合同課程:動く迷路と解析者 観測と反復、そして出口
石壁が、重々しい低音を響かせて再びスライドを始めた。
正面の壁が斜めにズレ、その隙間から新たな道が拓けると同時に、冷気とともに二体の魔物が躍り出る。
先ほどと同じ、青白い霧をまとった『霧影狐』だ。
二体の狐は着地すると同時に、その身体から一気に濃密な霧を噴き出し、たちまち通路の視界を真っ白に染め上げにかかった。
「霧……飛ばすね!」
さやかが鋭く叫ぶ。
直後、彼女の身体から、目の前の狐たちに向けて猛烈な突風が解き放たれた。
風を遮る壁に囲まれた通路で、その突風は行き場を失い、さらに圧力を増して霧を吹き飛ばす。唐突に身を隠すベールを奪われた狐たちは、姿勢を低くして不快そうに唸り声を上げた。
「お? じゃあ、行くぞ!」
ランドが濡れた泥を蹴って地を滑る。
手にした短剣を逆手に保持し、翻弄される狐の一体に肉薄して鋭い一撃を見舞った。
もう一体の狐が慌てて横へ跳び、それを避けようとする。だが、さやかはすでに次の手を打っていた。狐が着地するはずの石床を、土魔法で僅かに隆起させる。
ほんの数センチメートルの狂い。しかし、着地のバランスを完璧に崩された狐の喉元へ、ランドの短剣が容赦なく吸い込まれ、その命を刈り取った。
相方が一瞬で仕留められたのを見たもう一体の狐は、勝ち目がないと悟ったのか、踵を返して通路の奥へと逃げ出していく。
――ズレる壁。現れる魔物。
魔物が現れないエリアでは、壁は微塵も動かない。
ミナトにとって、それは非常に分かりやすい『規則』だった。
(……いや、それだけじゃない)
ミナトの紫の瞳は、壁の継ぎ目から漏れ出る『魔力の残滓』を捉えていた。
(壁が動く瞬間、迷路の床下を通るラインに、一定の魔力供給が増えている。……壁を動かしているのは、迷路そのものの意思じゃない。魔物が特定のエリアに侵入した時、あるいは、俺たちが魔物を感知した時――それをきっかけに連動して、あらかじめ設定された術式が起動しているんだ)
「魔物を中に入れるために、壁をずらしている……結果として、侵入した人間を迷わせる袋小路を作り出しているんだ。くそ、嫌な仕組みだ」
「ってことは、魔物が来るってことは壁がズレてる最中ってことか?」
ランドが息を荒くしながら尋ねる。
「でもよ、それだけじゃどっちが出口かさっぱり分かんねえぞ」
「進める方向に、手当たり次第に行くしかないのかな……?」
さやかが不安そうに周囲を見回した。
「まだ確証は持てない。だけど、この迷路を設計した試験官が、俺たちを迷わせて時間切れにするために、ズレる『方向』まで毎回完全にランダムに変えていたら……それはちょっと、人力での攻略は不可能(厄介)すぎる。……そうだな、たとえば大規模な広域探知でもできる規格外の人なら話は別だけど」
ミナトはそこまで言って、再び現れた狐に話す声を止める。視線を鋭く壁に向ける。先ほどとは明らかに、スライドしていく角度が変わっていた。
「さやか、ランド、頼む。壁が動いている!」
「任せて!」
「おう!」
二回、三回と、進む先々で魔物に遭遇する。
倒す。いなす。あえて刺激せずにやり過ごす。
しかし、四回目の遭遇――そこに現れたのは、これまでの倍を超える、三体の霧影狐だった。
「今回、多いな!」
ランドが短剣を握り直す。
「地面、固めるね!」
さやかが魔法で足場を締め上げ、ランドを援護する。
「おう!」
霧影狐が三体、一列に並んで猛然とランドに向かって突進してくる。
ランドが先頭の一体を叩き潰そうと、拳を引いて構えた――その瞬間。
先頭の狐が不自然な機動で左へと跳び跳ねた。
完全にタイミングを外され、ランドの身体が一瞬だけ硬直する。その隙を逃さず、二匹目の狐がランドの足元へ滑り込んで強かに噛みつき、同時に三匹目が彼の首筋を狙って宙を舞った。
