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若隠居長太郎と幻の新田  作者: 武良 保紀
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連載第三回

六章 長太郎、演ずる

 古手屋で少々良え着物を着ました長太郎、まずは北浜通堺筋、丸谷史郎の元へ参ります。貸家ながらになかなかに良え建物の住まい。その建物へ臆することもなく入っていきまして「こんにちは」と声をかけます。

「はい」

 奥の方から声が致します。聞き覚えのある丸谷の声。

(なるほど、店を構えてへんということは奉公人やらも使うとらんのやな)

「はい」

「失礼ですが、丸谷史郎さんですな」

「へえ、そうですが、どちらさんで」

「まあ言うたら、ご同業と言うことになりますのやが……京谷善一と申します。どうぞお見知りおきを」

 長太郎、でまかせの名前を言うて自己紹介を致します。

「はあ、その京谷さんが、どのような御用向きで」

「新田講のことでんのやが」

 ぴりっと丸谷の顔にいやなものが走ったのを、長太郎は見逃しませんでした。

「まあまあ、お気を悪るせんと聞いとくなはれ。あっさり言わせて貰いますが、あの新田講、お金はあまり残ってまへんやろ」

「何しに来たんや、お前」

「そこで丸谷さん、あんたたちは、集めるだけ集めてしもて、こかして逃げる算段をしている、違いますか」

「……」

「いやいや、勘違いせんといていただきたいのは、私はそれを咎め立てしようと思て参りましたのとは違います。むしろそのお手伝いに参りましたので」

「手伝いというのはどういうわけや」

「いま、この新田講にお金出してはる人の間で、これほんまに大丈夫なんやろか、てな気分が広がっておりますな。そこに、大商人がどーんとお金出さはったら、ああそれなら間違いないということでその後がやりやすなるんと違いますかな」

「そらそうには違いないが……そんなあてがあるんか」

「駿河屋さんならどうです」

「あの、駿河屋さんか。そんなあてがあるのんか」

「正直言うて、いま面識はございませんわ。そやけど、駿河屋さんを引き込む算段ならおまっせ」

「どうやって」

「そら、こっちの商売のこってっさかい、ちょっと手立てまでは。そやけど、お任せいただけるんでしたら、動きますが」

「なんぼか取ろうという算段やなかろな」

「そらまあ、いずれなんぼかいただくつもりではおります。そやけど、いまここで前金貰いますと言うてそれきりてな、そんなしょうもないことは考えておりません。どうです。お任せいただけませんかな」

 丸谷、しばらく考えておりました。

(そら、儂かてどこぞの大物に大金出さす算段をしてたには違いないんやが……この男の言うてることがほんまやとしたら渡りに船やな。駄目で元々、他の筋にも手を伸ばしながらこの男も使うてみるか)

「わかった。五日内外で顔つなぎだけでも何とかなるか。それによって決めるわ」

「五日ですか。まあ、やってみますよってに、少々お待ちを。上手いこと行きそうなら、またここへ寄せて貰います。おおきにごめん」


 こうして丸谷に当たりをつけました長太郎、今度はその足で駿河屋へ参ります。


「ええ、ごめん下さい」

「へぇーい」

 こっちは丁稚の声。

(やっぱり店を構えてはるということになると違うな)

「へえ、今日はどんなご用で」

「あぁ、手前は……ひょっとしたらご存じかもわかりませんな。最近大坂で大きなっております新田講の座元の家の者なんですが。出来れば旦さんに直接お話しさせていただきたいのですが……」

 そこへ脇から入って参りましたのがこの店の番頭。

「当家主にご用と仰いますが、どのようなことでも一旦は番頭の私を通してからということになっております。よろしければ、伺いますが」

「まあ、そらそうかも知れまへん。私、京谷善一と申しまして、新田講の座元やっとります相馬屋の家の者です。新田講のことはご存じですかな」

「ええ、噂には聞いておりますが」

「それ、あんまり良え噂やないんと違いますか」

「まあ面と向かって申し上げるのも心苦しうございますが、正直あまり良え噂は聞きませんな。内実は相当苦しいことになってはって、新しい人のお金を古い人に回しているというやりくりになってるんやないかというような話も聞きますが」

「やっぱりご存じでしたかなあ。いや、それで私どもも困っておりまして。それで、駿河屋さんにどーんとお金を出していただければ、疑うてはるお方もああそれなら間違いない、ということでこの悪い噂も消えて持ちなおすんやないかと、こういうわけで伺いましたんやがな」

「……少々お待ちを」

 番頭、店の奥へ引っ込んでいきます。奥で何かしゃべっている様子。しばらく致しますと、あのいつか見た駿河屋の当主があらわれます。

「わたくし、駿河屋の主でございますが、何です、新田講へお金を出して欲しいと仰る。どういうわけですかな」

「まあ、ご存じやろと思いますのであっさり申しますが、この新田講、中身はだいぶ危ないんやないかという噂が立ってしもて難渋しておりますので、この駿河屋さんにお金をお出しいただいたら、そら間違いないやろということになるんやないかと、こういうことなんでございますが」

「まあ、そちらさんとしたらそうかもわかりませんが、うちになんぞ良えことでもない限りは良うお出し致しませんが」

「そこでなんでございますが、まず現金で一万両お出しいただきます。そして、こちらさんでは、貸し倒れても何の不思議もないような貸金を仰山持ってはるという話を伺うております。その証文を全部新田講に渡していただいて、その金高も出していただいたことにして、配当はそれだけ分お受け取りいただく。そこであの駿河屋さんが出さはったんやったら間違いないということでまた銭が随分集まると思いますねん。そこで、お出しいただいた一万両と証文の分、この分は大口の配当ということで新しく集まったお金の中から先に駿河屋さんにお返しする、一年内外で一万両と証文の分にさらに歩がついて現金で戻ってくると、こういうことでいかがでしょうな」

