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舞夢  作者: Show
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第二章 揺らぎに寄り添う者たち

東山区の朝は、まだ冷たい。

舞夢は、久遠課長から渡された第一報のレポートを胸に抱え、畿央都立理学研究所の門をくぐった。

研究所の建物は、都市の光を吸い込むような灰色で、舞夢の足音だけが静かに響く。

受付で名前を告げると、研究員らしき男性が現れた。

白衣の袖を軽くまくり、舞夢のレポートに目を落とす。その眉がわずかに寄った。

「……これは、どういう……比喩表現ですか?」

舞夢は首を横に振った。

「比喩ではないです。観測した事実……そのままです」

研究員は困惑したように目を瞬かせた。

しかし、舞夢の背後に立つ久遠課長の名を聞くと、態度が変わった。

「久遠課長の案件……なるほど。では、解析チームで扱わせていただきます。

 ただ、すぐに結論が出るものではありませんので……」

「時間は……かかっても構いません。宜しくお願いします」

舞夢は深く頭を下げた。

研究員はまだ半信半疑の表情を残しつつも、レポートを丁寧に持ち帰っていった。

――これで、第一歩。

胸の奥に、わずかな緊張と安堵が同時に落ちていくのを感じた。

職場に戻ると、いつもの量子中枢核の低い振動が耳の奥に響いた。

舞夢はダイブの準備を整え、静かに目を閉じる。

光の海が広がる。

都市の深層を流れる情報の脈動が、舞夢の意識に触れる。

その奥に、また〝影〟がいた。

《……来たか……》

声ではない。

揺らぎそのものが意味として届く。

舞夢は息を呑む。

「……あなたは……何を……」

《まだ……語る時ではない……》

影はゆっくりと形を変え、舞夢の周囲を漂う。

害意は感じない。ただ、深い疲労のようなものが混じっていた。

《歪みは……増している……》

「歪み……?」

《人の……心……都市の……痛み……》

舞夢が問い返そうとした瞬間、影はふっと消えた。

光の海が静まり返り、舞夢は現実へ引き戻される。

ダイブを終えた舞夢は、しばらく椅子に座ったまま動けなかった。

――また、会った。

――でも、証拠は……ない。

提出したレポートは、仮説扱いのまま。

影の存在は、舞夢の主観の中にしか残らない。

胸の奥に、説明できない重さが沈んでいく。




数日後。

仕事帰りの夕暮れ、舞夢は澪と待ち合わせた。

カフェの窓際。

澪はコーヒーを前に、ため息をついていた。

「最近ね……彼と全然うまくいかなくて」

舞夢は黙って聞く。

澪は舞夢が黙っていても気にしない。むしろ、その沈黙を安心と感じる数少ない人だ。

「仕事が忙しいのは分かるんだけど……なんか、私だけ空回りしてる気がするんだよね」

舞夢は小さく頷いた。

「……澪は、空回りしてない」

「そう思える根拠は?」

「……感じたから」

澪は苦笑した。

「舞夢はさ、ほんとに……そういうところ、変わらないよね」

少し沈黙が落ちる。

「私、重いのかな。もっと軽く振る舞った方がいいのかな?」

舞夢は真剣に考えた。

澪の言葉を、文字通りに受け取ってしまう。

そして、静かに口を開いた。

「……澪は、重くない。質量は変わらない」

「……え?」

「人の気持ちは……重さじゃない。密度とか……方向とか……そういうもので決まる」

澪は一瞬固まり、次の瞬間、吹き出しそうになりながら目に涙を浮かべた。

「……なにそれ。意味わかんないのに……なんか、救われるんだけど」

舞夢は首をかしげる。

「救われたなら……よかった」

澪は目元を拭いながら笑った。

「舞夢のそういうところ……ほんと、ずるいよ。

 なんでそんなに真っ直ぐ言えるの」

「……思ったことを、そのまま言っただけだ」

「それがいいんだよ」

澪の声は、少しだけ軽くなっていた。

帰り道。

舞夢は夜の都市の光を見上げた。

揺らぎが、遠くでざわめいている。

しかし、さっきまで胸にあった重さは、少しだけ薄れていた。

――澪が、笑った。

――それだけで……少し、救われる。

舞夢は静かに歩き出した。

都市の呼吸が、ゆっくりと整っていくように感じながら。




ダイブ空間の光が、ゆっくりと波打っていた。

舞夢は深層層へ降りていくにつれ、都市の情報脈動がざわつくのを感じた。

――ここだけ、揺れている。

通常の揺らぎとは違う。

もっと局所的で、鋭い。

まるで、誰かがそこに触れた痕跡のような。

舞夢は意識を集中させ、揺らぎの源を追った。

光の地図が展開し、都市の構造が透けて見える。

その一角に、異常な波形が浮かび上がった。

《……そこ……》

あの影の声が、また届いた。

揺らぎの守り人。

姿は見えないが、確かに〝そこにいる〟と分かる存在。

「……あなたが、干渉した?」

《守っただけ……壊れぬよう……》

舞夢は眉を寄せた。

波形は、榊原迅の会社のすぐ横にあるエネルギー変換施設から発生していた。

「……迅のところ……?」

《近い……危うい……》

影はそれだけ告げると、光の海に溶けて消えた。

舞夢は急いでダイブを終了させた。

現実に戻ると、胸の鼓動が速かった。

舞夢は久遠課長に報告を入れ、外出許可を得ると、すぐに車に乗り込んだ。

目的地は、榊原迅がインフラエンジニアとして働くIT企業。

東山区の中心部から少し外れた、静かな技術集積エリアにある。

車窓に映る街は、夕方の光に染まっていた。

舞夢はハンドルを握りながら、さっきの影の言葉を反芻する。

――守っただけ。

――壊れぬよう。

それは、脅威ではない。

むしろ、何かを防いでいる。

だが、何を?

