第44話 未来への旅立ち
誰かを守るための「盾」として生きてきた屈強なSP隊長が、初めて「守られる」ことの温もりを知った路地裏での一件から、数ヶ月の時が流れた。
抜けるような青空が広がる、百花繚乱閣の屋上菜園。
そこには、かつての静寂とは全く違う、凄まじい活気と土煙が舞い上がっていた。
「妙子さん、次はこっちの畝を作ろうか! 少し深く掘り下げるから、力を貸してほしいんだ」
「はいっ、太郎さん! 私にお任せください!」
農業特化型プログラム時代に培われた太郎の圧倒的な身体スペックと、元・国家繁栄省保安局付属聖盾女学院を首席で卒業した妙子の驚異的な身体能力。その二つが完全にシンクロした結果、屋上菜園の開墾スピードは、もはや小型の重機を導入しているのと変わらないレベルに達していた。
「セイヤァァァッ!!」
妙子が気合と共にクワを振り下ろすたびに、硬い土が爆発したように耕されていく。
彼女は相変わらず黒スーツ姿だが、農作業のために腕まくりをし、足元は動きやすい長靴という独自のスタイルを確立していた。以前のような、すべてを拒絶するような殺気はなく、その横顔には生き生きとした明るい汗が光っている。
「すごいな、妙子さん! あっという間に終わっちゃったよ。ありがとう」
「太郎さんのお役に立てるなら、これくらいの労力、造作もありません! それに……太郎さんと一緒に汗を流すのは、とても楽しいですから」
妙子は顔を赤らめ、少し照れくさそうに笑った。
太郎もまた、人間らしい柔らかな笑顔を浮かべ、タオルで彼女の額の汗を優しく拭ってやっている。
「……なんか、すっごいバカップルが誕生しちゃったな」
「ふふっ。でも、お二人とも本当に幸せそうで、私まで嬉しくなっちゃいます」
少し離れた日陰のベンチで、俺と香澄さんは、そんな二人の様子を並んで見守っていた。
俺の手には、太郎が育てた採れたての冷やしキュウリが握られており、ポリリと小気味良い音を立てて齧る。香澄さんも、淹れたての麦茶が入った水筒を手に、微笑ましく目を細めていた。
「いやぁ、それにしても妙子の奴、すっかり丸くなったよなぁ。あんなに俺に執着してたのに、今じゃ太郎のことで頭がいっぱいだもんな」
俺が感心したように言うと、クワを片付けていた妙子の耳がピクリと動いた。彼女はタタタッと俺たちの元へ駆け寄ってくると、ピシッと姿勢を正した。
「春斗様! 丸くなったなどと誤解しないでいただきたい! 私は今でも春斗様への恩義は忘れておりません。ですが……!」
バサァッ!
