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第26話 上級生



 教科書の予習が上半期分、ようやく終わった四月末。

 ゴールデンウィーク中の五日間の探索日程が決まった。

 第6ダンジョン【殺陣(アヤダテ)】の採掘層(サーフェイス)掃討および探索層(ディープ)の調査である。


 五月四日、二○○○時に潜穽、開始。

 五月五日〇六〇〇時、採掘層掃討完了。

 五月六日、探索層潜穽、開始。――以下、別紙。


 俺の登録上は[キャディ]で、いわゆる荷物持ちだ。

 後衛・補給担当のいねの補助役になる。免許も不要で年齢制限もない。


 ダンジョン基本法は労働基本法の特別法として生まれた法律なので、ダンジョン法が優先される。つまり少年労働の制限が外れている。


[潜穽法概論]の教科書によれば、ダンジョン法の草案の段階で、炭鉱労働法や保安法が叩き台になったようだが、なぜか当時の少年労働の制限不備も踏襲して制定された。


 特別法にない条項は一般法の労働基本法に立ち返るのが法律慣習なのに、タチの悪い採掘会社や盗掘屋はこの見落としを悪用して社会問題化しているらしい。


 潜穽者免許さえ取れれば、作戦参加チーム欄に名前が免許登録番号いりで載るが、おれは金になれば名前に載ろうが載るまいが気にしなかった。


 この仕事に誇りなんか持ったって死ぬ時は死ぬ。それが前回のキマイラで身に染みた。


「冬馬の名前はしばらく隠す。お嬢と話し合って決めた」


 上司の決定に、おれは懸念の目をむけた。


「おれの父親、そんなに悪名高かったの?」


 ベットラーは苦み走った顔をして、ビールをあおる。


「悪名じゃない。ないが、無鉄砲をやりすぎて地下業界じゃ〝記憶の人〟になってる。作戦管制無視の常習者で、世界レベルに響く偉業を数々やらかした。あいつのためにアーバレストジャパンが世界で箔をつけた。そして、最期に汚点を残して消えた。まるで伝説の英雄譚のようにな。それが十年近く経っても、あいつを憶えてる現役の老傑(ジジイ)どもが、俺を含めてまだダース単位で健在でな。[三島瓶割]としては連中の妙な期待と責任転嫁をこっちに回してほしくないわけだ」


「それじゃあ、オリジンの発見も秘密のまま?」


 ベットラーはぶるると顔を振った。


「そっちは論外だ。その情報がちょっとでも外に漏れた時点で、お前をダンジョンに潜らせねえよ。免許取得も向こう三年、延期だ。覚悟して口をつぐめ」


「えっ。そこまで極秘扱い?」


 ベットラーはマグカップに黒ビールを注ぎながら、


「いいか、マモル。この際だから言っとくが、お前を国内ダンジョンの英雄に担ぎたがってる、最たる人間が、東城ミカコだ」


「えっ、ええぇ……身内かよ」


 ベットラーは黒ビールをあおり、ちっとも酔った様子がない真剣な眼差しで見つめてくる。


「お前は、英雄の息子で、おまけに国内唯一のオリジン適合者だ。そんな鳴り物をぶら下げてダンジョンに入られたら、周りの連中は単細胞が多い。トラブルが起きて足並みが乱れれば、現場の士気に関わる」


「それは、そうかも」


「お前には、お嬢に助けてもらった義理があるだろうが、ダンジョン内での合同潜穽は他チームとの協調性が重視される。誰一人として落伍者を出さないためにだ。だからお嬢の〝起死回生の奇策〟なんぞに安易に乗るな。諌めて、踏みとどまらせろ」