舞夢はアクセルを踏み込み、迅の会社へ向かった。

迅の会社の前に着くと、すでに数名の社員が外に出て、機器のチェックをしていた。

「舞夢?」

背後から声がした。

振り返ると、迅が驚いた顔で立っていた。

「どうしたの、急に」

「……揺らぎが……ここから出ていた」

迅は一瞬、理解が追いつかないように目を瞬かせたが、すぐに真剣な表情になった。

「中、来て。ちょうど設備に不具合が出ててさ」

舞夢は迅に案内され、会社のサーバールームへ入った。

室内は冷気が漂い、機器の稼働音が低く響いている。

だが、その一部に異常な振動が混じっていた。

「これが……?」

「うん。隣のエネルギー変換ユニットの動作が不安定で、こっちの電源系統にもノイズが入ってる。

 大きな障害にはなってないけど、放置はできない」

迅は手際よくログを確認しながら説明した。

舞夢は静かに目を閉じ、揺らぎを感じ取る。

――ここだ。

機器の奥、壁の向こう。

エネルギー変換ユニットの内部に、微細な揺らぎの痕跡が残っていた。

「……迅。隣のユニット、見に行きたい」

「いいよ。俺も同行する」

二人は施設の外に出て、隣接する変換ユニットへ向かった。

ユニット内部は、整然とした配線と光電融合パネルが並んでいた。

だが、その一部に微かな焦げ跡のようなものがあった。

迅が眉をひそめる。

「……これ、過負荷の痕か?」

舞夢は近づき、指先をそっとかざした。

揺らぎが、そこに残っていた。

ほんのわずか。

人間の目では見えないほどの痕跡。

「……違う。これは……誰かが……触った痕」

「誰かって……人じゃないってこと?」

舞夢は小さく頷いた。

「……揺らぎの守り人が……干渉した」

迅は息を呑んだ。

「また……出たんだ」

舞夢は静かに説明した。

「ユニットの動作が不安定になって……そのままだと、もっと大きな障害が起きていた。

 でも……守り人が、波形を……押さえた。

 だから……最小限で済んだ」

迅はしばらく黙っていた。

その沈黙は、恐れではなく、理解しようとする真剣さだった。

「……舞夢が言うなら、そうなんだろうな。

 俺には見えないけど……でも、舞夢が感じるものは、嘘じゃない」

舞夢は少しだけ目を伏せた。

「……信じてくれるのか?」

「当たり前だろ。

 高校の頃からずっと、舞夢の〝感じるもの〟は本物だった」

その言葉は、舞夢の胸に静かに染み込んだ。

迅はユニットの再調整を始め、舞夢はその横で揺らぎの残滓を追った。

――守っただけ。

影の言葉が、また浮かぶ。

舞夢は小さく呟いた。

「……あなたは……何を守っている……?」

もちろん返事はない。

だが、揺らぎは確かにそこにあった。

迅が作業を終え、工具を片付けながら言った。

「これでしばらくは大丈夫だと思う。

 舞夢、来てくれてありがとう。

 もし気づかなかったら……もっと面倒なことになってた」

舞夢は首を横に振った。

「……迅が……すぐに対応したから。私は……ただ、見つけただけだ」

迅は笑った。

「そういうところ、変わらないな。

 でも、それが舞夢の良さだよ」

舞夢は少しだけ視線をそらした。

胸の奥が、ほんの少し温かくなる。





帰り道。

夜の街は静かで、遠くの光が揺れていた。

舞夢は歩きながら、今日の出来事を反芻した。

――揺らぎの守り人は、害を与えていない。

――むしろ、守っている。

だが、その意図は分からない。

何を守り、何を恐れているのか。

舞夢は空を見上げた。

都市の光が、まるで呼吸するように瞬いていた。

「……また、会える……?」

その問いは、夜の空気に溶けていった。

エネルギー変換ユニットの調査を終えたあと、迅は会社に戻る前に舞夢へ言った。

「今日はもう定時過ぎてるし……このあと、少し話せるか?」

舞夢は頷いた。

「……うん。話したいこと、ある」

「じゃあ、仕事終わったら近くのカフェで落ち合おう」

迅はそう言って会社へ戻り、舞夢は車の中でしばらく揺らぎの残滓を整理していた。

揺らぎの守り人の痕跡は確かにあった。

しかし、それをどう説明すればいいのか、舞夢にはまだ分からない。

――迅は、どう受け止めるだろう。

そんなことを考えているうちに、約束の時間になった。

カフェは、夜の街に溶け込むような落ち着いた照明で、窓際の席には迅が先に座っていた。

彼は舞夢を見ると、少しだけ安心したように笑った。

「お疲れ。さっきは助かったよ」