「ランドくん!」
さやかが悲鳴のような声を上げ、咄嗟に土の塊を撃ち出して三匹目の狐に叩きつける。
だが、ランドは宙の三匹目をかわそうと大きく体勢を崩し、ぬかるんだ地面に倒れ込んでしまった。そこへ、一匹目と二匹目が容赦なく牙を剥いて襲いかかる。
ミナトが壁の魔力回路から二人の戦況へと視線を戻した時、すでにさやかは動いていた。
倒れたランドへと飛びかかろうとする狐たちに向かって、彼女は自ら突き進みながら、次々と土の塊を乱射する。
「はなれろ――!」
「さやか、深追いしなくていい!」
ミナトが鋭く制止する。
「くっ……!」
ランドが泥にまみれながら這い上がろうとするが、標的をさやかへと変えた三匹の霧影狐は、凄まじい敏捷さで彼女を追い詰め始めていた。
「ちょっと、来ないで!……やだっ、やだぁ!」
「うぉおおお!」
ランドが吠え、地を這うようにして短剣を振り抜く。
刃から放たれた不可視の斬撃が、さやかの眼前の土を激しくえぐり取った。狐たちは一瞬その衝撃に怯んで跳び下がったが、なおもさやかを執拗に追い立てる。
ミナトはすかさず、ランドとさやかに向かって手を伸ばした。
二人の足元に柔らかな光の輪が走り、その身体を包み込む。
「耐性強化だ!」
「これって……!」
身体を芯から支える確かな魔力を感じ、さやかは恐怖を押し殺して目を瞑った。意識を極限まで集中させ、目の前に強固な土壁を作り出す。
突進の速度を殺しきれなかった狐たちが、その土壁に次々と激しく激突し、無様に跳ね飛んだ。
「さやか、戻って!」
ミナトの声が響く。
「うぉおおお!」
泥を跳ね上げ、ランドが動き始めた壁の向こう――さやかのいる場所へと駆け出す。
当のさやかは、自身が作り出した土壁のせいで、周囲の石壁がどう動いているのかが完全に見えなくなっていた。
「ランドくん!?」
「さやか、戻れ! あっちだ!」
迫る狐たちに短剣を突きつけ、牽制しながらランドが絶叫する。
「う、うん!」
ランドが指し示した方向へ、さやかはなりふり構わず全力で走り出した。
迫り来るスライド壁の向こうに、さやかが無事にミナトの元へと駆け込むのを見届け、ランドは再び狐たちと正面から対峙する。壁が閉じる音。彼らの間を分かつ、冷徹な石の境界。
「はっ! 前に三匹同時って狩りやったか? お前ら、うちの班員を怖がらせやがって」
「ランド! 戻れ!」
遮られた壁の向こうから、ミナトが叫ぶ。
「ミナト! さやかを頼む! ま、こっちはやっとくぜ!」
「ランド! ……せめて動くな! そこにいてくれ!」
「おーう! 救護班が来た時のこと考えて、先に謝っとくわ!」
壁の向こうから、ランドの不敵な声が響いてくる。
「ランドくん……」
さやかが泣きそうな声で呟く。
直後、壁の向こうでキャン、と狐たちの短い悲鳴が響き――そして、静寂が訪れた。
その静寂の中で、ミナトの紫の瞳は、激しく動き続ける石壁の残滓をひたすらに見つめていた。
魔物の出現、壁の移動。そのタイミング。
点と点が繋がり、ついに脳内で一つの『駆動マップ』が完璧に再構成される。
(……壁の可動パターンは、大きく分けて二つ。――『縦にズレる』『横にズレる』。そして、それが元の位置に『縦に戻る』『横に戻る』という、たった四ステップの往復術式だ!
魔物の出現はそのスイッチに過ぎない。
これまでの魔物との遭遇回数は、合計で六回。ということは、一巡して、いまは二巡目の二ステップ目――縦と横が両方ともズレきった状態だ。
ここからあと二回、魔物を出現させて術式を進めれば、壁が順番に戻って完全に『元の形(初期状態)』にリセットされる!
ここからは賭けだ。だけど、もし『最初の配置』のルートこそが出口へと真っ直ぐ繋がっているとしたら?
あと二回分、壁を元に戻したあと、魔物を倒さずに最初の状態のまま一気に突っ切れば――!)