「貸金の証文で配当を受け取ると。なるほど。手前どもがそれだけの大金を出したということで人を惹き付けるわけですな」

「田んぼの方は順調に開いとりますしここだけの話ですがあっちやこっちに銭は分け分けにして増やす算段はしておりますので、損をしていただくようなことはないと思いますが、いかがでしょうな。お金というのは怖いもんで、人の噂で集まりもすれば出て行きもする、そういうもんやというのは私が申し上げても釈迦に説法やと思いますが」

 駿河屋の顔つきが少し変わったのを長太郎は見逃しませんでした。

「とりあえず、五日後、人目に立たんところで新田講を仕切っている者とお顔合わせということでどうです。まあ、話だけなと」

「そう言われてはいはいと信じるわけに行かんが……なんぞ、私が、ああこれなら間違いないと思うような材料はございませんのかな」

「そうですなあ……それなら、一度私の住まいにお越し下さい。そこで話させて貰います」

「そう仰るなら行かせて貰いますが、どのように」

「三日後、暮れ六つあたり、侍屋敷町の門前でお待ちいただけますか。そこから私のうちへ行て、そこでお話し致しましょう」

 というわけで約束が出来ました長太郎、家の方はもう損料屋で借りたもんでそこそこ良えようにしてあるんでこっちは心配ない。後はどれだけ駿河屋の信頼を得るかということでございますが、長太郎にはひとつ算段がございました。


 三日後の夕景、長太郎、珍しいお漬物を傳次郎に言うて包ませまして、ご挨拶の名目で与力様のお宅を訪ねます。いま、例の新田講の残りの金高を全部集めさせております最中でございますというような、当たり障りのない報告だけ申し上げますと、酉の刻あたりで出て参ります。その帰り道に駿河屋の姿。

「ああ、駿河屋さん、今日はどうもお呼び立てを致しまして申し訳ございませんな」

「京谷さん……あんた、お侍様にご用事があったんですか」

「ええ、まあ、表向きは隠してはりますが、お侍様にもお金を増やそうという方は仰山いらっしゃいますので、そういう方のお金をお預かりしておりますな。そんなわけで、お侍様のお屋敷にはちょいちょい来ておりますので」

「はあ……そら、えらいもんだんな。ところで京谷さん。あんた、新田講の座元の人て、新田講のことだけやってはるんやないんですかな」

「ええ、まあ、正直に申しますと、前にも申しましたが新田講の方が危ない具合ということでご相談を受けましてな。こういう仲の取り持ちやらやって、それでお金をいただくという、そんな商売を看板上げずにやっとりまして、相馬屋に雇われてるわけやないんです。私にとって相馬屋さんの頼母子は、数ある仕事のひとつに過ぎませんわ」

 そういうことで上手いこと商売回してるなら、と思たんでしょうか、少ぉし、駿河屋の目が信頼の目に変わったのを、長太郎見逃しません。ここでだめ押しでございます。

「お腹、減ってはらしませんか。そこに良えうどん屋がありますのんで、一緒に呼ばれませんか」

 こう言うて長太郎、駿河屋を例のうどん屋のところまで引っ張って参ります。

「お侍様のお屋敷に来たときには、帰りにここでうどん一膳呼ばれるのが癖になっておりますのんで。うどん屋。今日はお客さんがあるで、二膳つけてんか」

「あ、こら大将。またありがとさんでございます」

「いつも世話になるな。駿河屋さん、ここのうどん屋にはもう馴染みでな。大体侍屋敷でのお話というのは嬉しいお話が多いんで、この店では私、ご機嫌の大将で通っております。なあ、うどん屋」

 ちらっちらっとうどん屋に目配せを致します。うどん屋も察したものと見えまして。

「へえへえ、こちらの大将には必ず寄って貰ろてますんで、へえ。いつも嬉しそうな顔して侍屋敷から出ておいででしてな。余計目に払ろて貰ろてます良えお客さんでんねん。でけましたで、どうぞお上がりを」

「駿河屋さん、でけました。ここのな、蒲鉾が良え蒲鉾を分厚うに切ってくれてますねんで。出汁も鰹張り込んであるし、うどんも良え具合。それでまたこの唐辛子がな。京の清水さんから送らしてるというんでっさかい、商売勉強してまっせ」

「ほんに、こら旨いうどんですな。侍屋敷からの帰りは必ず寄らはりますのんか」

 長太郎の代わりにうどん屋が答えます

「必ず寄って貰ろとりまっせ。いっつも良え顔で来はりますんで、ご機嫌の大将、ご機嫌の旦さんと呼ばせて貰ろてますんで」

(良えぞ)

と長太郎、うどん屋に目で合図を送ります。

「おおけごっつぉはん。お代や、取っといて」

 そう言うてうどん屋に五十文持たせますと、目でおおきにを告げる長太郎でございます。そして借り物でこさえた長屋の住まいにやってくる。

「京谷さん、あんた、長屋住まいをしてはりますのんか」

「へえ、そうですが、それが何か」

「仮にも人様のお金をお預かりしてそれを殖やそうというような商売してはる人が、長屋住まいしててお客がつきますのんか」

「そこだっせ駿河屋さん。お宅みたいに立派な身代こしらえて、奉公人も仰山使うてはったらそらそこらの人は、お金のことなら駿河屋さんにということを考えはりまっしゃろ。そやけどや、世の中、けんたいで持ってけんたいで殖やせるようなお金を何とかしたいと考えてはるようなお方ばっかりやおまへんねん。そういう人のお金を殖やして、なんぼか貰おうというようなこと考えてるんやったら、悪目立ちは具合悪い。そやから、私はこういうところへ住まいしております。へちゃげた長屋やけど、置いてある物見とくなはれ。悪いもんは置いてまへんやろ」

「言われてみると、そうですな。このかんてきかてそこそこ値の張りそうなものですが。そいでこの上に乗ってるこれ、これ噂に聞く南部鉄器とかいうやつやおまへんか。えらい北のほうで作ってるとか聞きますが」

「おっ。そういうところに気が付いて貰ろたら嬉しございますな。日頃使いの道具にこういう贅沢品をちょっと入れておく。これが楽しいんでっせ。あ、そや、お茶もお出ししておりませんな。やもめやさかい火ぃ熾すところからやらんとあきませんが、お待ちいただけますかな」

