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第25話 傷ついた天使の小夜曲《セレナーデ》後



 これは、いつだったかの話だ。ダンジョンとも、さほど関係ない。

 数年前だったか二、三年前だったかも忘れた。


 松風芙由美、旧姓金森芙由美が、女児を出産した。


 四十歳を過ぎての出産はさほど珍しいことでもないらしい。

 とくに女性起業家は三〇代四〇代に子供を出産しておきたい願望が強まる傾向にあるそうだ。


 彼女は二二歳の時にダンジョン潜穽(ダイブ)中に事故に遭い、子宮破裂という大怪我をしつつも一命をとりとめ、父親を失った。その後の二十年間、父親の会社を押しも押されもしない採掘会社に盛り立てられたのは、彼女の才覚によるものだそうだ。


 この話をしてくれたのは、夫である松風翡翠だ。

 そして、この話には続きがある。


「ぼくはね。もともと半陰陽、両性具有だったんだ」


 出産見舞いに呼び出されて、病室を出て二人きりの時に、切り出された。


「最近だと〝性分化疾患〟という医学用語で、先天性の、障害じゃないけど病気とも違うという扱いらしい。一般にはインナーセックスのほうが通りがいいみたいだね」


「両性具有というと、男女の生殖器が同時にあるというやつか?」


「構文か。それで両親が離婚して、ぼくは母に引き取られた……お金になると思ったらしい」


 金になるのか。おれは隣を見た。


「母はお金持ちと知り合いが多くて、中にはそういう趣向の人もいたみたい。母はその彼らからお金をもらって、ぼくを彼らの玩具として貸し出すことにしたんだ」


 おれは後ろの壁に頭を打ち付けるように凭れかけた。


「それで、独りで東京に?」


「うん。中学一年の時、初潮が来てね。その時の母親が悲鳴を上げて歓喜したんだ」


 ――やった。これでまた、このバケモノの価値が上がったわ!


「実の子供に、価値とは?」


「もう、おかしくなってたよ。父だった人からぼくを産んだことを数年に渡ってなじられ続けていたからね。でもこのままだと、ぼくは母に体をバラバラにされて売り出されるんじゃないかと思った。でも、ぼくこんな容姿じゃない? 誰も男の子に見てもらえなかった。でも股間は膨らむんだ。自分でもバケモノに思えてきて、息を吸ってるだけで絶望しそうだった」


「転がり込んでいたという友達は?」


「母と同じ。最初は気安く部屋を貸してくれたけど、次第にぼくの体を玩具にし始めた。最初は我慢したけど、グループの人気が出始めると芸能事務所の社長に目をつけられた。それで彼がぼくの体の事情をバラしたんだ」


「金森芙由美さんに出会ったのは、そこから逃げ出した直後だったのか」


「うん。もう人が信じられなくなっていたから、誰も顧みられなさそうな路地裏で震えながら寝ていた。そこに彼女だけがぼくを見つけて、名前を呼んでくれたんだ。会社の社長がだよ?」


 いまや父親になった翡翠は、妻との馴れ初めをおかしそうに語った。


「彼女だけだっだ。ぼくの体を見てもモノとして見なかったのは」


 ――私は母になる資格を失ったバケモノだけれど、あなたは最初から天使として生まれたのね


「医師と相談してくれたり自分でも勉強をして、ぼくの体が病気でも障害でもないよって抱きしめてくれたのは」


「そうか、よかったな……救われたな」


 おれはそんな薄っぺらい言葉しか表現できなかった。

 それでも翡翠は嬉しそうに微笑んだ。


「だから彼女に裏切られたら、死のう。そう決めて彼女のそばにいた」


「ん。そうすると、芙由美さんが妊娠したのは?」


「ぼくの子宮を、彼女にあげたんだ」


 おれは焦点を結ばない目をギョロギョロとさまよわせて、


「すまない。現代医学はそんなことまで、できるのか?」


「ふふっ。みたいだね。二十代の子宮だから第二子の懐胎も可能だろうとお医者さんが言ってくれたよ。完全に部品扱いってひどくない? そんなわけで、今のぼくはタダの男性なんだ」


 おれは余計なおせっかいと思いつつ訊ねた。


「それじゃあ、金森家とは?」


「会社は弟の明比古さんが全部引き継いだ。役員報酬とか家の財産とかももらったそうだけど、ぼくはそれがどれくらいの資産かは聞いてない。ぼくは彼女がいるだけでいいから」


 誇らしげに微笑んで、翡翠はベンチから立ち上がった。


「これは、マモルが池袋駅でぼくを連れて逃げてくれたからできた、ぼくの道だ、ありがとね」


 翡翠は、おれの頭を両腕で包みこんだ。

 女性とも男性ともつかない不思議な匂いがした。

 これが、天使の匂いかとも思った。


「ありがとう。あの時、最期だと思って電話をかけた相手が、マモルでよかった」


 あの時どうして、おれだったのかは結局、聞きそびれてしまった。

 だが、どうでもいいことだ。

 人生の分岐なんて、いつ、どこで、どうなるか、誰にもわからない。

 ダンジョンに関わって、おれにもそういうドライな感情が染み付いてしまっていた。



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