「――出口、わかったぞ」
ミナトが短く、そして確信に満ちた声を張り上げた。
「閉じる前に行く!」
「は!? 分かんのかよ!」
遮る壁の向こうから、ランドの驚愕した声が返ってくる。
「……分かる。ランド、あと二回動くまで、そこにいてくれ! 動かなければ、元の配置に戻った壁が君をこちら側に連れてくる!」
ミナトはさやかへと視線を向けた。
「さやか、もう魔物の動きを抑える必要はない。残り二回、出てきた魔物は即座に狩る!」
「うん、わかった! すぐ撃てるように準備しとく!」
リーンがミナトの側により、そっとささやく
「主様、声が震えています。リーンも主様の判断が正しいと思います、自信をもって」
ミナトがリーンを見て、口角をあげる。
「ああっ、ランドを戻す!」
――五回目の遭遇。
行く手を阻むように、霧影狐が二匹、闇から滑り出してきた。
だが、それが着地した瞬間に、さやかの放った鋭い土弾が一匹の脳天を正確に打ち抜き、同時にミナトの手から放たれた紫電の雷撃が、もう一匹を消し飛ばした。
「あと、一回……のはずだ」
ミナトは確信していたが、悪いことはいつも確信しているときに起きることを思い出していた。震える膝に手を置いて壁向うのランドが一人だということに喉を鳴らす。
(ランド、無事でいてくれ……壁よ、読み通りであってくれ!!!)
「……ん!」
さやかが息を呑み、次の魔術の構成に集中する。
「うぉおおおっっ、やったぜ!」
壁の向こうから、ランドが孤軍奮闘して魔物を討ち取る豪快な声が聞こえて――短い悲鳴が響く。
「くそっそっちからもか……」
キン!キャン!
トン……壁に寄りかかる音が聞こえる
「はぁ……やっぱ一人だときついっちゃきついわ」
そして――六回目の遭遇。
魔物が現れると同時に、ランドが取り残されていたはずの石壁が、大きな音を立てて逆スライドを始めた。
現れた二匹の霧影狐に向け、間髪入れずにさやかの土弾とミナトの雷撃が突き刺さり、一瞬で処理を終える。
「うぉおおーーあぶねぇぇえええ! 魔法が飛んできた、魔法使える狐か!?」
すっかり開いた壁の向こうで、突然目の前に魔法が撃ち込まれたランドが目を白黒させて叫んでいた。
「ランドくん!」
壁が完全に開く。土煙の向こうに、人影が立っていた。
「……ランド!」
「あ?」
「……あ、合流できたな」
「ランド様、お怪我は?」
すかさず、一歩後ろに控えていたリーンが、水玉のような優しい青を帯びた魔力の泡をランドへと投げかけた。
水玉に包まれたランドは、しばらくするとその泡が弾け、ふっと表情を和らげる。
「あ、楽になった。ありがてぇ。いや、かすり傷すらねえよ」
ランドは周囲の壁を見回し、それからミナトを見た。
「ってことは、これ……壁が、戻ったってことか」
「そうだ。反復だったんだ、やっと完全に理解できた。ランド、無事で本当によかった」
ミナトは仲間たちを見渡し、力強く頷いた。
「行くぞ、みんな。次につなぐ!」
ミナトが手を振るうと、障壁の膜のような、弾力のある薄緑色の光が二人の身体にぴたりと定着した。
身体を保護しつつ、関節の可動を補助する複合支援魔術。
「はっ? 身体、軽っ!?」
「なにこれ、風に乗ってるみたい……!」
驚く二人の後ろで、リーンが一切の無駄なくミナトの予備の装備をまとめ、荷物を回す。そして、驚きで足が止まりかけていたさやかの腕を、すっと的確に引っ張った。
それは過保護な『世話』ではない。いつでも次の行動に移れるよう、空間と距離を管理するための無機質な先導だ。
「ここ、間もなく壁が閉じて詰まります。私に続いて、先に通ってください」
「あ、ありがとう……!」
「こっちだ、急げ!」
ミナトが先頭に立って通路を駆ける。
「次の魔物の襲撃と、壁の移動サイクルが始まる前に突破する。」
「このままいくっ」
行く手を阻もうと飛び出してくる霧影狐を、ランドの短剣とさやかの魔法が文字通り瞬殺し、道を切り開いていく。
四人は、最後の一枚の壁がゴゴゴと音を立てて閉まりきる直前、滑り込むようにしてその隙間を駆け抜けた。
――視界が一気に開ける。
差し込んできた外の光に、思わず目を細めた。
春の陽光は確かに眩しく暖かいのに、吹き抜ける谷の風は、相変わらず肌を刺すように冷たい。
「一番乗り、か。……ずいぶんと早いな」
出口の門扉の横。
彼らの到着を感知したのか、ぴょんと宙に飛び上がった砂時計が、そのガラスの体を震わせながら「いちばん」「いちばん」と無機質な音を響かせる。
隣に立つ教官が、驚きを隠せない様子で彼らをじっと見つめていた。
だが、ミナトは誇るように胸を張ることはしなかった。
ただ、冷たい風を肺腑に送り込み、荒れた息を静かに整える。
決して、勝者の傲慢な顔はしなかった。ただ次の事態に備えるように、その視線はすでに、その先へと向けられていた。