妙子は、得意げな顔で黒スーツの裾を勢いよく翻した。
「現在の私の『最優先護衛対象』は、太郎さんにアップデートされましたので!」
風に舞ったスーツの裏地には、以前のような俺の無防備な顔写真のプリントは跡形もなく消え去っていた。
代わりにそこ一面にプリントされていたのは、泥だらけになりながらも満面の笑みを浮かべる『太陽のような太郎の写真』だった。しかも、様々なアングルから撮られた太郎がコラージュされており、その狂気を感じるほどの熱量は以前と全く変わっていない。
「うおっ!? 裏地のベクトルが変わっただけで、相変わらず激重じゃねーか!」
「素晴らしいでしょう! 太郎さんのこの笑顔を守るためなら、私はどんな敵の前にでも立ちはだかることができます!」
自慢げに胸を張る妙子の背後で、太郎が「妙子さん、それはちょっと恥ずかしいかな……」と耳まで真っ赤にして顔を覆っている。
「あははは! まあ、ベクトルが俺から太郎に向いたのは大歓迎だよ。太郎、しっかり妙子の愛を受け止めてやれよ?」
「う、うん。僕も妙子さんのこと、全力で守るから」
太郎が照れながらも力強く宣言すると、妙子は「太郎さぁぁん!」と感極まって彼に抱きついた。
本当に、最高の親友に最高のパートナーができたものだ。
俺はキュウリを齧り終え、ふと、眼下に広がる街の景色を見下ろした。
ゾンビが人間の心を取り戻し、狂ったユートピアのシステムが崩壊してから数ヶ月。
ベーシックインカムが無くなり、俺も就職活動を余儀なくされていたわけだが、実は最近、一つの答えにたどり着いていた。
「……なあ、太郎」
俺が声をかけると、太郎と妙子がこちらを振り向いた。
「この屋上の畑さ、もうお前たち二人のパワーを持て余してるだろ。どうせなら、もっと広いところで本格的にやってみないか?」
「広いところって……地上で?」
「ああ」
俺はベンチから立ち上がり、香澄さんの手を引いて太郎たちの前へ歩み出た。
「実を言うとな、親父の根回しと、姉貴たちの投資ネットワークを使って、郊外にかなりデカい農地を確保したんだ。ゾンビが人間に戻って、これからの時代は食料自給率が絶対の課題になる。お前の農業スキルと、妙子の体力があれば、絶対に大きなビジネスになるはずだ」
太郎は驚いたように目を丸くした。
「それって……僕に、農業の会社を立ち上げろってこと?」
「そういうこと。名前は『太郎農業』でどうだ? ……でさ、その会社の記念すべき第一号社員として、俺を雇ってくれないかな」
俺の言葉に、香澄さんが「えっ?」と驚いた顔で俺を見上げた。
「春斗さん、就職先って……」
「ごめんな香澄さん。俺、色々面接受けたけど、やっぱり満員電車に乗ってオフィスで働くなんて、性に合わないってわかったんだ。それなら、気心の知れた親友と一緒に、青空の下で土を弄ってる方が、俺らしく生きられる気がしてさ」
一パーセントの希少種として、ずっと狭い鳥籠の中で生きてきた俺。
ゲームの世界にしか自由を見出せなかった俺が、現実の世界で、自分の手で何かを育ててみたいと心から思えたのだ。
「春斗……」
太郎の黒い瞳が、感動で潤んでいく。
「もちろん……もちろん嬉しいよ! 春斗と一緒に働けるなんて、こんなに幸せなことはない!」
「春斗様が農業を!? ならば私も、太郎さんの右腕として、そして春斗様の護衛兼農作業員として粉骨砕身働かせていただきます!」
妙子がクワを天に掲げて高らかに宣言する。
「ふふっ……春斗さんらしいですね」
香澄さんは、少しだけ呆れたように笑った後、俺の腕にギュッと抱き着いた。
「でも、それが春斗さんの選んだ道なら、私は全力で応援します。元エージェントのデータ管理能力で、経理や事務作業は私が完璧にサポートしますから!」
「香澄さん……ありがとう。じゃあ、これで『太郎農業』の初期メンバーは四人だな」
俺たちは顔を見合わせ、青空の下で声を出して笑い合った。
一〇〇人の妻を娶るという理不尽な法律から逃げ回っていた俺が、ポンコツで最高に可愛い一人の妻を見つけ、心を取り戻した親友と共に、新しい未来を切り拓いていく。
ヤバすぎる嫁候補たちとの限界お見合いバトルから始まった俺の物語は、この狂ったユートピアの終わりと共に、本当の大団円を迎えたのだった。
俺たちの戦いは終わったが、これからは土にまみれて汗を流す、新しい日常が待っている。
「よし! そうと決まれば、さっそく地上の畑の視察に行くぞ! 太郎、妙子、準備しろ!」
「はいっ! 太郎さん、行きましょう!」
「うん! 春斗、香澄さん、これからもよろしくね!」
四人の元気な声が、東京の空に高く、どこまでも明るく響き渡っていった。
第1章 完
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