森林サバイバル1日目 A班
### ■ A班:1日目・午前/森林限界以下の低地へドロップイン
――演習初日、午前。
ブナやミズナラの巨木が連なる原生林の上から、鋭い朝の光が差し込んでいた。風が吹くたびに青々とした葉がざわめき、まだらな木漏れ日が湿った地面を明滅させる。
肌にまとわりつくような高い湿度と、濃い腐葉土の匂い。遠くで重なり合う鳥の声の合間に、時折、パキリと乾いた音を立てて獣が落ち葉を踏みしめる気配が混ざる。
森の入り口で、教官の合図とともに三つの班がそれぞれ別方向へと散開していった。
いよいよ始まる五日間のサバイバル。ミナトは境界線を越える前に、一度深く肺を膨らませて森の空気を吸い込んだ。
「ふぅ……よし」
視線を隣に巡らせると、ニーコスが逆に、浅く短い呼吸を何度も繰り返しているのがミナトの目に入った。
(……ニーコスの呼吸が浅いな。やっぱり森の民とはいえ、基礎的な持久力には少し不安があるのかもしれない。最初の一時間は、彼女のペースに合わせて全体に負荷をかけないように歩調をコントロールしよう)
ミナトはノートに書き連ねた彼女の「脆さ」を頭の中で反芻し、意識して一歩の歩幅を狭める。
「よし、行くか! 荷物はミナトがガッツリ持ってやるから、どんと任せろ!」
ランドが大きな背嚢を肩に担ぎ直し、やる気満々といった風に拳を握りしめた。
「ちょっとランド、最初から飛ばしすぎないでよ? バテても知らないんだから」
さやかが軽く笑いながらランドをたしなめ、それからミナトの方を振り返った。
「ミナトくん、この方向で合ってる? どっちに進めばいい?」
その問いに答えたのは、ミナトではなくニーコスだった。彼女は長い耳をピクピクとせわしなく動かし、意識を周囲のノイズから選別するように集中させている。
「……川の音、聞こえる。あっち」
ニーコスが細い指先で鬱蒼とした茂みの先を指し示した。
「よし、ニーコスの言う通り川沿いを基軸に進もう。まずは、何よりも先に“戻れる形”を作る」
ミナトの言葉に、ランドが不思議そうに眉をひそめた。
「戻れる形?」
「帰り道が、常に自分たちの視界の中に“見える”状態のことだ。川沿いを歩いていれば絶対に迷わないし、同時に生命線である水も確保できる。最初の一時間を使って、この低地エリアからの撤退ルートを三つ作る」
「三つも?」
さやかが驚いたように目を丸くする。五日間の前進を急ぎたい初日の段階で、三つもの退路を確保することの過剰さに首を傾げているようだった。
「一つだと、そこで魔物や地滑りに遭遇した時点で詰まる。二つだと、想定外の事故が重なっただけで簡単に潰れる。……けれど、三つあれば、最悪、僕たちの誰かが倒れるような事態になっても、確実に安全圏へ戻れる。命を預け合うなら、最低でもそれだけの余裕が必要だ」
ミナトの徹底した合理主義的な言葉に、ニーコスが小さく、けれど深く深く頷いた。
「……うん。ミナトの言う通り。森は、綺麗だけど怖い。帰り道が何よりも命」
「へっ、さすが俺たちの設計者サマだ。言う通りに付いていくぜ!」
ランドが頼もしそうに笑う。
「わかった! じゃあ私は、いつでも水分補給の管理ができるように準備しておくね」
さやかも納得したように表情を引き締め、魔力供給の感覚を指先で確かめる。
こうして、ミナトたちA班はニーコスを先頭に、川音の響く方角へとゆっくり歩き出した。
踏みしめる足元の土は驚くほど柔らかく、一歩進むたびにズブズブと湿った音を立てて四人の靴底を沈み込ませていく。
五日間のサバイバル、その最初の『一歩』が静かに刻まれた。
◇
藪をかき分けて進むにつれ、サラサラと耳に心地よい川のせせらぎが近づいてきた。
水音は一定のリズムを刻み、気まぐれに変化する森のざわめきよりもずっと四人の心を落ち着かせてくれる。
「よし、まずは水源確保だな!」
ランドとさやかがさっそく川べりにしゃがみ込み、冷たい水を水筒へと滑り込ませていく。その傍らで、ニーコスは周辺の茂みに視線を走らせ、ひょいと小さな実を摘み取った。
「この木の実、食べられる。甘いよ」
彼女は自分の口に一つ放り込み、器用に耳を揺らす。それから、少し色の違う別の草を指差した。
「でも、こっちはダメ。苦い。お腹痛くなる、毒」
「おお、触る前に分かるのか。すげぇな、助かるぜ!」
ランドが素直に感心の声を上げる。
「ニーコスちゃん、これも食べられる? さっきそこら中に生えてたんだけど」
さやかが採集用の袋を開けながら、見慣れないキノコを差し出した。
「それは……うん、そのままはダメだけど、火でしっかり焼けば大丈夫。美味しくなる」
「やった! じゃあこれもキープね」
二人が食料調達に集中する中、ミナトは一歩下がった位置から周囲の地形を見渡し、ノートの脳内マップを立体的に組み立てていた。前進することよりも、常に背後の安全を確認する。それがミナトの役割だ。
「ランド、あそこにある二本のブナに挟まれた倒木の位置、しっかり覚えておいてくれ。いざという時の撤退ルートの“目印”にする」
「了解! あの変な形で折れてるやつだな、頭に叩き込んだ!」
「さやか、魔力の残量は今どれくらい残ってる?」
「んー、八割くらいかな。調理の維持にも回してるけど、まだまだ余裕あるよ」
さやかが頼もしく笑って答える。
「よし。じゃあ、その余裕分から軽い光魔法を使って、今来た“川沿いの方向”をマーキングしていってほしい。木々の隙間に、帰り道を誘導する『光の糸』を紡ぐんだ」
「了解、やってみる!」
さやかがスッと息を整え、細い指先でパチンと小さな光を弾いた。
淡く透き通るような魔力の光がブナの木の幹へと吸い込まれ、ミナトたちにだけ判別できる微弱な“方向の印”として静かに定着する。
「……すごい」
それを見ていたニーコスが、感心したように耳を大きく広げた。
「森の中で、自然の邪魔をしないで光を残すの、すごく上手い。これなら迷わないね」
「これで、一つ目の『戻れる形』が完成だ」
ミナトは小さく息を吐き、光の糸の起点を見つめた。
想定していたリスクが、仲間の的確なスキルによって次々と塗り潰されていく。
(……それにしても、ニーコスのペースが全く崩れないな。崩れるどころか、この湿った悪路のなかで、俺たちよりも遥かに足取りが軽くて元気だ)
ミナトは、前夜にノートに書き殴った『持久力に不安あり』という自分の文字を思い出す。
(あれ……? 事前のデータから見て持久力が低いはずだと思って歩調を緩めていたんだが、これは俺の見落とし、あるいは間違いか……?)
小さな疑問を胸の内に残しながらも、A班は崩れることのない安定したペースで採集と移動を続けていく。
木漏れ日に満ちた森の音はどこまでも穏やかで、五日間の初日は、まだ危険の気配を微塵も漂わせてはいなかった。