「わかった……と言いきれないかもな。おれ達が全員でしがみついても、きっとあの人はおれ達を引きずってでもダンジョンの奥へ進もうとするんじゃないのか?」


 おれの意見に、ベットラーは疲れた顔で大息。対策が思い浮かばないらしく、押し黙ってビールをあおった。


 ドワーフ三兄妹をもってしても、あのお姫様を御しきれないらしい。



 翌日。

 段手町高等専門学校・教室。


「なあ、一年で[三島瓶割]のキャディやる東郷って、お前か?」


 教室に入ってきた男子三人組が、長机の窓ぎわに座るおれのところに来た。


 ソフトモヒカンに、眉と唇にピアス。三白眼。ロックかな。


「いや、おれ、冬馬だけど」

「あん?」

「おい、コサイン、(チゲ)ーってよぉ!」


 仲間二人がダンシングフラワーのように体をよじりながら笑う。何に反応したのだろうか。


「じゃあ、東郷ってやつは」

「いや、知らないが?」


 サイン某氏はなぜか、おれの目の中を覗き込んできた。


「なら、このクラスに東郷って奴はいんのかよ」

「いやぁどうだろう。まだクラス全員を把握しているわけではないので」


 舌打ちして、タンジェント君は仲間とともに教室を出ていった。


「おい、東郷」

 とっさに振り返りそうになって、おれは脊髄に力を入れた。

「お前、ダンジョンで会ったら、マジ殺すから」


「だから、おれは冬馬だけど」


 そう訂正して振り返ったが、時すでに遅く、入口には誰もいなかった。

 意味がわからない。免許資格もないおれが、どうして無視しただけで殺されなければならないのか。東京は理不尽な輩が多いのか。しかしおれが参加することが、どこから漏れたのだろう。


「しかし……この図鑑、なかなか興味深いな」


『図解・機械獣リサイクルマップ』。潜穽社から出版されている、潜穽者(ダイバー)必携の解説書だ。季刊でないのが残念だが、採掘層に現れる機械獣三八種を紹介している。機械獣からでた部位破壊品の再利用法と、三年前に取引された価格相場まで書かれていた。


 中でも高額取引されるのが、スカベンジャーの[眼]だ。

 完品で十五万円。ただし瑕一つで三万円、複数だと七千円まで落ちこむらしい。


 解説には、角膜レンズは解像度が高く、そのレンズを使って半導体製造の細かい回路パターンを転写できるとのこと。一から作ると二七〇万円かかるレンズが、この機械獣の角膜なら原価十五万円という計算だ。うーん。市場価格の暴力だ。


「あ……しまった」


 おれは普段しないミスの迂闊さを呪った。

 ダンジョン予習のつもりで開いていたページ――スカベンジャーをコサインに見られた。



 放課後。

 今日の授業が終わって講師が教室を出ると同時、おれはとっさに教材を背嚢(リュック)に流し込むとそれを抱えて長机の下に隠れた。


 数人の同級生から訝しげにされたが、手を振って見なかったことにしてくれと頼んだ。 


 そこへ、


「ねえねえ。ここの講義に、東郷エイジって一年生おるっしょや?」


 声は女性だったが、言葉の訛は道産子。声のデカさは、いねと同格だ。武道経験者かどこかで鍛えられた声量だ。


「東郷エイジ、おら~ん? ……おらんみたいよ」


「そこの君、ちょっといいか。あそこの、机の下から足が出てる彼の名前、わかるかな?」


 もう見つかった。おれはすぐに机の下から出て、窓を開けた。


「いたぞ、季鏡。あいつだ。逃がすな!」

「あいよっ」


 背後でグラップルガンの射出音。地上での使用は正気じゃない。窓に当たれば強化ガラスでも割れるし、人に当たれば半年は打撲の痕がのこる。


 だがその心配に反して、フックは俺の横を抜けていった。わざと外して威嚇したらしい。


「威嚇じゃ、ないっ」


 外へ飛び出したフックが戻ってきた。


 フック・スリングス。潜穽者がまっすぐ飛ぶフックを、ロープを左右に振ることで、ダンジョン内の岩壁で狙った地点にかける時の高等テクニックだ。いねから教わって、練習中だ。


 おれもさすがに彼らの顔は記憶している。新三年の結城康介と市村季鏡だ。

 現場状況を瞬時に理解する鋭い洞察と精確な射撃、息のあった混成コンビだったのか。


 これは手強い。


 おれは戻ってきたフックを背嚢で窓枠に叩きつけた。ガキンと金属の音がして窓枠にフックが掛かる。が、肩にロープが食い込み、不意にゆるむ。


 そして、悪寒。


 ――おれの首に縄をかけてでも連れていきたいらしいっ。


 いったん腰をかがめて頭上から降りてくる輪っか(ラッソ)をやり過ごす。その屈めた腰をバネにして窓の外へ一気に飛び降りた。


「二階なら、問題ないっ」


 植木も何もない地面に接地ひねり着地して起き上がり、正門を目指して走り出した。



「なまらいいっ。康介、アイツやっぱし経験者っしょ!」


「あの[三島瓶割]の弟子とは聞いていたが、季鏡のグラップルをかわすとはな。やっぱり一筋縄ではいかんか」


「グラップルロープだけに?」


「その冗談はまだとっておけ。グラップルをこっちにっ。俺がこのまま追う。季鏡は正門に回れ。挟み撃ちするぞ」

「あいよっ」


 よし、射線は切れたかな。

 おれは運動場手前の補助訓練塔の陰から出ると、正門とは逆方向の高度訓練塔へ向かった。



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