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虚構の男  作者: HYG
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虚構の男15

 つい先ほどまでの、スタジアムの喧騒が嘘の様に感じられるくらいに静まり返ったフライングメガヨットのラウンジで、相対する雅臣と洋子のアバター。フライングメガヨットのラウンジからは夜の日本リージョンが眼下に見渡せた。時間はもう深夜二時を過ぎていたが、この仮想現実の世界は眠る事なく絶えず瞬いている。

『で、いったい何があったんだ?』ソファに座った雅臣のアバターは思考チャットを投げかけ、スタジアムで洋子が見せた態度についてその原因を尋ねた。ここならば誰かが近くで盗聴しようとしてフライングメガヨットに接近したらすぐに分かる。それに事前に記録しておいたフライングメガヨットのステータスが、今現在は何も更新されて無い事から誰かがここに何らかの仕掛けを施した形跡もなかった。もっとも洋子が取ったあの態度から察するに、何か良からぬ事が起こっているのは分かり切っているのだが。

『逆探知は成功したわ。BOGEYDOGのアジトはやっぱり<出島>最下層にあったの』ラウンジの窓から眼下を見下ろしていた洋子のアバターが答える。『場所はO-006にあるグッディグ日本支社よ』

 さすが洋子だな、雅臣はそう思った。トラブルが発生したあの状況でも問題なく仕事をこなしている。『なら、その場所を報告してこの仕事はもう終わりだな』これでもう面倒事とはおさらばだ、報告書を提出して契約の終了を申し出れば平穏な日常が戻ってくる。しかしグッディグと言う会社名を雅臣は何となく聞き覚えがある気がした。それは何時だったかは分からないが、恐らくまだ警官だった頃に何かの資料で目にしたのかもしれない。洋子が日本支社という所を見ると、外資系企業なのだろう。<出島>最下層にはそんな実態のよく分からない有象無象の真っ当ではない外資系企業が多く存在する。マネーロンダリングに海外の企業を使うのは有り勝ちな話だと雅臣も腑に落ちた。

『でも、もうその必要はないと思う』しかし洋子は続ける。『対戦中にBOGEYDOG達の回線が切断されたのは、どうやら警察が連中のアジトに突入したのが原因みたい』

『はぁ……』雅臣はあきれ果てて思わず変な思考チャットを入力してしまった。そして連中は余計な事をやってくれたと思った。確かにBOGEYDOGを確実に確保するならば、本人が忙しいエキシビジョンマッチの対戦中を狙って踏み込むのがベストだ。確保に確実を期すためにこちらへは情報を伏せておき――こちらがその情報を知ったせいで、ちょっとした挙動がそれを示唆する事を警戒したのだろう――平然と対戦が行われている最中に踏み込んで確保する。BOGEYDOGも俺達が警察と繋がっている事は予想しなかった筈だ。もちろん雅臣自身が、その痕跡は全く残さない様に細心の注意をはらって捜査をしていた。カジノで道化みたいな役回りを演じたのも思いのほか目くらましとして役に立ったと思う。しかし対戦の最大の山場である洋子達のチームの完全勝利がかかっているタイミングで、それは行われた事になるのだから洋子が不機嫌になるのも当然だ。

 雅臣は言いようもない苛立ちに襲われた。笹野の様な奴は常に合理的に動く。そして多分それが間違っている訳ではなく、事件の解決にとって一番必要なのだろう事も雅臣は分かっている。利害関係や個人の感情やそう言った物の一切合切を考慮する事無く切り捨てて、純粋に職務をこなす事は法を執行する立場の者にとってとても重要な事なのだ。犯罪者を捕らえる、証拠を集める、それさえすれば、その後の利害関係や個人の感情やそう言った物の一切合切なんかは検察官や裁判官に任せればいい。だが、それでも、こんな大人の汚いやり方に洋子を真込んでしまった事を雅臣は少なからず後悔していた。若者もいずれはこんな世の中を理解する時が来るだろう。それは別に今じゃなくっても良い事だ。若者は若いうちはその時にしか得られない経験をするべきなのだ。いずれ灰色の世界に染まっていくのだろうとしても、そうなるまでは大人の端くれの俺でも何か守ってやれる事があるはずなのだ……