「いやいや、もう、お茶てなものは結構。とりあえず、見せてもらう物だけ見せて貰ろたら今日のところは早々にお(いとま)を致しますが。そやけど、そういうご商売なら、なんぞかんぞと言うていきなり銭を用意せんならん事もあるんと違いますか。そういうときには、どうしてなはる」

「ああ、それやったら、手元になんぼか持っとりますわ」

 そう言うて長太郎、押し入れをがらっと開けます。上の方には割と良え布団、もちろん借りもんでございますが、それが置いてあります。

「この布団も見とくなはれ。これも私選び抜いてね。中の綿が上等ですねん。横になったときにまるで空を飛んでるみたいに体にどっこも無理のかからん……」

「いやいや、そんなんどうでもよろし。なんぼか持ってるというのはどこにおます」

「あ、そやったそやった。これですわ」

 そう言うて長太郎、押し入れの下の段、奥の方に入れてあります例の千両箱を引っ張り出して参ります。中身は赤銅と石やけど、空と違いまっさかい引き摺っても重い音が致しますな。ずず、ずず、ずず、と引っ張り出して。

「これが……よいしょっと……ひと箱、こらせっと……ふた箱、最後……三箱と、これだけはまあ、すぐに出せるように手元に置いとります」

 動かす度に中でがちゃがちゃ、がちゃがちゃと音が致します。これ見たらもう千両箱以外の何者でもありませんな。駿河屋もすっかり信じてしもた。

「なるほどなあ。そこまで周到に身分隠して、お侍様も含めて財産を殖やしてなさる。わかりました。新田講の方、入らして貰います」

(……勝った)

 内心ほくそ笑みながら、長太郎、続けます。

「それなら、急ではございますが明後日、やはり酉の刻ぐらいに、この長屋で新田講の講元の相馬屋さんとお顔合わせということでいかがですかな」

「わかりました。その時は何を持ってきたらよろしい」

「とりあえず、証文だけで結構ですわ。現金はまた別のときに運ぶことに致しましょう。その時は替銭やら通帳てなもんやなしに、べか車で千両箱をわーっと運んどくなはれ。いわば見せもんだっさかいな。この場所はもうお分かりですな。証文は、みな寄せてなんぼほどになります」

「そうですなあ。まあ、お渡ししてしもても惜しないようなもんで、ざっと二千両というようなところでしょうかな」

「そうですか。ほなら、駿河屋さんから一万二千両お出しいただいたことにすると相馬屋さんにはお伝えします。その上で、明後日にここでお会いしまひょ。ただ、最初に言うておかないかんのは、一万二千両の金高を一年で返すという証文はちょっと作れんということになります。要は駿河屋さんのご威光だけお借りしました、なんていう証文書いたらあっという間に広がりますよって。一年でお返しは口約束ということになりますが、ご納得いただけますかな」

「まあそうですなあ。私が信頼して頼母子にお金を出した、ということでお金をお集めになるんですな。わかりました。ほなら、明後日に相馬屋さんとここでということで。お頼申します、京谷さん」

 駿河屋とはこうして話がつきまして、相馬屋の方との話が残るわけでございます。ベか車というのは何かと申しますと、大八車の小さいようなもんです。江戸ではものを運ぶのに大八車の使用がお上より許可されておりました。そやけど大坂ではそれがございません。もの運ぶ道具としてはべか車が一番大きいものと言うことになります。


 長太郎、今度は丸谷のところへ行きます。

「丸谷さん、駿河屋さんと話がつきましたのでお知らせに上がりました」

「ほう、それでどうなりました」

「現金で一万両、そいから貸金の証文で二千両ほどお出しいただくことになりました。それをもって、一万二千両お出しいただいたことにして、その歩を駿河屋さんにお渡しするということで。ほんまのところは、一年で一万二千両とその歩を返すという、これは他の人には内緒の口約束というところの話でございますが」

「一万二千両出して貰ろて、その配当を払うてな余裕はおまへんがな」

「何を言うてなはる、丸谷さん。出さしたらこっちのもんでっしゃないか。三万両集めはって、三割は使うてしもて現在二万一千両。駿河屋に一万両出さしたら三万一千両。元より大きなってますがな。そこでずばーっとこかしてしもたらよろし。端から集めるだけ集めたらこかすつもりでしたんやろ。思いもよらず早よに上手いこと行ってない話が広まったさかいに、あんたらこかして良えもんかどうか迷うてなはったんや。一千両増えただけでも御の字でっしゃないか。それ持って大坂を離れはったらよろし。京あたりどうです。古いきれいなもんが仰山あって、風情がおまっせ」

「それはよろしいが……そんな銭、どうやって持ち出しますねん」

「それはその時になったら私がきちんとお教えしまっさかい、その時ということで。まずは駿河屋に千両箱十二箱運ばしましょいな。そのうちふたつは空やけど」

「頼んまっせ、ほんまに。もう頼りは京谷さんだけや」


 二日後。

 長太郎の借りた長屋……「京谷善一」の家で丸谷と駿河屋が顔を合わせます。相馬屋の主は来てない。やっぱりあれはただの飾りです。

 大した話は致しません。お互いの顔が知れればそれでよろしい。そして大体二千両分の証文がここで渡されます。長太郎、やっぱりここでもあの赤銅の入った千両箱見せて、その上もっと仰山よその蔵に持ってる、名前は出せないけれどもどこそこの大商人からなんぼ、お侍様からなんぼ預かって動かしてるとせんど誇大広告を致します。

「ほいで、一万両運ぶのはいつにしましょ」

 丸谷の考えてることはもうこのことだけですな。

「駿河屋さん、いつなら都合がつきますか」

 長太郎が確認致しますと、駿河屋が答えます。

「一万両でっさかいな。五日おくなはるか。一万両の銭と千両箱十二箱用意しますわ」

「ほなら丸谷さん、五日後までに、駿河屋さんが一万二千両出してくれはった、と出来るだけ広まるように触れて回りなはれ。駿河屋さんからベか車に乗せた千両箱十二箱、みなに見てもらいますねん。これ、見せもんだっせ。当日には人だかりを作らんなりまへんで。気張りどころや」