「……迅がすぐに対応したから。私は……見つけただけ」

「それでも、気づけたのは舞夢だろ」

迅はコーヒーを一口飲み、ふうと息を吐いた。

「……実はさ、最近ずっと悩んでて」

舞夢は黙って聞く姿勢を取った。

迅は、舞夢がこうして静かに耳を傾けてくれることを知っている。

「俺、このままでいいのかなって思うんだよ」

舞夢は瞬きした。

「……会社のこと?」

「うん。俺の会社、保守的なんだ。

 安定運用が最優先で、新しい技術の導入は全部〝リスク〟扱い。改善提案も、挑戦も、ほとんど通らない」

迅は苦笑した。

「仕事はできる。任される範囲も広い。でも……成長してる実感がないんだよ。技術者として前に進めてない気がしてさ」

舞夢は、迅の言葉をゆっくり噛みしめた。

「……迅は、前に進んでる」

「そう思える根拠は?」

「……感じたから」

迅は少し笑った。

「舞夢、それだけじゃ分からないよ」

舞夢はしばらく考えた。

どう言えば、迅に伝わるのか。

どう言えば、迅の心の重さを少しでも軽くできるのか。

そして、舞夢は真剣な表情で口を開いた。

「……ハイゼンベルクの、不確定性原理」

迅は目を瞬かせた。

「……なんでそこで物理?」

舞夢は続けた。

「電子の位置と速度は……同時に正確には分からない。エネルギーを持っている状態では……電子は止まらない。止まっているように見えても……本当は動いてる」

迅は舞夢の言葉をじっと聞いていた。

「……迅も、同じ。位置が分からなくても……速度が分からなくても……迅は、確かに動いてる。

 止まってなんか……いない」

迅は息を呑んだ。

「……俺を電子に例えるのか?」

「……うん。電子は……小さいけど……世界を変える。迅も……そういう存在」

迅は俯き、肩を震わせた。

笑っているのか、泣いているのか、舞夢には分からなかった。

「……お前さ……なんでそんな例えが出てくるんだよ」

「……変だった?」

「変だよ。めちゃくちゃ変だよ。でも……刺さるんだよ。なんでだろうな……」

迅は目元を指で拭った。

「……怖かったんだ。俺の技術、このまま止まるんじゃないかって。 誰にも必要とされなくなるんじゃないかって」

舞夢は静かに首を振った。

「……迅は、必要。止まってない。揺らぎも……そう言ってた」

「揺らぎが?」

「……うん。迅のところ……危なかったけど……守り人が……守った。

 迅の仕事が……壊れないように」

迅はしばらく黙っていた。

その沈黙は、舞夢の言葉を丁寧に受け止めている証だった。

「……ありがとう、舞夢。 お前が言うと、不思議と……心に刺さる」

舞夢は少しだけ視線をそらした。

「……刺さったなら……よかった」

迅は笑った。

「ほんと、お前は変わらないな。でも、その変さに救われるんだよ」

舞夢は胸の奥が温かくなるのを感じた。

自分の言葉が、誰かの心に届くこと。

それは舞夢にとって、まだ慣れない感覚だった。

カフェを出ると、夜風が頬を撫でた。

二人はしばらく並んで歩いた。

「舞夢」

「……なに?」

「今日、来てくれてありがとう。 お前がいてくれて……よかった」

舞夢は少しだけ立ち止まり、迅を見た。

「……私も。 迅が……受け止めてくれるから……話せる」

迅は照れたように笑った。

「なんか……微妙な空気になってない?」

「……分からない。でも……悪くない」

迅は吹き出した。

「そうだな。悪くない」

舞夢は夜空を見上げた。

都市の光が揺らぎ、遠くで脈動している。

――不確定性原理。

その言葉が、舞夢の胸に残った。

電子の位置も速度も、同時には分からない。でも、確かに動いている。

迅も、澪も、自分も。みんな、止まってなんかいない。

舞夢は静かに歩き出した。

このあと、この〝不確定性〟が思わぬ形で再び姿を現すことを、まだ知らないまま。


挿絵(By みてみん)


ASD特性を持ち、チョット癖のある受け答えをする舞夢は、友達は少なめですが生真面目な性格でもあり公私ともに理解者に支えられながら生きています。この章でも、そんな様子が垣間見られるのですが、それ故「孤独ではあるが、孤立はしない舞夢」への理解が進むのではないでしょうか。

社会の理解を超越した体験のレポートを元に、理学研究所にて揺らぎの守り人に関する調査・解析が始まりました。理解はできないが「確かに存在するもの」も少しずつベールを脱いでいきます。

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