一知半解:モノマネが妙に正確 距離の測り方、配置の意思
休憩時間。水場の前には、冷たい井戸水を求めて何人かの生徒が集まっていた。
日が高くなるにつれて、剥き出しになった手の甲がじんわりと温められていく。だが、切り立った崖から吹き下ろす風の通り道に入ると、途端に肌寒さが戻ってきた。短い夏へと移り変わる前の、この季節特有の気まぐれな体温の差がそこにはあった。
少し離れた場所で、ランドがレンに声をかけようと一歩踏み出し、そして躊躇うように足を止めた。
遠目からでもわかる。レンの張り詰めた背中が、今は誰の手も触れさせるなと無言で拒絶していた。
そんな緊張感をよそに、さやかがすっと俺の隣に寄ってきた。
本人は「昨日よりもずっと自然に、さりげなく」距離を詰めたつもりなのだろう。だが、その上目遣いの瞳は、俺との物理的な距離が『近い』ことそのものを、隠しきれずに喜んでいるように見えた。
「ね、ミナトくん」
さやかが弾むような、明るい声で話しかけてくる。
「さっきの解説、すっごくかっこよかった!」
「……普通だよ」
俺は視線を落としたまま、短く返した。
「普通じゃないってば!」
さやかは勝手に声を弾ませる。指先が落ち着かないのか、肩から下げた水筒の紐を何度もいじり回していた。
「あの偏屈なジンさんが、わざわざミナトくんを指名して答えさせるなんて……。それにさ、八層なんて数字、どうして見ただけで分かるの? 私、魔法が『膜』になってるっていう感覚自体、ちょっとよく分からないんだけど」
俺は少し間を置いて、自分の脳内で行われている視覚情報の処理を、できるだけ噛み砕いて口にした。
「……出来事(現象)と、魔力の流れを見ているんだ。それぞれの流れには明確な『距離』がある。だから、僕の目にはそれが重なり合う薄い膜のように見える、というだけだよ」
「そっか、ふーん……」
さやかは分かったような分からないような顔をしながらも、なぜか嬉しそうに口元を緩めた。俺が自分に説明してくれた、その事実だけで満足しているようだった。
「いや、それにしても凄かったよな、レンのやつ」
いつの間にか戻ってきたランドが、頭を掻きながら会話に入ってくる。
「けどよ、あんな火の塊の龍を『力任せに殴り切る』なんて、本当に無理だろ? 陸斗のやつ、偉そうに何層あろうがぶち破ればいいとか言ってたけどさ、本気でそんなことできんのか?」
「陸斗君は、できるつもりで言ってたんだよ、多分」
さやかがクスリと笑う。
俺は模型の授業で習ったことを反芻するように、冷徹にその言葉を「解剖」した。
「物理的な潰しどころは、あるよ。熱の逃げ道になっている層を狙って、そこに外部から魔力を叩き込めば、全体のバランスが崩れて一瞬で割れる。……と思う。だから、叩き壊せばいいという彼の意見自体は、戦術的には間違っていない。彼なりの最適解なんだと思うよ」
俺が淡々と他人の評価を口にすると、さやかが意外そうな目で俺を見た。
「ふーん……。ミナトくんって、自分の悪口を言った人に対しても、やっぱり優しいんだね」
(優しい、じゃない。ただ、事実を並べているだけだ)
そう言い訳しようとした、その時だった。
俺たちの半歩後ろで、その会話を静かに聞いていたリーンが動いた。
彼女は、さやかの言葉を声にして遮るような、無粋な真似はしない。
ただ、すっと音もなく、さやかと俺の僅かな隙間に身体を滑り込ませるようにして挟まった。そして、俺の肩を自分の身体で誘導するようにして、ほんの数センチメートルだけ、俺の立ち位置を後ろへとずらす。
さやかと「横並び」にさせない位置。
言葉を一切使わず、ただ自らの「配置」と「動線」だけで、俺とさやかの間に絶対的な距離を作り出してみせたのだ。
(……リーン?)