「わかりました。なるべく話が広まるように持て行きますわ」

 というわけで、相馬屋と駿河屋の顔合わせは終わります。


 翌日、長太郎は大坂中の裏長屋を見てまわりまして、出来の悪い表具屋を探します。手頃なところを探し出しますというと、何も言わずにこれこれのことをしてくれたら、謝礼ははずむというところで話をつけます。さらに次の日には、店には「京見物」という名目で言うておいて、朝早く起き出しますというと京へ参ります。

 京には大橋というのが何本もございますな。この時分、ほんまに大きかったのは三条と五条の橋でございまして、橋の下には人が十分入れる広さがございました。そういう橋の下あたりというのは、昔からあまり良え場所やなかったんやそうです。乞食が居ったり、官許を得てない商売女が居ったりね。長太郎、さりげなくその辺を見て回りますと、きちんとした格好をしたら割にまともに見えそうな良え歳の乞食に目をつけます。そして話をし出す……。

 することしたらあとはもう京には用事がない。三十石舟で大坂へ帰ります。


 大坂では駿河屋が新田講に大金出したらしいという話が回って持ちきりになっておりますな。そこへ持ってきて、ベか車に乗せられた千両箱十二丁がどけどけと言わんばかりに相馬屋に運ばれてくる。長太郎も相馬屋の者でございてな体でお祭り騒ぎを煽ります。ここで人目を盗んで千両箱から十両小判一枚抜いておくのが長太郎の抜け目のないところですが。

 それを見て新しく新田講に入ろうという人が、やっぱり出てくる。これでいくらかまたお金が集まりだす。その見世物から二、三日日を措いて「京谷善一」は再び丸谷の元を訪れます。

「丸谷さん、どうです。これで新田講の方もだいぶ持ち直しましたやろ」

「おおきに、京谷さん。これでまだこれからちょっとは集められそうですわ」

「丸谷さん、それは欲の掻きすぎというもんです。元々集めた三万両より一千両増えたあるのや、こかすんなら、今しかおまへんで」

「こかすと言うても、どうしたもんか……」

「あの相馬屋の主人がいてますやろ。確か倫太郎さんと言わはったかな。あの人に言わしたらよろし。思うようにいかず、こけましたと」

「儂はどうしたらよろしいかな」

「前にも言いましたがお金持って大坂出たらよろし。何と言うても三万両からおますんやから、そらもう後は遊んで暮らせまっせ」

「そやから、そんな大金、どうやってこの大坂から持ち出せるもんかと……」

「また明日、酉の刻くらいにうちへ来とくなはれ。そこで全部教えまっさかい。その時、申し訳ないんですが十両だけ持ってきて貰えますかな」


 丸谷はわかったようなわからんような気持ちでとりあえず十両の銭を懐に入れまして、翌日に「京谷善一」の家を訪れます。

「良うお越し下さいました、丸谷さん」

 長太郎が迎え入れますというと、納まり返ったような男がひとり中で座っております。

「失礼ですが、そちらの方は」

「ああ、この人ね。表具屋はんですわ。表向きはね。何も仰らんけど、それも仕事のうち。この人がいるさかい、大金を大坂から持ち出せまっせ」

「この人がいるからて……いったいどういうことです」

「まあ、見てとくなはれ。お願いしてました十両、お持ちいただいてますかな」

「それやったら、ここにおますけど」

「ちょっとお預かりを致します」

 そう言うと長太郎、その十両を何にも言わん表具屋のところへ持って行て

「この十両ですが、お頼み致します」

 じろっ、と長太郎を睨んだ表具屋、絵を一枚取り出しますと、裏に小さく「十両」と書き入れます。見ておりますと、その絵を掛軸(かけじ)に致します。それを箱に入れて長太郎に渡して、あとはふたりに黙礼だけして帰ってしもた。十両持ってね。丸谷は「何のこっちゃ」てな顔して見ています。

「掛軸だけが残りました。これでよろしいねん。明日、夜から出られますかな。三十石で京へ出ましょう」

「何のことやわかりませんが……ほんまにこれで間違いはおまへんのやな」

「どうぞご安心を」

「ほなまあ、行ってみますが……」

「行けばわかりますて」


 翌日、長太郎は知り合いと京見物に行くと店の者には伝えました。

「こないだも行かはって、またですか」

「ちょっと面白い人と知り合うたさかいな。一緒に見て回りましょうということで約束がでけてしもたんや。役立たずが家にじっとしてるよりは良えやろ。まあ、行ってくるわ」

 八軒屋で丸谷と待ち合わせをした「京谷善一」はそのまま夜船に乗ります。寝てる間に運んでくれて朝一から動けるということで大変に利用者は多かったそうです。そやさかい舟に詰め込めるだけの人数を詰め込んで京と大坂を行き来するのが常やったそうで旅の人も多いさかい、悪目立ちもせずふたりは無事行くことがでけました。

 朝方に伏見に着きましたふたり。

「ああ、着きましたな、丸谷さん」

「着いたは良えが、これからどうするんや」

「まあまあ、そう焦らんと。あ、うどん屋が出てますな。どうです朝飯代わりに」

「まあそら、腹は減ってないわけやないし、食べるんやったら食べても良えけどな」

「決まりですな。うどん屋、もう終いかえ」

「終いてな事はおへん。三十石船の着くこの界隈、一日中賑おうとりますで、いつでも商売してますんどす」

「ほなふたつつけてんか」

「はい、うどんふたつ……でけました。どうぞお召し上がりを」

「いただきましょう、丸谷さん。腹が減っては戦も出来まへんで」

「まあ、食べるけどな……」

 良えかいな、というような顔して見てる丸谷を尻目に長太郎、うどんの出汁をずずずと啜ります。

「ほう……こらまた大坂のうどんと味が違う。味醂が効かしてあって薄甘いですわ。これが京のうどんなんですな。お腹がほっこり温もってこれはこれで食いでがある」

「京谷さん。それは良えが、銭の件、どうなります」

「そう焦りなさんな。こっちは急いても向こうの口が開かんことにはどうしようもない」

「向こうの口て何でんねん」

「ふう、まあ、お腹も落ち着いたし、これから京の街中まで歩いていたら向こうの口も開いてまっしゃろ。ぼちぼち行きましょか」

 というようなところで歩きにかかります。伏見土産として有名やったのが伏見人形。その店を冷やかしたりしながら長太郎、ぶらぶら歩いて行きますが丸谷の方は気が気やない。それでも何とか京の街中へ着きます。