『まぁ、とにかくだ、洋子、今日はよくやってくれた。ありがとうな』雅臣はもうその様にしか言えなかった。捜査の進め方や指示は雅臣自身がやっているにしても、洋子の協力なしにはここまでの成果は得られなかったのだから。その分を弁えるのならば、こんなそっけない言い方ではなくもっと感謝の念を表すべきなのだろうが、雅臣はその距離感を上手く測れなかった。

『本当? 役に立った!?』だが、そんな雅臣の考えなど知る由もなく、洋子は聞き返す。

『ああ』

『それじゃあ、せんせーはもっとあたしの事を褒め称えるべきだと思います!』どうやらいつもの調子を取り戻したのか、洋子は軽口を叩く。だが、洋子の言う事も最もだ。軽い労いの言葉や、上辺だけしか見えない感謝の言葉を並び立てた事はあっても、洋子の事を真剣に本心から褒めたりした事は無かったかも知れない。雅臣は真剣に本心が伝わる言葉を考え伝えた。『お前は最高だよ』

だが、洋子の反応は意外だった。『えっ……きもっ……』

『はぁっ!』洋子のこの反応に雅臣は思い切り動揺した。『お前! 今なんつった?!』

『だって! あたしの事素直に褒めてくれた事なんて今までなかったじゃん!』

『そりゃぁそうかも知れんが、それにしたって“きもっ”は無いだろ!』

『だって何か凄くびっくりしたんだもん!』

 やっぱり慣れない事はするもんじゃあないな。雅臣はそう思った。『あーあ、もういい! やっぱり今の無し! もう今日は解散!』

『ああ、もうごーめーんー』

『分かってる、とにかく今日はもう解散だ。時間も遅いし接続しっぱなしで俺も限界だ。お前も疲れただろ?』

『まぁ……』

『今日みたいに長時間接続した後にログアウトすると凄く疲労が来るんだよ。それに腹も減る。お前と違って俺は若くないんだからな』

『分かった。じゃあさ、最後にさっきのもう一回言ってよ』

『あれは無しだって言ったろ! じゃあな!』雅臣は逃げる様に強引にログアウトした。



 自宅寝室のベッドの上で、ログアウトした雅臣は自分の体に意識が同調してくるのを感じながら目を開ける。寝室内はコンピュータモニタが照らす灯りだけが部屋の一角を照らしていた。頸部のUSCBBポートから接続ケーブルを引き抜き上体を起こすと、思いのほか体がこわばっていた。そしてその後から追いかけてくる微かな空腹感。ひとまず雅臣はベットに腰掛ける体制をとった。軽く体をほぐす動きをしてから立ち上がると、突如倦怠感と空腹感が一気に襲い掛かってきた。これは何か腹に入れたほうがいい、雅臣はそう判断すると足元の常夜灯を頼りにキッチンへ向かう。そしてキッチンの冷蔵庫を開けて、やはりな、と落胆する。カラの冷蔵庫の庫内灯の灯りがキッチンをむなしく照らし出す。雅臣は冷蔵庫を閉じリビングに向かい時計を確認した。午前三時を回った所だった。時間的にもう中層にあるコンビニか、近場だと洞東餐廳ぐらいしかやってる店は無いだろう事は明らかだった。仕方がない、とりあえず洞東餐廳で食事にしてから一旦寝て、日中に何か買い出しに行こう。そう判断すると雅臣は重い体で何とか着替え、コートを羽織り、ポケットに手じかにある現金をねじ込むと家を出た。

 まだ暗い屋外、体を包み込むほのかな冷気と潮の臭い。雅臣は一路、足を引きずる様に洞東餐廳へと向かう。特別な事情がない限り二十四時間休みなく営業している洞東餐廳。幸いにも今日も営業しているのを見て雅臣は安堵する。店はこんな時間なのにそこそこの人数の客がおり、各々のテーブルで酒の回った軽やかな口で談笑していた。雅臣も軒先のあいているテーブル席に座るとメニューをざっと見まわし注文を決める。やがてオーダーを聞きに来た給仕に餃子、麻婆豆腐、担仔麺(タンツーメン、小ぶりの汁入り麺料理)とチンタオのボトルを注文する。給仕は先にチンタオのボトルだけ持ってきてテーブルに置くと、そのまま店の厨房にオーダーを告げに消えた。雅臣はチンタオを一口煽り、そのビールの味を炭酸ののど越しと空っぽの胃に流れ込む冷ややかさで味わう。