俺は心の中で小さく呟いた。
けれど、当のリーンは完璧な無表情のまま、さも「これが従者としての正しい立ち位置です」と言わんばかりの澄ました顔で佇んでいる。
さやかの、無防備な距離。
それを成立させないという、リーンの意思から徹底的に計算された「配置の妙」。
揺れる水筒の紐と、リーンの静かな影。
谷の風が、三人の間をすり抜けるようにして、冷たく吹き抜けていった。
◇
午後。実技の時間は淡々と、けれど確実に進んでいた。
午前中の、レンが見せたあの圧倒的で派手な『火竜』の余韻がまだ演習場に残っているせいか、生徒たちの空気はどこか浮ついている。
陽が当たる石床には、じっとりと熱が乗り始めていた。短い夏の予告のように、昼のこの時間だけが酷く熱い。
ジン教官が、気怠げに、しかし射抜くような視線で次の指示を飛ばす。
「次。――今度は派手さじゃなく、『燃費(効率)』を見ろ」
ジンの低い声が、熱を孕んだ演習場に響く。
「同じ結果を、どれだけ少ない手数(消費)で叩き出せるか。やってみろ」
その言葉に応じて、俺が静かに前に出る。
挑戦するのは、今の俺の限界値――『上級魔法』に届くか届かないか、という境界の構築。
周囲の冷やかすような視線を感じるが、不思議とこれからやることを考えると気にならない。歩幅も、腕の上げ方も、呼吸の深さすらも、すべては魔法を成立させるためのルートとして動かしていた。
「……行く」
短く、喉から音を出す。
瞬間、演習場に熱が走り、一本の火竜が形作られた。
午前に、レンが見せたあの光とまったく同じ形。同じ、美しく跳ねる炎の竜。
だが――決定的に違っていた。
火竜が標的に衝突した瞬間、耳を劈くような大爆発は起きなかった。
ただ、シュウウウ……と、恐ろしいほどの高熱が一点に吸い込まれるような湿った音が響く。
的の表面だけが、ミリ単位の狂いもなく、均一に、そしてあまりに綺麗に削り取られていく。その滑らかで無機質な削れ方は、暴力的な破壊というよりも、精密な機械で『切除』されたかのように不気味だった。
そして何より、魔法の発動から収束、熱が死ぬまでの時間が、レンのそれと比べて劇的に、恐ろしいほど早かった。
「……きれい」
俺の半歩後ろで、リーンが小さく、けれど誇らしげな音を口元から零す。
しかし、周囲の生徒たちの反応は、当然のように冷ややかなものだった。
「はぁ? なんだよ、上級?」
井上琉生が、あからさまな不満を隠そうともせずに吐き捨てる。
「やるならレンみたいに、超級以上をドカンと見せろよ」
「地味だな。派手じゃないと実戦で意味なくね?」
渡辺陸斗が、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「あれって……ただのモノマネだろ?」
岡田優馬が、嘲笑を交えてそう呟く。
彼らの野次が鼓膜を叩くが、俺の呼吸が乱れることはない。
す、と静かに息を吐き出す。
(これで、成立している)
(あいつらには、ただ『見えない』だけだ)
(……何も、問題ない)
俺の構築をじっと見つめていたジンが、短く言葉を放った。
「……効率は悪くないな。今のお前、たったの三層で、午前中の八層とほぼ同等の火力を出したか? ……おい、この構造のヤバさが分かった奴はいるか?」
教官の言葉に、周囲の生徒たちが一瞬、怪訝そうに黙り込む。
「だがな、ミナト。お前、これで『規模』は頭打ちになったろ?次は効率を維持して規模を変えられるものを考えろ、足りない力で工夫するのも必要だが、魔法の規模そのものを一気に引き上げる方法を知っておけ」
ジンは一応の評価を口にした。
けれど、それを「凄いこと」として受け止められる者は、生徒の中にほとんどいない。
結局のところ、場は「手品か何かを見た」ような、一種の『上手い一発芸』を消費するだけの、ぬるい笑いに流れていってしまう。
だが。
その弛緩した空気の中で、熱狂とも嘲笑とも違う、冷徹な「二対の目」が俺に縫い止められていた。
はるなは、俺の魔法から目を離すことができずにいた。
魔力の流れが、あまりにも完璧に、そして無駄なく整いすぎている。
どう考えてもレンの時より少ない魔力しか動いていないのに、なぜ同じ結果が出ているのか。その美しく、同時に不気味なほどの「整合性」と「地味さ」の違和感が、はるなの鋭い感性を強く縛り付けていた。
そして、もう一人。
今度おとは、術式の内部に発生している――極限の『高圧』と『低圧』の、綱渡りのような絶妙なバランスを、その驚異的な観察力でじっと見つめていた。
「解説だけの座学馬鹿」のモノマネ。
誰もがそう笑って片付ける中で、二人の少女だけは、ミナトが作り出したその透明な構造の「異質さ」に、静かに毒を飲まされたように立ち尽くしていた。