「ここですわ、丸谷さん」

「ここて……汚い長屋にしか見えまへんがな」

「まあ、これからが面白いところですわ。昨日作らせた掛軸お持ちですな」

「ええ、それなら、ここにありますが」

「あるならよろし。ごめん。邪魔するで」

 中にはまた無愛想な感じの男がひとり。良う見たら、この間の乞食です。それが身なり整えて座ってる。

「その掛軸ちょっと渡して見なはれ。頼むと言うてな」

「はあ……ほな、頼む」

 座っている男は黙ってそれを受け取った後、絵の隅っこを柱から剥がして、十両という字を確認しますと、黙って八両の銭を差し出します。

「お分かりですかな。要はこの掛軸が替銭の役目をしてますねん。掛軸ひとつ持って歩いて怪しまれることはまずおまへんわ。で、大坂から持って出た掛軸が京でお金に替わったかて、大坂で買うた掛軸が京で良え値で売れた。これ、誰も怪しむ人居りまへんで」

「それは良えが……二割も取られんのか」

「それは十両という金高が安いからですわ。三万両超えなら二分、六百両ですな。そしたら三万両よりまだいくらか残りまっせ」

「言うたら両替屋になったあるのやな……そやけど、この京と大坂で、何か手を使うて帳尻を合わせな商売にならんやろ。そこはどうしてるんや」

「いやいや、わたいもそこまでは知りませんわ。この人らの商売の秘密でっさかい、そこらはこの人らに任せとかんとしょうがない」

「……わかった。それで儂は大坂から逃げることにしますわ」

(もう、あらかた終わったな)

 お腹の中でそう思いながら、長太郎、いつもの調子で続けます。

「大坂にさえ戻らなんだら、良え暮らしが働かずに送れるとは羨ましい限りですな」

「京谷さんのおかげですな」

「ほな、善は急げ、早速大坂へ去にまひょか。京見物はまた、丸谷さんゆっくりしはったらよろし。そらどこの茶屋行ってももてんなんてことおまへんで」

「ほなら大坂へとって返しですな。ところで京谷さん、これだけ都合つけて貰ろて、お礼はいかほどしたらよろしいかな」

「大坂のこないだの表具屋を三日後に私の家にまた呼んどきますんで、残りのお金を両替屋に預けて、通帳作っておいて貰えますか。まさかあの長屋に三万両余りの現金持ち込むわけにも行きませんしな。駿河屋はあきまへんで。別のところにしとくなはれや。あと、駿河屋の持ってきた証文、あれはみな持って来とくなはれ。私のいただく分は、その時にお話しさせて貰います」

「わかりました。ほな、三日後に」

 この時分、既に両替屋に通帳を作るという制度があったんやそうです。預けておいたら利子がつくというようなもんではなく現金なし、両替屋の帳簿だけで商売のやりとりをするというための、今で言う当座預金のようなものであったと言いますが。


 三日後、長屋でまた丸谷と会います。通帳が出来ておりまして三万一千百五十両という金高が記載されております。それをまず長太郎が見る。

「この端数の百五十両というのんと、証文みんなをいただいてもよろしいかな」

「これだけして貰ろたんやさかい、その程度のお礼はさせて貰いますわ」

「ほな表具屋さん、三万一千両で作って貰えますかな」

 無愛想な表具屋が三万一千両という数字を書き入れ、掛軸を作り上げます。そして通帳はその無愛想な表具屋……つまりは長太郎の手元に残るわけでございます。

「でけました。丸谷さん、短い間のお付き合いでしたけど、また向こうで落ち着いたら手紙でもおくなはれ。今度こそ、ゆっくり京見物と行きまひょ」

 そのまま両替屋へ行き通帳から百五十両現金に換えて長太郎に渡します。

「ほな、お元気で」

 こうして何の値打ちもない三万一千両の掛軸を持って丸谷は京へ逃げていきます。


 大騒動になったのが相馬屋の方。新田講を取り仕切ってた丸谷は銭みな持って逃げてしもた。主になってた倫太郎はじめ一味は銭出した人から吊し上げられることになる。倫太郎なんて操り人形やったのに名目上は講元ですからな。もう泣きそうな顔してる。とうとうお上に引っ立てられて番所行きですわ。

 番所へ行ても倫太郎が何できるわけでもない。

「私は何も知りません」

 これより他、言うこともございません。

「その方、何か隠し立てをしているのではあるまいな。隠し立てをしているともなれば、重き拷問にかけても(まこと)のところを聞き出さねばならぬが、その方、覚悟の上でしらばくれているのではないか」

「ご、拷問」

 気の弱い倫太郎はこの言葉に怖じ気づいてしもた。

「とんでもないことでございます、お役人様。私は担がれていただけ。この講のこと、はじめからほとんどひとりで取り仕切っておったのは丸谷にございます。お役人様のお取り調べを受けるようなことがあれば『何も知りません』で押し通せと言うてきたのも丸谷にございます。私が拷問など……酷すぎる話にございます。私はただ……ただ……」