 雅臣が普段ここに来て注文するこのチンタオも、本来の製法は全く違う物である事は明らかだった。これは単にチンタオの味を再現したビールの様な飲み物なのだろうが、世間一般ではチンタオとして認識されているビールだ。先の大戦の前の時代ならば、まだ本物のチンタオを飲む事が出来たのだろうか。この店で提供されている料理だってそうだ。恐らく本当の調理法で作られている料理なぞほぼ無いのだろう。そのほとんどが、それぞれの料理の材料に味や食感や成分が近い合成食材や加工食材を使って作られた物だ。仮に昔の通りの食材や調理法で供されたとするのならば、それはこんな所ではなく、都内の一等地で営業している中華料理店で出てくる物ぐらいだろう。本物の味、恐らく雅臣が生涯生きていく中でこれ程自分とかけ離れた位置に存在する物は無い。そんな事を考えると、バースのスタジアムで神田がシャンパンを模したオブジェクトをべた褒めしていた事の凄さが改めて理解出来る。味をデータとして再現する…… いや、それだけではない。今の時代、もう五感はすべてデータ化出来る科学力、技術力がある。ならば、今俺が認識しているこの世界が虚構ではないと誰が証明してくれるのだろうか。俺がここに存在していると言う証明は?

 そんな、誰しもが一度は到達するであろう思考に雅臣がはまる前に、給仕がテーブルに料理を並べる。「はいよ。温かいうちに食べなよ」そう言うと給仕はテーブルに伝票を置いて立ち去った。俺がボーッと考えている所を見てたんだな、あの給仕。深夜にここで働いている給仕の顔を雅臣はまだ覚えていなかった。だがヤツの言う事も最もだ。今は腹ごしらえだ。あの給仕が言う通り温かいうちに食べないと折角の料理が台無しだ。雅臣は料理に手を付ける。料理を口に運び飲み込むと、それがまるで体に染み込んでいくかの様な感覚に襲われる。やはり体はかなり疲労していた様だ、一瞬そんな考えがよぎるがそれもどこかへと消え、自然と箸運びも早くなりチンタオを流し込む。時間をかけて料理と格闘し終えた雅臣は満足感に包まれた。難しい理屈なぞどうでもいい。美味いと感じたならばもうそれでいいのだ。

 軽い眠気に襲われた雅臣は、二本目のチンタオを煽りながら辺りをぼーっと眺める。夜明けの空気が辺りを漂い、談笑していた客達も帰り支度を始める。それと入れ替わりに新たな客達が空いているるテーブル席に着き給仕に料理と注文する。洞東餐廳はいつまでも眠る事は無い。だが、このままでは自身がここで眠ってしまいそうだ。そう思った雅臣はチンタオを飲み干し、伝票を手に取って立ち上がる。それに気づいた給仕が声をかける「ありがとうございましたー」

 雅臣は会計を済ませると店を後にした。空腹を満たし満足した雅臣は家路を急ぐ。帰り着いたらこのまま寝てしまっても良いだろう。報告書やその他の面倒な事は寝て起きてから考えよう。今は只々、自宅のベッドが恋しかった。早く帰って眠りに着きたい。やがて自宅の玄関前にたどり着いた雅臣は、鍵を出すべくコートのポケットをまさぐった。そんな雅臣の背中に何かが当たる感触がし、次の瞬間衝撃が走る。雅臣の体は硬直して地面に倒れ込んだ。これはスタンガンによる一撃だ、恐らくテーザだろう。雅臣がそう理解した時、何者かが雅臣の体を地面に押さえつける。そして、テーザ―の一撃からまだ回復していない雅臣は、成す術も無く頸部のUSCBBポートに何かを差し込まれる。途端に何かが補助電脳にアクセスし、雅臣の視界内にポップアップウィンドウを表示する。表示は補助電脳の睡眠モードがONになった事を告げた。これは…… 補助電脳を強制的に…… 操作する系統のエクステか……

 そして、雅臣はそのまま意識を失った。


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[一言] 奴さんも同じようにしたと…
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