第1話『愛するつもりはない、と言われたのでガッツポーズしました』
「――いいか、エレノア。私は君を愛するつもりは一切ない」
重厚なオーク材のデスク越しに放たれたのは、あまりにも冷酷な拒絶の言葉だった。
そこに座っていたのは、ヴィンセント・ヴァルハイト公爵。
極上の銀髪に、氷のように冷ややかな青い瞳。「氷結公爵」の異名を持つ男は、冷酷な仮面を貼り付けたまま、冷徹な声で言葉を続けた。
「君との婚姻は、王家からの打診による形式上のものだ。妻としての地位と生活は保障するが、私の心も、夜の営みも期待しないでほしい。君は本館から離れた『離れ』で、静かに暮らしてもらう」
冷たい静寂が部屋を支配する。
普通なら、政略結婚で嫁いできた若き令嬢が絶望し、涙を流す場面だ。
しかし――私、エレノア・ヴァルハイトは違った。
(……え? 『愛するつもりはない』……??)
私は心の中で、思わずガッツポーズを爆発させていた。
(最高すぎる……! 業務外の過度なコミュニケーションなし! 夜の接客業務なし! 広い離れで悠々自適のニート……じゃなかった、令嬢生活!! 前世でブラック企業の会計士として死ぬほど働いて過労死した私への、これは神様からのご褒美では!?)
「――エレノア? 聞いているのか?」
あまりにも無反応な私に、ヴィンセント様が不審そうに眉をひそめた。
私は溢れ出そうになる笑みを必死に抑え込み、胸の前で両手をギュッと握りしめて尋ねた。
「あの、念のための確認ですが……私が離れで読書や刺繍を楽しんだり、静かに過ごしている限り、旦那様が離れに押しかけてきて『妻の義務を果たせ』などと要求されることは絶対にない、ということでよろしいでしょうか?」
「な……っ!?」
ヴィンセント様の完璧な『冷酷な仮面』が、一瞬でガラガラと音を立てて崩れ去った。
氷のような瞳が動揺に揺れ、開いた口が塞がらない様子で私を見つめている。
「き、君は何を言っているんだ……!? 私は君を追放同然に冷遇すると言っているのだぞ!? 泣きついて撤回を求めたり、怒ったりしないのか!?」
「いいえ、全く! むしろ願ったり叶ったりでございますわ、旦那様!」
私は満面の笑みを咲かせ、美しく完璧な淑女の礼を捧げた。
「互いに割り切った関係、実に素晴らしいです! 恋愛感情という不確定要素がないほうが、無用なトラブルも起きませんものね。では早速、その素晴らしい『離れ』へ案内していただけますでしょうか?」
「あ、いや、しかし……」
「あ、それと一つだけ。離れの書斎にある『過去の領地会計帳簿』の閲覧許可だけいただけますか? 暇つぶしの読書代わりにしたいのです」
「は……? ああ、帳簿か? 構わないが……古い数字の羅列など見て、一体何が面白いんだ……?」
「ふふ、数字は私の大好物ですので。それでは旦那様、おやすみなさいませ!」
言うだけ言うと、私は軽やかな足取りで執務室を後にした。
背後で「な、なんだあの女は……?」と困惑しきった公爵様の呟きが聞こえたが、知ったことではない。
(ふふふ……前世の会計士の血が騒ぐわね。どれ、旦那様が私を快適な離れから追い出さざるを得なくなるような『倒産リスク』がないか、一晩で監査して差し上げましょう!)
こうして、私と氷結公爵の、全く噛み合わない新婚生活が幕を開けたのだった。