「つまり、はじめから倒すことを算段に入れた上で銭を集めていたということで良いのであるな」

 そう言われて、倫太郎は恐怖のあまり口走ってしまったことの意味を今さらながらに知ることになります。

「そういうことなら、その方らは共謀し……つまり、徒党を組みて詐欺、騙しごとをなしたことになる。そういう罪の片棒を担いだことになるが、それで良いのであるな」

「……」


 この話を聞いて真っ青になったのが駿河屋。慌てて「京谷善一」の長屋を訪れますがもうそこはもぬけの空。家主のところへ行ても

「あの人はふらっと来はって、ひと月になるかふた月になるかわからんけど、という話で貸しましたもんでな。詳しいところは良うわかりませんわ」

 というわけで行方も眩ませております。

 何日かしますと、駿河屋に一通の手紙の付いた大きな荷物が届きます。


「駿河屋 当主様

 先日はお世話になり候。

 相馬屋の頼母子を動かしておいでの丸谷様は

 お金をみな持って逃げおおせ候。

 私もこうなるとは思うて居らず、ただ驚き候。

 少々申し訳ない気持ちもあり候えば

 私が押し入れへ隠しておりました

 千両箱の中身を送らせていただきたく

 どうぞよろしくお受け取りの程願わしう。

 京谷善一」


 慌てて駿河屋が包みを解いてみますというと、中身はただの緑青のふいた赤銅と石。駿河屋、取り立てに使うておりました少々強面の連中を走り回らせて「京谷善一」を探します。


 長太郎の元に、送られてきた手紙が長屋の家主から回されてきました。長屋の家主には他の人間には言わんようにということで居所は知らしておいたわけでございます。


「京谷 善一 様

 (くだん)の掛軸を持って京を回っており候。

 先日の表具屋の店が見当たりませず。

 あの表具屋を見つけねばこの掛軸を金に換える事能わず。

 もしあの表具屋の宿替えなどご存じでしたら

 その居所をお教え願いたく候」


 長太郎という男、こういうことが面白うてたまらん。何の値打ちもない掛軸だけ持って、京の街を探し回る丸谷の姿を思い描くだけで腹の底から笑いがこみ上げてきます。

「ま、返事でも書いたろか」

 筆を取り上げますというと紙に書き始めます。


「丸谷 史郎 様

 先日の表具屋の居所が知れずとの由。

 私にお尋ねいただきますれど

 私もあの男はあの日一日のみ二朱にて雇いし浮浪者故、

 現在の居所など噸とわかりかねる旨、

 お伝えするより他なく候。

 慣れぬ場所に無銭にてお暮らしになるのは

 畢竟、かなりご不便かとご推察申し上げ候。

 大坂にお戻りになってはいかがかとご進言申し上げ候。

 奉行様はじめ、お役人様方も丸谷様をお待ちのご様子にて候。

 京谷善一」


 丸谷の手ががたがたと震え出します。


 長太郎、例によって水野様のところへ伺います。これであらかた事件は片付いたことになりますので、そのご報告ですな。

「こちらの通帳をご覧下さい。例の頼母子の集めました金銭、ほぼこれで取り返してございます」

 与力様、通帳をお手に取られ、中身をゆっくりとご覧になります。

「三万両内外を集め、見せかけの新田を作っておって、残額が三万両を超えておるとはいささか妙じゃの。山紀屋、その方何か企んだのではないか。駿河屋が一万二千両という金高を出しているのが不思議に思えるが、その方、何かしたのではあるまいな」

「何もかもお見通しでございますな。まことに恐れ入ります。頼母子には二万一千両ほどの残額がございました。それを取り返しても、目減りした分出した人の損になるかと思っておりましたところ、駿河屋さんがお金を出すという話がありましたので、出して頂いたらまあ少々の歩をつけて皆様にお返しすることが出来るかと思い、出していただきました」

「駿河屋の商売に不当なところはないと聞いておったが」

「はい、駿河屋さんは立派なご商売人でございますが、損もすれば得もするのが商売人、今回ばかりは、駿河屋さんも見立てが悪かったということでございましょうなあ」

 長太郎、しれっと与力様に申し上げます。

「その方、何か企んだな。しかし、いや……それならば、奉行様にご説明申し上げればよしなに取りなしていただけよう。しかし、儂はその方を使うておることを誰にも話しておらぬ。これだけのことを儂ひとりでやったことにして話の辻褄を合わせるのはいささか骨が折れそうじゃな」

「そこは与力様のご才覚で」

 こうして与力様に事の成り行きをすべてお話しした長太郎でございましたが、駿河屋に証文をあらかた吐き出させたことだけは伏せておきました。


七章 長太郎、後始末する

 大坂と京とを結ぶ街道、大坂にようやく入ったところでございます。

 ひとりの男が京の方からふらふらと歩いてまいります。覚束ない足取りに、生気のない顔。着ている着物は悪いものではございませんが、すっかり汚れてしもて台無しになっております。髭は伸び放題、髷は乱れ、何日も人間らしい暮らしもしてないというのが丸出しでございます。

「ああ、待て」

 その場を通りかかっていたひとりのお侍様が、この怪しい男の風体に疑いをかけます。

「その方、浮浪者か。見るからに無銭、この後大坂に入るとて暮らす手段もなさそうであるが、何か怪しい目的を持ち大坂へ入ろうというのではあるまいな」

 辛うじて出るような声で、男が話し始めます。

「おそらくお触れが回っているやろうと思いますが、私は丸谷史郎でございます……お裁きも罰も受けますので、どうか、どうか一食のご飯のお慈悲を……」

 こうして、丸谷は捕らえられます。


 頼母子の一党は最初から儲けの出る見込みもない新田の話をでっち上げて銭を集めて逃げるつもりであったという罪、商売の都大坂におけるお金がらみの大事件とのことで実質的な首謀者の丸谷は遠島、他の者も入牢など重い罪が課せられることとなりました。

 駿河屋の出した金額も問題となりました。一万二千両という金高を頼母子に出したのはなぜか、ということが厳しく問い詰められることになったのでございますが、駿河屋としてもお天道様に顔向けできる商売をしたわけやない。商売をしくじったという事だけは言いますがほんまのところはぐじゅぐじゅとごまかしておくよりしょうがないわけでございます。


