアを飲む風景というのもなんだか妙に和むなぁ……と、かなり無言が続いてしまった春華だったが、そういう沈黙も心地よいのがこのメンバーなのかもしれない。
「あ。はい! こんな形でお邪魔しちゃって申し訳なかったですが……」
そう言いながらも春華の視線は実は先ほどから控えめにキョロキョロとあちこちを眺めていた。
控えめに。
だって「出来上がった部屋を見に来てください」という招待があって入ったわけではない部屋。自分たちのための空間と分かっていても、やはりまだ人様の家という感じがするのであちこち見て回るわけにはいかないだろうし、あからさまにキョロキョロするのも不躾だろうと思ったので。
というわけで、改めまして。
見学していいと言われたわけですし、見させていただきます。
早速立ち上がった春華がまずは玄関へ。
確かここは蔵の一階から上がってきたところにあるいわば入り口。ドアに背を向けて部屋の中をまずぐるっと見回す。
だってね。そもそも、素敵なのですよこの部屋。
今まで貧乏生活だったから住まいはコストをギリギリで抑えてました。
ここ、全部屋フローリングだ!
いえ、日本家屋は大好きです。畳大好き。だけど……掃除のしやすさとかあれこれ考えるとなんとなくフローリングには憧れる。
ちなみに今のアパートも居間はフローリングだけど、自分の部屋は畳。そして安い物件をひたすら探した経験上、フローリングが多ければ多いほど家賃が高い。……つまり新しい建物ってことになるんだと思う。
玄関から入ってすぐの部屋は広くて収納スペースもあって素敵なリビング。
カウンターで仕切られた隣に広めのダイニングキッチン。しかもカウンターだ! 台所も機能的で広くて使いやすそう!
奥にあるのは浴室へのドアかな、と行って開けてみて。
うわ贅沢。脱衣所が広い。鏡が大きくて洗面台に椅子もあって……ここでしっかり身支度できるじゃん! あ、なるほどここに洗濯機もあるのですね。これだけ広かったらここで室内干しもできるね。
ついでに浴室のドアも開けちゃう。
わー……分かってたけど広い。アパートの浴室に慣れちゃってたけど、そうか一般家庭ってこういう広さなのか。
で。
色々カルチャーショックを受けたせいかちょっとフラフラしながらリビングに戻ってきて。
リビングからは……大きなベランダに出られるようになっている。
「わ。ベランダ……!」
思わず窓を開けて声が出てしまった春華に柊が微笑む。
「春華さん、あの桜好きですよね」
駐車場に車を停めてすぐの所に枝を伸ばしている桜は今年お花見をした木だ。
その木が、ベランダの真正面に見える。
「えー……すごい……これ、来年はこのベランダからもお花見ができるんじゃないかな……」
目を丸くする春華に柊がうんうんと頷く。
「お前、あの桜相当気に入ってるんだな……そりゃ桜にも気に入られるか……」
ボソリとヒスイが呟いた。
ああ、なんか前にも桜の木に気に入られてる的なことを言われたな……と思いながら春華が振り返り。
「だってね、あの木は柊さんがよく手入れしてる木でしょ? あんなにきれいにお世話されていたら誰が見たって気に入るわよ」
なんとなくドヤ顔をしてしまうのは……ひいらぎ屋の常連客としては当然だ思う。と。
「え……手入れなんかしてませんよ?」
柊がきょとんとした顔で返す。
「……はい?」
思わず春華が目を丸くして視線を柊に移すと、柊の方は本当に何を言ってるか分からないといった風で。
「え、だって、あの木……毎年この季節になっても虫はつかないし、花は綺麗だし、枝ぶりも見事なままで……」
「桜切るバカ……って言いますから枝を切ったことはありませんし……ああそういえば、虫はつかなくなりましたね。……春華さんが来るようになってからじゃないかな……昔から他所の桜に比べれば虫はつかない方でしたが、ここ数年全くつかなくなりましたねぇ」
「え……」
そんな事ってある?
春華が勢いよく振り返って再びベランダ越しに桜の木を見る。
そろそろ紅い小さい実がつく頃だ。そして、その葉は青々として虫食いの跡も無かったはず。
「だから気に入られてるって言っただろうが」
後ろからのそっと顔を出したヒスイが呟く。
「いやいやいや。意味がわからないから」
春華が大急ぎで否定すると柊が笑い出す。
「まぁ、春華さんが定期的に声をかけるから木自身の力が普通以上になって害虫も寄せ付けなくなったとか、そういうことだとは思いますけどね」
「……」
思わず黙り込む春華。
いや、だって……そんなことある……?
で。
黙り込んだついでにベランダへ出てみる。それはもう、なんとはなしに。
で。
「あれ」
ベランダ、意外に広い。いや、幅じゃなくて長さ。
うん? これ、まだ隣にも部屋がある?
「あ、もう一部屋?」
思わず声に出しながらベランダから隣の部屋を覗き込む、と。
「ええ、ありますよ。さすがに一部屋しかないということはないでしょう。……え、こっちのスペースまでで終わりだと思ったんですか?」
柊が後ろから笑いを噛み殺すようにしてついてきた。
「いや、えー……あー……そうですね……言われてみれば間取り的にそうなりますね」
春華もつい照れ笑いになる。
いやだって、初めて入る空間だから広さの割に部屋数おかしいな、とかそういう感覚無かったんだよね。
そもそもリビングだって結構な広さなのだ。
私が休んでいた布団を敷いた場所から少し離れてローテーブルがあったくらいだし。
そうか。ということは私が「これは収納」と思っていた引き戸は隣の部屋への戸襖だったというわけで。
「そっちが寝室だ」
「……ハイソウデスネ……」
なんか……ヒスイにそう言われると無駄に恥ずかしい……気がする。
結局。結構広めの2DK。なんなら広いのでパーティションとかで中で区切ったら個人の部屋も作れそうなくらい、広い。
というお部屋を使わせてもらえることが判明。
柊が「二人で同じ寝室を使うのが嫌になったらいつでも仕切りを使って二部屋に出来ますよ」なんて言ったところでヒスイの機嫌が微妙に悪くなったことに気づいたのは……もはや内緒である。