 頼母子にお金を出した人は、その証文を持って行けばお役所で出したお金よりほんの少しだけ高い金額を返してもらえる事となりました。

「吟味方与力の中で一番若手の水野左近様が取り返してくれはったらしい。こら感謝せなあきまへんで」

 てなことを、長太郎も顔見知りの被害者には言うて回ります。

 また長太郎、伏せておいた証文の件は自分で片をつけます。返せる見込みもないのに貸す駿河屋も駿河屋ですが、なんぼ苦しいとは言えそういうところから金を借るのは地獄への一本道。どれを見てもひどい内容の証文でしたが、立場上「私が取り返した」と言うわけには行かん。落ちてたのを拾ろたという体で大坂中回って一軒一軒返していきます。

「ちょっとお尋ねを致しますが、この借金の証文はおたくさんのと違いますかな」

 そう言うて回るわけですが、やっぱりお金を借りて困ってる人というのは誰も彼もが鬼みたいに見えるもんで最初は怯えてしもうて話にならんか、逆に食ってかかられるか。それでも話を続けるとだんだん事が飲み込めてきて、手が震えて泣き出す人まである。

「儂はまあ、何不自由することもない暮らししてる人間ですで、こんな説教するのもおかしいようなもんですがな。困ったからと言うて怪しげなところからお金なんて借ったらあきまへんで。苦しいようなら草鞋編みながらおかゆ啜ってでも、お金だけは借ったらあかん。自分の首締めるだけでっせ。返せる見込みがないのやったら、もういっそのことくれと言うたらよろし。早よ言うたら乞食やけど、性質の悪い金貸しから借るのは乞食よりまだ下やと思といたほうが確かでっせ」

 一軒一軒これを繰り返すんでっさかいえらい手間です。それでも長太郎はこれはやらんとあかんことやと思ってやり続けております。

 そんなことももう終わりかなあという頃になりまして、長太郎、笊と杠秤(ちぎ)をひとつづつ購入致しまして、松七のところへやって参ります。

「松七さん。えらい久しぶりになりまして」

「ああ、証文持って行たあの……良う考えたら、儂あんたの名前知らんのや。名前は」

「名前は、知らんで通しとおいておくなはれ。どうしても呼ばんならんのやったらいぃさんでもろぉさんでもはぁさんでも呼んでくれといたらよろし。今日は、お借りしてた証文をお返しに参りました」

「これは……儂の控えと、駿河屋の持ってるほんまもんと両方ともあるようやが」

「そうですな。まあ、訳は良う説明しませんが、それがこうして手元に来たんやし、あんたはもうお金返さんで良えんとちがいますか」

 松七、体の力が抜けてくたくたぁっとその場にへたり込んでしもた。

「あの……それは……何のこっちゃ……あんたはその……」

「まあまあ、言いたいことがいろいろおありなんはわかりますけどな。儂のことなんかを良う知って貰うことなんかは要らんことです。儂のことなんかを、あまり知りすぎたら損することになりますでな」

「わかった……ほならもう、銭は返さいでも良えんやな」

「そう。それで儂、今日はあんたにあげようと思ってこれを持って来た」

「笊と杠秤……紙屑屋の道具みたいやが」

「みたいやない、紙屑屋の道具や。あんた言うてなはったな。紙屑屋にまでは落ちたないと突っ張ってしもたと。そんなことを言うたらあかん。駕籠に乗る人、担う人。そのまた草鞋を作る人。誰ひとり欠けてもこの世は回らん。真面目にやってたらどんな仕事してる人の上にもお天道様は照らすもんや。地道にお稼ぎ。大きいてきれいな商売狙うて借金取りに追われてるより、紙屑屋になって嬶とつましいに生きてる方が良えやろ」

「そうかも知れんな……おおきに、紙屑屋やるわ」

「それにな、松七さん」

「まだ何かあるのんか」

「紙屑てなもん、捨てる方は気楽に捨ててるか知れんが、見る人間が見たらえらいお宝てな事があるもんなんや……そういう商売しててくれる人が、顔見知りにひとり居てくれたら良えなあ、という、これは儂の勝手な思いやが」

 松七も何となくこの男そういうものがあったら買うと言うてるなと察しをつけます。

「なるほどな。わかった。おもろいわ。紙屑屋、やらしてもらう。どうぞご贔屓によろしお願い致します」

「それでやな、今回はその笊と杠秤とで払ろたということにして、その証文の中の一枚、貰えんやろか。駿河屋の持ってた正本はあんたが持ってたらよろし。あんたが持ってた副本で良えさかい、一枚分けてぇな」

「またなんぞするんやろ。良えわ。好きなの持って行って」

「ほなまあ、一枚いただきます」

 こうしてそのうちの一枚を持ってまいります。


 その数日後のこと。

「あんた、京谷善一と違うか」

 そう言うて何人かの男に、長太郎取り囲まれます。見るからに一筋縄ではいかなそうな連中。

「駿河屋の者やが、うちの旦さんがあんたに会いたいと言うてはる。顔を借りたい」

 長太郎、予想していたもんが来たなあと腹の中で考えます。

「ま、いずれお越しやろうなあとは思とりました、へえ。逃げも隠れも致しません。私が京谷善一ですわ。特にすることもないし、駿河屋の旦さんにお目にかかりましょうか」

 こうして駿河屋にまで連れられていく長太郎でございます。

「京谷ぃ」

 駿河屋の主人はもう頭から火ぃ噴きそうな具合。

「お前、儂に大金出さしやがって、新田講は倒れたやないか。この勘定、どうつけてくれるねん」

「さぁ倒れたもんはどうしようもないんと違いますか。別に私が倒したわけやなし、私が怒られんならん理由がわかりかねますな」

「そんな言い逃れがきくと思てるのか。お前が倒したに違いない。これは何としても儂はお前から一万両と証文取り返す」

「ほう、取り返すと仰る」

「当たり前じゃ」

「それなら言わせて貰いますがな」

 そう言うて長太郎、懐から松七の証文を取り出します。

「この歩ですが、二割五分に見せかけてありますが、これ上手いことしてありますなあ。最後のひと月なんてひと月で二割五分。そのひと月だけを一年に延べたら歩だけで元金の三倍からの金高になる。これはまあ、なるべくぼやかして言わしてもらいますが、お上がお知りになったら相当な厳しいお裁きが下るんと違いますかなあ。私はよろしいで。最初からこかすつもりであんたに話して新田講に大金出させた、そう言うて願うて出るんなら願うて出なはれ。そやけど、お調べが進めば進むほど、苦しいことになるのはあんたの方と違いますかな」

「……この餓鬼……」

「ひとぉつだけあんたに申し訳ないと思てたんでここで入れあわせをしておきます。あんたがベか車で千両箱十二丁運ばはった日のことや。ちょっとその後の動きに要り用でしたんでな。十両小判一枚だけこっそり抜いて使わして貰いました。その十両、今ここでお返し致します。さあ、これでもう貸しも借りもなし。きれいなもんですな。まだなんぞ、お話しすることがおますかな」

「覚えとけよ」

「はい、特にお話しすることもないようで。ほなら私は、これで失礼をさせていただきます。お互い、お金にはきれいで居りたいもんですな」

 駿河屋を後にする長太郎でございました。


 数日後のこと。水野様のお家の方が、山紀屋にお越しです。本日の夜、与力様が手空きにより、碁のお相手を務めよとのこと。長太郎にはすぐにぴーんと来ますので、必ずお伺い致しますと返答致します。


「……山紀屋」

「はい」

 碁盤を挟んで差し向かいながら与力様と長太郎、話し始めます。

「どう考えても、駿河屋が一万二千両を新田講に出したのと、丸谷が金を持って逃げたのと、時が合いすぎるとお調べの中でも話が出ておっての。そして丸谷は捕らえられたときは一文無し。そのおかげで、頼母子のお取り潰しで残金を返す際に、少々の歩が付くということになった。あの駿河屋が見込みのない相馬屋の頼母子に一万二千両も出したのも奇妙。あれがなければ三割ほどの目減りで残額の分配をせねばならぬところであった。そしてその金より二千両分も何処へか消えておる。駿河屋の出資金二千両ほどは貸金の証文にて支払われたるようであるが、どうやらそれがなくなっておるようであるな」

「噂に聞きますところ、駿河屋の貸金のうち二千両ほどは貸し倒れても何の不思議もないものであったとのこと。良え機会と言うことで相馬屋に売り払うたのではないかと思います。相馬屋も値打ちなしと見て放かしたものでございましょう。私もその行方については何も承知しておりません」

「二千両もの金を相馬屋が捨てたと申すか」

「相馬屋は要するに『大物が金を出した』という噂だけを欲しがっていたいたようでございます。返ってくるか来んかわからん貸金の証文、どうでもええと思ったのでございましょう」

「山紀屋、その方も食えぬ奴よの。二千両分の証文が消えたところまで儂に始末をつけよと申すつもりか」

「そこは、与力様のお手柄ということで話をつけていただきたく存じますが」

「何とか儂ひとりでやったということにはしているつもりではおるがな。駿河屋に、誰かに騙されたのであれば話をせよと向けても、苦虫を噛み潰したような顔で商売のしくじりでございますと述べるのみ。誰かが裏で動いたのではという話は城内でも幾度となく出ておる。そのたびに、偶然ということで話の辻褄を合わせるのに少々冷や汗をかいておる」

「ご苦労をおかけ致しまして申し訳ございません。あ、申し訳ないということで思い出しましたが、あの新田講に入るお金、三十両をお借り致しましてそのなりになっておりました。今日持ってまいりましたのでお返しを致します。長々ありがとうございました」

 長太郎もすました顔で金の包みを渡します。与力様、苦笑して仰います。

「どうもその方、儂が思う以上のことを平気で手がける性分であるようじゃな」

「は、恐れ入ります。それで、この後もお仕えしてよろしゅうございましょうか」

「今後か……この言葉で返答になるか」

「は」

「儂は、その方を敵に回すことだけは避けたい、今つくづくそう思うておる」

「それは……」

 与力様、かちんと石を置いてにやりと笑われます。

「ありがとうございます」

 長太郎、その石を受けて返答致します。

 ここに隠密の主従関係、固く結ばれましてございます。


 平穏な日々が帰って参りました。

 長太郎は相変わらず、朝も遅うまで眠っておりまして、手水と朝飯が済んだらすることないさかい町内の人寄り場所へ。碁を打ってる人があり、火鉢の炭入れ替えてる人があり、前のままでございます。

「近江屋さん。この度はえらいことでございましたな。それでもまあ、戻ってくるべきもんが戻ってきて助かりましたな」

「ええもう、人の銭を預かって殖やしてやろうなんて、良う考えたらそんなでけすぎた話があるわけないのに、なんであんな話を信じてしもたんか、私もあほやったなあと後悔しておりますのんで。なんでも、昔身分を窶して山紀屋さんにお勤めやったお芳さんの嫁ぎ先の水野様がすべて片をつけてくれはったと聞いてますが」

「ああ、私も噂だけより聞いておりませんが、どうやらそのようですな」

「やっぱり頼れるのは、お上と家族だけですな。山紀屋さん、あんたまだ若いんやし、これからなんぼでも世帯持てまっしゃないか。どうです、うちの親類に良え年頃の娘がいてますのやが、見合いだけなと……」

 お年寄りてなもんは、この手の話してるときが一番活き活きするもんで。

「良うないことかも知れんが、また何か大坂で騒動が起こらんもんかな」

 勝手な思いを強うする長太郎でございました。


 皆様、お読みいただきありがとうございます。

 実はこのシリーズ、構想だけは延々とあるのですが、書き溜めていたのがここまでになります。従いまして、次回の投稿はいつになるかわかりません。なんだかピーンと来るものがあって、今はちょっとSF的なものを書いています。

 興が乗れば一日に一万字でも書けますが、出ないときは百文字ひねり出すのも苦しい、そういうことは常々実感しておりますので、どうか気長にお待ちいただきたく思います。

 よろしくお願いいたします。

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